ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(175)

2011-02-06 21:30:44 | Weblog



2月6日

 やっと、あの毎日続いた寒い雪の日も終わり、暖かい日差しあふれる日々がやってきた。ワタシの体は、それを敏感に受け止めている。春だ。ストーヴを捨てて、外に出よう。

 今まで部屋の中で寝てばかりいたことが、ウソのような毎日だ。まずはベランダに出て、毛皮干しをして、さらに、何度も家から外へと出入りする。体も心もじっとしてはいられないのだ。
 昼前後には、飼い主を誘って散歩に出かける。家の近くの日陰の道には、まだ雪が残っているけれど(写真)、今まで雪が積もっていて行けなかった遠周りのコースも歩けるようになった。
 そして、夕方、サカナを食べた後などには、もうむしょうに体を動かしたくなって、家の中を走り回るのだ。
 飼い主が、あきれたようにワタシを見ている。

 動物の中には、カメ、ヘビ、カエルなどの変温動物はもとより、恒温(こうおん)動物のシマリス、ヤマネそしてクマなどは、冬の間は冬眠、あるいは冬ごもりをするようだが、ワタシにもその気持ちはよくわかる。
 日本の中でも、冬も暖かい所はエサもあるだろうし、十分に活動できるのだろうが、北国のように雪に被われて何一つエサが見つからない所では、ともかく生きていくだけでも大変である。下北半島の北限のサルが良い例だ。
 だから、体力を温存してずっと寝ていられれば、それにこしたことはないのだ。
 思えば、ネコ族の中でも、人間に飼われているワタシたちイエネコではなくて、本物の野生のネコがいるのは、あの暖かい沖縄のイリオモテヤマネコと九州のツシマヤマネコだけである。
 つまり、雪国のネコもしくはノラネコにしろ、冬場は人間に頼って、その生活圏の中で生きていくしかないのだ。

 今年のように、寒くて雪の多い日々を一ヵ月余りも暮らしてきて、ワタシはつくづくそう思うのだ。体が弱っていたり、歳を取ったりしているネコたちにとっては、飼い主がいなければ生きていけないと。
 そう思って、感謝の思いで飼い主を見ると、何やら情けないかっこうで歩いている。
 つい先日までは、腕をけケガしたとか言って、左腕をかばって歩いていたが、今度は、腰に手を当てて、顔をゆがめて妙な声を上げながらヨタヨタと歩いている。
 全く、年寄りじみた、情けなないジジイの姿だ。あーあ、とワタシはため息をつく。ワタシの方がずっと年寄りなのに・・・。


 「 2月に入って、全く急に暖かくなってきた。それまでは、雪の降る寒い日ばかりが1ヵ月以上も続いて、一日中マイナスの真冬日になったり、晴れて日が差してもプラスの4度どまりだったのに、この6日間、ほとんど毎日晴れて、気温も10度前後になってきたのだ。
 とはいっても、さすがにまだ2月だ、朝はー5度くらいまで下がっていて、日陰には雪も10cmほど残っている。しかし、昼間はストーヴも消して、ミャオと少し長い散歩にも出かけられるようになった。

 ところが、またも体を痛めてしまったのだ。今度は、腰である。全く情けない。人はこうして、自分が年老い、くたばっていく様を自覚することになるのだろう。
 腰は、あの北海道の家をひとりで建てた時に、痛めてしまった。始まりは、100キロ以上もある丸太をひとりで持ち上げたりしていたために起きた、いわゆるギックリ腰(椎間板ヘルニア)、からである。
 その時の病状は歩けないほどひどいものだったが、病院には行かなかった。歩けなかったからだが、原因と傷病名ははっきりしているので、トイレと食事以外は、ひたすら横になって寝ていた。
 そして、一週間後、起きて歩けるようになり、さらに2,3日様子を見てから建築現場に戻った。

 その後も、今日にいたるまで、年に二三回は、ふとしたはずみで、その腰痛が出ることがあった。原因は、重たい荷物を抱えあげようとする時に、さらに高い所のものを伸び上って取ろうとする時にである。
 しかし、それとは別に慢性の重たい痛みもあったのだが、それは今流行りのマッケンジー体操なるものをやり始めてから、目に見えて改善され、安心していたのに。またやってしまったのだ、高い所のものを取ろうとして・・・。

 今回も、安静にして寝ていればすぐに治ると分かっていたのに、ミャオの世話や散歩、買い物、さらにパソコン作業などで、ずっと寝ているわけにはいかず、痛いままにもう数日たってしまった。
 腰に、小さな痛い球がある感じで、ある姿勢になるとそれに触れてアヘーという痛さなのだ。ただ体を戻せば痛みも離れて、永続性はない。
 それにしても、情けないことだ。肩の痛みもまだあり、腰が痛いから体を左右に曲げ、ただでさえ怖いヒゲヅラの鬼瓦(おにがわら)顔が苦痛にゆがんで、ネコを連れて歩いている姿など、まるで田舎の爺(じじい)状態で、こんな山の中だから誰にも会わずいいけれど、都会にいれば、公序良俗違反、猥雑物陳列の罪の疑いがあり、職務質問されるかもしれない。

 田舎に住んでいるから、そんな目に遭わずにすむし、またこんな田舎にいても、テレビやインターネットのおかげで、日々新しい情報を目にすることができる。
 この1ヵ月の間に、NHK衛星・Hiなどでは“イタリア特集”として、様々の優れた番組が放送されていた。前にも書いたことのある“世界ふれあい街歩き”シリーズは、いつ見ても心温かい気持ちになるし、絵画史の謎解きとしての、ダ・ヴィンチの『チェチリアに捧ぐ』、ミケランジェロの『バチカン・シークレット』、『天才画家の肖像』シリーズのカラヴァッジオなど、それぞれの番組に思わず見入ってしまうほどだった。
 ちなみに、この『天才画家の肖像』シリーズでは、日本の曾我蕭白(そがしょうはく)の再放送があり、他にも長沢芦雪(ながさわろせつ)などが新たに放送予定とのこと。

 さらに、”イタリア特集”の一つとして、ミラノ・スカラ座のオペラ公演も、4本ほどが放送されていた。その中でも、あのいわくつきのマリア・カラス公演で有名な、ヴェルディの『椿姫』が、ロリン・マゼールの指揮により、ゲオルギウ、ヴァルガスの組み合わせで、歌手、舞台、衣装とともになかなかに見ごたえがあった(2007年)。
 続いては、2010年のマニトヴァからの、ライヴ・フィルムによる映画版ヴェルディの『リゴレット』である。
 バリトン役のリゴレットを、ドミンゴが歌い、ライモンディまでも出ているということで、期待していたのだが、全く残念なことに、せっかくの雰囲気ある現地撮影の舞台での歌手達の歌が、顔のクローズアップを多用するカメラ・ワークのために、大きく損なわれていたのだ。

 何のために、そういう演出にしたのか。そもそものオペラの形である観劇とは、つまり劇場で歌手達の歌を聴き、その舞台を楽しむということにあるのに、その劇場での伝統のスタイルを古いものとして退け、戸外に出て新たな革新的オペラの形を作り上げようと意図したのか。
 前にも何度も書いてきたように、その時代に書かれた劇場オペラの舞台を、目新しい現代舞台化するような、今の風潮には、どうしても私はなじめないのだ。
 今回は、現地の昔からの建物をそのままを背景にした舞台設定であり、加えて衣装等にも時代性を配慮していたのに、ただカメラの視点だけがそれらとは余りにも異質な現代の目であり、そこには、オペラを現代映画化し、テレビ・ドラマ化しようとした、製作者・監督たちの狙いが見えてくる。
 同じ映画化にしても、同じマニトヴァ・ロケでありながら、節度を守ったカメラ・ワークで、それ以上に、シャイー指揮ウィーン・フィルによる、絶頂期のパヴァロッティとグルベローヴァの歌が素晴らしかった、あの1982年の映像には、はるかに及ばなかったのだ。

 次に、最近様々な形で撮影放送されている、世界遺産の番組であるが、NHK・Hi の”世界遺産・一万年の叙事詩”の第二シリーズとして、第4回『世界宗教』、第5回『ルネサンス』、第6回『大航海時代』と続いて放送され、それぞれに興味深く見ることができた。
 監修者は、あのインターネット読書案内の『千夜千冊』で有名な松岡正剛氏であり、その博識ぶりからの、歴史的世界遺産に対する見事な編成の切り口は、実に面白かった。すべてに納得できるものでもないとしても。
 ともかく、単なる観光案内になっていた今までの他の世界遺産番組と比べれば、はるかに意義深いシリーズ番組ではある。

 映画では、一本だけだが、映画史の中でその名前を知っていただけの、フィリッツ・ラング監督による、あの1927年のドイツ映画『メトロポリス』が放送されたのだ。
 ああ、ありがたや。こんな歴史的映画は、フィルム・ライブラリー(映画博物館)にでも行かなければ見られないのに、数年前のあのエイゼンシュタインの『アレクサンドル・ネフスキー(1938年)』の放映以来のことである。
 第一次大戦後の1927年、まだリュミエール兄弟による初の映画上映から、30年余りしかたっていない頃に、当時のドイツ表現主義(1919年『カリガリ博士』等)ふうな演出により、未来社会を見据えて作られた映画の、恐るべき現代性が見られる。
 そこには、まだ映像と舞台劇との乖離(かいり)が十分ではなかったゆえの、さらには無声映画ゆえの大仰(おおぎょう)な身振りが、今の時代の私たちからすれば、余りにも異質なものに見えるのだが、それらの時代性を考慮しても、映画史に残る一作品であるといえるだろう。
 その後、80年余り、今、映画はどこに進もうとしているのか。

 実は今回は、民放テレビ金沢の『田舎のコンビニ~一軒の商店が見た過疎の4年間』という番組について書こうと思ったのだが、前置きだけですっかり長くなってしまった。次回に改めて書くことにしよう。

 世の中では、日々様々な事件が起こり、同じように日々忘れ去られてゆく。人間は、はたして、何かを学び取り、それを正しく後世に伝えてきたのだろうか ・・・いつも時代はめぐり、元に戻り、また始まり・・・。」

 『移ろいやすさがきまりであり、忘れ去ることがきまりなのだ。現実は一瞬一瞬つねに新しい。あらゆるものに及ぶこの新しさ、それが世界なのである。』 
 (『ささやかながら徳について』アンドレ・コント=スポンヴィル、紀伊国屋書店)


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