ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

夏の終わりと秋の初め

2015-08-24 21:27:49 | Weblog

 8月24日

 ずいぶん涼しくなってきた。
 晴れた日がほとんどなくて、小雨や曇り空の日が多いこともあるのだろうが、朝のうちは10度をやっと超えるくらいで、日中でも20度を超えることは少ない。
 当然のことながら、Tシャツの上に長そでシャツを重ね着するようになってきたのだ。
 
 すでに7月のころから、病葉(わくらば)の幾つかを落とし始めていたシラカバには、今やところどころに黄色くなった葉が見えている。
 秋の花である、あの黄色のオオハンゴンソウとアラゲハンゴンソウの花が咲き始めた。
 さらに毎年の、わが庭の見ものである、大株に咲くクルマユリの最初の一輪も咲いている。(写真上)
 ただし、毎年数本は出るその茎が斜めに傾いていて、余り見ばえがいいとは言えない。

 それは、このユリの根張りが十分ではなくて弱いからなのだろうが、それというのも、この夏は九州に戻って長くいたうえに、その後には遠征登山に出かけたりと、大切な時期に一月近くもここにいなくて、十分に手入れをしてあげられずに、そのために周りのササが繁茂して、ユリ根の栄養分が横取りされたせいなのかもしれない。
 さらには、毎年やっている”立ちション”による、生肥(こ)やしが足りなかったからかもしれない。
 もっとも、今は亡き母の言葉によると、生肥やしは”効きはしない”と言うことなのだが。
 だからこうなっては、見ばえは悪くなるけれども、支柱を建てて倒れないようにしてやるしかないのだろう。

 そんなに涼し日々が続いているのならば、今伸び放題の草取りや草刈り作業に取り掛かるべきなのだろうが、そこはぐうたらで自堕落(じだらく)なこのじじいのこと、なかなか仕事に取りかかろうとはしないのだ。
 もちろん、言い訳がある。トイレ以外にはめったに外に出ないのだが、その短い時でさえ、この”メタボじいさん”をめがけて、親愛の情にあふれる蚊たちがわんさかと集まってくるからだ。
 その蚊たちはちゃんと知っているのだ。
 じいさんは、自分の”ひな鳥ちゃん”を両手で押さえてじっと立っているだけだから、その手でぴしゃりと叩かれることはない。その時こそが、じいさんのドロドロ栄養過多の血をいただける最高のチャンスなのだと。
 
 そうして、私が長そでシャツを着ているにもかかわらず、蚊たちは手首の裏や首筋、額にまでとまって血を吸おうとするのだ。
 両手ともに離しにくいが、仕方なく片手をはずして、ぴしゃりといけば、当然放水軌道はぶれて周りに飛び散ることになるし、そう簡単に蚊はつぶせないし、何より、血を吸われることより、刺された後のかゆみがひどいのだ。
 あー、いやだいやだ。
 蚊が活発に飛び回るのは、真夏の30度以上の時ではなく、25度から15度位の気温の時だそうで、それで朝夕に蚊が多いというのも納得できるし、ともかくここでも朝の最低気温が10以下にならないと、さらに言えばマイナスにまで下がって、やっと安心して仕事ができるようになるのだ。
 このことも、私が夏を好きにはなれない理由の一つではある。

 というふうに、自分で理由をつけて、自分のぐうたらぶりを正当化しようとするところに、私の人生そのものの生き方を見るような気もするのだが・・・。
 ”逃げてきたのか”、あるいは”自ら選んで進むべき道を変えてきたのか”と。
 まあ、今さら自分を責めてみたところで、もはややり直しのきかない短い時間しか残っていないのだから、むしろ大切な今の時間をしっかりと生きることだけを考えるべきなのだ。
 と言いつつ、相変わらずのぐうたらぶりなのだが。

 私はいまだに、このブログに前回までの3回にも分けて書いてきた、あの夏山遠征の山旅を思い出しているのだ。
 単調に流れゆくバッハのクラヴィア曲かなんぞを聞き流しながら、目の前のパソコンのモニター画面に、その時の山の写真をスライド・ショーにして見ている・・・。
 ”山の思い出”と”クラッシック音楽”と、そして揺り椅子に身を預けて、ぐうたらに過ごすひと時・・・林の中の丸太造りのみすぼらしい一軒家の中で・・・それでいいじゃないか。
 あの鴨長明(かものちょうめい、1155~1216)が『方丈記』の中で・・・「象馬(ぞうめ)、七珍(しっちん)もよしなく、宮殿、楼閣(ろうかく)も望みなし。(遥か南の国にいるという象や名馬の誉れ高い馬、さらには金銀財宝なども必要ではなく、宮殿や高くそびえる邸宅さえもほしいとは思わない)」と書いているように、ましてや、”酒池肉林(しゅちにくりん)” の紅灯(こうとう)の巷(ちまた)の世界からは遠く離れて、こうしてひとり閑居(かんきょ)してあることの”安らぎ”・・・これ以上のものが、いったいどこにあるだろうか。

 そういうふうに自分で思うこと、そこに小さな自分だけの幸せを見つけることこそが、自分の生きている意味ではないのだろうか。
 そうなのだ、人それぞれの世界はあっても、すべての人に共通するような、人生の意味などないのだ。

 「一般的な人生の意味はない。人生の意味は、あなたが自分自身にあたえるものだ。」

 (『アドラー心理学入門』 岸見一郎 ベスト新書)

 昨日、日本テレビ制作の例の『24時間テレビ』を、少しの間だけ見た。
 正直に言えば、それは多くの視聴者たちがそうであったように、障害をかかえた人々を応援援護するためのチャリティー番組に共感して、見ようと思ったのではなく、ただAKBが出ると知っていたのでその時間に合わせて見ようとしただけの、まさに不純な動機からチャンネルを合わせただけのことだったのだが、結果的に前後の障害者たちの現実もまた見ることになり、むしろAKBの印象は薄くなり、障害者たちのそれぞれの生きる思いに、強く心を動かされることになってしまったのだ。
 さらにこの『24時間テレビ』のダイジェスト版が、今日の昼間にも放送されていて、そこでも昨日見た以外の他の障害者たちの、懸命に生きる姿もあわせて知ることになり、この世の中を斜(しゃ)に構えて見ている所のある、この”ごうつくばりじじい”でさえ、まぶたを熱くするほどに心打たれたのだった。
 
 生まれた時から両脚がなく、それでも今ある自分の体だけで動き回り、今や、スポーツとしての天井から下げられたロープ競技さえも、軽々とこなすようになったアメリカの美女。
 生まれた時から心臓に異常があり、何回もの手術を受けたが完治はせず、いつも手元には緊急救命器具があり、それでも臆(おく)することなく知識を学びとり、才能豊かにパソコンを操り、明るく大人並みの受け答えをする13歳の少年。
 子供のころからドイツに住み、そこで就職した矢先に多発性硬化症の難病にかかり、次第に四肢がマヒしていき車椅子と寝たきりの不自由な体になっても、遠く離れて暮らす日本の両親に”心配するな”と声をかけ、ドイツ人のパートナーの力を借りて必死に生きている、40歳を過ぎた彼女。
 「私がいて、何の役に、何のためになっているのだろうと・・・。」と自問自答していたが、「それでも生きていく。」とつぶやいた言葉の意味は、余りにも大きい。
 
 最近世間を驚かせた”大阪中学生男女殺人事件”。
 まだ全面解決したわけではないが、もし逮捕された45歳の男の犯行だとしたら、さらにそれが偶然の事故ではなく、あえて意図して犯した犯罪だとしたらと、その罪の持つ意味の大きさを考えてしまう。
 13歳の二人には、まだこれからの前途洋々たる未来と、自分だけが描いていける豊かな人生が待っていただろうに。

 さらにこれは、十日以上も前のことになるが、8月15日の終戦記念日前後に放送された、特別番組の数々で、NHKに民放各局を合わせてかなりの数の番組が放映されていて、私は、ただその中の何本かを見ただけにすぎないのだが、その中でもNHKの『カラーによる太平洋戦争』と『書き換えられた沖縄戦』などは、他にも欠落していた大切な部分があったとしても、興味深いドキュメンタリーだったのだが、それでも日数を過ぎると、見た当初の高ぶる感情がいつしか薄らいできて、今では俯瞰(ふかん)的な総論として思うだけなのだが。
 ただ、310万人もの戦争犠牲者を出していても、個々の死は、それだけの意味しかなかったということ。
 いつも例えにあげることだが、人間社会は、ライオンに襲われ食べられる仲間を遠巻きに見るだけのヌーの群れにすぎないのだ。
 自分でなくてよかったと思いながら、そして、これからの彼らの行く先は、残された集団の若い者たちが決めることなのだろう。

 しかし、その中の一つにしか過ぎない、一頭のヌーの生きる意味とはいったい何なのだろうかと考える。
 先にあげた、アドラーの言葉とともに、さらに思い起こすモームの小説の中の長い一節がある。
 前にも書いたことがある言葉であり、その中から幾つかを抜粋(ばっすい)して、書いてみることにする。

 主人公のフィリップが、クロンショーに、”人生の意味は何か”とたずねた時に、彼はこれが答えだと言って、目の前のペルシャじゅうたんを指差したのだが・・・そのことを思い出して、さらにフィリップは考えるのだ。

 「・・・人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ。人生の意味など、そんなものは何もない。そして人間の一生もまた、何の役にも立たないのだ。生も無意味、死もまた無意味なのだ。」

 「・・・一度人生が無意味だと決まれば、世界は、その冷酷さを奪われたも同然だった。」
 「・・・彼自身は、ほんの束の間、この地上を占拠している、おびただしい人間の中にあって、もっともとるに足りない一生物にすぎないのだ。そのくせ、混沌の中から、一切の虚無の秘密を暴(あば)き出した点においては、全能者といってもよかった。」

 「・・・ちょうど織物の匠が、あの(ペルシャじゅうたん)の精巧な模様を、織り出していくときの目的が、ただその審美眼(しんびがん)を満足させるためだけにあるとすれば、人間もまた一生を、それと同じように生きていけばいいわけだし・・・。」
 
 「・・・人間の一生の様々な事件、彼の行為、彼の感情、そうしたものから、あるいは整然とした意匠(いしょう)、あるいは精巧、複雑な意匠、あるいは美しき意匠を、それぞれ織り出すことができるというだけだ。」

 「・・・そして人生の終わりが近づいた時には、意匠の完成を喜ぶ気持ち、それがあるだけだろう。いわば一つの芸術品だ。そしてその存在を知っているのは、彼ひとりであり、たとえ彼の死とともに、一瞬にして失われてしまうものであろうとも、その美しさには、少しも変わりはないはずだ。
 フィリップは幸福だった。」

(『人間の絆(きずな)』 モーム 中野好夫訳 新潮社 「世界文学全集」)

 こうして、私が人生論なんぞを、ここに書いているというのは、実はその裏側にある日常の”漠然とした不安”を消し去るために、今までの私の記憶の中から、幾つかの言葉を探し出してきては、自分に言い聞かせているというだけのことなのだ。

 さらに、もう一つ思い出すのは、あのアンドレ・マルローの『王道』の中で、死の間際に、ペルカンがクロードに言うともなくつぶやいていた言葉なのだが、その小松清訳による『王道』が今手元にないので、正確なことは分からないのだが、確か、「・・・死などない。ただ俺という存在が死んでいくだけだ・・・。」というような言葉だったと思うのだが。
 この『王道』の全編を通じて描かれている、未知への探究心と功名心とに燃える若者と、危ない橋を何度も渡ってきて、理想と現実のはざまを知り尽くしている中年男との、互いの心理を巡っての対話が、緊張をはらんだストーリーとともに、当時の若い私の心を強く打ったのだ。
 そして今にして思えば、上にあげた心理学者アドラー(1870~1937)の言葉と、モーム(1874~1965)が『人間の絆』の中でフィリップに言わせた言葉と、そして、マルロー(1901~1976)の『王道』におけるペルカンの言葉に、私は共通して、虚無の影を背負った、彼らの強い生への意志を感じたのだが・・・。


 窓の外を見ると、今までの力強い緑色の勢いが衰えて、冒頭にも書いたように、シラカバやサクラやリンゴなどの木の葉に、明らかに秋色を思わせるものが混じってきた。
 そして、今年はそのリンゴの木に、枝もたわわになるほどにリンゴの実がついているのだ。しかも、色づき始めて。(写真下)
 しかし、哀しいかな、それは観賞用のヒメリンゴほどで、余りにも小さすぎる。
 今まで、この木には、食べられないほどの小さな身が幾つかなるだけで、花を観賞するための木なのだと、あきらめていたのだが、今年になって春の花つきがいいと思っていたら、何と今、あふれんばかりの実がなったというわけなのだ。
 それも、花の時期の摘花(てきか)や、実がつき始めた時期の摘果(てきか)をしなかったために、栄養が多くの実にまんべんなく回って、かえって一つ一つが大きくなれなかったのだろう。
 しかし、小さくてもリンゴの味はするし、得意のジャムにでもしようかと思っているのだが。

 こうして、夏が終わり、秋が来るのだろう。

 

 


 

  

 


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