ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ウツボグサと「ライムライト」

2012-07-22 17:42:53 | Weblog
 

 7月22日

 雨が降ったりやんだり、薄日が差したりという毎日が続いている。九州地方は、まだ梅雨が明けていないのだ。
 一方で、関東から中国地方にかけてはすでに梅雨明け宣言が出されている。それなのに、それらの地方でも雨が降っているのだ。

 私が九州の家へは帰ってきたのは、幾つかの用事があったために、そして家の中や庭などの掃除片付けをするためだったのだが。それには1週間もあれば十分だったし、その後で、いつもの内地の山への遠征登山に行くつもりだった。
 もうミャオもいないのだから、他に気にかけるべき相手もいないし、後は自分の山の計画だけを考えていればよかったのだ。そして今年は欲張って、二つの山域への登山を計画していた。
 しかし、梅雨明けとその後の天気が一向に安定しないのだ。

 まず海の日をめぐる3連休は、山は混むだろうから出かける気はなかったのだが、天気も良くはなかったようだ。そのすぐ後の17日に梅雨明け宣言が出されて、それから三日間は天気も良く、全国的な猛暑日になっていた。しかし、長期予定で山に行くつもりの私は、まだ出かけられなかった。
 それは、梅雨明け宣言をした権威ある気象庁と、梅雨明けに疑問符をつけていた民間気象予報会社との、その後の週間予報が、特に週の半ばの三日間の予報が異なっていたからだ。
 気象庁は半分お日様マークなのに、民間会社の方は半分傘マークになっている、どちらを信用するか。

 私は、待つことにした。天気が悪くて山小屋にじっとしているのは、たとえ他にいいことがあったとしても、やはり退屈なのだ(’08.7.29~8.2の項参照)。私は、山歩きに来たのだから。
 その上に、若いころと比べれば体力が落ちてきていることを実感しているし、山は逃げないからまた次の機会になどと悠長なことは言っていられないのだ。
 今回逃せば、もう二度とその山には登ることができないかもしれない。陳腐(ちんぷ)な言葉なので余り使いたくはないが、これからの山は一期一会(いちごいちえ)の思いを込めて、それにふさわしい天気の良い日に登りたいのだ。
 最近は、そんな気構えで、私は登るべき山の計画を立てているのだ。なんというぜいたく。

 若い時には、金も時間もないから、天気はその時の運次第という山登りでよいのだろうが、年を取ってくると、プチ小金はあるし時間的余裕もあるから、それならば当然、山も天気でなければとイヤだと、ごうつくばりジジイの本性が現れてくるのだ。
 つまり、天気のいい日だけを選んで山に登ることにして、そのうえ楽なコースを選んで、行程は短かめに、荷物は軽めにして、ゆっくり周りの景色や花々を楽しんで、わがままぜいたくし放題の山歩きをしたいのだ。

 それにしても、ああ、何と強欲な浅ましい生き方だろうか。こと山登りに関する限り私は、あのシェイクスピアの『ヴェニスの商人』のシャイロックや、ディケンズの『クリスマス・キャロル』のスクルージのような、卑(いや)しい男にまでなり下がってしまったのだろうか。
 いやそうではない。私は彼らのように、ただ自分の利益だけにしがみつき、誰かを困らせ、害しようとしている訳ではない。あくまでも自分の生活圏、経済圏の中だけの可能な範囲で、少しぜいたくにやってみたいと思っているだけのことだ。

 もう、母やミャオに迷惑をかけることもない。
 二人がいなくなった今、私はあらためて二人のそれぞれの人生、猫生を振り返ってみないわけにはいかなかった。そして、私の人生のことも。
 それは、今生きていることのありがたさを感じ、あと幾ら残っているかも分からない自分の人生の時間へと思いはつながっていくのだ。

 もっとも幾ら楽をしたいとはいっても、しょせんは山登りのつらさで、息は切れぎれ、汗はだらだら、足はよたよたと苦しいことに変わりはないのだが。
 しかしそこはそれ、山の女王様にむちで叩かれて、ゼイゼイ言いながらも、やっとのことで頂上にたどり着いた時の歓喜の思いたるや・・・あへー、たまりません。
 中学生のころから始めた山登りは、「スズメ百まで踊りを忘れず」、「三つ子の魂百までも」ということなのだろうが。

 私は、初めの予定からさらに一週間以上も延ばして、この九州の家で待つことにしたが、それは決して無駄な時間ではなかった。他の仕事もできたし、ネットで新たな情報を知ることができたし、ゆっくりCDを聴いて本を読むこともできたし。
 そして、何より北海道の家と比べてこの家でありがいことは、もう何度も書くことだが、水が自由に使えるということだ。それは、普通の家庭ではごく当たり前なことに過ぎないのだろうが。

 ここにはちゃんとした水道が引かれていて、北海道の家の浅井戸のように水をチビチビとけちって使わなくっていいから、まずは水洗トイレがあり、風呂にも毎日入れるし、蒸し暑い日は二度も三度も体を洗えるし、その残り湯で毎日洗濯ができて、毎日洗ったばかりのパンツにTシャツも着られるのだ。
 ということは、北海道での生活は何だ、おまえはクマかと言われそうだが。はい、私、不肖(ふしょう)鬼瓦権三(ごんぞう)またの名を熊三(くまぞう、くまさん)でございますから。

 昔、シャワー便座が初めて売り出されたころ、”おしりだって洗ってほしい”とかいううたい文句があったが、それを借りれば、この家の心地よいアメニティーでのうたい文句は、“こんなクマだって洗ってほしい”ということになるだろうか。とはいっても、この家でも相変わらず人肌温め式便座の、旧式水洗トイレのままなのだが。

 ともかくそうして、天気が安定してくるのを待っていたのだ。ただし、今度は別の問題が起きてくる。
 つまり天気は選べるけれども、予定の日での出発が遅くれたことで、学校が夏休みに入り、山は登山者で混雑する期間に入ってしまったのだ。ああ、あちらをたてればこちらがたたずと、とかくこの世はむずかしいものだ。

 あれこれ考えても仕方ない、今はただ、夏の太平洋高気圧が張り出してきて、天気が安定してくるまで待つしかないのだ。
 幸いにも、ここは山の中で周りに木々も多いからいくらか涼しくて、気温はまだ30度まで上がったことがない。しかし北海道と比べれば、空気が蒸し暑くて、気温以上に暑く感じる。
 ミャオがいなくなったから、ひとりで散歩に出かけることも少なくなったのだが、道は昔ミャオと一緒に歩きまわった同じコースをたどって行く。そこここに、ミャオが歩いていた時の姿がよみがえってくる。

 すると道端に鮮やかなコバルトブルーの青い色が見えた。ウツボグサだ(写真)。昔は、もっと群れをなして咲いているのを見かけたものだが、今ではすっかり少なくなってしまって、それだから一輪だけ咲いていると余計に目立つのだろう。
 
 ウツボグサという名前は、どうしてもあの海の悪役、ウツボを思い出してしまうがそれとは関係なく、昔の侍が背に背負っていた、矢を束ねて入れる細長い武具から来ているとのことだ。
 名前は、靫あるいは空穂という字をあてている。つまり、う・つぼではなくて、うつ・ほ(ぼ)なのだ。さらに描かれているその武具の絵を見て、なるほど花の形に似ているところがあると納得する。

 他にも同じ名前で気になるのは、平安時代に書かれた『宇津保物語』(著者は源順(みなもとのしたごう)とも言われている)である。
 あの偉大なる『源氏物語』に先立って書かれた長編物語だが、私は昔その冒頭部分を少し読んだだけで(角川文庫)、その伝奇的な出だしくらいしか憶えていなくて、調べてみると、貴族社会における琴の名手の三代記であり、“うつほ(ぼ)”という名前は、その武具の靫からではなく、主人公の母子が貧しさから木の空洞(うつほ)に隠れ住んでいて、そこからとられたものだということであった。
 他人ごとではない。その昔、母とまだ子供だった私は、長い間、あちこちでの一間暮らしの間借り生活だったのだ。
 
 話がすっかりそれてしまったが、その咲き始めたばかりのウツボグサの鮮やかな色合いを見ると、併せて思うのはのはマツムシソウである。
 その花は夏の終わりのころ、ここよりはもう少し高い山や高原で咲き始めるのだが、九重の牧ノ戸峠周辺には、何度も母を連れて行ったことがあり、そこでウツボグサよりは浅い色合いだけれど形がきれいなマツムシソウを見つけて、母が声をあげていたのを思い出す。

 母もミャオもいないこの家で、ひとりで過ごしてもう2週間にもなる。最初は、日々ミャオや母のことを思い出してはつらくて、早くこの家から離れたいと思っていたのに、日がたつにつれて、それも収まりいつしかひとりでいることに慣れてきてしまった。
 もう今まで何度も、このブログに書いてきた言葉だが、あのチャップリンの映画『ライムライト』(1952年)でのセリフの通りなのだ。

 『時は偉大な作家だ。つねに完璧な結末を書きあげる。』

 『死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ。』

 『人生に必要なものは、勇気と創造力、それにほんの少しのお金だ。』

 どんなに苦しくつらいことでも、時がたてば少しずつその悲しみを和らげ、忘れさせてくれるものなのだ。また、どんなにうれしく楽しかった思い出も、時がたてば、古い写真のように色あせてしまい、いつしかそれを語り合う相手さえいなくなってしまうものなのだ。

 だからこそ、私たちは、新たな情景が待っているはずの明日を目指して、ひとりでも生きていくのだ。
 そして、いつの日か終わりの日が来るだろう。しかし、それがどんなものかは誰も知らぬことだから、むやみに恐れる必要もない。まして彼岸の国に、死者たちが待っているとすればそれはそれで楽しみことではないか。

 『・・・しかしともかく、もう立ち去るべきときである。私は死ぬために、諸君は生きるために。しかしわれわれのいずれがより大きい幸福へとおもむくことになるか。それは誰にもわからない。神様よりほかには。』

 (『ソクラテスの弁明』プラトン著 山本光男訳 角川文庫より、裁判の場で死を覚悟したソクラテスの言葉であるが、諸君とは死刑の判決を下したアテネ市民である裁判官、評議員を指している。)
 
 
 

 

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