ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

錦繍の秋

2017-09-25 22:00:48 | Weblog



 9月25日

 先週に続いて、今週もまた大雪山(だいせつざん)に行ってきた。
 考えてみれば、日本の山好きな人たちにとって、結局は一年中、四季のそれぞれの中にある山の姿を見たいのだろうし、歩き回りたいのだろう。
 目に鮮やかな今の紅葉の時期から、新雪の山、雪氷芸術に輝く厳冬期の山、雪が解け出すころの残雪の山、新緑の若葉を愛(め)でながら歩く春の山、山上の花が咲き始める初夏の山、涼しい稜線歩きが楽しめる夏の高山帯・・・と年ごとに同じではない、変化ある四季の移り変わりを見せてくれる、日本の山歩きを楽しんできたのだが、そんな私の山登り人生も、もはや数十年にもなろうとしている。
 
 といって、何か特別な熟練者としての、あるいは高度な技術を駆使してのスポーツ的な登山者であったことはないし。
 ただ、自然界の最たる存在である、広大な山岳風景に魅せられて、その懐の中を歩き回らせてもらっただけのことであるが、この年になって思うのは、結局のところ私の人生は、その山のためだけに生きてきたような気もする。
 それは、誰かのためにしてきたわけではなく、あるいは社会貢献の一助になったわけでもなく、ただ自分がそうすることが好きだったから、山の中をほっつき歩き回ったというだけのことであるが。
 そして、これからも体が動く限りは山に登りたいし、それができなくなっても、山を見るために山のそばに居たいと思っている。

 そんなにも長い年月にわたって、数多くの山に登って来たというのに、そこに体系的な計画を立て、例えば”百名山踏破”といった目的をもって、登るという思いはほとんどなかったのだ。
 いつもその時々に、登りたくなった山に登ってきただけの、それも晴れた日だけを選んで、自由のきく”ひとり”でという登山スタイルが、いつしか当たり前のこととして身についてしまったのだ。

 さて、前日の天気予報では、全道的に晴れのマークが出ていて、気象庁発表の天気分布予報でも、ほぼ一日、中央高地の部分はオレンジ色の晴れの範囲内にあった。これでは、山に”行かざあーなるめえ”。
 今や紅葉が盛りの道内の山々だが、家から近い日高の山々は、紅葉というよりはダケカンバが主体の黄葉であり、何より時間がかかりすぎて、体力の衰えた私にはいささか荷が重い。 
 ということで、クルマで日帰りするには少し長距離にはなるが(そのくらいの距離は北海道の人にとっては当たり前のことだが)、どうしても秋は大雪山ということになってしまう。

 しかし、大雪山の紅葉と言っても、簡単にひとくくりで説明できるものではない。
 主なものでも、8箇所もの登山口があり、紅葉の時期に登られるものだけでも、5つの登山口がある。
 まず、表側と呼ばれる旭川方面からの、旭岳ロープウエイを使って一気に1600mの姿見(すがたみ)平まで上がり、そこから姿見平の池をめぐっての散策だけでも十分に楽しめるが、さらに旭岳の山ろく周遊になる裾合(すそあい)平まで行けば、日本最大の紅葉のチングルマの平原を見渡すことができるし、さらに足をのばして当麻乗越(とうまのっこし)まで行けば、眼下に箱庭のようになった沼の平の紅葉を楽しむことができる。
 そこからさらに斜面を登って当麻岳(1967m)や安足間岳(あんたろまだけ、2200m)へと、ウラシマツツジ、クロマメノキ、チングルマに彩られた尾根道をたどって行くこともできる。(’15.9.21の項参照)

 この秋、いつものようにライブカメラで送られてくる、ロープウエイ姿見駅からの影像を見ていたのだが、明らかに例年とは違う見事な色づきになっていて、行きたかったのだが、家からクルマで日帰りするにはキツイ距離だし、何よりすぐに駐車場がいっぱいになり車列が伸びて混雑し、帰りのロープウエイでも長く待たされることがあるくらいで、それを考えるとおっくうになってしまうのだが・・・うーん、今年は残念。

 そして、北側になる愛山渓(あいざんけい)温泉口からは、ぬかるみが多いけれども直接、沼の平に行くことが出来るし、さらに当麻乗越まで行けば、今まで歩いてきた沼の平の全容を見ることができるし、旭岳・熊が岳と並んだ姿も素晴らしい。 
 この沼の平の手前の分岐から、左に永山岳(2046m)方面に向かえば、その登り始めの所で、見事な紅葉の斜面を見ることができる。何よりこの愛山渓口は人が少ないのがいい。

 そして大雪山の裏側と呼ばれる、層雲峡周辺では、まず前回行ってきた黒岳ロープウエイにリフトを利用して1500mの登山口まで上がり、そこから急斜面の登りになるが、比較的短い登りで黒岳(1984m)山頂まで行けるので人気であり、表側の旭岳ロープウエイ姿見駅の登山口とともに、一般的に大雪山と言えば、この二ヵ所が最も有名である。
 
 しかし、層雲峡の先にはまだまだ、素晴らしい紅葉名所の場所がある。 
 今の時期は、下の湖の駐車場レイクサイトにクルマを停めて、シャトルバスに乗り換えて登山口まで行くほかはないのだが、その銀泉台口からほんの少し歩いただけで見渡すことのできる、第一花園下の広大な紅葉の斜面には誰もが息を飲むことだろう。(’15.9.21の項参照)
 その先の登山道をたどれば、今は時期を過ぎているが、ウラシマツツジの紅葉が鮮やかなコマクサ平から、さらにその先にある、雪渓付近のウラジロナナカマドの紅葉もぜひとも眺めたいし、さらに登って行けば赤岳山頂(2078m)に至り、周りの山々の筋状の紅葉帯を見ることができる。
 
 さらに、同じレイクサイトからのシャトルバスで、紅葉の沼めぐりで有名な高原温泉口に行くこともできる。
 問題は沼地の間を行くためにぬかるみが多いことであるが、高低差もあちこちにあって一周するには4時間近くかかり、途中の沼までで戻る団体やツアー客も多く、表側の姿見平一周と同じように、登山コースというよりはハイキングコースというべきだろうか。
 今回は、その高原温泉沼めぐりに行くことにした、前回(’13.10.7の項参照)からは4年もたっていることになる。

 もちろん私は、それぞれの登山口から、何度となく紅葉時の景色を見てきているのだが、それでも繰り返しこの季節になると、どこかの登山口から、また今年の新たな紅葉の景色を求めて行きたくなるのだ。
 まして、色づきが良いと言われている今年なのだから、なおさらのこと。
 そして、前日に晴れの予報が出ていたのでぜひ行くにしても、どこにするのか考えたのだが、稜線の紅葉は4日前の台風で葉を落として、もう終わりだろうし、それならば、中腹にあたる高原温泉周辺では、今が一番いいころではないかと考えたのだ。

 それには、前にも書いたことがあるが、あの”イトナンリルゥ”というブログサイト記事が大いに参考になる。いつものことながら、ありがたいことだ。
 大雪山の公式登山情報としては、旭岳と層雲峡の両ビジターセンターのものが知られているが、個人的なブログサイトとして有名なこの”イトナンリルゥ”は、もうこの十年余りも続いていて、初夏のころからこの紅葉の季節までの3か月余りの間、連日、Tさんが自分の足で歩いた情報と写真をブログにアップしてくれているのだ。 
 初めのころは、ビジターセンター発行の情報誌として目にしていたのだが、その後曲折あって、Tさん個人が”イトナンリルゥ”というブログを立ち上げたのだ。
 長年にわたる、彼女の大雪山に対する思いと使命感には、ただただ頭が下がる思いがするが、いつまで続くのかと心配でもあるし、そこで、彼女のブログ記事を見ている多くの人たちも同じように思っているのだろうが、例えばシャトルバスの運賃とは別に、レイクサイトで駐車などの協力金を支払うように、何らかの協力金という形で、彼女の援助ができないものだろうかと思うのだが。

 さて、またしても本題から外れて、横道の方にそれてしまったが、もとに戻って、紅葉が盛りの”高原温泉沼めぐり”について書いていくことにしよう。
 前回と同じように、家を出たのはまだ暗いうちで、日高山脈のシルエットラインがかろうじてそれとわかるころだったが、前回と違うのは、レイクサイトのシャトルバス乗り場に着くまで、ずっと間違いなく上空に青空が広がっていたことである。よし、今日はいいぞ。
 まだ早いせいか、バスもさほど混んではいなかった。
 30分足らずで高原温泉登山口に着き、傍にあるヒグマ情報センターで、去年の台風による登山道の崩壊で、沼めぐり一周コースは分断されていて、今は”空沼”からの引き返しになるとの説明を受けてから、歩き出す。
 
 もうその登山口の所から、木々の紅葉が始まっていて、背景の青空がそれを浮き立たせていた。
 同じバスで着いた30人余りの人のうち、足の速い人たちは先の方へと行ってしまい、年寄りや足の遅い人たちたちは、それよりずっと遅れてゆっくりと歩いていて、私はありがたいことに、ちょうどその間の所に一人離れて歩いていて、静かな山の雰囲気を味わことができた。
 
 最初の沼である”土俵沼”に着く前辺りから、展望が大きく開けて青空も広がり、緑岳から白雲岳の山肌がくっきりと見えていた。
 小さな”バショウ沼”から、次の”滝見沼”の所では、誰もが歓声を上げるほどに背景の紅葉が素晴らしく、カメラの列が途絶えることはなかった。
 そして、すぐ隣の広い”緑沼”でも人々が多く休んでいた。
 この”緑沼”は、あの”滝見沼”ほどの周囲の派手な色彩はないのだが、何といっても、エゾマツ、トドマツなどの針葉樹との混交林の中にある、北国の湖沼の感じがして、さらに背後には緑岳や白雲岳から高根が原に続く山なみが見えていて、何とも北海道らしい感じがする。(写真下、この時撮った写真よりは、帰りの午後のほうが順光にしても半ば陰影もあり、空に小さな雲も出て見映えがいいので、その時に撮ったものを載せている。)



 少し行った先から下った後、今度は沢沿いに沿って歩いて行くのだが、その右手斜面を埋める紅葉、いや黄葉の風景が素晴らしかった。
 主体になるのは、今が盛りと思われるダケカンバの黄色であり、少し赤いナナカマドもあるが、さらに下の方には、またこちらも黄色が盛りのコミネカエデなどがあり、全体的に見ても黄色が盛り上がって迫ってくるような光景になっていた。ちょうど今、あの北海道立美術館で開催中の”ゴッホ展”のことを思い出した。 
 ゴッホならば、この黄色の沸き立つような風景をいかようにキャンバスに描きつけるのだろうかと。 
 あの一本の「秋の木」のように、もえるような思いを込めた黄色の風景として描くのか、それとも精神を病んだ死の直前に描いた、有名な「カラスのいる麦畑」のように、迫りくる心的光景としての、荒涼たる風景として描くのか・・・。
 (ここでも、この時よりは帰りの時の午後の光景のほうが良かったので、その時の写真を下にあげる。)



 しばらくこうした、沢沿いの黄色の饗宴(きょうえん)を楽しんだ後、再び湖沼群の眺めが続いていく。 
 ”鴨沼”から小さな乗越があり、背後の高根が原の崖地が高く迫ってくる。
 下りたところにある小さな沼のそばを通り、やがて広い”えぞ沼”に出るが、確かにあの”イトナンリルゥ”の記事の通りに、湖岸の道の一部が水没していた。 
 私は、彼女の記事の勧め通りに、最初から長靴を履いてきていたので、ずっと続くぬかるみの道も問題はなかった。
 次の”式部沼”も伴に、湖岸の紅葉もきれいなのだが、少し高みに上がり振り返った時の方が、俯瞰(ふかん)して見ることができて、より見映えがした。
 そして、その”えぞ沼”から”式部沼”へと乗越すところで見えた、高根が原の溶岩台地が形作る、残雪のある崖地状の尾根の連なりと、その下に並ぶ紅葉の木々・・・何とも言えない秋の山の光景だった。(冒頭の写真) 
 つまり沼めぐりの道を歩いてはいるのだが、紅葉に彩られた沼の光景よりは、紅葉に彩られた山の眺めのほうが私は好きなのだ。

 その崖状の尾根が高く迫る”大学沼”では、にぎやかな声が聞こえてきて、大勢の人が休んでいた。
 そのまま写真を撮っただけで通り過ぎ、一登りして振り返ると、眼下に今見てきた大学沼と、そこに続く見事な紅葉の流れが続いていて、さらに遠く石狩岳・音更山・ユニ石狩岳と続く藍色の山なみも見えていて、上空は見事な青空が広がっていた。
 
 そして一周コースの半ばにあたる”高原沼”見晴らし台に着く。背後に緑岳(2020m)が見えるおなじみの光景だ。
 そこで私も腰を下ろして、休むことにする。
 近くには、NHK”小さな旅”の撮影クルーが、あの旅人役のアナウンサーも含めて10人近くいて、周りの人の問いかけにこたえて、10月下旬の放送だと答えていた。
 さて、そこから背後の斜面を一登りして、先に向かうと、目の前が大きく開けていた。 
 崖地状の尾根から下って来たカール(氷蝕崖)底のような穏やかな平地が続いていて、彼方の緑岳の姿が近づいてきていた。(写真下)



 これは、あの北アルプスの涸沢カールや中央アルプスの千畳敷カールのような光景ではあるが、残念ながら、この大雪山は氷河期の後に噴出した火山帯であり、氷河による氷蝕地形は見られないのだが、この風景はどうしてもカール地形をほうふつとさせてくれる。
 ともかくこの辺りから、明らかに人影が少なくなり、静かな山歩きができるようになった。多くの人は、あの”高原沼”までで引き返すようだった。
 しかし、今年の折り返し地点になる、この先の”空(から)沼”の眺めもまた独特のものがあり、その広大な石庭のような光景を、見逃すわけにはいかない。

 やがて下りになって、葉がだいぶん落ちたウラジロナナカマドの灌木帯を抜けると、再び開けて、左側のナナカマドの赤い繁みを前景にして、残雪をつけた高根が原の崖状尾根が続いている。
 ”空沼”に着く。いつもは水のない所に湖面が広がっていて、青空を映している。
 この先は通行止めだが、もし行けたとしても、もう湖沼群はなく、沢沿いの道が続き、きつい登り返しもあるから、また来た道を戻って行く今年のほうが、しっかりと沼と紅葉を眺めることができて、むしろいいのかもしれない。
 事実、先にあげた写真のように、帰りのほうが良かったということがあるくらいだから。
 しかし、ここまで3時間半もかかってしまい、さすがに帰り道は脚が少しつらくなってきたが、登山口近くでは登山道に長い渋滞の列ができていて、後ろの方では道を譲ればいいのにという声も聞こえ、いら立っている人もいたようだった。

 帰りは満員のシャトルバスに乗って、レイクサイトに戻り、そこで車に乗って大雪山を後にした。 
 紅葉の時期としては、ナナカマドの色がやや色あせて盛りを過ぎていたようだが、何しろあの”ゴッホ”黄色と例えたくなるほどの、ダケカンバの盛りの色にはむしろ感動すら覚えたほどで、それに何といっても快晴の空のもと、筋雲が秋の風合いを出してくれていたし、またとない高原沼めぐりの山歩きだったのだ。ありがとう。
 思えば、北アルプスの涸沢の紅葉も(’10.10.11の項参照、少し時期が早かったが)、槍沢や天狗池の紅葉も(’11.10.16の項参照、色づきがよくなかったこともあるが)、さらに東北の紅葉名山の多くを見ていないから断言はできないにしても、この秋は特に、そのあちこちに分かれた広大な山域のすべてで見られる、この北海道は大雪山の紅葉・黄葉に勝るものはないと実感した。 
 そんな北海道にいるとは、何と幸せなのだろう私は・・・生きていて良かったと思う。
 
 ”八丈島のきょーん”(昔のギャグ漫画『こまわりくん』意味のない感嘆符。)


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