ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(130)

2010-11-14 21:33:49 | Weblog



11月14日

 拝啓 ミャオ様

 冷たい雨が降り、強い風が吹いて、林の中の紅葉はすべて落ちてしまった。
 毎日、雪のように降り落ちるカラマツの黄葉は、道に、家の屋根に、庭に畑に、降り積もり、あたり一面が、黄金色に被われてしまった。
 昨日は、快晴の空が広がる一日だった。すっかり見通しの良くなったカラマツ林の間から、白くなった日高山脈の山々が見えた。
 いつもの冬型の気圧配置だから、山々の稜線には雲がついていたが、午後にかけて、中部から南部にかけての山なみを見ることができた。
 その中でも、一際目を引いたのは、ヤオロマップ岳(1794m)である。名峰が立ち並ぶ、日高の山の中では余り有名でもない山だが、昨日はちょうどその辺りだけが、スポットライトを浴びたように白く輝いて見えていた。
 左奥に1839峰の鋭鋒がそびえ立ち、その手前に、南峰、本峰、北峰と長い山体が続いている。(写真)
 本峰から東に伸びる、ペテガリ岳へと続く従走路の尾根の両側には、カール(氷河圏谷)状に開析された、急斜面の谷ひだまでもがよく見える。

 そのヤオロマップ岳には、二度、登ったことがある。いずれも沢歩きからまずコイカクシュサツナイ岳に取り付き、ヤオロマップ岳、そして1839峰へとの縦走の時である。
 最初の時は、まだ雪の多い5月で、ヤオロマップ南峰まで行って、そこから見た細い尾根上に続く、崩れかかった雪被(せっぴ)に恐れをなして、1839峰に向かうのをあきらめてしまった。
 しかし数年後、今度は、7月の初めに再度同じコースをたどり、念願の1839峰に立つことができた。
 快晴の空の下、他の日高の山々を眺めながら、ひとりだけの頂上に1時間近くもいたが、去りがたい気持ちだった。(前回の時には、誰にも会わず、今回も、戻る途中で一人に出会っただけだった。)
 テントを張ったのは、その時は本峰だったが、その前の時は南峰だった。日高の山に登って、山頂にテントを張るのは、私の大きな楽しみの一つでもある。(前回のテント泊は、カムイ岳。’09.5.17~21の項参照)

 風の吹きさらしになることを覚悟し、水の確保にめどがつけば、あれほど素晴らしい場所はない。山頂は、ヒグマの通り道にはなっていない場合が多いから、むしろ水場に近いコル(鞍部)にテントを張るよりは安全な気がする。
 ただし、たった一人で、風がばたばたと吹き付けられるテントの中では、とてもぐっすりと寝ることなどできないけれども、頂上から見る朝夕の赤く染まる山々の景観は、それらの不便さに換えて余りあるほどだ。
 
 大自然の朝夕に繰り返される、光と闇の交代の儀式に、ただ一人参列することのできる喜び・・・。その時に、私はほんの少しだけだが、永遠へと近づけたような気がするのだ。
 生きることとは、そこへと歩み寄って行くことなのかもしれない。何ものも変わることのない永遠、自分の来るべき死に向かってへと・・・。

 そんなことを、今になって思ったのは、またしてもめまいがして、少し気分が悪くなり、朝遅くまで寝ていたからである。私は、別に何も恐れてはいないが、今の体の具合が悪いことが、いやなだけだ。何もできずただ寝ているだけということが。
 しかし、頭も痛いから、風邪かもしれないと、前にも書いたように、薬を飲まずに、例の首筋後頭部のカイロ貼りハチマキ・スタイルでいたら、昼前には、直ってしまった。
 そして、いつものように動けるようになって気づくのは、その普通に行動してぐうたらにすごし、何事もなかった毎日のありがたさである。

 今年はとうとう、初冬の雪山には、あの美瑛岳(10月23日の項)に登ったきりになってしまった。しかし、今こうして少し体調を崩し、思うのは、どこにも出かけられなくても、ただ普通に家に居て、静かに暮らすことができれば、それだけでも十分だということだ。
 家の窓から見える、青空と雲、雪の日高山脈の山々、すっかり葉を落とし細くなってしまった林の木立・・・あとは雪が降り、辺りをすべて白く被い尽くすのを待つだけの、光景。
 私が好きなのは、それからの季節だ。

 真冬の晴れた日には、しっかりと着込んで、長靴を履いて外に出る。-20度の寒さの中、軽い雪を踏み分けながら裏山まで歩いて行く。深い藍色の空の下、白雪の日高山脈が並んでいる。
 私の登ったそれらの山々と、一人きりで向かい合うひと時・・・。
 あれがポロシリ、あれがカムイエク、あれがペテガリ、あれがピリカヌプリ・・・美しい響きのアイヌ語で名づけられた山々。

 雪の降る日は、薪(まき)ストーヴの燃える暖かい部屋の揺り椅子に座り、小さく音楽を流しながら、本のページをめくる。いつの間にかウトウトとしてしまう・・・夢見心地は永遠との境目・・・。

 あの良寛和尚(りょうかん、1758~1831)の有名な漢詩の一編。

 「生涯 身を立つるにものうく
  とうとうとして 天真に任(まか)す
  嚢(のう)中 三升の米
  炉辺 一束の薪
  誰か問わん 迷悟(めいご)の跡
  何ぞ知らん 名利の塵(ちり)
  夜雨 草庵の裡(うち)
  双脚(そうきゃく) 等間に伸ばす」
 
 これを私なりに訳すれば、「私は、これまで立身出世をする気にもならず、ただ天運に任せて生きてきた。袋の中に3升の米があり、囲炉裏(いろり)の傍に一束の薪(まき)があるだけだ。世の中で言われる迷いや悟りにとらわれて、名利を追い求めるなど、結局はチリのようなものなのに。夜、雨が降っている。みすぼらしい家だが、ひとり体を伸ばして休めることのありがたさ。」 ということになるだろうか。

 しかし、九州ではミャオが待っている。私も、ミャオに会いたいし、ミャオのニャーと鳴く声を聞きたい。
 そして、九州では、冬中には、片付けてしまわなければならない、大きな区切りの一仕事もある。

 それらは、私の義務でもなければ、負担でもない、ただやるべきことである。私は、北海道を離れて九州に行く。それだけのことだ。また春になれば、ミャオと別れて、北海道に向かう・・・。
 繰り返されることは、いつしか永遠へと向かう道にもなる。

 ミャオ、もうすぐ行くからね。元気でいておくれ。

                      飼い主より 敬具

 


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