ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

青空、秋の山歩き(2)とAKB賛

2014-10-20 23:49:37 | Weblog



10月20日

 秋は、少しずついつの間にか、あたりの景色を秋色に染め変えていく。
 ついこの間までは、夏の名残の気だるい暑さとともに、まだ一面の緑色だったのに、庭から林にかけての木々の葉が、見る間に、鮮やかな赤や橙色や黄色の、点描画の世界のようになってきた。
 家の窓を額縁にして、そんな秋の景色を眺めることができる。

 私はさらに外に出て、青空の下、こぼれ日に輝くそんな秋色の林の中を歩き回るのだ。
 昨日は、終日快晴の素晴らしい一日だった。
 十勝平野の彼方には、稜線がすっかり白くなった日高山脈の山々が立ち並んでいた。
 こんな登山日和(ひより)の日に、それが休日で人が多いからという理由だけで、出かけないで家にいるのは、少し哀しい気持ちにもなる。
 そこで私は、丘歩きをすることにした。
 家を出て、収穫前の裏のビート(砂糖大根)畑のそばを通り抜け、カラマツの植林地に入り、収穫の終わったジャガイモ畑やデント・コーン(飼料用トウモロコシ)畑のそばを通り、もう緑の草が枯れ始めた牧草地を抜けて、赤や黄色に色づいた奥の林の所まで歩いて行った。
 広大な青空と、うねり続く秋色の丘陵地帯、日高山脈の白い山なみが見え隠れしている・・・静かだった。 
 往復1時間余り、そうして歩き回ってきただけで、私は幸せな気分になれた。
 山に行けなくとも、それに近い丘歩きができること、それが、私がここに家を建て住んでいる理由の一つなのだ。

 さて、日にちは前後するが、前回からの山登りの話を続けることにしよう。
 本当ならば、一回で書き終えるほどの小さな山行の話なのだが、途中でふと考えついたことなどを思いつくままに書いてしまって、二回分になってしまったのだ。
 前回は、士幌高原側の登山口から入り、まずは岩石山(1070m)の頂上にたどり着いたところまでだったのだが、その後・・・。 

 岩塊(がんかい)帯を下ってコル(鞍部)に戻り、今度は一転して白雲山へと向かうエゾトドマツの森林帯の登りになる。
 木々の間から東ヌプカ方面と、振り返って岩石山が見えるくらいの、展望のない尾根道の登りだったが、静かな山登りの心地よさをしみじみと味わうことができた。
 この辺りのダケカンバの黄葉もすでに終わっていて、ただそれだけに、このエゾトドマツの木々の間にわずかに残る一本、二本の、今を最後の盛りにあるモミジの鮮やかな紅葉が目を引いた。

 そして道の勾配が見上げるほどに急になったころ、ふと後ろからの物音に気づいて振り向くと、ひとりの女の人が登ってきていた。
 あいさつを交わして、道を譲ると彼女は大きなスライドの早い足で登って行き、すぐに見えなくなってしまった。
 人それぞれに、年相応に登っていけばいいだけのことだ。 
 私は、あたりの木々のたたずまいに目を配りながら、ゆっくりと登って行った。
 大きな道標が現われて、然別(しかりべつ)湖側からの道と一緒になり、さらに少し登ると岩石山と同じ明るい岩塊帯に出て、大岩が折り重なる白雲山頂上(1187m)に着いた。
 
 この頂上は何と二十年ぶりほどになるが、すでに何度も登っていて見慣れた光景ではあるし、といってもこの頂上からの眺めは素晴らしいものだ。
 青い然別湖と、奥に連なるウペペサンケ山(1848m)の姿が、一枚の絵のように見える。(写真上)
 ただ惜しむらくは、紅葉の時期にしては少し遅すぎて、すぐ近くのダケカンバの黄色やナナカマドの赤の色を、この絵の中に見られたなかったこと、さらに言えば新雪に覆われたウペペサンケの姿を見られなかったことも、少し残念ではあった。
 しかし、嘆くほどのことではない。青空の下、風も穏やかな頂上にひとり、この光景を前にしているだけでも十分に幸せな気持ちになれるからだ。

 そしてさらに周りの展望を楽しむ。ウペペサンケの左には鋭くとがったニペソツ山(2013m)の頂がのぞいている。左にベトゥトル山群がポコポコと頭を出し、続いて西ヌプカウシヌプリ(1254m)との間には、遠く白い雪に覆われた十勝連峰の山々を見ることができる。
 ただこの日は、岩石山の所でもそうであったように、気温が高く大気もかすんでいて、白い十勝連峰でさえやっとそれと分かるくらいであり、まして東ヌプカウシヌプリ(1252m)から左に長々と続いて見えるはずの日高山脈は、いくら目を凝(こ)らしても見えなかった。
 しばらくして、にぎやかな女性たち声が聞こえてきて、私はそれを機に頂上を後にすることにした。

 来た道を戻るだけのことだが、樹林帯のたたずまいや、わずかに残ったモミジの赤との対比などを、下り道の別の角度から見ていくのも悪くはない。
 コルに出るあたりで、ひとりの若者と出会い挨拶を交わした。
 私が、この山歩きで出会ったのは、頂上でのグループを除けば、この士幌高原口からは、先ほどの女の人と合わせて二人だけであり、私を含めていずれも一人だけで山に来ていた。
 みんな、山が好きなのだ。
 
 私はなぜか少しうれしい気分になって、コルからの岩石帯を降りて行き、急な樹林帯の山腹を下り、東ヌプカとの間の平坦地に出てそこで少しばかりの休みを取った。まだ12時になったばかりだった。
 そして士幌高原道路開削跡(かいさくあと)の、山腹を水平にたどる道を歩いて行った。山腹の上斜面と下斜面に分かれて、ミズナラなどの黄葉が、行きとは違った角度の光を受けてきれいに見えた。
 そして分岐になり、登山口に向かう道は右下へと降りて行くのだが。
 時間はまだ早い。私は、登山道から外れて、その士幌高原道路跡をそのままたどることにした。草や木が茂ったその道路跡には、細々と続く人の通った踏み跡が続いているのが見えたからだ。 

 少し歩くと、明るくなり周りの見通しが開けて、青空の下、黄葉の木々の向こうに、東ヌプカへの姿が見え、のびやかに山裾が続いていた。
 今日の行程の中で初めての、秋の山歩きにふさわしい光景だった。
 それからも、草が茂って少し歩きにくいところなどもあったが、開削されて明るく開けた道跡がゆるやかに続いていて、もう口笛でも吹きたい気分だった。 
 なかでも南に面した、緑のササの山腹に広がる、シラカバの林は見事だった。(写真) 



  北国の象徴であるシラカバ林と言えば、北海道の各地で見ることができるが、なかでも帯広から三国峠を越えて旭川に抜ける国道沿いに広がるシラカバ林は素晴らしい。
  特にあの十勝三股周辺の道の左右に、広大に広がるシラカバの群生林は、何度見ても思わず車を停めたくなるほどだ。
 木々の新緑のころに残雪の石狩連峰を背景にした姿、黄葉の頃にクマネシリ山群を背景にして、あるいは冬の時期でも、周りの雪景色の中から生まれ出てきたかのような、シラカバの幹の白さが青空にくっきりと描き出されていて、これまた見事な光景になる。
 北国だからこそのシラカバと、その高山種であるダケカンバ・・・私が北の山々を好きになったのも、あるいは高い山々に行きたくなるのも、こうしたシラカバやダケカンバの木を見るのが好きだからかもしれない。(’13.11.18の項参照)
 家の林の中には、もともと何本かのシラカバがあったのだが、それでも家のそばからも見えるようにと、小さなシラカバの苗を植えたのだが、今ではもう見上げるほどの大きな木になっている。

 私は、ササの斜面を登って、このシラカバ林の写真を何枚も撮った。
 好きなものを写真に収めること、それが私の山に登る楽しみの一つなのだ。
 他人に見せるために写真を撮っているのではないから、このブログに乗せている写真でも分かるとおりに、構図も光線の具合も、深く考えずに、”あっ、きれい” と思っただけで、シャッターを押しているから、いつまでたっても風景写真としての完成度は高まらないし、つまり下手なアマチュア写真家の域を出ないのだが、考えてみればそれが芸術作品として意図したものではないからこそ、自分のその時の正直な感想の記録として、役に立っているのではないのかとも思うのだが。

 と書いてくると、前回書いた歌詞の話にもつながることだが、最近の若い歌手たちが作った歌詞が、その時々の感情を言葉にしただけの即物的な表現でしかなく、いわゆる詩的な言葉になっていないとも思うのだが、それはそのまま、私のつたない美的基準に従って撮っている、下手な写真にも言えることだと思う。
 ただCDやコンサートで歌う彼ら彼女らは、プロの歌手であり、私は、ただの写真が好きな一般人にすぎないということではあるが。

 ここでついでに、私の好きなあのAKBの歌の歌詞について少し書いてみたいのだが。(8月25日の項からの続き)
 AKBグループの歌のすべては、総合プロデューサーでもあるあの秋元康がひとりで作詞している。
 それだけでも信じられないほどに、超人的なことであり、ほとほと感心する他はないのだが、それゆえに反面では粗製乱造のそしりを受けかねないし、甘すぎる言葉の歌詞が見受けられなくもない。
 それでもすべての作詞家の作った歌詞が、すべて完ぺきで見事な出来というわけではないから、中にはやはりあまり上出来だとは思えないものもあるだろうし、曲調や歌手と合わせてのヒット曲になるものは、きわめて厳しい確率の中から生まれることになるのだろう。
 だからその確率から言えば、絶妙なポップス感覚を持った作詞家、作曲家の面々と、アイドル・グループという人気集団の歌い手によって、次から次に生み出されるヒット曲の数々が、ずっと100万枚を越えているというのは、この音楽CD不況の時代に、これまた信じられないことでもあるのだ。

 私は2年ほど前に、AKBのことが気になり始めた。それまでにAKBには、すでに「フライング・ゲット」や「ヘビー・ローテンション」などの大ヒット曲があり、レコード大賞を受け紅白にも出場していたのにもかかわらず、今どきのお子様ランチふうのアイドル・グループかと、冷めた目で見ていただけだったのだ。
 ある時、歌番組に出ていたそのAKBの歌を聞いて、何かが私の胸に伝わってきたのだ。
 それは、篠田麻里子が初センターで歌っていた「上からマリコ」だったのだが、もともと彼女は、AKBでは最年長の”お姉さま”だった上に、私の心の内でどこか気になる網タイツ姿の”女王様”キャラを思わせるところがあって(繰り返し言うけれども、私にそんな趣味はありません)、その”マリコ様”の歌う姿にひきつけられたのだが、さらに”上から目線”の年上の女の子のことを歌う歌詞にも、感心してしまったのだ。
 人々で混雑する街角で、年上の彼女がキスをせがんだ時に、相手の年下の男の子は思ったのだ、”まるで、愛の踏み絵みたい”だと。
 あの江戸時代のキリシタン弾圧の時代の、キリストが描かれた”踏み絵”になぞらえて、何と今どきの愛の検証として、人前でのキスを求めるなんて。

 それは作詞家自身が、その時初めて書いたフレーズではなく、どこかで目にしていた言葉だったのかもしれないが、この歌の中にあてはめようとしたのは、明らかに彼の感覚才能によるものなのだ。(作詞家の盗作問題については前にも、あの名曲「昴(すばる)」の所でも書いたとおりだが、あくまでも文章としてつなげていくのは作詞家自身の文才によるものなのだ。)
 思うに芸術家が生み出したすべてのものは、彼が全く初めてだというものは何もないはずだ。
 そのすべては、誰かの物まねから始まったものなのだ、とさえ言うことができるだろう。 

 さらにAKBの歌を続ければ、次に好きになったのが渡辺”まゆゆ”がセンターで歌った学園ものの歌、「So Long(ソーロング、さようなら)」である。
 学園卒業を控えた彼女たちが歌うのだ。
 ”枝にいくつかの固い蕾(つぼみ) 桜前線まだ来ないのに 私たちの春は暦(こよみ)通り 希望の道に花を咲かせる ”
 ”思い出が味方になる 明日から強く生きようよ”
 桜の木って・・・、”やがて咲いて やがて散って 見上げたのは花の砂時計” (この”花の砂時計”という表現にもしびれます。)

 前にも、この「So Long」についてはこのブログで書いたことがあるが、スローテンポの曲調がまた素晴らしく、山に登るときにひとり口ずさんでいたほどだ。
 さらに、あの「フォーチュン・クッキー」についても、人生応援歌としての”人生捨てたもんじゃないよね”とか、”ツキを呼ぶには笑顔を見せること”などの言葉に励まされると書いたが(’13.11.11の項参照)、今でもその思いは変わらない。

 もちろん、私はすべてのAKBの歌を知っているわけではないし、おそらくはその何分の一かの歌を聞いたことがあるだけにすぎないだろうけれども、それらの中でも他にも幾つかいいと思う歌詞の曲もあるが、長くなるので最後に一つだけあげたいと思う。
 それは名古屋のSKEが歌う「美しい稲妻(いなずま)」である。
 その前半部分の歌詞は今一つだとしても、素晴らしいのは後半部分だ。 

 ”君は美しい稲妻さ この胸を横切って 愛しさがギザギザと 心に刺さる
  美しい稲妻さ すぐ後に響くのは 近すぎる思い 両手を広げて 愛に打たれよう”
 
 愛の思いを稲妻にたとえて、比喩(ひゆ)と隠喩(いんゆ)の言葉で、主に五音に区切って音調を整えていく見事な歌詞であり、またそれにふさわしい手慣れた作曲家の曲調と相まって、AKBグループの中での名曲の一つにはなるだろう。

 つまりそれまでに様々の困難があったとしても、首尾一貫して、一人のプロデューサー兼作詞家による歌詞と、多彩な顔ぶれの作曲家たちが一致して作り上げた”らしさ”あふれる曲の魅力と、個性的なアイドル・グループとしての、少女たちの歌声と元気な踊り、明るい笑顔によって、今のAKBグループの人気があるのだろう。
 それは、もし美少女ぞろいならば、あの”乃木坂46”になるだろうし、ダンスなら”Eガールズ”だろうし、ソロ歌手として歌えるほどに歌のうまい子は、一人二人と数えられるくらいしかいないのに、それなのに、そこには少女集団としての今を盛りの輝かしさに満ちているのだ。
 あの宝塚歌劇団のハイレベルな世界とは、とうてい比べ物にならないが、もっと身近なところで輝いている若い娘たちを見るような、楽しさに満ち溢れているのだ。

 以上が恥ずかしながら、彼女たちからすればおじいちゃん世代になる、私の”AKB賛”の言葉ではあります。
 特別な誰かだけのファンとか、いわゆる特定な推(お)しメンバーの娘はいなくても、ただ歌に踊りに、バラエティー番組でのおふざけ芝居などにと一生懸命に頑張っている、AKBグループのすべての娘たちがそれぞれに可愛いと思うのだ。
 そんな孫娘たちが、一年また一年と成長していくのが、はい、このジイの何よりの楽しみでして。

 ところで、山の話をしていて、いつの間にか話は大きくそれて、全く関係のないAKBの話になってしまった、いつものことだが。
 ともかく山に戻れば・・・登山道から分かれて、士幌高原道路跡をたどって下りて行ったのだが、途中で見事なシラカバ林や、カエデやカシワの紅葉に、ダケカンバやミズナラの黄葉(写真)などを見ながら、誰もいない道を歩いて行くのは、やはり何とも言えず楽しい気分だった。



 上空には風が出てきて、枝葉が揺れていた。
 やがて道は、ガードレール付の立派な二車線の舗装道路になったが、工事中止の後、長い間放置されたままらしく、道の継ぎ目には伸び放題の雑草が並んでいた。
 ほどなく大きなゲートのある登山口に戻り着いた。帰りは、こうして道路跡の道を遠回りして歩いてきたので、時間は余分にかかってしまったけれど、それでも合わせて5時間足らずの、年寄りにはちょうどいい、秋の山歩きになったのだ。
 これからも細々とでも、本格的な山登りができなくなっても、山歩きだけは続けていきたいものだ。
 
 ところで、今日わが北海道の日本ハム・ファイターズは負けてしまった。ただよくここまで来たと、道民のみんなは思っていることだろうが。
 今、夜遅く、雨が降り出してきた。
 明日、明後日にかけての天気予報では、道北などでは雪のマークがついている。
 家の林の紅葉も、今が盛りになるのかもしれない、次回はその家の紅葉の話を。 

 
 


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