ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(120)

2010-10-04 21:19:49 | Weblog



10月4日

 拝啓 ミャオ様

 雨が降っている。気温は、朝の9度から余り上がらない、肌寒い一日だ。窓の外では、雨にぬれた樹々が首うなだれて、静かな祈りの時にいるようだ。

 森の樹々よ、今はただ、ひと時の思いの中にあれ。
 やがて、おまえたちは、その装いの葉を脱ぎ捨てる時が来るだろう。
 そして、長い冬の間、ひとり静かに憩うのだ。 
 ほら、今、かさこそと静かに、枯葉を踏む音がして、
 向こうから、物思う人が、小道を歩いて来る・・・。

 ミャオ、長い間、連絡もせずに申し訳なかった。前回、知らせておいたように、山登りに行ってきたからだ。
 それは、長い間いつも気になっていた、秋の涸沢(からさわ)と穂高連峰をめぐる山旅だった。
 もちろん私は、今までにもう何度も、穂高の山々には登っていて、別に目新しい所ではないのだが、混雑を恐れて、紅葉の時期に登ったことはなかったのだ。
 しかし、その季節になると、山の雑誌や写真集で見かける、日本一の山の紅葉といううたい文句に・・・、それは、この老い先短い山おやじへの、殺し文句にもなり、ついに出かけることにしたのだ。

 それは、死ぬ時に見るという、天国の色鮮やかな花園や、妖(あや)しいまでにきれいな地獄の業火(ごうか)などよりは、生きている今、見ることのできる美しいものを見ておきたいという、法界悋気(ほうかいりんき)なごうつくばりの思いからである。

 例のごとく、2か月前に買っておいた早割の安い航空券では、その時に決めた日に行くしかないのだ。
 しかし、出発前にネットで見た、現地の山小屋ブログには、「ナナカマドの赤い実がきれいに見える季節になりました。」と書いてあり、まだ緑色に茂る涸沢の写真が添えられていた。
 今年は、あの記録的な猛暑が長引いたためか、本州の山々の紅葉も、一週間ほどは遅れているらしい。
 その上、これから先の長野県の天気予報では、秋雨前線の影響を受けて、雨と曇りマークばかりだった。

 出かける前日まで、迷っていた。紅葉には早すぎるし、その上、天気の悪い山になど登る気はしない。
 払い戻しだと半額しか戻ってこないが、航空券をキャンセルして、計画を中止し、今までどうりに家で、自分に甘いぐうたらな毎日を送ったほうがいい、何も汗水たらし苦しい思いをして、そんな山に行くよりは・・・と、悪魔顔のもう一人の鬼瓦権三(おにがわらごんぞう)が、ニタリと笑う。

 一応準備はしておいたのだが、ギリギリにその日の朝の予報を見て決めることにした。すると、なんと一週間の予報が少し変わって、最初の二日の雨の後に、はっきりと晴れのマークが出ていたのだ。

 私は、東京で雨の日をやり過ごし、次の日に、快晴の空の下、梓川(あずさがわ)の彼方に、穂高連峰の姿が美しい上高地(標高約1500m)に下り立った。
 朝の早めの時間だから、まだ行きかう人も少ない。いつもの清らかな川の流れを隔てて、青空を背景に一際高く、鋭い岩稜の明神岳(2931m)から前穂高岳(3090m)へと連なる峰々がそびえ立っている。
 平坦な、固い砂地の道をたどって行くと、朝の光が木々の間から差し込んでいて、わずか一羽だけのヒガラの声が聞こえていた。

 今まで、私は何度この道を歩いたことだろう。今回行く涸沢から穂高連峰へ、槍沢から槍ヶ岳へと、あるいは徳本(とくごう)峠へ、蝶ヶ岳、常念岳へ、あるいはその帰り道にと、その度ごとに同じ光景を眺めながら歩いてきて、それでも飽きることはない。
 あのスイスのマッターホルンの麓(ふもと)の町、ツェルマットのように、上高地から先、横尾までの3時間ほどかかる平坦な道を、一般車両が入れないようにしたのは、先人たちの正し選択だった。

 回復不可能な自然の破壊にもなる、車の走る道路は、元来行き来していた動物たちにとっても危険なルートに変わってしまう。人間がほんの少しの不便を覚悟すれば、そのままの自然を、次の世代にまで残すことができるのに。
 とはいっても、便利な道路ができてしまえば、私たちは利用してしまう。だから作らないことだ。危険なものを与えないことだ。

 しかし、一方では、増えすぎたシカやサルの食害が、山里だけではなく、高山帯のお花畑にまで及んでいる。
 単に駆除や保護をと叫ぶばかりでは、問題は解決しない。今日では地球上の動植物の多様性と、それにかかわる問題も増えてきた。
 私がこうして、山に出かけることそれだけで、自然環境の破壊につながることにもなる。つまり、飛行機に乗り、バスに乗り、石油化学製品を身に着けて、山の中に作られた小屋に泊ること自体が・・・。
 
 極論すると、そうなってしまう。つまり、人間対地球上の他の生物との大きな問題になり、人間のそして私個人の存在さえが、害悪を及ぼすものだからである。
 巷(ちまた)に溢れる、「自然にやさしい」なんていう、人間側からの思いあがった言葉を使いたくはない。現代文明の下にあり、今の時代に生きる人は皆、その存在自体が、すでに自然にやさしくはないからだ。

 唯一、いまだに未開の地に住む原住民たちだけが、実は、他の地球上の生き物や植物たちと伴に、大自然という神に最も近しい人間たちなのだ。
 私にできることは、ほんの少しだけ、彼らの真似(まね)をしてみることだけだ。自分の家の周りの、林の木々や畑の植物たちの手助けをしてやり、水は地下からくみ上げ、排泄物はすべて自分の土地の中で利用する。あくまでも、ほんの少しのことだけれども・・・。
 しかし、本当の所は、私はただ、貧乏な生活に慣れているだけなのかもしれない。
 山の奥に入って行く度に、つまり人工物がない、自然の中に入って行く度に、私はそう思ったりもするのだが。

 横尾で梓川にかかる吊り橋を渡ると、山道に入り、左手に屏風(びょうぶ)岩を眺め、行く手に高く北穂高岳(3106m)が見えてくる。さらに、横尾本谷出合付近の高巻きの登りを過ぎると、いつものあの涸沢カール(氷河圏谷)を囲む穂高連峰の山々が、少しずつ見えてくる。
 しかし、山小屋のブログ記事のとおりに、カール下の谷あいに群生するウラジロナナカマドは、殆んどが緑の葉のままであり、その赤い実だけが鮮やかに青空に映えていた。

 アイゼンまでも用意して準冬山装備で来ていた私には、ザックが重過ぎて(とは言ってもたかだか15kgくらいだったのだが)、上高地からはコースタイム通りの6時間もかかり、このぐうたらメタボおやじにはきつすぎた。
 やっとの思いで小屋にたどり着き、一休みすると、少し元気が出てきた。明日は雨の予報だし、それならば、今日の天気の良いうちに、ともかく近くの山にに登っておこうと、出かけることにした。

 それは、涸沢をめぐる穂高の峰々とは相対する位置にあり、それだから好展望台にもなる、屏風の耳(2565m)であり、前穂高岳北尾根から続く尾根をトラヴァースして行く、パノラマコースと呼ばれる道である。
 しかし、そこは名前とは裏腹に、幾つもの急な沢斜面を横切って行く、経験者向きのコースでもある。
 私は、まだ雪の残る危険な頃を含めて、上高地への短絡路にもなるこの道を二回通ったことがあるが、以前に比べれば、道も整備されロープを張った箇所が増えていて、歩きやすくなってはいた。

 その道を行く途中から、明日の天気を予告するかのように、上空に雲が増えてきた。しかし、涸沢では目立たなかった紅葉が、分岐から屏風の耳へと登る辺りから、所々で盛りを迎えていた。
 その紅葉の急峻な斜面の彼方に、南岳(3106m)から槍ヶ岳(3180m)と続く山稜が見えていた。(写真)
 その名のとおりに二つに分かれた、屏風の耳の小さな頂に立つころには、涸沢カールを囲む穂高の峰々に、少し雲がかかり始めていた。
 しかし、眼下には、梓川の白い河原がうねり流れ、対岸に高く常念岳(2857m)が見え、槍ヶ岳にもまだ雲はかかっていなかった。

 誰もいないひとりきりの頂上に、私は満足して座っていた。傍(かたわ)らにあった、クロマメノキの実を、二つ三つつまんでは口に入れた。いつも、北海道で食べる、あのみずみずしく甘酸っぱい味に変わりはなかった。
 涸沢までの途中で、何十人もの人とすれ違い、追い越したりして登ってきた道に比べて、時間が遅かったこともあるだろうが、この屏風への行き帰りの道で、私は誰にも会わなかった。登山者で大混雑する、秋の涸沢周辺で、こんな所もあるのだ。

 写真を撮りながらゆっくり歩いたこともあって、屏風の耳への往復に3時間程もかかってしまい、今日の行程は併せて9時間にもなったが、明日は雨の予報だから、小屋にもう一日泊ってゆっくり休養すればよい。その時のためにと、一冊の文庫本も持って来ていた。
 まだ三日間の余裕もある。一日でも晴れてくれれば、上に登って稜線の草紅葉を楽しむことができるのだが・・・。

 ミャオは、元気にしているだろうか。
 私は、ひとりで高い山に登りに来ているというのに、オマエはひとりで、九州の山の中にいる・・・思いは別々であり、一つでもあるのだが。

 話は次回へと続く。

                      飼い主より 敬具  


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