2月5日
うーっ、寒い。しかしどんなに寒くっとも。外に、トイレに行かなければならない。
飼い主に玄関のドアを開けてもらったのだが、家の中のストーヴの前の暖かさとは一変、外は真っ白な雪の世界で、さらに風に乗って雪も吹きつけてくる。あーあ。
このところの私の体の異変、しっこが出なくなるあの痛がゆいツラサからは、何とか解放されて、また元通りにちゃんとシッコはできるようになったのだが、それにしても、寒い時のまして外が雪の時のトイレは、毎年のこととはいえいやになる。
この外に出るまでが大変なのだ。少なくとも朝昼晩の三回は、しなければならない。暖かい時なら、外に出るのも苦痛ではないのだが、こうも寒い時には気が重い。そうしてがまんしているから、しっこが出なくなるんだと、飼い主が言っていたが、いやなものはいやなのだ。
ストーヴの前で寝ていて、少しそのきざしがあり、ニャーと鳴く。しばらくして、はっきりともよおしてくる。飼い主を見て、ニャーニャー鳴く。飼い主が行きたいのかと言って、ワタシを部屋の外に出そうとする。ドアを開けた薄暗い居間の方から冷たい風がどっと入ってくる。アヘー、冗談じゃないよ。ワタシは小走りでストーヴの前に戻る。飼い主がぶつくさ言っている。
またしばらくたって、いよいよ我慢できなくなって、玄関のドアを開けてもらうことになる。それでも、さらに寒い風を受けて、また戻ることもあるのだが、いつもはそのまま、雪の吹きすさぶ中に下りて行く。そして植え込みの木陰で、手早く浅く地面をひっかいて用をすませ、臭いをかいで確かめ、そこに雪と一緒に木の葉などをかぶせて、あとは一目散に家に戻る。
そこで飼い主に体を拭いてもらって、ニャーオと鳴き、キャットフードをひと食べして、スト-ヴの前の座布団の上に座り、ひとしきり毛づくろいをしてから、やっと横になる。やれやれ、いい夢でも見よう。
飼い主が、先ほどから何か言っている。それほど外に行くのがいやなら、家の中に置いてある砂場ですればいいじゃないか、といったことをあい変わらずくどくどと話しているのだ。まったく、小姑(こじゅうと)じゃあるまいし、同じことを何度も言わせるなつーの。ワタシはノラネコ上がりだから、家の中の砂場なんかでトイレはしたくないのだ。
自分だって、北海道の家では、すべて外でしていて、広々とした景色を見ながらするのはたまらんぞ、とかワタシに言っていたくせに。
大体、昔からのコトワザにあるように、『シーザーのものはシーザーに』であり、自然のものは自然に還(かえ)すべきなのだ。他の生き物がすべてそうなのに、人間だけが水で流してそれでおしまい、というもの考え方がわからん。トイレに神様がいるなら、それはうわべだけをきれいにする、人間だけの邪教の神様ではないのかと言いたい。
などといろいろ頭の中を駆け巡ったが、それを言ったところで、たかがネコごときのワタシにと考えて、今は眠ることにした。悩みは引きずらないし、持ち込まない。寝る時は楽しいことを夢見て寝るだけだ。
「前回、今年の寒さは大したことがないと書いたとたん、日本列島全体がこの冬一番の寒波に襲われて、自宅の外に置いてある寒暖計も、マイナス14度まで下がった。長い間見たことがなかった数字でもあり、窓ガラスが内側から、結晶模様に凍りつき、去年手直ししたばかりのお湯の配管もまた凍りついてしまった。その日はもちろん、日中もマイナスのままの真冬日であり、二日前に降った雪は、まるで北海道の雪のようにさらさらだった。
積もった雪は15cmくらいだったが、表通りに出るまでの家からの道50m余りを雪かきした。1時間近くかかり、すっかり汗をかいてしまった。
北海道の私の家では、除雪される表通りまではここと同じく50mほどあって、1m近く積もった時の雪はね(北海道では雪かきのことを雪はねとも言うが、正しい語感である)に、一人で丸一日かかったが、この冬の日本海側の東北北陸の2mや3mという数字はもう私の想像をはるかに超えたものである。
そして家の屋根も、急勾配のトタンぶきにしてあるから、積もった雪はそのたびごとに滑り落ちてしまって、屋根の雪下ろしの心配は全くないのだが、この東北北陸の、特に屋根に積もる巨大な重さの雪は何とかならないものだろうか。
いずれ溶けて消えるものだけど、毎年繰り返される、多くの犠牲と莫大な費用、何とか知恵を集めての対策方法を考えないと。
さて上に書いたように、家の雪かきをした次の日は恐ろしく冷え込んで、油断して水抜きをしていなかったので、お湯用のパイプが凍ってしまった。
そこで、夜だったので外には出られず、まず家の中の蛇口にタオルを巻き、少しづつお湯をかけたがやはりダメだった。次の日の午後に外に出て、去年やりなおしたばかりの、コーキングで塗り固めていた外の配管のカバーを外し、ウレタン巻きなど全部取り外して、その上で裸の鉛管にタオルを巻き、少しずつお湯をかけてやっと溶けて流れ出した。
要は、当然のことながら、冷え込む前の夜には、ちゃんと外のバルブを締めて(北海道では蛇口のそばにつけられた止水栓を下ろして)、水抜きをしておくべきなのだ。
まさかこれほど冷え込むとは、という私の思いは、いつもの災害のたびに繰り返される誰もの思いと変わるところはない。
昨日は、ようやく寒さもいくらかゆるんできて、ミャオと散歩をした。雪の残る道を歩いて(写真上)、少し離れた空き地で、ミャオは大も小もすませた。いつもは、それからさらに上の山道の方へ行ったりもするのだが、ミャオは座り込んで動かなかった。行きたくないのだ。
仕方なく私だけ、小さなトレーニングのつもりで、先へと登って下りてと繰り返した。ミャオはそんな私をじっと見ていた。私は、ほんの10分ほどで疲れてしまい、戻ることにした。ミャオは、先に立って速足で家のほうに歩き出した。
空は晴れて、少し雲が多かったが、この雪と寒さで山の雪景色を見に行くにはいいチャンスだった。しかし、行かなかった。ネットのライブ・カメラで見ると、前回行った時と同じように雲が多く、さらに土曜日で、九重の牧ノ戸峠の駐車場は車でいっぱいになっていた。とても出かける気にはならない。
家に戻って、パソコンに入れてある昔の雪山登山の写真を見ながら、セクエンティアのCDを聴いた。それは、去年から私がもっともよく聴いているCDである。
そういえば、毎年、ここに書きだしている例の去年度のCDベスト10(’11.1.28、’10.1.30の項参照)を書かなければならない。
しかし考えてみれば、年ごとに私のCD購入枚数は減っていて、去年は何と10点だけなのだ。もっとも箱もののセットCDがほとんどだから、枚数的には数十枚になるのだが、12月11日の項で書いたように、むしろ今までため込んできたものを減らしたいくらいなので、こうして毎年購入数が減っていくのは、私のためにも良いことなのだ。
というわけで、今年は今までのベスト10から、ベスト5にして、以下、時代順にここに書き出してみる。
1.”Hildegard von Bingen ” ヒルデガルド・フォン・ビンゲン(1098~1179) 演奏セクエンティア、ドイツ・ハルモニア・ムンディ(DHM)・レーベル 8枚組 2290円 (写真上右)
(中世ドイツのベネディクト派女性修道院長であり、神秘体験著述家であり、作曲者であり、薬草学の大家でもあるヒルデガルト・フォン・ビンゲンの一大全集である。それを、中世時代の音楽のスペシャリストであるセクエンティア・アンサンブルが演奏していて、その深く清明な響きに魅了される。その上に、この値段の安さは信じられない。ただ、少し前に一世を風靡した”アノニマス4”に似た、少し録音に手を加えたような音づくりに、どこか現代的な洗練さも感じるが。それにしても、何と美しいモノフォニー、単旋律の響きだろう。死の床にある時に、聞いていたいような・・・。)
2.”VICTORIA Sacred Works”トマス・ルイス・デ・ビクトリア(1548~1611)宗教作品集 演奏アンサンブル・プルス・ウルトラ アルヒーフ・レーベル 10枚組 6890円 (写真上左)
(ルネッサンス期スペインの宗教音楽の大家、ビクトリアの一大全集であり、今までその中の幾つかの曲を聴いてはいたが、こうしてその全貌に近い全集として聞ける喜び。マイケル・ヌーン指揮のアンサンブル・プルス・ウルトラの演奏も無理がなく、モノフォニーから複旋律のポリフォニーへ向かう時代の、ホモフォニー的な素直な響きが心地よい。新しい録音で、この価格と言うのはありがたい。)
3.”CANTUS COLLN”カントゥス・ケルン全集、演奏コンラート・ユングヘーネル指揮カントゥス・ケルン ドイツ・ハルモニア・ムンディ・レーベル 10枚組 3190円 (写真下左)
(ずいぶん前から活躍している古楽器リュート奏者、ユングヘーネル率いるカントゥス・ケルンの集大成ともいえる全集であり、モンテヴェルディからシュッツ、バッハなどのバロック時代の音楽家たちのオムニバス集であり、ポリフォニーの音の響きを小編成のアンサンブルで楽しませてくれる。これもまたDHMの破格の値段が嬉しい。)
4.”FREIBURGER BAROCKORCHESTER”フライブルグ・バロック・オーケストラ ドイツ・ハルモニア・ムンディ・レーベル 10枚組 3190円 (写真下右)
(バッハ、テレマン、パーセル、ロカテッリなどのバロック時代の管弦楽曲が収められていて、指揮者は今をときめくトマス・ヘンゲルブロック指揮のものだけでなく、フォン・デル・ゴルツ指揮のものも含まれているが、ともかく古楽オーケストラの響きを楽しむには十分である。これもまたDHMの廉価版価格である。)
5.”NURIA RIAL”ヌリア・リアル テレマン・オペラ・アリア集 ドイツ・ハルモニア・ムンディ・レーベル
1枚もの 1590円
(久しぶりに新譜1枚を買った。美しい瞳でこちらを見つめる無垢な少女のような、スペインのソプラノ歌手リアルのジャケット写真を見て、心のどこかに昔の少年の思いを宿しているおじさんとしては、買わないわけにはいかなかったのだ。それもバロックの作曲家テレマンのオペラ・アリア集だなんて・・・夢見心地の一枚でした。)
以上5点だけをあげたのだが、その中でベストはと言われれば、やはり今でもまだ聴いている、1.のセクエンティアのものだろう。そろそろ私にもお迎えが来るのではなかろうか、こんなに昔の知らない時代の歌声にひかれるというのは。
ミャオと私、ふたり、背中に羽根を付けて、このヒルデガルドの作った歌を聞きながら、天国へと登っていく・・・。といい気持ちになったところで、もう一つにぎやかな音楽が聞こえてくる・・・。
『天国よいとこ、一度はおいで。酒はうまいし、ねえちゃんはきれいだ。ブンチャカブンチャカ・・・』(『帰ってきたヨッパライ』より)
あーあ、雑念が多すぎて、とても、今読んでいる『発心集』に書かれた仏教の往生極楽(おうじょうごくらく)どころか、キリスト教の天国へさえいけるかどうか・・・。」