8月21日
今、家の周りでは、秋の花が咲き始めている。すべて黄色い色だ。オオハンゴンソウにキヌガサギク、そして夏の間ずっと咲いていたキツリフネソウである(写真)。
この花は、数年前までは我が家の周りで、ほんの少しだけしか見られない希少種だったのに、この二三年のうちにその繁殖範囲を爆発的に増やして、今や他の花を脅(おびや)かし、小うるさいほどになってきて、幾つかは刈り払うほどになっているのだ。
この花については前にも詳しく書いているので(’08.8.16の項参照)、ここでは触れないけれども、もともとどちらかと言えば湿り気のある土地を好む植物であり、昔と比べれば、家の前に農地灌漑(かんがい)用の排水路が作られて、むしろ家の周りは大分水はけがよくなって乾燥してきたのに、その大繁殖の原因はわからない。
あの外来種の雑草、セイタカアワダチソウなどは見つけ次第引き抜いているのに、それでも増え続けるばかりだが、一方このキツリフネソウは、在来種の上に、何と言ってもその吊り下げた花の形がかわいらしくて、増え続けるそのままにしているのだ。
色からいえば、赤い色のツリフネソウのほうが見栄えがするのだが、九州に戻った時に山の周りではよく見かけるのに、北海道のこの家の周りでは見かけないのが少し残念ではある。
ところで、前回書いた、北海道は涼しいという言葉を早くも撤回しなければならなくなった。
今日も晴れていて28度もあり、暑いのだが、とくに昨日は、どこか空気が重く蒸している感じで、気温が朝から19度もあった。その前の二日間は、朝の気温が13度14度と長袖でないと外に出るのは、寒いくらいだったのに。
さらに、昨日は朝からの太陽が照りつける感じで、気温はぐんぐんと上がり、昼頃にはもう32度にもなってしまった。あの7月終わりの数日続いた暑い日と同じくらいの暑さだ。
北海道の夏は、お盆までと言われていて、小中学校の夏休みも終わり、3学期が始まったばかりなのに。
それにしても、その前の日の涼しいうちに、庭の芝刈り作業を終えていてよかった。
前にも書いたように、道路わきの草と、伸びすぎた庭の芝生などの草を、すべて草刈り鎌による手作業で、少しずつ2週間もかかってようやく刈り終えたのだが、それで家庭用の芝刈り器でも刈ることができる長さになって、改めてその芝刈り器で全体を均一に刈り込み終えたところだったのだ。
もしその時までに刈りそろえていなければ、とてもこの暑さでは外に出る気もしないから、しばらくは庭仕事もできずに草は伸び放題になっていただろう。
暑いとはいっても、内地の猛暑とは比べられないが、日ごろが涼しいだけに、このむっと来る暑さには、もうそれだけで外に出る気がしなくなってしまう。
ただ我が家は、断熱効果が良い家だから、窓を閉めて家の中にいれば涼しいのだ、というより肌寒いくらいなのだ。熱気を入れないように締め切った室内の温度は、22度。外と比べて10度も違うから、効きすぎたクーラーの室内にいるようなもので、少し風邪気味になっているくらいだ。
そこで、一日中部屋の中にいて、ぐうーたらしているのだ。少し前までは、こんな時期には沢登りに出かけていたのに、今はその元気もない。
しかし、夏にあまり動きたくないのは誰でも同じであり、たとえば、あの昔のドイツの作家ヘルマン・ヘッセでさえ、あれほど庭仕事が好きだったのに、夏の暑い日には私と同じように庭仕事はせずに家の中にいたのだ。(3月4日の項で書いている、京都の山里にいるベニシアさんも、同じことだろう。)
「二三週間前から私たちを攻め立てる法外な夏の暑さのために、私はめったに外に出ない。いくつかの部屋の中で鎧戸(よろいど)を閉めきって暮らしている。」
しかし、もちろんのことながら、彼は私と同じように無駄な時を過ごしているわけではない。庭にある大きな(モクレン科の)タイサンボクと盆栽に植えられた小さなイトスギを見ては、思いを馳(は)せるのだ。世の中の楽観主義者と悲観主義者に対して、とくにあの第一次大戦を引き起こした、”いわゆるとても健康な楽観主義”について。
「この絶妙な対照をなす二本の木は、自然界のすべての事物のように、この対立に無頓着に、それぞれが自分自身と、自分の権利を確信して、それぞれがしっかりと、粘り強く立っている。タイサンボクはみずみずしくふくらみ、その花はむせかえるような香りを送ってくる。そして盆栽の木はその分だけいっそう深く自分自身の中に引きこもっている。」
(以上、『庭仕事の愉しみ』 ヘルマン・ヘッセ著、ミヒュルス編 岡田朝雄訳 草思社)
ヘルマン・ヘッセ(1877~1962)は、『郷愁』『車輪の下』などで有名なドイツの小説家であり、モラリストでもあったが、この『庭仕事の愉しみ』は、彼がそれまでに様々な機会に書き綴ってきた、自然に対する思いや庭についての話などのエッセイや詩文集を一つにまとめたものであり、その中には自身の水彩画や写真なども掲載されていて、ヘッセ・ファンならずとも興味深い一冊である。(近年文庫本にもなっている。)
そのヘッセが、ここではいつの世も変わらぬ、対照的な二つの生き方や考え方があることを認めたうえで、歴史としての人間の過ちを冷静に見つめているのだ。
併せて、私たちは今日、日本が抱える様々な国内問題や国際問題を考えないわけにはいかないのだが、はたして私などには、何の手立てがあるわけではなく、ただ安穏(あんのん)とその日その日を送っているだけなのだが・・・。
さて、我が家の庭には、もう見上げるほどに大きく育ったキタコブシの木と、買った時のまま余り成長していない小さなドウダンツツジの木が立っている。キタコブシは春先に花を咲かせ、夏の間は大きな日陰を作るが、秋にかけての落ち葉は掃いても掃いても次から次におびただしい数になって落ちてくる。
一方のドウダンツツジは、花も咲かないし日陰を作るほどでもないが、秋の終わりにその小さな葉が鮮やかに色づいて、その時になってそこにあったことに気づくのだ。
そして、今は暑い日差しの中、それぞれに最初に植えられたその場所に、変わらずに立っているのだ。
私は家の中にいて、ただ本を読んだり、音楽を聴いたり、テレビで録画していた番組をを見たり、全く結構な身分ではある。
そんな中から、気になったものについて幾つかかあげれば、まずは登山関係の番組だが。
8月18日 NHK・BS 『グレート・サミッツ 8000m全山登頂 登山家 竹内洋岳』
彼の最後の8000m峰14座目となる、ヒマラヤ、ダウラギリ峰(8167m)への無酸素・単独登頂のドキュメンタリー番組である。
私たちはすでに彼がこの5月に、日本人初となる14座登頂果たしたことを、テレビ新聞等のニュースで知っているのだが、その時の様子を映像として見るのは初めてのことである。
それは同時中継などがなかった昔のオリンピックで、日本選手が勝ったニュースを知ってはいても、初めてその映像を見る時の喜びと似ていて、成功したことは分かっていても、同時進行の映像の中では、はらはらドキドキしてしまうのだ。
それにしても、空から撮られたダウラギリの、その名の通りの”白い山”の大きさ美しさはどうだろう。まだ測量されていなかったその昔、世界最高峰だとされていたのもうなづける気がする。
4500mのベース・キャンプから、シェルパなどの力を借りずに、仲間のカメラマンと二人で、第2キャンプ、第3キャンプと前進キャンプを設営しながら、いったんベース・キャンプに戻り、日本にいる気象予報士と密な連絡を取りながら、晴れて風が強くないという条件のアタックの日をねらって、じっと待機し続けるのだ。
そして、運命の5月26日に向けてのゴーサインが出るが、仲間のカメラマンは体調不良で第3キャンプ前で戻ることになり、彼はひとり第3キャンプのテントに泊まり、翌日、山頂に向かうのだ。
そして15時間もの単独・無酸素による登行の苦闘の後、夕方5時に山頂にたどり着き、すぐに下山にかかるのだが、夜の闇の中ルートを見失い、途中でビヴァーク(緊急露営)することになる。空気が薄い8000m近い岩稜帯で、それもマイナス40度の寒さの中ひとりで。
翌朝、薄明るくなってきてルートを見つけ下山してくる彼、途中まで迎えに行く仲間のカメラマン。この山で、あるいは他の山で亡くなった昔の山仲間のために、ひざまづき頭を下げる彼の姿・・・。
すべてが、誰かによって書かれたストーリーものではない、筋書きのない、優れたドキュメンタリー・ドラマだった。
さらに奇しくも同じ日に放映されたドキュメンタリーであるが、NHK・BS『体感 グレート・ネイチャー 極寒シベリア 一瞬の夏のスペクタクル』も、私のような地理学ファンにとっては素晴らしい番組だった。
シベリア中央部を、バイカル湖から4500キロ(日本全土の1.5倍)もの長さで北極海へと注ぐ大河、レナ川。半年もの冬期間の間、凍結している川が、5月になって解氷時期を迎え、川幅一面に張っていた氷が割れて、一気に流れ出し、川岸を削り乗り上げうず高く重なっていくそのすさまじさは、まさに初めて見る驚きの光景だった。
それは、あの北海道はオホーツク海側の流氷の接岸時を、早送りの画像で見せられているようなものだったし、さらにあの目に見えないゆっくりとした動きの山岳氷河の流れを、早回し映像で見ているようにも思えた。
なるほど、こうして氷は土や岩を削っていくのかと、まさに”百聞(ひゃくぶん)は一見にしかず”の光景だった。
そして、川がこれらの氷の破片で埋まって水がせき止められ、あたりに氾濫(はんらん)してしばらくは水浸しになるのに、2週間後には水が引き、青草が伸びてきて、辺りは見事な一面の草原になるのだ。
自然災害としか思えない、その川の氾濫を心待ちにして、営々と受け継いできた牧畜業に生きる地元の人々・・・。私たちはこの世界を、自然のことをどれだけ知っているといえるだろうか。
さらにそのレナ川流域に広がる、タイガ(大原生林)の成り立ちが興味深かった。
年間250mmほどしか雨が降らない、乾燥地帯なのに、なぜ、シベリア・カラマツやダケカンバの森になっているのか。
それは、その地下にある永久凍土の存在のためであり、地表に近い部分だけが溶けて苔の多い湿地帯になり、木々に水分を与えるのだ。だからその部分が森林火災などで焼失すると、今まで木々によって守られていた日陰の地表部分が、日光にさらされることになり、永久凍土が溶けだしてしまい、沼や草原に変わってしまうのだ。
(北海道の高山地帯でも、年間を通じて溶けることのない永久凍土が何か所も確認されているが、それとは別に、我が家でもプチ・永久凍土が溶ける現象が見られるのだ。
春先、それまで積もっていた雪が解けだしていき、地表面が見えるようになってきても、いつまでも水たまりのまま残っている場所がある。水はけが悪いこともあるのだが、水たまりのまま1週間、2週間と続くのだ。
そこに穴を掘ってみて、初めて分かった。少し掘ると、シャベルの歯がカチンとあたり掘り進めなくなるのだ。つまり地下はまだ凍っていて、水を通さずにその上にたまっているということなのだ。)
ともかく、こうした地球上の変容ぶりは、最近の地球温暖化でさらに広がっているといわれていて、近年の森林地帯の消失は、このシベリアだけでなく、アマゾンの貴重な熱帯雨林地帯でさえ、人間の手による伐採開発、焼き畑農法などで失われつつあるのだ。
昨日発表されていた北極海の氷の範囲が小さくなっていることなどと併せて考えれば、間違いなく、自然なる神の領域が徐々に失われていると言えるだろう。
自分を産み、育(はぐく)んでくれた母なる自然に対する、人間の何という仕打ちだろうか・・・。
最後に一つ、余り否定的な気持ちで書きたくはないのだが、山好きに評判らしいドラマ、『サマー・レスキュー 天空の診療所』について。
確かに、いろいろな山岳風景が見られるのはいいけれども(北アルプス各地域、さらに南アルプスなどの風景がごちゃまぜでつなぎあわされていて、製作者が十分に山を知らないようにも思えるが)、ともかくドラマの内容がその雄大な風景に比べて余りにも通俗的で、ありきたりのドラマ設定のままで、さらに都会の舞台と同じような大げさな演技が目についてしまう。
厳しく言えば、脚本、演出が今一つであるということもいえるが、それ以上に自然を舞台にしたリアルなドラマにするのか、単なる借り物の自然を背景にしたリアルな舞台にするのか、という視点があいまいなままであり、人気俳優を寄せ集めて作った安易なドラマにしか見えないのだ。
日ごろからテレビのドラマは見ない私だが、これからもドラマを見ることはないだろうという思いを強くした。上にあげた、登場人物の少ないドキュメンタリー『ダウラギリ登頂』の方がどれほど人間ドラマの核心をついていたことか。
今の日本のテレビ・ドラマは、やはりこんなものなのかと考えずにはいられなかった。
そんなドラマを放送するくらいならば、むしろ、ゴールデン帯にあの『北の国から』の再放送をやったらどうだろう。
あの長年にわたって続いてきたたシリーズ・ドラマには、年代の枠を超えて心打つ何かがあったし、30数年たった今でも、あの話は今を生きる若い人たちにも共感できることだろうし、われわれ年代が残すことのできる確かな日本人としての『遺言』になるものなのだが・・・。
(ちなみに『遺言』はこの『北の国から』ドラマ・シリーズの最後の一編である。)