4月30日
拝啓 ミャオ様
あれから、一週間になるけれど、ミャオは元気に暮らしているだろうか。毎年のこととはいえ、急な環境の変化は、年寄りネコのオマエには、こたえることだろう。
家ネコであり、ノラネコでもあるオマエが、14歳という年よりは若く見え、元気であるということは、こうした環境の変化が、生きる上での適度な緊張を与えているからではないか、と言う人もいる。
5ヶ月もの寒い冬の間は、私が傍にいて、その後は、暖かくなったから、もう大丈夫だろうと考えて、オマエをノラの生活に戻したわけだが・・・といっても、それは、私が北海道に行きたいがための、言い訳にもなるのだが。
果たして、オマエが元気に、いつもどおりの環境の変化に、うまく順応してくれているどうか、今も気になっている。
人間の場合でも、私のように、自ら望んで、異なった環境の中に身をおく場合はともかく、望みもしないのに、突然、予期しない環境の中に投げ込まれ、そこで生きていかなければならない人もいるわけで、そうした彼らの抱え込むストレスが、様々の問題を引き起こすことになる。
ネコであるオマエは、環境の変化の中でも、単純に生きていくということだけに集中して、意識を切り替えてはいると思うのだけれど・・・実は、そのことは、私がオマエから学んだ、一つの処世訓(しょせいくん)でもあるのだが。
ところで、前回からの続きだけれども、あの26日から27日の雪の日の後、わずか三日後の今日は、帯広では気温が26度まで上がり、平年よりも10度も高く、7月下旬の暑さになってしまった。なんという冬から夏への、劇的な変化だろう。
詳しく、順を追って書いていこう。27日の朝起きると、辺りは昨日以上に、真っ白な銀世界になっていた。玄関のドアを開けて、外に出る。気温0度、積雪45cm。季節はずれの大雪だ。
北海道では、平地でも、5月に入ってからも雪が降ることは珍しくないが、それにしても、私が戻った三日後に、冬のような大雪になるとは・・・しかし、雪大好き人間の私は、雪景色を見ることができて、内心、嬉しくもあったのだ。
さすがに、今日は暑いほどの温度で、周りの雪は、ずいぶん溶けてしまったが、この数日は、しっかりと冬の名残りの雪景色を、味わわせてもらった。
もっとも、その雪のおかげで、苦労もした。雪かきである。少しずつ溶けていく雪ではあるが、雪国の人々は、毎日の生活のために、積もった雪を除雪しなければならない。その除雪の費用が、各市町村で、一冬で何億から何十億円とかかってしまう。雪の積もらないところに住んでいる人たちには、その苦労は分からないだろう。
さて、私の家の場合、前の道は、村や地区の人たちが除雪車を走らせてくれる。それだけでも、どれほどありがたいことか。そして、家の車庫から道路までが、約40mほどある。
そこを、雪かき用のスコップで、掘り起こしてゆく。まず雪面に、上からスコップで30~40cm四方の切れ目を入れて、角砂糖のように切り取って、左右に放り投げる。
真冬ならば、雪はサラサラしていて軽いのだが、春の雪は湿っていて重たい。それを、ひたすら繰り返す。クルマが通れる道幅の、2m50cm位にして、40mもの距離を、少しずつ縮めててゆく。
朝、2時間半、午後から1時間半かかって、ようやく表の道に到達した。汗だくになる上に、腰は痛いは、肩は痛いは、ああ、年だなと思う。
前に、冬にもここに居た時には、大雪の時、見かねた隣の農家の人が、トラクターであっという間に除雪してくれた。その時は、本当に有難かったけれども、しかし、若ぶりたい気持ちの私は、『大雪の時以外は、自分で雪かきやるから、良い運動にもなるしね』、と言ってしまったのだ。
やっとのことで、雪かきを終えて、家の中に戻り、疲れて大の字になって、天井を見つめて思ったのだ。あーあ、余計なこと言わなきゃよかったのに。
そんな時に、人間ってバカだなあと思う。ミャオたち動物のように素直になれないのだから。もっとも、片意地張って生きてきたのが、私ではあるけれど・・・。
そんな、つらい代償もあったけれど、それにもまして、この数日、何と雪景色がきれいだったことだろう。私の待ち望んでいた、日高山脈の白い山なみも見ることができて・・・。(写真は、南日高の楽古岳と十勝岳)
そして、快晴の昨日、その日高山脈の山に登ってきた。次なる、本格的な山行のための、低い山での、足慣らしの積もりでもあったのだが・・・、次回へ。
敬具 飼い主より
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