ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(110)

2010-08-01 18:38:52 | Weblog


8月1日

 拝啓 ミャオ様

 前回からの、飯豊(いいで)山登山についての続きを書くことにしよう。
 杁差(えぶりさし)岳避難小屋に泊った翌朝、今日は御西(おにし)小屋まで行くという若者は、早く起きて、4時過ぎの日の出のころには、一人で出て行った。
 外は、快晴の空だった。赤く染まった東の空の彼方に、朝日連峰や蔵王の山々がシルエットになって見えていた。もちろん、目の前の飯豊主稜線の山々も、昨日の夕方と同じ姿で、くっきりと見えていた。
 何よりも心配だった自分の体だが、足腰の筋肉痛もなく、朝の食欲も十分にあった。ということは、昨日のあのバテ方は、やはり熱中症になりかかっていたからなのだろう。

 5時過ぎに小屋を後にする。鉾立(ほこたて)峰を越えて、昨日登って来た、足の松尾根の分岐である大石山(1567m)に登り返す。振り返ると、見事な青空の下に、わずか1636mの山とは思えない堂々とした姿で、杁差岳が鎮座している。
 しかし、そこでの思い出に長く浸っているヒマはなかった。そこから南にたどる、たおやかに広がる稜線上のあちらこちらに、あのニッコウキスゲなどのお花畑が散在していたからだ。
 行きかう人も稀にしかいない道で、何度も立ち止まり、景色を見続けた。青空、くっきりと見える山々、お花畑、その誰もいないひと時の、何という幸せな時間だろう。

 少し登った先にある、水の豊富な頼母木(たもぎ)小屋で一息ついた後、地神山(じがみやま、1850m)に登るころから、早くも雲が広がり始め、次の門内(もんない)岳へと稜線をたどる頃には、もうガス(霧)の中を行く有様だった。
 しかし、今日の最後の北股岳(きたまただけ、2025m)へと向かう頃には再び、その雲が取れて、辺りの景色を眺めることができた。さらにその道の途中では、あのイイデリンドウやヒナウスユキソウなどの花々に、何度も会うことができた。

 梅花皮(かいらぎ)小屋に着いたのは、1時前だった。しかし辺りはすっかりガスに閉ざされていて、何も見えなかった。御西小屋まで行けないこともないだろうが、景色の見えない中、歩いて行くのはいやだった。まだ先もあるし、予定通りに、そこに泊ることにした。
 昨日の小屋と比べれば、それぞれの登山コースのポイントにもなる小屋だから、十数名のツアー客を含めて、二十数名が泊っていた。(それでも少ないそうだが。)
 
 翌朝、強風とガスの中、そのツアーの一行は、5時には出て行った。私は、この4日間の飯豊登山の計画に、二日間の予備日を用意していた。
 だから何も急ぐ必要はないのだが、天気予報は、二日後には崩れるとのことだから、ここで待つわけにはいかないのだ。仕方なく、私も吹きつけるガスの中、5時半には出発した。
 穏やかな稜線の下をたどる道は、幾つものお花畑や雪渓を横切って行き、晴れていれば左に飯豊本山(2105m)、右に大日岳(2128m)の雄峰を眺めながらのコースなのにと、ただただ残念ではあった。

 4時間ほどで、御西小屋に着く。今日の予定はここから、この飯豊連峰の最高峰である、大日岳を往復するだけなのであるが、展望のない道を歩いただけの登山をしたくない私は、そのまま小屋の中で休んでいた。
 しかし、昼過ぎになって、白一色の空が幾分明るくなり、晴れてくるかもと思い、一応、サブザックにカメラなどを入れて、歩き始めた。霧が流れていても、所々にお花畑が見える緩やかな丘陵状の道は、気持ちが良かった。
 時々、さーっと霧が晴れて、ニッコウキスゲの斜面の下に、残雪の谷が見えていた。最後の30分ほどの登りで、大日岳の頂上に着く。頂上標識だけが立っていて、ただ強い風が吹きつけ、白いガスが辺りを取り囲んでいた。

 そこで1時間近く待ってみた。しかし霧は晴れなかった。
 若い頃の話だが、晩秋の妙高に登るべく、高谷池の小屋に泊り、悪天候のままそこで二日を過ごし、次の日の朝、まだ雲の中にある新雪の火打山(2464m)に登り、そこで3時間近く待ったことがある。
 しかし、晴れてはくれなかった。あきらめて下り、妙高山(2454m)の登りにさしかかった頃から、白い空の一点に青い色が見えたかと思うと、見る見るうちに青空が広がり、頂上に着く頃には、快晴の空になっていた。
 大きな岩の上に上がり、そこから、鮮やかな新雪に彩(いろど)られた北アルプスの峰々を眺めた。そして、ふもとの赤倉温泉に下るまでの間、ただ一人の登山者にも出会わなかった。
 
 そんなことを思いながら、大日岳で待っていると、一人の若い女の人が登ってきた。挨拶して少し話すと、何と彼女は北海道出身であり、夫の転勤で、今は北関東の町に住んでいるとのことだった。
 しかし、それ以上に驚いたのは、彼女の健脚ぶりである。今朝、福島県側の川入(かわいり)、御沢(おさわ)口から登り始め、飯豊本山からこの大日を往復して、私と同じ御西小屋に泊るというのだ。
 コースタイムで言えば、15時間ほど、つまり今ではそのコースタイムどおりの時間がかかる、中高年の私にとっては、ちょうど二日分に当たる距離だった。
 北海道にいた頃、山岳会で活動したということだが、その足の速さには驚くばかりだ。私は、思わず、”エゾシカねえさん”と呼んでしまった。

 その夜、御西小屋に泊ったのは、二人連れの他は彼女を入れて単独行者が4人、それぞれに10時間以上かかる長いコースを登ってきた人たちばかりだった。大きな図体で、恐ろしい鬼瓦(おにがわら)顔の私は、今日わずか7時間ほど歩いただけだった。
 だからといって、体を小さくしなくても、彼らと山の話をしているのは楽しかった。さらに、夏期だけの管理人である、この小屋のオヤジさんとの話も面白かった。
 明日天気が良くないとしても、もう下るだけだし、この飯豊の山の良さは分かったのだから、山が逃げる前に(7月28日の項)、もう一度登りに来ればいいのだ。

 翌朝、風は弱まったものの、依然ガスがかかったままだった。5時過ぎに小屋を出て、なだらかなお花畑の道を歩いていると、突然霧がとれて青空が見えた。そこには、残雪に彩られた雄大な、飯豊山の光景が広がっていた。
 その後再び、ガスに包まれての繰り返しだったが、十分にその眺めを楽しむことができた。飯豊本山の山頂で、後から出て私に追いついたあの”エゾシカねえさん”は、先に下って行って、すぐに見えなくなった。
 北海道の大自然の林の中で、走り去っていくエゾシカのように、爽やかな一陣の風を残して。

 頂上から下る途中、地元の催しの集団登山である、数十人もの行列に出会った。明日、日曜日の天気はどうだろうか。
 草履塚(ぞうりづか、1908m)の登りから振り返ると、お花畑の斜面の向こうには、頂上が雲に隠れた大日岳があり(写真)、さらに飯豊本山の残雪に彩られた稜線も見えていた。

 種蒔山(たねまきやま、1791m)、三国岳(1644m)、剣が峰の岩場と、またしてもの暑い日差しに照らされながら、ひたすらに下り続ける。さらに、ブナの大木の続く尾根を下りきると、ようやく、御沢の登山口にたどり着いた。
 そこには、大白布沢の流れがあって、私は辺りに誰もいないのを幸いに、洋服をすべて脱ぎ捨てて、川に入った。
 冷たい。しかし、気持ちいい。頭ごと水に入って、四日分の汗を流した。パンツもそのまま水洗いをして、はきなおす。下からきゅんと、体も引き締まるのだ。
 
 後は、キャンプ場、駐車場から、再び夏の日差しに照らされながら、川入の集落へと歩いた。まだ2時半だったが、一日2本のバスには間に合わなかったし、かといってタクシーにまで乗って先を急ぐ必要もないので、そこの民宿のひとつに泊ることにした。
 
 一日目の、熱中症気味のバテバテぶりからすれば心配だったが、ともかく計画の予定通りに歩いて、無事に下まで降りられたことに感謝したい。ありがとう、母さん、ミャオ。お二人の、御加護(ごかご)のおかげです。
 飯豊山は、期待以上に素晴らしい山だった。そこに咲く花々については、イイデリンドウ、ヒナウスユキソウ、ニッコウキスゲ、ヒメサユリなどの他にも数多くあり、それだけで長い話になってしまうので割愛するが、なんといっても残念だったのは、後半の天気が良くなかったことであり、一、二年のうちに(山が逃げていかないうちに)、ぜひ、あの霧で見えなかった部分を歩き直さなければならない。私の正当な、飯豊山の評価のためにも。
 そして、あのフランスの詩人、フランシス・ジャムふうな私の祈り・・・。

 「神様、この、哀れな年寄りのために、その時のために、今一度の力をお与えください。
 大きな体と態度の鬼瓦顔ではありますが、常日頃から自然の中の木々に囲まれて暮らし、その木々や草花たち、そして生き物たちを愛しておりますれば、時々、邪魔になる草や木を引き抜き、蚊やアブを叩くことくらいは、それは、私が生きていく上でのことと、お見逃しください。

 御告げの鐘がなりますれば、私はいつでもあなたのもとへと行く覚悟でおりますが、今、少し時間をお与えくだされば、あなたの下にある、自然界のことを、さらによく理解することができると思うのです。

 私は、これまでの自分の人生を、良くも悪くも、運命だとも決めつけたことはありません。これからも、時の流れに沿って、その流れがいつか消えることを十分に分かった上で、生きていきたいと思っております。
 何事も、御心のままに。」

 次回は、飯豊遠征登山の余話について。 

                       飼い主より 敬具       


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。