ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

羊の詩

2016-12-26 23:14:25 | Weblog



 12月26日

 あられが降り、雪が降るような、体の芯まで冷える寒い日が続いたかと思うと、一転、気温が20度を超える、生暖かい春のような日があったりと、めぐり来る季節はどこへ行くのだろうか。
 春先に鳴き始めるはずの、ホオジロが一羽、野原でさえずり鳴いていた。
 町に行くと、クリスマス飾りがきらびやかに輝き、一方で店には正月用品があふれていた。

 しかし、こうした田舎の家にひとりでいると、何ごともなく、何ごとかの日でもなく、朝に明るくなり、夕方には日が沈んでいくだけのことだ。
 私を包む、静かな時の流れ・・・年寄りにこそふさわしい、この静寂の今に、ただただ感謝するばかりだ。

 人が死におもむく時には、まず目が見えなくなってきて、意識が遠のき、それでも耳は聞こえ感覚は残っているそうだから・・・実際、母の死の床のそばにいてそのことを感じたからなのだが、私のその時は、どうか静かなる自然の中であってほしいと思う。 

 「おお神さま、
 わたしがあなたのところへ参ります日には、
 周りに木々が並び立ち、風がそよそよと吹き渡るような日にしてください。
 あるいは、冬に、雪がしんしんと降りしきる中でもかまいません。 

 そして、わたしの心の貧しさと貧乏さを
 無窮(むきゅう)の愛に映した大空のもとへ
 わたしを解き放ってください。」
 
 (『ジャム詩集』 「驢馬(ろば)と連れ立って天国へ行くための祈り」 堀口大学訳 新潮文庫 に基づいて)

 出だしから、少し重たい話になってしまったのだが、それは、いつものように、クリスマスの日に聴いた音楽のせいなのかもしれない。
 ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750)の「クリスマス・オラトリオ」。
 初めのころ、私はこのキリスト生誕とされる日(今では別な日という異説もあるが)には、「マタイ受難曲」を聞くのを常としていた。
 しかし、それは確かに、バッハの音楽を代表する一曲といっても差し支えないほどの名曲であり、私の好きな曲の一つでもあったからだが、しかし考えてみれば、それはイエス生誕のお祝いの曲ではなく、その後のイエスの受難に至るまでの様子を描いた曲なのだから、この日には、あまりふさわしくはないように思われて、以後はずっと、このキリスト生誕の日のために構成された、「クリスマス・オラトリオ」を聞くようにしているのだ。

 つまり、上に構成されたと書いたのは、他のバッハの宗教音楽の大曲である、「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「ロ短調ミサ曲」などが、その名の通りに、一連の物語、式典の曲として描かれているのに比べれば、この「クリスマス・オラトリオ」は、教会でクリスマスの日の前後に演奏される、6曲の”教会カンタータ”の曲を集めたものであり、その内容に一貫性があるわけではないし、他の宗教曲大曲とは意味合いが違うけれども、もちろん、すべてバッハ自身がこの祝祭日前後を含めた日のために作ったものだから、そこには日を続けての関連性があり、あまり違和感はなく通して聴くことができるのだ。

 最初に始まりのドラムが打ち鳴らされる、第一部の「いざ祝え、この良き日を」の冒頭から、いかにも祝祭的な喜びにあふれていて、クリスマスの日にふさわしいものだ。
 その後も、ほかのカンタータから転用された旋律がいくつも出てくるのだが、第二部の天使によるまさに天国的なパストラル・シンフォニー(田園交響楽)の響き、第四部のソプラノ独奏とそれにこたえるエコーとの掛け合いがなんと美しいことか、などなどと3時間近くの演奏時間も、バッハの曲だからこそのことだろうが、決して長くは感じないし、もう一度繰り返し聴きたくなるほどだ。(以上参照、『名曲大辞典』音楽の友・別冊 音楽之友社)

 そして、今もこうして、キーボードを叩いて記事を書いている私の後ろには、この「クリスマス・オラトリオ」を小さく流しているくらいなのだ、
 レコード時代には、あのカール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団(独Archiv)で聴いていたのだが、CDの時代になっては、そのレコードのものをCDに買い替え、さらには新しく、鈴木雅明指揮日本バッハ・コレギュウム盤(スウェーデンBIS)を買い、さらには廉価盤のクルト・トーマス(旧東独盤、独edel)や、ルネ・ヤーコブス(独harumonia mundi)のもの、さらには、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮コレギュウム・ヴォカーレ (英Virgin、写真上)なども買ったのだが、最近は、すべての点で一応納得できる、このヘレヴェッヘ盤ばかりを聴いている。(つけくわえれば、彼の「ロ短調ミサ曲」も素晴らしい。)

 私はキリスト教信者ではないし、キリスト教についていくらか学んだけに過ぎないのだが、若き日に、実地にヨーロッパの国々を訪れ、その教会で演奏されていた、バッハなどの教会音楽を聴いてきたこともあって、そして今もなお、繰り返しCDで教会音楽を聴き続けてきて思うのは、ヨーロッパという連合独立国家群が、その長い歴史の中で、良かれ悪(あ)しかれ、キリスト教会と深く結びつき、形成してきた、広範囲に及ぶ文化遺産についてである。
 巨大な教会の伽藍(がらん)群、彫刻、絵画、文学、そして今ここに聴く音楽などなど・・・今日では、教会に足を運ぶ人が少なくなり、いかに信者の数が減ったとしても、彼らヨーロッパ人の心の底流にあるのは、長い伝統により脈々と受け継がれてきた、古き良き時代の、素朴な原始共同体的な神のいる世界ではないのだろうか。

 同じように、私たち日本人が、いかに仏教信仰の道から外れていて、儀式の中でしか従うことのない、仏教信徒であるとしても、その心の奥に共通してあるのは、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)などと思わず唱える、諸行無常の世界からの、あるかもしれない、来るべき浄土の世界へのかすかな思いではないのだろうか。
 いかに、現代のそれぞれの宗教における信仰心が薄れてきたとしても、人は人だけを信じて生きてはいけないものだから、時には神に頼り、時にはそれが狂信的なものになったりするけれども、さらには、人は同じ過ちを時を隔てて繰り返すものであり、他の生き物たちと同じように、己の利と欲に生きる動物なのだから、己の罪に気づいた時に神に救いを求めるのであり、そうしたことで、私たちから、何らかの形での宗教心がなくなることはないのだろうが。
 今、私たちすべての迷える子羊たちは・・・生贄(いけにえ)たるべく運命づけられた、神の御使いなる神の子羊の後について行くべきなのだろうか、はたして、その使わされた神の子羊が、この現代に・・・。

「・・・イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のいない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教え始められた。・・・」

(「マルコによる福音書」第6章より)

 何事も、神のみ心のままに。

 南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)。
 
 そういえば、あの加藤周一(1919~2008)が書いた『羊の歌』(岩波新書)という本があった。
 戦前戦後を生きた、医学博士であり著名な評論家でもあった彼の、”迷える子羊”の一匹としての魂の叫びとでも呼べる、優れた自伝的随想録であったが、ふと思い出してしまった。
 さらには、惜しみて余りある、わずか30歳という若さでこの世を去った、詩人中原中也(1907~37)に、『山羊(やぎ)の歌』という初期詩集があり、その中の一編に「羊の歌」という詩がある。
 それは、ここに引用するするには長すぎるので割愛するが、キリスト教徒ではなかった彼が、それでも多くのフランス詩人たちの影響もあってか、キリスト教的世界観が見えるような詩も多くあり、ここに書かれている”羊”とは、当時の苦しみ迷う彼の姿であり、”迷える子羊”たる自分自身のことだったのかもしれない。
 あまりにも有名な中也の詩の中から二編。

「 けがれちまった悲しみに
 今日も小雪の降りかかる
 けがれちまった悲しみに
 今日も風さえ吹きすぎる
 ・・・。 」

(「汚れちまった悲しみに・・・」より) 


「 ・・・
 屋外は真っ闇(くら) 闇の闇
 夜は劫々(こうこう)と更けまする
 落下傘(らっかさん)めのノスタルジア
 ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん 」

(「サーカス」より)

(日本文学全集51 三好達治・中原中也・伊藤静雄 集英社刊、青空文庫参照) 

 


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