ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

続々・紅葉の山

2016-11-21 21:50:35 | Weblog



 11月21日

 またまた、紅葉の山の話。

 数日前、さらに紅葉の山歩きをしてきた。
 一か月前に九州に戻ってきて以来、今回でもう4回も山に行ったことになる。 
 しかし、普通の登山と呼べるのは、九重黒岳の一度だけで、あとはすべて紅葉を求めての、トレッキングや低山歩きの、物見遊山(ものみゆさん)の山旅だったのだが。
 それにしても、今年の6月の終わりから10月終わりまでの4か月もの間、ヒザのじん帯を痛めて、山に行くこともできずに、悶々(もんもん)としていた日々を送っていたころと比べれば、大変な変わりようで、一月に4回というペースは、10年前までの、まだ私が元気だったころの回数と変わらない。

 ということは、最近、自分の体力が衰えてとか、さらにはヒザを痛めたからとか、こぼしてばかりいたこの”じじい”が、どうして、こんなにも目ざましい回復を遂げたのか。
 それは、”赤マムシドリンク”を飲んだからなのか、あるいは”スッポンの生き血”をすすったからなのか、それとも”オットセイ”のナニの乾燥させたものをすりつぶして、粉末の薬にしたものを飲んだからなのか。
 いえいえ、そうではありません。

 ”山に行かない山好きは、裏のお山に捨てましょか。
 いえいえそれはなりませぬ。
 山を忘れた山好きは、赤いモミジに青い空、静かな山に連れてけば、忘れた山を思い出す。”

 (以上、童謡「唄を忘れたカナリヤ」(西条八十作詞)よりの替え歌として。)

 そうなのだ。つまりのところ、ヒザの悪化を恐れるあまり、山道はもう歩けないとしり込みしていた私だが、このたび、山の紅葉を見るためにという理屈をつけて、早く九州に戻ってきたこともあって、さらなる貧乏根性も重なって、短い紅葉時期は値千金(あたいせんきん)のひと時だから、今すぐに登っておかなければと、意気込んでは繰り返し出かけて行ったからなのだ。
 ローソクの下で、金勘定(かんじょう)をする、あのディケンズが書いた小説(何度も映画化された)『クリスマス・キャロル』のスクルージじいさんのように、長くはない自分の寿命と、刻一刻と過ぎ行く短い紅葉時期に、あと何度見られることかと,おぞましいばかりの”法界悋気(ほうかいりんき)”のけちな思いが沸き上がり、居ても立ってもいられずに、山に行ってきたというのが、正直なところだ。
 そして、今回の山登りでは、その最後の30分余りに、幸せな結末が待っていたのだ。

 それまでに、九重をはじめとして、三度も行ってきた紅葉の山歩きは、それなりに、私を満足させる秋の山の光景を見せてくれたのだが、それでもまだ、山の紅葉の時期は続いていて、しかしもう終わりに近く、私としては、空模様を眺めての、じれったい気持ちの毎日だったのだ。
 もちろん今では、標高の高い所から、山の中腹あたりまでの紅葉は終わってしまい、残りは山麓か、それとも風のあまり当たらない暖かい谷筋のあたりだけだろうし、それも自然林が多く残っている所にと、あれこれ行くべき山を考えていたのだ。
 もちろん、家から遠く離れてクルマで2時間以上もかかるような所へは、いくら紅葉の名所だといわれていても、行く気にはならないし、はなからその元気もないのだが、そこで思いついたのは、前にも霧氷や雪景色を見るために何度か足を運んだことのある、1000mほどの低い山だ。

 その山は、登山者が少なく、自然林が多くて、半分は沢筋を登って行く道だし、頂上からはすっきりと周りの山を眺められる。
 しかし、あえてこうした名もない山に行くよりは、まだ他にもいろいろと紅葉で有名な山があるのだろうが、私が山で最も避けたいことは、悪天候と混雑だから、いくら有名な山でもそうした条件下では行く気にもならないし、それよりは、今まで紅葉時期以外に何度か登っていて、その山の植生をよく分かっていて、広葉落葉樹の多い自然林がある所ならば、必ず見るべき紅葉の樹々もあるだろうと考えたからだった。

 その日の朝は、前日の天気予報通りに、快晴の空が広がっていて、結局、終日その天気が続いた。
 これだけでも、もう私の山歩きは、満足すべきものになるはずだったのだが、さらに付け加えることに、そこには私の望む紅葉の樹々たちが待っていてくれたのだ。
 山から下りていく、最後のひと時に、静かで、厳粛(げんしゅく)な色彩の舞台をしつらえていてくれたのだ。

 日に当たる紅葉を見るためだから、早くから出て行く必要はない。
 朝食を食べた後も、のんびり構えて支度をして、クルマに乗って家を出た。
 山あいの道を走って行く途中、周りの山々の様子はどうかと見ていたが、さすがに山々の中腹以上の樹々は葉を落としていて、灰色の山肌になっていた。
 それでも、山すそから少し上のあたりまでは、紅葉(黄葉)の色合いが残っている。
 登山口には、わずかばかりの駐車スペースがあるだけだが、そこにクルマを停めて歩き出した。
 もう10時近くになっていたが、谷間に光が差し込む状態も、紅葉を見るにはいいころあいだ。
 
 林道を20分余り歩いて、まだ暗い沢沿いの道に入って行く。
 あったあった。南側が山陰になっていて、まだ光が当たっていないから、さほどには見えないけれど、その沢沿いには、たくさんの紅葉の木々が立ち並んでいた。
 今はこれでよい。ともかく、日が高くなる、帰り道が楽しみだ。
 涸れ沢を何度か渡った先のほうには、それから上には日が当たっていて、周りの木々の葉は落ちているのに、一か所だけがスポットライトを浴びたように赤々と輝いていた。
 あれは、間近で見なければならない。私は、テープ印が頼りの踏み跡道を離れて、その小尾根の斜面を登って行った。
 無理をしてヒザに力を入れると、少し痛みが走ったが、ひどくなる気配はなかった、悪くなればすぐに引き返すつもりでもいたし。

 少しの登りでたどり着くと、灰色の周囲の木々の中で、そこだけに、数本のオオヤマモミジがあって、濃い赤から緋色までの色合いを見せながら、紅葉の盛りにあった。(写真上)
 民家の庭に植えられているものとは違う、野放図(のほうず)なままの枝ぶりの勢いがあったが、それだけに、周りの木々が邪魔して、写真を撮るにも一苦労だった。
 しかし、青空の下、山中の静寂の中、ひときわ目に染みる色合いだった 

 さて、また下まで降りるのも、面倒だったので、そのまま斜面を上がって行けば、左上にあるはずの道に出るだろうと考えて、急斜面を這い上がって行ったのだが、これが大きな間違いだった。 
 ヤブならまだしも、何かとつかむものがあるからいいが、滑りやすい枯葉の積もった斜面で、ただ何とか表面に浮き上がっている木の根だけをつかんで登って行くが、先には崩壊地もあって、回り込み、手掛かりになる木が多そうな小尾根に取り付きさらに登って行くと、上のほうでゆるやかになり、ようやく左から来た元の道に出会った。
 とても、ヒザの悪いじじいが取るべきバリエーション・ルートではないと、痛く反省した次第。

 その先で、高い山のほうから来た道との分岐になり、そのあたりに、これまた、見事な紅梅色に染まった紅葉の木があり、いっぱいに広がるその葉の今が満開の時のように、華やかに辺りを彩(いろど)っていた。
 おそらくは、この独特な色合いと葉の形から、メグスリノキだと思われるのだが・・・。(写真下)

 

 後は、静かな林の中をゆるやかにたどり、小さなコブを越えて、明るい山頂に着いた。
 快晴の空が一面に広がり、遠くの山までよく見えていた。
 ただ、今までこの山に来た時には、人に会ったこともない山頂だったのだが、その日は昼近くで、3人の明るい声が聞こえていた。
 私は、離れた所で軽い昼食を取っただけで、そさくさと頂上を後にした。
 彼らは、おそらくはそのまま反対側のメイン・ルートのほうに降りて行くのだろうし、こちらの道に来ることはないだろう。登山口には私のクルマしかなかったのだから。
 ゆるやかな林の中の道を戻って行きながら、私は口笛でも吹きたい気分だった。

 昔は、そんな時口をついて出るのは、クラッシック音楽の一節ばかりだったというのに・・・しかし最近、私の口をついて出るのは、AKBの曲のメロディーの一節なのだ。
 今回の山登り中に、繰り返し口笛でハミングしていたのは、「金の愛か、銀の愛か。おまえがなくした愛はどれだ。」というフレーズであり、この歌は、AKBグループの一つ名古屋SKEの最近の歌「金の愛 銀の愛」からの一節であり、もちろんこれは、イソップ童話の「金の斧(おの)銀の斧」の話になぞらえて秋元康が作詞したもので、私としては、最近のAKBの歌の中では、最も聞きごたえのある歌詞だと思っていたのだが。

 しかし、こうした短調の暗い沈んだ曲調は、AKBのファンにはあまり受けないらしくて、さほどのヒット曲にはなっていないようだった。
 むしろそれとは逆の、明るいダンス曲調で作られた、AKBの新曲「ハイ・テンション」のほうが話題になっていて、初めて聞いた時には、これはあの”つんく”の作ったモーニング娘の曲かと思ったくらいなのだが、”ぱるる”こと島崎遥香の卒業記念曲ということもあいまって、相変わらずの100万枚を超すヒット曲になっているのだ。

 まあ、人の好みは様々だから、と思いながらも、私は斜面の道をジグザグに下り、沢沿いの踏み跡道をテープ印に注意しながら下って行った。 
 自分に聞こえるぐらいの口笛で、「金の愛か、銀の愛か。おまえがなくした愛はどれだ・・・。」と、繰り返しながら。
 やがて、今までは灰色のほうが多かった谷沿いの林の色が、次第ににぎやかになってきた。
 昼過ぎの、真上からの日の光を浴びて、すべての木々が輝いていた。
 時々立ち止まっては、写真に撮りながら、左岸、右岸と踏み跡道をたどり、最後の右岸斜面に移ったころには、もう辺りの紅葉の光景は、すっかり秋色のさ中にあった。(写真下)


 
 それは、真っ赤な紅葉一色に染められた、圧倒的に威圧するかのごとき豪奢(ごうしゃ)な色というのではなかった。
 自然のままに、そこに根づいた樹々が、それぞれに枝葉を伸ばして、自分たちだけの色合いをさらけ出しながら、円形舞台に立ち並んでいる光景だった。
 どの樹も、自分が主役たるべく姿を備えていた。観客は私一人だったが、心からの拍手を送りたい気分だった。
 黄色、橙(だいだい)色、紅梅色、朱色、赤色・・・様々な色の紅葉と、何よりそこに、まだ春先の明るい葉のような萌黄(もえぎ)色の葉が混じっていることで、周りの葉の色がさらに引き立つ相乗効果を生んでいたのだ。
 クヌギ、コナラ、ヤマザクラ、イタヤカエデ、ウリハダカエデ、コミネカエデ、ミツデカエデ(あるいはメグスリノキ)、オオモミジなどが作る世界・・・。

 私は、傍らにあった、岩の上に腰を下ろし、青空の下の木々が区切る紅葉の大伽藍(だいがらん)の中にいたのだ。
 上空で風の声が聞こえ、少しだけ、高い梢(こずえ)の葉が揺れていた。
 他に、人の来る気配もなかった。
 朝、聞こえていたシカの声も聞こえなかった。

 それは、前にも書いたように、数年前の晩秋の、九重黒岳周遊の時に感じた思いとよく似ていた。(11月7日の項参照)
 このまま、紅葉が降りかかる色とりどりの光の海に包まれていて、一瞬気が遠くなっていくような。
 それは、惧(おそ)れのない、安堵(あんど)の中の彼岸の光に似て・・・。

 30分余り、私はその岩の上で、ひとり座っていた。 
 最後に、写真をもう一枚と、私は、真上を見上げて、黄緑と橙色が織りなす天上の光景を撮って(写真下)、その場を後にした。
 ゆるやかに林道を下って行きながら、私は、今年の山の紅葉に、もう思い残すことはなかった。
 
 私が、このたびの山歩きで見てきた紅葉は、もっと多く様々な山の紅葉を知っている人たちにとっては、たいしたこともない、小さな秋の光景の一つにすぎないのかもしれないが、考えてみれば、それぞれの人の胸には、それぞれの時の紅葉の思い出が残っているわけだし、それは別に比べるものではないと思うからだ。 
 
 最後に、有名なイギリスの詩人、ワーズワース(1770~1850)の詩からの一節。

「 いかなれば、ここにただひとり、

 この古びし灰色の石にすわりつつ、

 いたずらに、時を夢み暮らすと問うを止めよ、

 われ、大自然と語り合うかも知れざれば。」

(『ワーズワース詩集』 「諫告(かんこく)と返答」より 田部重治訳 岩波文庫、新しい現代語訳もあるが、この古い訳のほうが私には好ましい。)


 

 
  


  


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