ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(82)

2009-10-04 18:05:58 | Weblog


10月4日
 拝啓 ミャオ様

 さて、前回からの続きだが、数日前のこと、私は、天馬街道の野塚トンネル付近の、日高側の湧き水公園から、ニオベツ川の上二股の沢に入り、さらに分かれて、オムシャヌプリ(1379m)に向かう、涸れ沢をたどっていた。
 今まで伏流となって流れていた沢に、水が現れ、さらに登っていくと、所々に秋の花々が咲いていた。黄色のコガネギク、紫色のエゾオヤマノリンドウとエゾトリカブト、さらに何と、まだオオイワツメクサの小さな白い花が、点々と咲いていた。
 このあたりの沢には、夏の間に何度か登っていて、このオオイワツメクサを良く見かけたものだが、今は、もう9月も終わりなのだ。

 北海道では、今年もまた、いつもとは少し違う夏だった。7月の天候不順、8月の冷夏、9月の晴天続きと、まあそのぐらいのことは、平年並みと比べた場合の、ありうる変動なのかもしれないのだが。
 昨日の気温は23度、今日も20度まで上がり、今の時期としては高すぎる。まだ初霜も降りていない。もっとも、農作物の収穫のためにはそれが良いのだが。ただ、この時期にはぐっと冷え込む日があって、山々の頂も白くなる頃なのに、あの大雪山でさえ、9月初めの初雪以来、山が白くはなっていないのだ。
 この暖かさのせいで、ここのオオイワツメクサの花も、まだ寒さにもやられずに咲いていたのだろう。もっとも、中には、今頃としては当然のことながら、その葉さえも枯れ果ててしまっているものもあるから、個体差なのかもしれないが。

 さて、今までの谷あいの沢が開けて、一気に明るくなった。大崩れの、一大岩屑(がんせつ)、岩塊斜面に出たのだ。水は、ここでは再び伏流になり、岩塊の下を音を立てて流れている。
 この岩屑、岩塊斜面は、単なるがけ崩れではなく、地形学的によく言われる、周氷河作用(寒冷地での土壌凍結等による現象)によるものではないだろうか。北海道の山では、よく見られる地形であり(9月24日の項の、十石峠途中の大崩れも、同じ岩塊斜面)、またそれらは、あのナキウサギの生息地になっていることが多い。
 北海道のナキウサギについては、希少動物としての保護が叫ばれているけれども、この日高山脈では、標高600mくらいの岩塊地帯にでさえ、その鳴き声を聞くことができるのだ。
 もっともそれは、日高山脈での氷河地形が、このあたりにも残っていると言うわけではない。日高山脈最南端のカール(氷蝕圏谷)は、このオムシャヌプリの北隣にある野塚岳(1353m)の、さらにもう一つ先にあるトヨニ岳(1493m)の北東面に残されている。

 その、キチッキチッと鳴くナキウサギの声を聞きながら、歩きにくい岩塊帯を抜けると、沢幅は狭くなり、やがて細い流れが続く、急な岩溝を這い登って行くようになる。
 そして、勾配がゆるやかな草の斜面になり、低いハイマツやミヤマハンノキが生えている源流部に出る。さらにひと登りで、吹きさらしの風衝(ふうしょう)地になっている東峰と西峰のコル(鞍部)、いわゆるオムシャ平に着く。
 振り返ると、このオムシャヌプリから続く尾根の紅葉の斜面の向こうに、細かく谷を刻んで、十勝岳(1457m)が大きく盛り上がり、その横には、楽古岳(1472m)も見えている。(写真)

 この十勝岳は、南日高の中でも私の好きな山の一つであり、南北いずれ側から見ても、とても1500mに満たない山とは思えない程の迫力がある。あの南アルプスの、一つ一つがスケールの大きい、3000m級の山々を思い起こさせるほどだ。
 この山の、雪に被われた姿を見るために、まだ道が半分凍結している3月に、野塚トンネル傍にクルマを停め、そこからニオベツ川の反対側、右岸側の尾根に取り付き、それも二度目の挑戦で、雪まみれになりながら、ようやく稜線に上がり、念願の、雪の十勝岳の姿を眺めて、思わず涙したことがある。
 それほどまでに、雪の十勝岳の姿は、立派だった。ニオベツ川の谷をはさんで、聳(そび)え立つ姿は、あの南アルプスは鳳凰三山(ほうおうさんざん)から、眼下に早川(野呂川)の谷を隔ててせり上がる、北岳(3193m)の姿さえもほうふつとさせるものだった。
 
 ただ今は、残念なことに、その山々の上には雲が広がり始めていた。その雲が頂にかからぬうちにと、オムシャヌプリの本峰である西峰に向かう。この稜線には、はっきりとした踏み分け道がついているが、なにぶん手入れなどされているわけではなく、人や動物たちが通った跡が、道になっただけのことだから、まさに踏み跡なのだ。
 両側からかぶさるハイマツが、逆目になっていて、それを掻き分け、つかみながら登っていくのは、一苦労だ。それでも、ようやくのことで、見覚えのある頂上にたどり着いた。登山口から、3時間半、まあそんなところだろう。

 頂上では、すっきりと周りの展望が開けるが、やはり、上空には雲が広がってきている。それでも、野塚岳、トヨニ岳、ピリカヌプリ(1631m)、神威岳(1601m)と、北に連なる日高山脈の山々が見えている。隣の東峰の向こうには、十勝の海岸線があり、さらに南側の十勝岳、楽古岳へと続く山並みをはさんで、日高側の海岸線も見えている。
 そこでは、風の音だけが聞こえていた。恐らくは、こんな時に山に登りに来ている人は誰もいないだろう。まして、今ここから見える山々の中で、登山道があるのは、神威岳と楽古岳だけなのだ。
 実は今回、最初は、久しぶりにその楽古岳に登ろうと思っていた。しかし、ネットで調べてみると、日高側からの登山道は手前の林道が崩壊して、車両も人も通行止めとのことだった。十勝側からの登山道もあるのだが、途中の長いササ被りの道のわずらわしさを思うと、気が進まなかった。そこで、簡単な沢登りで行けるオムシャヌプリにしたというわけだ。

 さて、雲行きも気になって、30分ほどで頂上を後にする。登りには、逆目のハイマツで苦労した所も、下りは楽だ。コルに着いて、この天気でわざわざ東峰(1363m)に登ることはないと、そのまま源頭の沢に降りて行く。細い流れの岩溝の所を慎重に下り、後は、ずっと岩伝いの沢歩きになる。
 ただ、フェルト底の沢登り用の靴は、流れの中ではともかく、乾いた岩の上では登山靴に比べれば、滑りやすくなる。何もあわてることはないのだ。ひとりきりなのだから、その分、十分に注意して降りなければならない。
 途中で写真を撮ったりして、何度も休んだ。昼間、こんなガラガラの沢に、クマが下りてくることもないだろう。座り込んでは、谷間の紅葉と、水の流れを眺めていた。
 その時にふと、あの放浪の俳人、山頭火(さんとうか)の詩の一節を思い出した。

 「 のんびり生きたい
   ゆっくり歩こう
   おいしそうな草の実
   一ついただくよ、ありがとう 」

 私はできるだけ、そうして生きてきた。そして、そうすることができたことに、感謝している。私の母に、そして私を助けてくれ、関わりあったすべての人に、そして今、私の周りにある、水の流れや、草花や、樹々に・・・私を待ってくれている、ミャオに、ただ感謝するばかりだ。

 私はゆっくりと沢を下り、途中では、上二股の沢を少しさかのぼってみたりして、帰りは4時間もかかって、登山口に戻ってきた。上空はすっかり曇り空になっていたが、トンネルを抜けて、十勝の平野に下りてくると、快晴の空が広がっていた。振り返って見ると、日高山脈の山なみの上にだけ雲が連なっていた。
 途中の温泉に立ち寄り、山での汗を流してから、家に帰った。日が沈む頃には、山の雲も取れてきて、シルエットになった日高山脈が見えていた。ありがとう、オムシャヌプリ・・・。


                         飼い主より 敬具


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