ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飛行機からの眺めとナイス・ランディング

2013-12-09 19:56:25 | Weblog
 

 12月9日

 数日前、北海道から九州の家に戻ってきた。
 いつもの時期より遅くなったのだが、それはなかなかに北海道を離れる決心がつかなかったからだ。
 
 薪(まき)ストーヴを燃やしている暖かい部屋で、揺り椅子に座って暮れなずむ窓の外の景色を見ていると、もうどこにも行きたくはなくなってしまう。
 クルマに乗って買い物に行くのでさえ、近くの温泉に行くのでさえ、おっくうになってしまう。まして九州にまで行くなんて。

 このまま静かに揺り椅子を揺らしながら・・・バッハの”平均律”の音の流れを聞きながら・・・すっかり葉を落とした林の向こうに沈んでいく夕日を見ている・・・ああ、穏やかに生きていくことに、何の悔いがあろうか。
 私が最もそばにいることを望んだのは、若き日に愛した娘たちでもないし、家族たちでもない。
 実は、ひとりだけのこの穏やかなひと時だったのではないのだろうか。
 もちろん、それ相応の寂しさの大きな代償を支払いながらも・・・。

 そして、日に日に寒くなってくる。日陰の雪はもう溶けることはないだろう。
 その寒さが嫌だったのではない、あの-20度になる朝夕の雪原を、ひとり歩きまわることが、何にも増しての私の喜びなのだから、この冬にこそそのまま居たい場所なのだ。
 
 だけれども、哀しいかな、私はもう若くはないのだ。
 夜中にトイレに起きるようになって、そのたびごとに外のトイレに出るのが嫌になってきたのだ。
 まして大雪になった時に、トイレに行くのがどれほど大変なことか。若いころにはそれでさえ、面白い体験だとさえ思っていたのに。
 さらに、もともと井戸水の出が悪い所だから、真冬に渇水になることはないが、そんな水では洗濯もできないし、風呂にだって入れない。
 1週間に一度、町に買い物に出る時に、コインランドリーで洗濯をすませ、ようやく町の銭湯にも入ることができるのだ。
 若いときには、それでも十分だった。

 しかし、すっかりヨイヨイのジジイに近づいた今、もう夜中のトイレは家の中ですませたいし、風呂も毎日入りたいし、晴れてさえいれば洗濯も毎日でもしたいのだ。
 九州の家ではそれができる。私は決心して、この冬も北海道の家を離れることにした。

 もちろん九州の家での問題もある。もう数十年にもなる家だから、あちこちすきま風が入ってきて、ともかく寒いのだ。
 九州とはいえ山間部だから、数十センチの雪は積もるし、最低気温も-10度くらいまで下がる。
 それなのに暖房は、ポータブルの石油ストーブと電気コタツ、それにトイレなどに小さな電気ストーブを置いているだけで、北海道にいる時よりも厚着をしなければならないというありさまなのだ。

 まあそんなことは世の中にはよくあることで、あちらを立てればこちらが立たずと、いつも相半ばするところで妥協満足しなければならないのだ。
 とはいっても、北海道と九州を行ったり来たりということができるだけでも、”ぜいたくな不便さ”とでもいうべきか。
 その行き来に、まして大好きな飛行機からの眺めを楽しむことができるとあっては、文句を言ってはバチがあたるというものだ。

 その昔、飛行機にはあまり大幅な割引運賃がなくて、とても片道数万円もする空路で行くことなどは考えられなかったから、寝台列車や長距離フェリーの乗継で行くほかはなく、ただ途中の東京には、泊めてもらえる友達たちがいたし、ついでに地方では味わえないコンサートや美術展、新作映画などを見に行くこともできたし、時間はかかってもそれなりに悪くはなかったのだが。

 今回、北海道から九州に戻るにあたって、途中の東京で降りることもなく、つまりコンサートにも美術展にも封切映画も、大型書店にも輸入CDショップにも、秋葉原電気街(AKBを見に行くためにではない。念のため)にも行くことなく、一気に戻ってきたのだ。
 つまり、様々な楽しみがある東京さえも立ち寄るのが面倒になり、素通りしたということだ。
 折しも東京では、美術展でいえばあの「クレラー・ミューラー美術館展」と「ターナー展」の他にも「カイユボット展」に「モローとルオー展」や「印象派から世紀末絵画展」など、絵画ファンにはたまらない企画が勢ぞろいしており、できることなら東京に二泊はしてゆっくりと見て回りたい程だったのだが、特に”クレラー・ミューラー”と”ターナー”は二度と見られないかもしれないのに。

 それでも、東京に泊まらなかったのは、このところずっと書いているように、すっかりぐうたらになったからであり、さらに前回書いたように、「少しは不便でもいいから、もっとのんびりさせておいてほしい。」という思いが強くなったからでもある。

 さて北海道・帯広から東京への便は、もし右側の席ならば日高山脈の山々を、その末端の襟裳(えりも)岬までを眺めて、その後はしばらく海の上を飛び、そして大津波の跡が残る三陸海岸から東北地方に入り、それぞれの名山を眺めて最後には遠く富士山までも見ることができるのだが、その日はあいにく左側の席であり、福島上空に至るまでずっと海しか見えなかったのだが、今回はその海上に点々と連なる積雲が、海とともに日の光に映えて、何とも見あきることのない光景だった。(写真上)
 もっとも毎日忙しい仕事に追われているだろう人たちは、窓のシェードを下して、束の間の休息や眠りをとっているようだった。
 窓の外の光景に一喜一憂するのは、毎日出かけることもなく家にいて、ヒマに過ごしている私くらいのものだろう。

 この日はちょうど高気圧が日本の真上に来ていた。
 東京から福岡に向かう便では、さらなる景観が私を待っていた。
 席は通路側だったのだが、それはそれでいい。つまり中央部の非常用ドア部についている小さな窓のそばに、いつでもすぐに駆け寄れるからだ。それも右側にも左側にでも。誰もそんな窓から外の景色を眺めたいとは思わないから、いつも自分だけで心おきなく外を見ていることができるのだ。

 羽田空港から東京湾をぐるりと舞い上がって、丹沢山系に差し掛かるともう待ちきれない。そのあたりでは、電子機器類禁止やシートベルトのサインも消えたころで、私はうきうきとした気分でその小さな窓に駆け寄りカメラを構える。
 もう冬の姿になった富士山の姿が、大きく素晴らしい。(写真)

 

 やや逆光気味で、さらに午後の時間だから少し空気がかすんでいるが、文句は言えない。そして小さな窓だから、正面に来たほんの少しの間の時間しか撮れないのだ。
 去年も良かったが、今年も悪くはない。何度見ても飽きることのない偉大な山の姿だ。(’12.12.3の項参照)

 普通の座席の窓側からだと、その窓いっぱいにカメラを動かせて丹沢上空から静岡上空ぐらいまでの長い間、写真を撮ることができるのだが。ただしこの窓ならではの利点もある。すぐに今度は反対側に移動できるからだ。
 もし普通座席の窓側に座っていれば、反対側の小窓へ行く時は、隣に座っている人たちに迷惑をかけながら座席を離れなければならない。
 ベストな状態は、機内がガラガラに空いていて、特に後部座席のほうで窓側の両側とも空いている時であり、心おきなく行ったり来たりして山々を眺め写真を撮ることができる。

 そんな意味からいえば、若き日に行ったヨーロッパ旅行では、南回りの格安航空券で、香港に一泊さらに機中泊と三日もかかったのだが、いずれも機内は空いていて、思う存分窓からの眺めを楽しむことができたのだ。
 それからも私の思いは変わらず、飛行機に乗ったらなんとしても窓からの眺めを楽しむことが一番の大きな目的であり、いい天気の日には運賃のほとんどはその眺め代といってもいいくらいだ。

 今までかなりの回数の飛行機に乗っているが、窓側でなくそのうえ上空までも雲に覆われて、まったく楽しめなかったというのは、数度あるかないかだろう。そのうちの一つは、この夏の北アルプス山行の後、ちょうどお盆の時期に重なりやっとの思いでキャンセル待ちで乗ることができたあの時だ。(8月26日の項)
 それでも、山にいた時の黒部五郎岳があまりにも素晴らしかったから、飛行機からの眺めがなかったことなど、まったく大した問題ではなかったのだが。

 さて右側の窓へと移る。見えてきた。南アルプスの山々だ。(写真)

 

 そしてこちら側は、順光で空気も澄んでいて、山々がはっきりと見えている。白根山脈の北岳(3193m)、間ノ岳(3189m)、農鳥岳(3026m)と並び、左上に仙丈ヶ岳(3033m)、上に甲斐駒ヶ岳(2967m)といつ見ても素晴らしい。
 下から登る途中の山腹の雪はまだ1メートルもはないだろうから、何とかラッセルして稜線に上がれば、少し風は強くなっても、雪は少なく凍り付いていて、アイゼンがガシガシと効いて、気持ちよく歩いて行ける。あの岩場の斜面を上がれば頂上だ・・・なんて、想像してみる・・・実際はもうそこまで行く元気はないけれど。

 左側の座席から見えるのは富士山だけだけれども、この右側の窓には次々に山々が見えてくる。中央アルプス、木曽駒ヶ岳(2956m)や宝剣岳(2931m)から続いて、空木岳(2864m)に南駒ヶ岳(2841m)と縦位置に連なっている。(写真下)
 その上のほうに少し雲に隠れながらも見えているのは北アルプスの山々だ。
 奥穂(3190m)の吊り尾根から槍ヶ岳(3180m)、大天井岳(2922m)、常念岳(2857m)とはっきりわかり、その後ろに裏銀座から後立山の山々が続いている。

 そして最後のフィナーレを飾るのが、この夏に登ったばかりの木曽御嶽山(おんたけさん、3067m)だ。少し離れて乗鞍岳(3026m)の一群も見えている。
 日本で最も高い山々のすべてを眺めることのできる、なんと心ときめく思いのひと時だったことだろう。
 この眺めのためだけに飛行機代を払ったのだとしても、何の後悔もない。その上に、目的地の九州へと時間移動させてもらったのだから。
 
 「シートベルトをお締め下さい。当機は間もなく着陸態勢に入ります」とのアナウンス。
 眼下の海の広がりは、福岡の街並みに代わり、そして飛行機は低く下がっていき、滑走路の上に、実に静かに接地して、停止のための逆噴射も少なかった。
 見事な、ナイス・ランディングだった。

 その昔、オーストラリアを旅した時に乗った地方のプロペラ機で、今回のようなソフト・ランディングだった時、思わず機内の乗客から拍手が起こり、”Nice Landing!”と声をかけられたりしていた。
 私も、今日の着陸ぶりは、久しぶりの見事なソフト・ランディングだったから、拍手したかったが、もちろんここは日本であり、それも札幌便と並ぶ利用者が最も多いドル箱路線なのだ。
 それも30分、1時間おきにダイヤが組まれた大都市間の新幹線並みの路線なのだ。
 人々はこの大型機のソフト・ランディングを当然のこととして、いつものように着陸しただけのことだと思い、ランウエイを走る間にもうシートベルトを外す音が聞こえていた。

 先日、NHK・BSで、『ハッピーフライト』(2008年)という映画をやっていた。あの大河ドラマ女優でもある綾瀬はるかのまだ若いころの映画であり、昔の『スチュワーデス物語』みたいなドタバタ・CA(客室乗務員)物語かと思っていたが、ともかく録画しておいて後で見たのだが、ドラマの筋立てや出演者はともかく、なんといっても飛行機整備や操縦室、客室乗務員、管制塔、空港グランドスタッフなどとのそれぞれの関連事項など、知らないことを次々に見せてくれて、”目からうろこ”式に教えられることが多く、いつも乗っている飛行機なのに、さらに関心を抱かせるような映画だった。
 もちろんそれは、映画に芸術至上主義を求めたい私には、物足りない部分が多すぎたのだが、ドキュメンタリー的な要素でそれを補えるだけの、まずは一見の価値ありといえる映画だった。

 その中で知ったのだが、ナイス・ランディングとは静かに衝撃も少なく止まるソフト・ランディングだけではなく、向かい風や横風からの危険を避けるために、そして雨や雪で滑りやすい時などに、ブレーキを効かせてドスンと着地することもあるということ、ひいてはそれが、機体の安全や乗客の安全にもつながるということ。
 知らなかった。時々あるドンと音を立ててのあの乱暴な着陸は、単なるパイロットの経験の差だと思っていたのに(それもあるのだろうが)、事前に危険を回避するための一つの手段だったとは・・・。

 昨日たまたま見た夕方のテレビで、日本刀の刀匠でもある和包丁(わぼうちょう)の匠(たくみ)が、鋼(はがね)に焼を入れて鍛錬(たんれん)していくさまを映し出していた。
 78歳になる匠は、800度という温度を温度計で測ることなく、その焼き色だけで1度たりとも間違えずに言い当てていたのだが、彼は聞かれて、「なるほどそうだったのかとわかることが今でもある。生涯まだまだ学んでゆくことばかりです。」と言っていた。 
 名人にしてこの言葉あり、まして俗人においておや。

 私の人生のソフト・ランディングへの思いは、果たしてナイス・ランディングになるのだろうか。
 それが、ハッピー・フライトであったと思いたいのだが・・・。

  
 

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