ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

雪の山歩き

2014-11-24 22:52:06 | Weblog



11月24日

 冬型の気圧配置になって、天気の良い日が続いている。
 朝夕には、多少、稜線に雲がかかってはいても、長々と続く日高山脈の山々の姿を見ることができる。
  夏の間は、雲に閉ざされていてたまにしか見ることのできない山々を、こうして毎日見ることのできるのは幸せなことだ。 しかし、もう一月以上も山に行っていないと、私の山心(やまごころ)がうずき出す。
  数十年にわたって山に登り続けてきたから、”年だから疲れる”とは言っていても、やっぱり山を歩くことが好きなのだ。
 数日前、雪を求めて、初冬の山に行ってきた。

 もう少し前までは、初冬の雪氷の山を求めて、アプローチが簡単な、それでいてピッケルやアイゼンをガシガシと効かせて登る冬山に行っていた。遠く、十勝岳連峰(’10.10.23の項参照)や大雪山(’08.10.24,26の項参照)にまで足を伸ばしていたのだが、もう今では雪の峠道を越え、長時間をかけてまで行く元気はなくなってきた。
 しかし、雪山には登りたい。
 私の住む十勝地方で、標高が低く簡単に登れる山はと言えば、前回に登った然別の山々か、日高山脈北部の山々しかない。

 秋に白雲山に登ったから、また然別の山にというのも気がすすまない。
 それでは、日高の山だが、ペケレベツ岳(1532m)には春に登っている(5月5日の項参照)し、剣山(1205m)には何度も行っているし、残るのはオダッシュ山(1098m)か佐幌岳(さほろだけ、1060m)である。
 思えばこの二つの山には、ともにもう20年も前に登ったきりだ。
 それは前にも書いたように、そんな低い山々よりは、原始性あふれる日高山脈主稜線を形作る主峰群に、まずは行きたかったからである。
 しかし年を取った今、その年寄りのずるがしこさとものぐささで、登りごたえのある秘境性あふれる山などよりは、何より簡便手軽に自然を味わえる山へと、自分の登山への方向性を変えてきたのだ。
 さらにもう一つ、越冬前のヒグマの動静も気になるところであり、低い身近な山でもヒグマが出ないとは限らないからだ。

 そこで、いろいろと考えて日高山脈最北端の山、佐幌岳、に行くことにした。
 この山には、二度登っている。最初は、5月初旬、まだ雪がたっぷりあるころで、狩勝峠からの往復だった。もう一度も同じ道をたどったのだが、それは秋の初めのことで、次回の山行のための足慣らし登山だった。
 今回は、まだ登っていないもう一つのルート、サホロリゾート・スキー場から登ってみることにした。スキー・コースなら、昼間からヒグマが出ることはあるまいし。
 もっとも、北海道は全域がヒグマの生息地域だから、特に早朝夕暮れ時には、どこでも歩き回っているだろうことは十分に考えられる。(実際に、わが家の小さな畑にさえ、ヒグマの足跡がついていたことがあるくらいだ。)
 私はいつも一人で山に登っているから、どうしてもヒグマを気にして鈴をつけて歩かなければならない。

 できるなら、静かな山の雰囲気にひたりたいから、鈴なしで歩きたいのだが。一時期そんな思いで、日高の山でさえも、鈴なしで歩いていたことがあったのだが、例の6年前の剣山でのヒグマとの遭遇(’08.11・14の項参照)以来、今では気になるところでは、ストックを岩などにあてて音を出したり鈴を鳴らして歩くことにしているのだ。
 最近では、登山者がヒグマに襲われたということはないから、必要以上にびくつくことはないのだが、もちろん私もそうして、今までに何度かヒグマに出会ったことがあるだけに、もうあの時のような不安な気分になりたくはないし、できるなら鈴などの音に気づいて先に相手が逃げて行ってくれるよう願うばかりである。

 さて帯広から富良野方面に向かう国道を走り、あの狩勝峠への上りに差し掛かったころ、右手にサホロ・リゾートの大きな看板を見て、右折して入って行くと、すぐに林が開けてスキー場になり、青空の下に佐幌岳の頂上が見えていた。
 その頂上下から続くコースが、雪で帯のように白くなって続いている。
 このサホロスキー場はあの糠平(ぬかびら)スキー場とともに、晴天の多い十勝地方にあって雪質は言うまでもなく、ロングコースの楽しさを十分に味わうことができる。
 そこで、すぐ傍にあるサホロリゾート・ホテルのフロントに届け出を提出した後、ガイド・ブックどおりの中央コースをとれば、もうそこから歩き出していいのだが、今回は一番端にある北尾根コースを歩きたかったので、 もう少し先にあるベアマウンテン・ロッジにまで行って、そこの駐車場にクルマを停めて、歩き出した。

 雪はまだらに残っていて、日陰では凍っている所もあったが、さすがにスキー・コースだから草木が刈り払われていて、すっきりと見通しがきいて、青空の下で何とも気分の良い、久しぶりの山歩きになった。(写真上)
 本来人工的に加工されたところなどは、余り歩きたくはないのだが、この北尾根コースは、傍にリフトが見えるわけでもなく、内地の山によくある、防火線の切り分けのようにも見えた。
 斜面の勾配がきつくなり、雪も一面を覆いつくすようになってきた。積雪は10㎝~20㎝位で、まだ滑れるほどではないのだが、上の方からスキー・コース管理の人が三人、人工降雪用パイプやフェンスなどの点検をしながら下りてきた。
 少し立ち話をして、今年の雪の状態や12月初めのオープン予定のことなどを聞いたが、その一人からは小屋まで行くのかとたずねられた。

 というのも、この佐幌岳には、日高山脈では珍しく頂上下の所に小さな避難小屋があり、おそらく彼は私が首からカメラをぶら下げ、中型ザックを背にしていたのを見て、朝夕の写真を撮るために小屋に泊まるのだろうと思ったのだ。
 そうなのだ、実はこの山からの展望は位置的に恵まれていて、まずは南側縦位置になって日高山脈が連なり、さらに西側から北側には、夕張芦別(ゆうばりあしべつ)の山々から、間近に並ぶ十勝岳連峰にトムラウシ山、大雪山、石狩連峰、ニペソツ山、ウペペサンケ山と見ることのできる絶好の展望台であり、雪のある時にこその眺めがあるのだ。
 実は、今回の雪のある時期でのこの佐幌岳登山は、できることならいつか真冬の時期に、完全冬山装備をして、リフトを利用して上まで上がり、少し先にある小屋に泊まり、朝夕の眺めを迎えたいと思っていて、その下調べ登山の意味合いもあったのだが。
 もっともそれは、ずっと前から考えていた山プランの一つであって、いまだに実行していないところ見れば、すっかりぐうたらになったこの年寄りにやる気があるかどうかは、はなはだ怪しいところなのだが。 

 さて、雪に覆われた斜面の勾配はさらにきつくなったが、ただ彼らが下りてきた足跡があるので、それをたどればいちいち踏み込まなくてもよくて、登りのステップの助けになった。
 ただ残念なことに、今や西側からの雲が山脈の稜線上を覆ってしまい、すっかり曇り空になっていた。楽しみにしていた東大雪の山々にも雲がかかってきて、さらには風に運ばれた雪さえも舞っていた。
 出かける前に、山向こうの旭川方面の天気予報と、高気圧がやってくる気圧配置も確認してきたのに、そうして今日まで慎重に登る日をうかがってきたのに・・・何ということだ。

 やがて、左から上がってきたリフト終点の建物がある平地に着き、そこから先に続くコースの上に佐幌岳の頂上が見えていた。(写真)

 

 ただありがたいのは、ここから途中まで、雪上車の跡がついていたことで、その跡をたどるだけでまだ勾配もゆるやかだから、鼻歌気分だった。
 最近は、山に登るときふと小さく口をついて出るのは、例のAKBの曲になることが多いのだが、今回は、「ギンガムチェック」と「UZA(うざ)」 の二つだった。
 というのも、実はついに、AKBのCD・DVDを買ってしまったのだ。

 私がクラッシック以外のCDを買ったのは、10年ほど前に買った『ケルティック・ウーマン』(東芝EMI)以来である。
 それは母が亡くなった後のことで、あのトリノ五輪フィギュア金メダルを取った荒川静香が、その後のエキジビジョンで滑った時に流れた曲であり、私にも聞き取れるほどのやさしい英語で、彼女の銀盤での美しい滑りを見ながら、思わず涙してしまったのだ。
 ケルティック・ウーマンが歌うその曲名は、「You Raise Me Up(ユー・レイズ・ミー・アップ)」 ・・・大まかに訳すれば、”私が落ちこんでいるときに、あなたはやって来てそばに寄り添ってくれる。あなたが励ましてくれるから、私は高い山にも登れるし、荒れる海でも渡っていける。あなたが励ましてくれるから、私は今以上の自分になることができる”・・・。
 ここで言う”あなた”は、おそらくは宗教的な意味での”あなた”つまりキリストを意味するのかもしれないが、私は天にいる亡き人のことを、私を見守ってくれている人のことを思ったのだ。

 また話がそれてしまったが、AKBに戻れば、最近ここでも何度か書いたことのあるリサイクル・ショップ(古本・中古品店)で、何とこのAKBのDVD付きのCDが、税込み108円で売られているのを見つけたのだ。
 2年前のものとはいえ、中身もケースもきれいで、定価1600円のものだ。
 ワオーン、ワンワンと一声鳴いて、すぐに買ったのは言うまでもない。
 2点、『Beginner(ビギナー)』と『UZA(うざ)』である。
 
 この2曲は、今までテレビから録画したものの中にも入っていなくて、私がAKBを好きになる以前のもので、もちろんYouTubeで見ることはできるが画像が小さいし、何とかテレビで放送されないものかと待ち望んでいたのだが、その気配はないし、そんな時にこの安いDVD付きCDを見つけて、思わず狂喜乱舞(きょうきらんぶ)したのも無理はないのだ。
 一方では、いい年をしたオヤジが情けないとも思うけれども、いつかNHKの『鶴瓶に乾杯』の中で、73か4になるという田舎のじいさんが出てきて、AKBのCDをずっと買っていて、次の新曲が出るのが楽しみだと言っていたのを見て、私よりずっと年上の人でもそうなのだから、私も世間に向かって、AKBファンであることをカミング・アウトしてもいいのだとさえ思ったのだ。
 もっとも私の周りの友人たちは、みんな私がAKB狂いだということを知っていて、いささか冷たい目で見られてはいるのだが・・・。
 とはいえ、この年になって、夢中になれるものがあることはいいことだと、自分に言い聞かせてはいる。
 
 ところで、この2012年10月31日発売の「UZA」について書いていくと、長くなってしまうのだが、手短に言えば、私は全盛期メンバーによるAKBのベストの曲の一つであると信じて疑わない。
 というより、AKBのすべての曲を知っているわけではないが、今現在では、私の一番好きな曲であり、一番好きなダンス映像(ミュージック・ビデオ)である。
 つまり音楽そのもの、作曲・編曲・録音ミキシングそして歌詞も時代にそって書かれているし、AKB曲の中では最も難しいといわれる見事なダンスの振り付けに、グラミー賞受賞常連だったという韓国二世のアメリカ人、ジョセフ・カーン監督の、音楽に合った衣装と映像の見事さ、そしてツートップの大島優子と松井珠理奈(じゅりな)の迫力ある踊りと、その二人の間の後ろにいる板野友美の髪が波打つ踊りの切れのよさ、さらに後ろに控えた篠田麻里子と小嶋陽菜(はるな)のおねえさまキャラ二人の存在感・・・これは、全盛期AKBのすべてがうまく出会った時の、見事な記録的映像である。 
 
 しかし、この曲は、似た雰囲気である「Beginner(ビギナー)」や「River(リバー)」などとも違って、さらに先鋭的な表現で、時代の流れを切り取っているかに見えるし、他の曲と比べればあきらかに一つ離れた存在であり、その後もう二度と、こうした時代のとげとげしい敏感さと退廃の匂いのする曲は作られていないのだ。 

 それは最近の曲での、センターに選ばれた子たちが示しているように、彼女たちの人気に従って、運営サイドが明るく楽しいアイドル・グループAKBへの道を、さらに強く推し進めてるからだろう。
 もっともそれはそれでいいと思う、「フォーチュン・クッキー」はいい曲だし「ラブラドール」も「プラカード」も悪い曲だとは思わないし、こうしたアイドル王道としての曲作りには、ファンとしての安心感もある。
 ただ、AKBグループは、何といっても個性あふれる女の子たちの集団だから、ファン層も子供から私のようなじいさんに至るまでと幅広いし、そのファンもまたそれぞれに個性ある女の子たちが好きなのだ。

 だからこそ、それぞれのメンバーたちの個性を発揮できるように、歌に、ダンスに、コントに、ミュージカルなどに振り分けて、ふさわしい舞台や活動の場を作ってやる必要があるのではないのだろうか。
 運営サイドとしては、今でさえ手一杯なのに、さらに余分な手間ひまと人材に費用をかけることになって大変なのだろうが、しかしそうすることが、ここまでの大所帯に広げてきたメンバーたちの今後を考えて取るべき方向の一つになるだろうし、このままでは埋もれゆく多くのメンバーたちを救うことにもなるのでは、とも思うのだが、もちろんすべては安定経営がなければできないことだし、はやりすたれの多いアイドル業界でのことだとすればなおさらのこと・・・。
 大きなくくりで言えば、AKBグループと同じような女性歌舞演劇集団である宝塚歌劇が成り立つのは、もちろん確かな経営母体があり、長年にわたってつちかってきた歌や踊りのしっかりとした伝統があり、さらに抱える団員・メンバーの数は両者ともに400人と同じくらいなのに、AKB劇場は場末の小劇場なみの座席145立ち見席105しかなく、SKE、NMB、HKT併せても1000足らずなのに(それが会いに行けるアイドルの原点だという人もいるが)、この宝塚は2550席ものあれほど立派な専用劇場を持っているからだとも思えるのだが。 

 YouTubeを見ていたら、その年のAKBメンバーだけによる紅白歌合戦で、あの「UZA」のメイン・メンバーだった板野友美と松井珠理奈の二人だけで、「UZA」を歌い踊っていた。
 ダンスでは定評のある二人だったが、板野は1年前にAKBを卒業して、いまだに大きな舞台には立ってはいないし、実績十分な”じゅりな”でさえも、今度のAKBの新曲ではツートップ下の後ろにいて、SKEの新曲でも不動のセンターの位置を下げられてはいるが・・・。 

 さて長々とAKBのことについて書いてきてしまったが、まあ年寄りになっても夢中になるものがあることは、ボケ防止にもなるのだろうし、ともかく安上りのいい気晴らし趣味になるのだ。
 と言うわけで、今回の山登りの時に小さく口ずさむ歌としては、「UZA」はリズムが合うところが少ないからと、同じDVDに入っていた明るい弾むような「ギンガムチェック」の方を口にすることが多かった。周りに誰もいなくていいようなものの・・・いい年寄りが、若い娘の歌を歌いながらなんて・・・あー、寒っ!
 
 雪上車の跡が消え、最後のゴンドラ終点駅舎への登りが続き、登りきるとその裏手からようやく登山道が始まる。ミヤマハンノキにササの下草の斜面に、ジグザグにつけられた雪道をたどると、15分ほどで岩が露出した山頂に着いた。
 コースタイムよりは少し多く2時間半ほどかかってはいるが、雪道歩きと久しぶりの登山ということを考えれば十分だった。
 山脈の上には相変わらず雲が広がっていて、手前のオダッシュ山から双珠別(そうじゅべつ)岳、ペケレベツ岳辺りまでが分かるくらいで芽室岳方面は見えなかったし、さらに芦別や十勝連峰、大雪の山々もすっかり雲に包まれていた。
 日を選んできても、こういう時があるものなのだ。ただ目的の一つでもあった雪山歩きと、この寒さを体感できただけでも、その上に40日もの間が空いての登山だったのに、何とかバテずに足も痛くならずに登れただけでも良しとしよう。

 ただ、この頂上の周りには新しい足跡がぐるぐる回ってついていて、おそらく誰かが狩勝峠側から登ったのだろうと、そのまま西側に道をたどり、小屋に入ると、明るい声であいさつしてくる若い男がいた。
 ともかく、小屋の中にいるだけでも寒さはしのげると、腰を下ろしてしばらく彼と山の話をした後立ち上がると、彼もクルマは峠の方にあるがスキー場の方へ降りたいというので、一緒になって今度は南尾根コースを下って行った。
 最初は斜度30数度という勾配で、スキーで滑るときには少しビビりそうな斜面だったが後はゆるやかになり、二人でいろいろと話しながら下って行った。
 青空が出てきて、反対側には行きに登ってきた北尾根の向こうに、少しかすんで石狩連峰からニペソツ山、丸山、ウペペサンケ山の姿を見ることができた。(写真はニペソツと丸山に東丸山)

  

 これは何としても、空気の澄んだ厳冬期にもう一度来なければと思わせるような光景だった。
 まだまだ北海道にも、春夏秋冬、見ていない景色がいくつもあるのだ。
 
 クルマを停めていたベアマウンテン・ロッジまで、わずか1時間15分ほどで下りてきた。私よりはずっと若い40代の彼と一緒に下ってきたことで、それもずっと話しながらだったので、あっという間の時間だった。
 往復で4時間足らず、頂上と小屋での休みを入れても5時間足らずの、雪山ハイキングだった。天気が良くなかったことが残念ではあったが。
 峠まで彼を送ってあげた後、いつもの芽室嵐山の風呂(入浴料270円)にゆったりとつかり、薄赤いシルエットの中に消えていく日高山脈を見ながら家に戻った。やれやれ、小さなことだが、やっと懸案の事項を一つやり遂げたような・・・。
 
 そして昨日の日曜日は、見事に晴れ渡り山もよく見えていて、絶好の山日和(やまびより)になった。
 神様はいつもぜいたくにわがままを言って山に登っている、このジジイのためではなく、日ごろから一生懸命に働いている勤労者諸君のためにお恵みをお与えになったのだ。当然のことだが。

 夜、外に出てみると、カラマツの林越しに東の空から雄大なオリオン座が昇ってきていて、さらに上を見るとプレアデス星団、いわゆる”すばる”の星の群れがあり、天頂にかけてはカシオペアがまたたき、西の空の天の川に沿って、ハクチョウ座が沈んでいこうとしていた。
 小さい、小さいものでしかない私。星の方からは見ることもできないような存在でしかない、私ひとり。
 しかし、その遥か彼方の宇宙にある、想像もできないような巨大な星々を、そんな小さな私が見ているのだ。

 何という、生きて在ることの、ありがたさだろう。


(追記) 最近AKBのことについて書くことが多くなった(10月20の項参照)が、おそらくは熱しやすく冷めやすいところもある私のこと、もう1年か2年たったら、その熱は冷めているのかもしれない。
 それは記録としての意味合いが大きい私のブログ記事として、ごく当然な成り行きであり、たとえば、そのジャンルは違うが、5年ほど前に夢中になって、いろいろ文献を読みあさり自分なりに理解しようとして、あの一休禅師(’09.2.25~3.10)や、岩佐又兵衛(’09.3.28~4.8)についての記事を書いたことが、もう遠い昔のことのように思えるのだ。
 もちろん、二人の思いへの一番大切なことについては憶えてはいるが、それぞれにどうして書き進めて行ったのか、今になって読みなおさないと分からないほどで。
 歳月が私から切り捨てていったものの多さを、あらためて思わずにはいられない。  


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