11月13日
もう3週間近くも、毎日のように秋の青空を見ている。
ほんの少し小雨が降ったことはあったけれども、これほど長く天気が続くのも珍しいことだ。
その間に、私は4回も山に行ってきた。
最近は、あれやこれやと理由をつけて、出かけるのがおっくうになり、2か月もの間、山に行かないことも珍しくはなくなっていた私が、ここにきて何という山への入れ込みようだろうか。
それは、北海道にいた時のように、平野部のただ中に家があって、山の登山口に着くまでに時間がかるということもなく、今いる所がすでに山の中だから、周りの山々に行くのも、それほどの時間がかからずに、たやすく日帰り登山ができるからでもあるが。
さらには、この秋の季節、山の紅葉の盛りの時期はわずかなひと時であり、それを思うと、老い先短いこの年寄りめは、居ても立ってもいられなくなり、今朝も今朝とて、またもう一つの錦織りなす舞台を見んがために、出かけて行くのでありました。
前回書いたように(11月6日の項参照)、もう由布岳(1583m)上部の紅葉は終わっていて、山の中腹からすそ野にかけてが見ごろだったから、今はどの山でもそれ以下の標高の所でしか紅葉を楽しむことはできないだろうと考えて、去年も行った(’16.11.21の項参照)あの山々に囲まれた、静かな林に行くことにした。
ただし、この時のことはもう2週間近くも前のことで、今さらここに記事としてあげるには気がひけるのだが、私の山の日記の記録としては、やはり順番通りに書き進めるほかはないし、さらには3日前にもまた、同じ所に行ってきたのだが、それも次回に書くつもりでいる。
登山口に着くと、休日のさ中だから、路肩には10台ほどの車が停まってはいたが、すでに出発した人たちが多く、ちょうど私と同じころに出発した人たちも、すぐに私を抜いて先に行ってしまい、いつもの静かな沢沿いの道になっていた。
去年ここに来て、穏やかな紅葉の眺めにしばしのひと時を過ごしたのだが、その時から言えばまだ2週間も早く、まして山陰の沢沿いの道だから、まだ日の当たらない淡い秋の色を感じられただけだったが。
もちろん、それはそれで、静けさと相まって、なかなかに味わいのある風景だったが。
そして山腹を登りつめ、木々に囲まれた平坦地に出ると、その先に、一瞬目を疑うような光景が広がっていた。
里の秋だが、山では晩秋の季節なのに、なんと白い花がびっしりと咲いていたのだ。高い枝の上に雪が降り積もったように。(写真下)
とりあえず、写真だけ取って後で調べることにして、先にある展望が開けたコブの頂上まで行って、そこからの九重山や祖母山そして由布岳の眺めを楽しんだ。
しかし、今回の目的は、ここだけではない。
今来た道を戻って、平たん地の所から、今は使われていない、山腹をめぐる林道跡の道をたどることにした。
もうずいぶん前のことだが、この山腹の上にある長い稜線をたどり向こう側に下りて、この林道跡をたどって戻って来たことがある。
起伏は少ないが距離が長く、その上に春だったのに見るべき植生もなく、徒労感だけが残ったのだが、しかしその時にも、紅葉時期に来たらまた違う風景になるだろうと思ってはいたのだが、それが今頃になってふと行ってみる気になったのだ。
その道は、まさに昔の林道跡というのににふさわしく、クルマはおろか重機でさえ、まず道を作る工事をしなければ通れないだろうと思えるほどに荒れていて、右手の急な山腹から転がり落ちてきた大岩が散乱し、完全に道をふさいでいるところもあった。
しかし、そんなところでも通り抜けることはできるし、所々には赤いテープが残されていて、確かに人の歩いている踏み跡が残っていた。
そんな、長年手を入れられていない古い林道跡だけあって、そのぶん、山腹の庭園風な紅葉の林の眺めが素晴らしかった。(冒頭の写真)
天気は、午後から雲が多くなり、晴れたり曇ったりの状態だったが、上にあげた写真のように、日が陰った曇り空でも、むしろこの錦秋の豪華な色彩には、さらなる陰影など必要ないと思わせるほどだった。
そして、所々には木々の間に隙間ができていて、そこからまるで額縁の絵のように、由布岳の姿が見えていた。
それはまるで、私好みの絵葉書写真のような光景であり、その由布岳東面の山腹には、小さな雲が流れ込んでいた。(写真下)
そして、雲が増えてきた空ながらも、その由布岳の左手遠くには、秋の澄んだ空気の中で、それぞれに藍色の陰影を強めながら、いずれも登ったことのある山々が見えていた。
手前に由布岳側火山の一つである日向岳(ひゅうが岳、1085m)の丸いふくらみがあり、次に城が岳(1168m)から倉木山(くらきやま、1160m)への連なりがあり、さらに遠く九重の山並みが見えていた。(写真下)
私は、そこで腰を下ろすことにした。ここまでくれば、もう十分だった。
風もなく、あたりには人の声も聞こえず、鳥の声さえ聞こえなかった。
明るい静寂の風景の中で、私は何も考えなかった。
この秋色の光景の中に、ひとりいることが心地よかった。
大きな岩の上で、あおむけになると、今度は真上に紅葉の風景が広がっていた。(写真下)
人知れず赤く染まっていき、そして枯れ落ちていく木々の葉。
ただ雲だけが流れていき、時間が流れ、その流れの中にいる私・・・生きているということ。
そこで、前にも何度かあげたことのある、あのローマ時代の政治家であり哲学者でもあったセネカ(紀元前4~紀元後65)の言葉が浮かんでくる。
”今ある現在は一日一日を言い、その一日の刹那(せつな)からなる。”
”自分の生のどの部分も自由に逍遥(しょうよう)できるのは、不安のない平静な精神の特権である。”
”現在という時は常に動きの中にあり、流れ去り、駆け去る。やってきた刹那に、すでに存在するのをやめている。”
また彼は、ギリシャの哲学者デモクリトス(紀元前460~370)の言葉としてもあげているのだが。
「静謐(せいひつ)に生きたいと思う者は、私人としても、公人としても、あまり多くのことをなすべきではない。」むろん、無益なことを指しての言である。
”精神には、自己を信頼し、自己に喜びを見出し、自己の優れたものを尊び、できる限り他者のものから遠ざかって、自己に専心し、損害を損害と思わず、不運な出来事でさえ善意に捉えるようにさせなければならない。”
(以上、『生の短さについて』セネカ 大西英文訳 岩波文庫より)
もちろん、そうした賢人たちの有意義な言葉があることは知っていても、今の私は、ただぐうたらに一日を暮らし、ただのんべんだらりと一日を生きているだけのことでしかないのだが。
地面をはい回る虫がいて、枯葉をつついてその隙間にいる虫をついばんで食べる鳥たちもいる。
彼らは、ただ一日一日を、生きる本能に基づいて生きているだけかもしれないが、しかし、私たち人間も似たようなものであり、それ以上でも以下でもないし、こうして生きている日々こそが、すべての生き物に取っての、それぞれのかけがえのない今なのだろう。
さて、その岩の上に横になっていた大きないも虫は、あのカフカの小説『変身』のいも虫ほどに、わが身を持て余して動けないわけではなく、むっくりと起き上がっては、30分余りもいたその場を離れて、元来た道を下って行ったのであります。
帰りの道でも、まだ見るべき光景がいろいろとあって、繰り返し写真を撮りながら、これらの紅葉風景に見あきることはなかった。
そして、午後の早い時間に、クルマを停めていた場所に戻ってきた。
今日の行程は、6時間足らずで、ありがたいことに、今回もヒザやじん帯が痛むこともなく、帰って来ることができたのだ。
この秋に、最初に登った九重の大船山(10月25日の項)では、時間がかかりすぎて疲労困憊(こんぱい)の状態だったのだが、ヒザにきたわけではなく、これでもう長い間、登山でヒザが痛むことはなくなっていたのだが、それは最近、飲み続けているコラーゲンのサプリが効いているからだろうか。
それはどうかわからにけれども、去年、あの大雪山は緑岳(’16.7.11の項参照)の下りで味わった、ヒザの痛みは忘れられないし、ともかくこうして一日の行動時間や距離を抑えることで、まだまだこのじじいでも山歩きができるのだと、教えてもらったような気がするのだ。
特に、今日の紅葉の色は、私の紅葉登山史上でも忘れられないものの一つだったし、こうした山腹めぐりの紅葉トレッキングとしては(あの数年前の九重・黒岳周遊の時以来だが)、確かにこの山歩きで、私の登山には、頂上を目指さないという新しい道が見えてきたような気がする。
ともかく、この日のことを思い返すと、今でも心穏やかになるほどの思い出になったのだから。
ただただ、この年まで生きてこられたことに、ありがとうと感謝するばかりで・・・。
しかし、この一週間後、またもや私は、同じ場所に別の紅葉を求めて出かけて行くことになるのだが、それは次回に。