ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

雨と風、ミヤマカラスアゲハとヤクシマザル

2014-05-19 19:53:09 | Weblog



 5月19日

 三日前に、ほぼ一月ぶりのまとまった雨が降った。それは、十勝地方の畑作農家だけでなく、小さな畑を作り、井戸の水が心配な私にとっても待望の雨だった。

 その雨で、周りの新緑の木々や草花たちが、目を見張るほどに勢いをつけてきた。
 カラマツは新緑から緑色に、シラカバやカエデはその初々しい若葉を広げ、どこまでも高い青空に映えて、春を感じさせた。

 庭のシバザクラやチューリップの鮮やかな赤色の他に、道端には春の色である黄色い色が点々と続いている。
 しかし、そうして見ている分にはきれいなのだが、その黄色はセイヨウタンポポであり、放っておくと全面がタンポポの原になってしまう。 
 そうなのだ。春の盛りのうれしい季節はまた、これから続く草取りの始まりの季節でもあるのだ。
 その他にも、庭仕事はいくらでもある。

 ダニに取り付かれながらの、ギョウジャニンニク(アイヌネギ)採りやタラノメ採りは終わったのだが、今はコゴミが盛りになっていて、さらにウドとワラビ、フキへと続いて行く。
 猫の額ほどの小さな畑には(ひとり分だけでいいから)、メークィンの種芋とネギの植え付けを終わり、後はまだ霜が怖いからまだ植えつけられないが(三日前、あちこちの峠では道が白くなるほどに雪が降っていた)、残りはキャベツとトマトという簡単な作付である。

 ということでとりあえずの仕事を終えると、やはり山に行きたくなる。前回のペケレベツ岳から、何ともう一月もたっているのだ。
 雨が降った後、それまで気温が毎日20度を超える日々が続いていたのに、一気に10度ほども下がり、峠で雪が降るほどに寒くなったが、山に行くにはそのくらいの温度でちょうどいい。

 ただあまりにも風が強すぎて、山に行くどころか、外に出るのもためらうほどの風だった(所によっては30m/sもの暴風だったとか)。
 庭には、新緑のカラマツの小枝や、シラカバの若葉などが散乱していた。

 しかし朝早くは、その雨と風でよどんでいた空気が吹き飛ばされて、春から夏にかけてはめったにないほどに空気の澄んだ状態で、山々がよく見えていた。
 それにしても今年は、雪解けが早い、と言うより冬の間の雪が少なかったのだろうか、いつもの6月初めころの残雪風景だった。
(写真上、左奥に少しだけ見える1839峰、続いてヤオロマップ岳、コイカクシュサツナイ岳、1823峰と続く中部日高山脈の山々)
 
 昨日の天気予報は晴れだったので 、それなら山に行こうと思っていたのだが、今朝5時の天気予報では同じ晴れ後曇りでも、それがネットで見る天気分布予報では微妙に変わってきていた。

 午後から平野部の方に雲が広がるのはいいとしても、昼ごろには山脈の西側(日高地方側)で雲が広がる予報になっていたのだ。
 そしてさらに決定的だったのは、NHK5時の天気予報で、北海道中央部にかけて寒気が残るということだった。それはつまり、気温上昇する平野部の暖かい空気との関係で、山間部には雲が出てくることを意味しているのだ。
 今朝起きてすぐに外に出てみると、上空に少し薄い雲があるものの、日高山脈全体は青空を背景に、澄んだ空気の中にくっきりと見えていて、風も収まり絶好の山日和(やまびより)に思えたのに・・・私は山に行かなかった。

 そして、その予報通りに、山の上での天気を案じたとおりに、つかの間の快晴の山なみが見えた後、すぐに稜線の上に雲が出てきて、昼までにはすっかり山脈全体を覆ってしまった。
 してやったり!行かなくってよかったと、ひとりほくそ笑んだのだ。
 今まで、こうして普通の平野部と山間部での違いによる天気予測を、自分なりに考えてきてはいたが、しかしそれが当たることばかりではない 。
 時には、その予測がはずれて、快晴の一日になり、行かなかったことで後悔のほぞをかむことにもあったし、さらには、その後は天気の悪い日が続き、せめてあのぐらいの天気ならば行っておけばよかったと、悔しく思うこともあったのだ。
 
 若いころには、大まかに晴れか曇りかの予報だけで出かけるかどうかの判断をしていたのだが、今やこうして理屈っぽいジジイに成り果てて、もう残り少ない命だからと、あのハイデッガーの”存在と時間”ではないけれども、妙に残りの時間を意識して行動を起こすようになってしまったのだ。
 というとなんだか哲学的に見えて、格好つけているようだが、なあにはっきり言えば、年を取ってきて単にものぐさジジイになっただけのこと。

 さて前回からの続きで、例のミヤマカラスアゲハのことだが、ちょうどうまい具合にこれまた前回写真を載せたばかりの、シベリアザクラの花にとまってくれたのだ。
 桃色の花、新緑の葉、そこに色鮮やかなミヤマカラスアゲハと、おあつらえ向きの一枚になった。

 

 実はこのカラスアゲハの名前は、昔から思っていたのだが、どうもカラスという頭の名前がよろしくない。
 見てわかるとおりに、鮮やかなるり色の後翅(うしろばね)なのだから、ミヤマルリアゲハ(カラスアゲハはルリアゲハ)と名付けてほしかった。
 もっとも、羽のルリ色が目立つのは、このミヤマカラスアゲハ以上に、何といってもあのアオスジアゲハだ。
 もう二十年近い前の話だが、南アルプスは北岳、間ノ岳、農鳥岳のいわゆる白根三山を縦走して、奈良田に下りた時、その河原で鮮やかなルリ色を見た。それは河原の水を給水していたアオスジアゲハだった。
 緑の木々と足元の土の色ばかりを見て、山道を降りてきた私にとって、あのルリ色は、近くを流れる沢水の色とともに、まさしく異次元の別世界に入ってきたような気がしたのだ。
 まるで、あの泉鏡花の幽玄の舞台に現われた、ひとりの美女がそこにいるかのような・・・。

 ところでこのミヤマカラスアゲハには、後翅だけでなく全体的にこのルリ色が強い個体もあって 、何とこれらの写真を撮っている時に、どこからともなくやってきて、上の写真の個体と離れたところで、シバザクラの花にとまったのだが、惜しいかな、裏側を見せる上の個体の方にピントが合ってしまい、手前のその全体がるり色の個体はかなりボケてしまったのだ。
 このあたりが、シロウト写真家の悲しいところで、普段から蝶を撮りつけていないから、ただシャッターを押しただけの写真になってしまったのだ。 

 

 しかし、毎日の田舎暮らしで何が一番楽しいかと言えば、こうした自然界の美しい生物たちや植物たちとの、偶然の出会いにあり、また、そうしたものを含む林や平原や山などの、大きな自然全体の美しい光景を見ることにある。    

 どうして、そんな自然景観にあこがれるようになったかというと、それは思うに、自分が持っている美しいものとは真逆のものへの、反感というべきか、目をそむけたいというべきか、そうした心持があって、人並みに増して強いあこがれになったのではないのか。
 自分の容貌魁偉(ようぼうかいい)な外観や、年を取るごとにさらにひねくれ、ねじ曲がっていく邪悪な心・・・そんな救いようのない今の私を助けてくれるのは、まさに何の邪心(じゃしん)もない、ただ生きることだけにひたむきなすべての生き物たちの姿や、”そこにただあるだけの山”(前回メスナーの言葉)や、林や平原や川や海や太陽や月や星空などの姿なのだ。

「神様、わたしに星をとりにやらせて下さい。
 そういたしましたら病気のわたしの心が
 少しは静まるかも知れません
 ・・・
 おお、おっしゃって下さいまし、あの星は死でしょうか?・・・
 ・・・
 神様、わたしはよろけながら歩く
 ロバのようなものです・・・。
 ・・・
 神様、わたしのために星を一つ下さる事が出来ないでしょうか、
 ・・・
 今夜わたしのこの冷たい空ろな
 黒い心臓の上に乗せて眠るために。

(『月下の一群』 堀口大学訳詩 フランシス・ジャム 新潮文庫)

 去年も書いたのだが、今年もまた家の林の中に、一匹のエゾハルセミがいた。
 まだエゾハルゼミの鳴き声を聞いていないから、他の仲間はまだ出て来ていないのだろうが、このところの暖かさに誘われて、幼虫から羽化して外に出てきたものの、外は思った以上に寒いし、仲間の声も聞こえないのだ・・・。

 彼は、モミジの幼木の小枝にとまったまま動かない。私がカメラを寄せてもじっとしたままだ。


  

  どうするのだ、おまえは。ひとりで生きていくのは、大変なことだよ。

 昨日、日曜日のNHK『ダーウィンが来た!』 「世界遺産屋久島 南限のニホンザル」で、その屋久島に棲むニホンザル(ヤクシマザル)たちの群れの生態を紹介していた。
 そこは、あの北限のサルで有名な、下北半島のニホンザルたちと比べると、一年を通して温暖でエサも豊富にあるのに、群れの間におけるテリトリー争いが絶えないという。
 つまりエサが豊富にあるから、サルの個体数が増え、群の数が増え、テリトリーを守るための縄張り争いが起きるからだといわれているのだ。

 それだけに、群の団結は強いのだが、その群れの中に、よそから強いオスが来て争いの末ボスの座に着いたら、それまでのボスザルはどうするのか。
 あの有名な九州は大分の高崎山の元ボスザル、”ベンツ”の例をあげるまでもなく、群からいなくなるのだが、ここでは元ボスザルは、新しいボスザルに対して後ろ向きになって恭順(きょうじゅん)の意を示し、自分はその下の地位に甘んじて、その群れにとどまるのだ。
 ひとりでは、生きていけないからなのか・・・。
 
 この番組でしかしそれ以上に興味深く衝撃的だったのは、同じ屋久島に棲むニホンジカ(ヤクジカ)とサルたちが一緒にいるシーンだった。
 もともと、サルたちがヤマモモの木などに登ってその実を食べていると、その幾つかが落ちてくるので、シカたちはその木の下に集まっていて、いわゆる共生の関係にあるのだが、その映し出された場面では、一頭のシカがサルの群れの中に入ると、その中の子ザルらしい一匹が、何とそのシカの鼻のあたりをなでその毛をかき分けてやっていたのだ。 

 おそらくは、サル同士でやる”毛づくろい”と同じで、ダニや虫を取ってやっていたと思うのだが・・・。
 ではサルたちにとって、シカたちは何の役に立つのか。
 そのあたりのことまでは、番組では語られていなかったのだが、もしかしたらシカたちのあの声、鋭い警戒音”キョーン”という声を、共に生きる仲間として利用しているからなのか・・・。
 (余談だが、いけないこととは知りつつ、キョーンというと、お尻をこちらに向けて叫ぶ”こまわりくん”の”八丈島のきょん”を思い出してしまう。)

 それはともかく、異種間の野生動物たちのあいだで、こうしたふれあいがあるとは・・・思わず、その画面にくぎづけになってしまう瞬間だった。 
 ヤクシカも、ひとりでは生きていけないのだ・・・。

 あの3年前の屋久島旅行の時、山の上で出会った、余り人を恐れないヤクシカのやさしい眼を思い出した。
 (’11.6.17~25の項参照)

 


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