ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ウメとヤマモモ

2016-07-18 21:36:21 | Weblog



 7月18日

 今日は、梅雨の晴れ間というべきか、いやそれ以上の、素晴らしい快晴の空が広がっていた。
 (その後気象庁からの発表があって、西日本では梅雨があけたとのことだが、天気図では前線も残っているし、高気圧も弱いし、いささか気にはなるが。)

 こうしたさわやかな夏空の下では、山歩きをするには、最高の天気だろう。
 もちろん、ここ九州の山では、日差しが強すぎるし、北アルプスで見るような残雪もないし、ただ裸地の山の尾根道を歩くのは嫌だから、こういう時には展望が第一の私でも、森林帯の中の、木漏れ日が差しているような山道を歩きたい。
 あるいは、沢登りで谷を詰めて頂上を目指すのもいいが、もう沢から離れて数年近くになるし、体力的にというよりは、バランス感覚が衰えてきていて、岩の上を飛び伝いに行くことができるのかと心配でもある。
 もっとも、それ以上に今の私は、痛めているヒザの状態が依然思わしくなく、山どころではないというのが本当のところだ。
 
 そして、さらには、ここでの短い間の滞在の間に、幾つかの用事や仕事をすませてしまわなければならないのだ。
 庭仕事では、生垣や植え込みの剪定(せんてい)に、庭の草取りと芝生の草刈りなどがある。
 それも今までは、雨の日が多かったから、遅れ気味になってしまい、こうして晴れ間がのぞいた時に、一気にやろうとするから余裕がなくなって、そのうえ九州の蒸し暑い夏だから、少し動いただけで汗が吹き出し、ポタポタと落ちる汗をぬぐっての仕事となる。
 北海道でも、同じように暑くはなるが、湿度が低くさわやかな風が吹いているから、まだましだともいえるし、家の中に戻れば冷房の効いた部屋にいるようで、それまでの汗もすぐに引っ込んでしまうほどだ。
 
 しかし、この九州の家では、どんなに暑くとも、もちろん部屋にクーラーはあるし、それ以上に何よりすぐに風呂に入れるのが一番なのだ。
 いつも、昨夜の残り湯をそのままにしておいて、洗濯にも使うのだが、こうした時に、汗まみれの体で気持ちよくぬるま湯の風呂につかって、さっぱりできる。
 そして、風呂上がりに、買っておいたスイカを食べる。たまらん、生きている喜びは、ここにあるのだとさえ思う。
 前にもここで書いたことがあると思うけれども、スイカの残りは、自分の歯型のついた赤みのところは、もったいないので包丁で切り取って、そこに練乳などをかけて夕食後のデザートにして食べるし、その残りの薄赤い白い部分は、外側の緑の縞模様の部分を除いて切り取って、軽く塩もみをして一夜漬(いちやづ)けにして、たっぷりとカツオブシをかけて食べる。
 熱いごはんとこれだけでも、十分な夕食になるくらいだ。

 このスイカの皮の一夜漬けは、子供のころから、農家出身の母が作っては出してくれていたもので、今や私の夏の間の大切なおかずの一品になっているのだが、北海道の友達の家でその話をしたところ、農家出身の友達の奥さんともども、「子供のころから、そんなことはしなくても、家には十分に食べるものがあったから、食べ終わったスイカの皮はそのまま”なげて(すてて)”いた」と言われて、少しさげすまれたような・・・。

 はい、私は貧乏階級の出身です。もったいない”と、”けち”の性分が身にしみついておりまして・・・もっともそれだからこそ、昔からの貧乏性の節約家だからこそ、今もこうして食べるに困ることもなく、幸せな気分で毎日を送っていけるわけであって、私は、金持ちになりたいと思ったこともないし、世界中のグルメ珍味など食べてみたいなどと思うどころか、日本の一流料理店にさえも行ってみたいとは思わないのだ。
 まあそれは、私が食通の舌を持っていない、ただ食べられればいいというだけの人間だからでもあり、トリュフ”も”キャビア”も”北京ダッグ”さえも興味はなく、そんなものよりは、今ここで、熱いごはんにのせて食べる、たっぷりのカツオブシにまぶしたスイカの皮や、北海道の秋にとれるカラマツの”ラクヨウタケ”、その三杯酢醤油であえたものを、これまた熱いごはんにのせて食べる楽しみに勝るものはないとさえ思っているからだ。

 情報があふれている現代だが、実は世の中には、知らないでいいこともたくさんあるのだと思う。
 知るべきことと、知らないでもいいことが、今の時代にはあまりにも多すぎて、私のように懐古(かいこ)趣味にとどまり、昨今の流行ものに関する情報処理能力に欠ける人間には、田舎暮らしこそがよりふさわしい所だということだろう。

 さりとて、こうした私の生き方は、本当にこれでよいのかと小さな不安を感じないわけでもないのだが、そうした時にこそありがたく思えるのが、何者にも代えがたき、心の支えにもなるような、偉大なる先達(せんだつ)たちがいることである。
 それは、今までにもここで何度も取り上げてきた『方丈記』の鴨長明(かもちょうめい、1152~1216)と『徒然草』の吉田兼好(兼好法師、1283~1352)の二人であるが、今回はその中でも、『方丈記』の中からの一節を取り上げることにする。

 「・・・。
  人に交(まじわ)ざれば、姿を恥ずる悔いもなし。
  糧(かて)乏(とぼ)しければ、おろそかなる哺(ほ、口に含んだ食べ物)をあまくす(おいしくなる)。
  すべて、かようの楽しみ、富める人に対して言うにはあらず、ただわが身ひとつにとりて、昔今(むかしいま)とをなぞらえるばかりなり。
  それ三界(さんがい、輪廻’りんね’する欲界、色界、無色界)はただ心ひとつなり。

  心もしやすからずは、象馬七珍(ぞうめしっちん、象や名馬に珍しい宝)もよしなく、宮殿楼閣(ろうかく)も望みなし。
  今、さびしき住まい、一間の庵(いおり)、みずからこれを愛す。
  おのずから都に出でて、身の乞匃(こつがい、乞食)となれる事を恥ずといえども、帰りてここにをる時は、他の俗塵(ぞくじん)に馳(は)することをあわれむ。
  ・・・。」 

 (『方丈記』鴨長明 神田秀夫校注 日本古典文学全集 小学館) 


 さて、この夏も暑さを覚悟で九州に戻ってきたのは、他にも様々な用事や家仕事があったにせよ、どうしてもウメの実の時期に合わせて帰ってきたかったからである。
 私の、個人的な健康食品であるウメ・ジャムづくりをするためだ。
 しかし、帰ってきてみると、なんと今年はそのウメの実が少ないのだ。下に落ちてもう腐り始めているものが半分くらいはあって、翌日にまたいくつか新たに落ちていて、それを合わせてもザルいっぱいもなく、それだけで
もうウメの木の枝に実はなかった。
 つまり今年も去年と同じ不作の年で、出来上がったウメジャムは大ビン一つに中ビン一つだけ。
 最も多い年には10何個もの量があったのに(’14.7.21の項参照)、それでもまだ作り切れずに、半分ほどのウメの実は捨ててしまったほどだから、確かに今は一つ一つの実が大きくなってきてはいるが、春先にあれほどの花が咲いていたというのに、今年も不作になったのが信じられないくらいなのだ。
 やはり十分な肥料を与えなかったということか、私の立ちションでは効かなかったということか。
 まあそれでも、帰ってくるのが二三日でも遅ければ、もうすべての実が落ちて腐りかけていて、ジャムづくりさえもできなかっただろうし、それを考えれば、これだけでも作れたのだから、不幸中の幸いだと思うべきなのだろう。 
 

 そして、そういう不作の年もあるだろうと思って、すでに今までに作っていたウメジャムを冷蔵庫に保管していて、それが全部で5個もあり、そのうちの一つは大びんの2倍はある特大びんだから、合わせて7ビン以上もあることになり、まだ3年ぐらいはもつだろう。
 ちなみに、今は取りに行くのが面倒ですっかり作らなくなった、北海道で作っていたコケモモの大びんが2個ある。もう10年も前のものだが、煮沸(しゃふつ)消毒瓶詰で冷蔵庫保存だから、私にとっては消費期限はないも同然で、いつでも食べることができる。

 『枕草子(まくらのそうし)』ふうに言えば・・・すさまじきもの、ため込んだジャムのびんを眺めながら、冷蔵庫の明かりに照らし出されてニタリと笑う、年寄りの横顔。

 それにしても、今年作ったウメジャムの量が少なくて気になっていたので、少し離れた所にあるいつものヤマモモの木の下に行ってみると、今年はもう足の踏み場がないくらいに落下散乱していて、木になっている実はもう数少なかった。(写真上)
 その落下しているもののうち、半分以上は痛みかけていて、その中からきれいなものだけ選んで持って帰り、きれいに水洗いしてさらに選別して、ヘタの部分を取り除き、そのまま鍋で煮て、それを裏ごしする段階でタネを取り除き、砂糖を加えて煮詰めて、ようやく大ビン1個分のヤマモモ・ジャムが出来上がった。
 三日前に作ったウメ・ジャムと合わせても、今年はわずか3個だけのさびしい年になってしまった。(写真下)
 これでは少なすぎる、もう一ビンくらいは作っておかなければと思っているのだが。



 
 こうして、ジャムづくりや庭仕事などは何とか終わらせたものの、梅雨明け後のいつもの遠征登山への決心はつかないままだ。
 違和感の残るこのヒザでは、とても縦走登山などはできないだろうし、交通機関を使って高い所まで上がり、日帰りで登れる高い山となると限られてくるし、立山か西穂高かそれとも乗鞍くらいだろうが、今一つ一日だけで行くにはもったいない気もする。
 一番いいのは、ヒザのことを考え、このままどこにも行かずに北海道に戻って、再びぐうたらな生活を続けることだが、それもなんだかなあー。

 とはいっても、私の好きなものは他にもあるし、特にこのところ、テレビ各社が夏の歌番組として長時間にわたる生中継放送をしていて、わがAKBグループも、そのすべてのチームが、AKBにSKE、NMB、HKTそして乃木坂、欅坂(けやきざか)と総出演の大盤振る舞いで、それらを長時間録画して、他の歌手たちのところは削除して、AKBグループのところだけに編集していかなければならないのだ。
 もっともそれが、後でAKBグループだけのメドレーとして、繰り返し見ることができる楽しみにもなるのだが。
 あらためて言うけれど、私は秋元康の作詞による歌を歌うAKBグループが好きなのであって、他のアイドル・グループに興味はないのだ(まして、ジャニーズ・グループの下手な男の子たちの歌など、とても聞く気にはなれないし)。
 まあ、その他の有名歌手たちの歌も一応は聞いてはいるが、録画保存したいとまでは思わないのだ。

 というわけで、ウメ・ジャムに不足し、山には登れずと、不遇(ふぐう)をかこっているような私でさえ、こうしてテレビでAKBを見る楽しみがあるということは、実にありがたいことなのだ。

 この孫娘たち、AKBグループのそれぞれのメンバーたちが、その後どのような人生を歩んでいくのか、もはや生きてはいない私のあずかり知らないところではありますが、なるべく多くの娘(こ)たちが幸せになれますようにと、じいさんは陰ながら祈るばかりであります。

(またしても、書き込み中に他のキーボードの部分を触ってしまい、一瞬にして書体や大きさまでもが変わってしまった。いつもの字体に戻せないままで投稿することになったが、他意はなく、あくまでも私の不手際によるものである。) 

 

 


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