ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

北の山 春

2017-05-30 22:29:42 | Weblog



 5月30日  

 数日の間、曇りや小雨の日が続いた。
 その暗い天気の中、時折、エゾハルゼミが一匹、二匹と鳴いていた。 
 しかし、昨日今日と見事に晴れ渡り、気温は27度までも上がり、家の林は、いつものエゾハルゼミたちの大合唱となった。
 
 私も、山に行ってきた。 
 今の時期ならではの、まだ分厚く残る残雪にステップを刻みながら、爽快な春山を楽しみたいと思っていた。 
 しかし、調べてみると、去年の四度にも及ぶ、北海道を襲った台風の被害がここかしこに及んでいて、あの道央と道東を日勝峠で結ぶ、大動脈の国道38号線がいまだに復旧していないように、なおさらのこと、営林署管轄の山間部の林道にまで修復が及ぶはずもなく、日高山脈はこの十勝側だけでも、芽室岳、伏見岳、十勝幌尻岳、ペテガリ岳東尾根、楽古岳など名だたる山々への林道が通行止めになっていて、さらには夏山にかけての、伏見岳からピパイロ岳、幌尻岳などのルートや、札内岳、エサオマントッタベツ岳などへのルートも当分使えなくなるということだろう。
 
 今回も、伏見岳か芽室岳に行くつもりだったのだが、どうしても登りたいのなら、林道を長時間歩くという手もあるのだろうが、今の私にはそれだけの元気もなく、こうして林道が通行止めだらけの現状ではいかんともしがたいのだ。 
 残されたのは、北部日高の低山か、前衛の山々になってしまう。
 そこで、もう何度も登ってはいるが、林道を走ることもなく舗装された町道からすぐ山に取りつくことのできる、剣山(1205m)に行くことにした。

 快晴の空の下、中部以南の山々には少し雲がかかているところもあるが、天気分布予報では、昼までにはほとんど雲も取れるだろうとのことだった。
 清水町に入ったあたりで、いつも写真を撮る場所なのだが、ビート(砂糖大根)畑のなだらかな斜面の向こうに、目指す剣山が見えていた。(写真上)
 思った以上に、残雪が少なくて、残念な気もするが、ともかく天気がいいことだけでも良しとしよう。
 もっとも、同じ快晴でも、空気が澄み渡った日には、反対側に遠くニペソツ山、ウペペサンケ山などが見えるのだが、空は晴れていても、もやでかすんでいて東大雪方面は全く見えなかった。
 その上にもう一つ気になるのは、気圧配置が南高北低となっていて、少しその等高線が混んでいることであり、上空にはレンズ雲も出ていて、風が強いことを示していた。

 登山口の剣山神社に着くと、他にクルマが2台停まっていた。 
 日の出の早いこの時期には、昔だったら、薄明るくなった4時前くらいのには家を出ていたものだが、今では、年寄りの余裕というよりは、年寄りのぐうたらさで、ゆっくりと朝食をすませてから家を出るので、いざ登山口を出発した時には、もう7時にもなっていた。

 登山道を歩きだしたすぐの所から、もう薄紫のシラネアオイや赤いオオサクラソウの花が咲いていて、山に来た喜びを感じる。 
 ゆるやかに続く尾根道には、青空を背景にして、新緑のミズナラの若葉が風に揺れている。
 道の所々には、信仰の山として開かれたこの剣山の昔を示すかのように、不動明王(ふどうみょうおう)や千手観音(せんじゅかんのん)、薬師如来(やくしにょらい)などが彫り込まれた祠(ほこら)が置かれていて、足元の道の両側には、家の林でも咲き始めている、チゴユリの小さい白い花や、キスミレなどが点々と咲いていた。 
 さてこの後は、急な山腹の登りになり、途中で後ろから鈴を鳴らして登ってきた来た人に抜かれ、しばらくしてまた鈴の音が聞こえてその一人にも抜かれてしまったが、最近では当たり前のようにそれが気にならなくなってきた。
 さらには、こうして皆が鈴をつけて登っているので大丈夫だろうと考えて、私は持ってきていた鈴は取り出さずに、いつものようにストックの石突き部分で音を立てながら登って行った。

 やがて、上の方でいくらか明るくなったミズナラの林の尾根に出て、道には白っぽい岩が出てくる。
 というのも、この剣山を含めて日高山脈北部の東のふちは花崗(かこう)岩脈が通っていて、この剣山や隣の久山岳(1412m)ではそうした花崗岩が顕著である。 

 ようやくのことで、一の森(906m)の小さな台地に着いた。 
 ここまででも、コースタイムの1時間半以上の時間がかかり、久しぶりの登山で疲れ果てて、さらには時々強風が吹きつけてきては不安をかき立てて、もう引き返そうかと思ったほどだったが、一休みして、周りに咲く鮮やかな赤紫色のエゾムラサキツツジの花と青空を見ていたら、また元気も出てきた。 
 すぐそばにある大きな花崗岩の周りは、ちょっとした砂ザクの道になっている。 
 思い出すのは、北アルプス燕岳(つばくろだけ、2763m)から北燕岳に及ぶ広範囲な砂ザク斜面であり、その先の孤峰、唐沢岳(からさわだけ、2632m)の花崗岩の静かな山頂も忘れ難い。 
 さらには南アルプスは甲斐駒ヶ岳(2967m)の摩利支天(まりしてん)付近や、鳳凰三山(2840m)の砂ザク道もあるし。 

 この一の森から、さわやかなダケカンバの中の道を少し下ると、行く手にようやく残雪の斜面が見えてきた。(写真下)



 しかし、”これこれ”と喜んだのもつかの間、道は右に山腹のジグザグへとたどる。 
 多少がっかりしながらも、足元に咲く花々を見ながら登って行くと、道の真ん中にある石の周りに、キスミレが見事に並んで咲いていた。(写真下) 
 これは、初めて見たものではなく、前にも同じ所で写真に撮った記憶があるし、この先の岩の割れ目に沿って咲いているヒダカイワザクラも、前にも同じ所で見ているから、そうしたなじみの花と再び出会う楽しみもあるのだ。



 ロープ付きの急な裂け目を登って、二の森の鞍部に着き、そこからは稜線に連なる岩峰群を右に巻いて登って行く道になり、やがて再び三の森への急な登りになる。 
 しばらく前に、この辺りでヒグマに遭(あ)ったことがあり(’08.11.14の項参照)、どうしても思い出してしまって、ひときわストックの音を立てて登って行く。
 そして、稜線の鞍部に着いてからは、さらに岩を回り込んで一登りをすると、絶壁の崖の上に突き出した一枚岩の展望テラスのある所に着く。 
 危険だからとロープが張ってあるが、何しろ唯一の山頂を遠望できる場所でもあるし、いつものように恐る恐る岩盤の上を這って写真を撮る。(写真下)



 あの北アルプスの剱岳(2998m)こそは、日本一の名峰であると私は思っているが、そんな名山とは比較するべくもないが、今眼前にある、まるで剣の剣先のようなこの姿は、剣山という名前にこそふさわしいものだ。
 左に遠く残雪に覆われた十勝幌尻岳(とかちぽろしりだけ、1846m)も見えている。
 まだ若いころには、残雪期の山と言えば、まずこの十勝幌尻岳を目指しては、そこからの日高山脈随一の大展望に酔いしれたものだが、年寄りになった今では、もうすっかり足が遠のいてしまったが、残雪期から紅葉、初冬の時期まで、併せて20回近くは登っているだろうし、何といっても、この十勝幌尻岳こそが私の日高山脈なのだ。

 再び岩峰山稜の西側に回り込んで行くと、もう戻って来る人に一人、また一人と出会い、さらに少しの登り下りをした後、ようやく頂上直下のハシゴ場に出る。
 昔はこんな絶壁ではなかったし、こんな長いアルミのハシゴもかけられてはいなかった。
 手製の木のハシゴが二つかけられていただけで、それですぐに頂上の岩の上に出られたのだが、おそらくはこの一枚岩のスラブの半分ほどまでついていた、土の斜面が崩れ落ちてしまい、この岩の途中からハシゴに取り付いて登るしかないというルートになったのだろう。
 ここでは巻き道を作るのもむつかしく、出来るならハシゴの手前から右下に大きく下る巻き道を作って、西尾根に出て頂上へと登る道を開削(かいさく)する他はないのだろうが。
 あの北アルプスは槍ヶ岳(3014m)の頂上直下の鉄製のハシゴ場ほどではないにせよ、私でさえかなり緊張したくらいだから、もうこの剣山は、初心者向きの山とは言えないのかもしれない。 
 むしろ、安全な登山道が続く隣の久山岳(きゅうさんだけ、1412m)のほうが、似たような展望ながら、より主稜線に近づいての展望を得ることができるし、余り知られていないこの山の方が、むしろ初心者向きなのかもしれない。(ただし、途中の道での、去年の台風の被害にもよるのだが。)

 そして、3段に分かれたハシゴを登り切って、岩峰と斜めになった岩盤でできた頂上に着いた。コースタイム3時間の所を、30分以上も余計にかかっていた。
 しかし、ちょうど、誰もいなかった。風も思ったほど強くはなく、山々の一部には少し雲もあったが、まずは申し分のない展望だった。 
 早速、カメラを構えて写真を撮る。 
 まずは、なだらかな北部日高の低山部分から、ひとりくっきりとした山頂部を持ち上げた芽室岳(1754m)の姿が美しく、そこから東に伸びる尾根が久山岳からこの剣山へと高度を落としながら続いているのがよくわかる。(写真下)


 
 この芽室岳からの主稜線は、南下しながら1726m峰へと続き、さらにルベシベ山(1740m)へと至り(その間には遠くチロロ岳も見えるが)、もちろん道はないのだが、その昔この残雪期に、芽室岳からの往復という形で縦走したことがある。

 そして、このルベシベ山からからさらに続いて、ピパイロ岳の西の肩へと上がるが、その右には日高山脈第3の高峰である1967m峰(かつてヌカビラ岳を経由して縦走)がそびえ立っている。
 さらに、ピパイロの西の肩から主稜線を離れて東に続く尾根は、ピパイロ岳本峰(1917m)から伏見岳(1792m)、妙敷山(おしきやま、1782m)へと伸びている。(写真下、右から1967m峰、ピパイロ、伏見、妙敷、手前の濃い緑の山はトムラウシ山でピパイロと伏見の展望台である。)



 そして、主稜線はここからは見えなくなるが、北戸蔦別岳(1912m)を経由して戸蔦別岳(とったべつだけ、1959m)に至り、日高山脈最高峰の日高幌尻岳(2053m)はその主稜線から西に離れた支稜線上の山になる。
 戸蔦別岳からさらに連なる主稜線は、折れ曲がって、日高幌尻岳の最高の展望台である1760m峰('09.5.21の項参照)からカムイ岳(1756m)そして、カール壁が見事なエサオマントッタベツ岳(1902m、’09.5.19の項参照)からさらに南下して、あの日高山脈第2の高峰、カムイエクウチカウシ山(1979m)へと続くのだが、そのカムイエクはこの剣山からは見えない。
 一方、エサオマンから東に大きく張り出した支脈は、JP(ジャンクション・ピーク、1869m)から札内岳(1896m)へと連なり、そして最後に、十勝平野に大きく張り出した、十勝の父なる山、十勝幌尻岳(1846m)になるのだ。

 ここまで長々と書いてきた山々の眺めにつては、まさにこれらのすべての山々に登ったことのある、私だけの思い出にあふれた山々であり、誰のためにでもない、まさに自分のためだけに書いたものである。
 あーあ、楽しかった。こうして書いている時も、思い出す時も。

 頂上に着いて15分くらいたったころ、ひとりそしてもう一人と登ってきて、それぞれに別な岩の上に腰を下ろして山々の景色を眺めていた。
 風もだいぶ収まってきて、静かだった。
 さらに後で、下り始めたところで女の人が一人登ってくるのに会ったが、今日出会った、7人の人すべてが、単独行者であり、時折鈴の音が聞こえるだけの、大声での話声一つ聞こえない静かな山だった。皆、山が好きなのだ。
 そしてかなり下ってきた下の方で、なんと5人連れの若い男女が登ってきたが、山で身に着けてはいけない(伸縮性に劣り吸湿性の高い綿製品の)ぴちぴちのジーパン姿の上に、時間も昼過ぎだし、今から登って大丈夫だろうかとも思ったが、もっとも私が今日出会ったのはいずれも中高年の人たちたちばかりだったので、こうして山に登る若者たちがいるということは、うれしく頼もしいことでもあるのだが。

 後は、風の吹きすさぶ音と、下の林の方ではイカルやヒガラにアオジ、そしてツツドリの声が聞こえていただけだった。
 しかし、下り道は悲惨だった。
 疲れ果てて、足先が、太ももが、ヒザが痛くて、やっとの思いで一歩一歩と下りていき、咲いている花たちを写真に撮るべく休みながら(写真下シラネアオイ)、やっとの思いで、コースタイムの下り2時間の所を、たびたびの休みを入れて3時間もかかってしまった。
 そして、ようやくクルマに乗って近くの国民宿舎に行き、風呂(安い!)に入って、お湯の中でていねいに脚全体のマッサージを繰り返した。
 風呂から上がり、普通は見ることのできない、わが身を大きな鏡に写して見た。

 あぶら汗がタラーリ、タラーリ。
 ”四六のガマは、四方鏡の箱に入れられて、醜(みにく)おのが姿に、思わずあぶら汗がタラーリ、タラーリとしたたり落ちて、それを三日三晩煮詰めて煎じたものが、この霊山剣山のガマの油だ。さあ、お立会い、ひとたびこのガマの油を塗れば、どんな悩みも心配事も、たちまちのうちに、山のあなたの空遠く、山のあな、あな・・・と消え果てて、ただ後はおつむてんてん・・・チョウチョウがヒラヒラと舞う頭の中になりまする。”

 確かに大鏡に映った、わが醜き姿は、テレビコマーシャルに出てくるダイエット療法前の、Beforeの姿そのものであり、つまりは山に弱くなったというのも、10年ほど前のまだ旺盛に新しい山々を目指して登っていたころと比べて、10kgも増えた体重にあることは、一目瞭然なのだ。
 ただでさえ登山回数が減ったうえに、余分な10kgのお肉を背負って登っているようなものだから、普通のコースタイムで登れなくなったのは当たり前のことなのだ。
 確か、ダイエットの方法のうちに、食事や運動療法以外に、毎日、鏡に自分の姿を映しては体重計に乗るだけ、というものもあったと思うけれども、それは確かに納得できるし、今の私には、そんなあぶら汗をかくことが必要なのだろうが。
 食後、長々と寝そべって、テレビでAKBを見ながらまんじゅう食っているようでは、とても本気で山に登りたいようには思えないし。

 ”おまえは、何がしたいのだ。”
 ”おまえは、なぜそうしたいのだ。”
 ”おまえは、本気でそうしたいのか。”




  


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