ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

楽観的に

2021-10-05 22:17:37 | Weblog



 10月5日

 今年も、枝ごとに小さな花をたわわにつけた、キンモクセイの黄色い花が咲き始めて、家の中にまでその香りが漂ってくる。
 わが家の庭に植えこまれた木々や草花のうち、秋の花としてその掉尾(とうび)を飾るにふさわしい、黄金色の豊かな色と香りである。
 秋が来て、日ごとに空気がぴんと張り詰めていき、朝夕の冷え込みは、夏の蒸し暑さを追い払い、冬はもうそこにまで来ているのだと思ってしまう。

 この夏の盛りに、私は病院であわただしい時を過ごした。
 それは長時間の手術を伴う、危険な時間もはらんでいたのだが。
 今思うに、私はそれらの日々の間、どちらかといえば慌てふためくこともなく、今自分の置かれている位置を分かっていたのだと思う。

 つまり、悪性腫瘍の宣告を受ける前後から、私は群れの列に並ぶ羊のように、ただ検査や治療処置に従うだけで・・・それらの作業手順を受け入れる他はなかったのだ。
 今さら自分ではどうにもできない状況の中では、ここに至るまでの原因結果の良しあしなど考えてどうなるというのだ。
 すべては、今ある現状に身をゆだねることしかできないし、それでいいのだと思っていた。

 それは宗教的に言えば、”南無阿弥陀仏”と唱え、”神の御心のままに”と祈ることであり、それはまた歌に書かれているように、”Let it be"とか”Que sera sera”とか・・・どこからか聞こえてくるささやきであり、自分に言い聞かせる言葉でもあったのだ。
 ともかく、事実は事実としてあるだけのことだからと、深く考えないことにした。

 そうした楽観的な考え方は、悪事困難に対面した時に起きる、放心状態の自己放擲(ほうてき)や保身心理が働くからだというのではない。
 しっかりと現状認識をしたうえでのことであり、さらにはそれまでにも自分の人生を肯定的に振り返り、いい人生だったと思うようにしていたからのことである。
 この年になって、自分の人生を否定的に考えてどうなるというのだ。負の連鎖におちいるだけだ。

 それは誰かと比べるのではなく、良いことと悪いことはいつも相半ばしているものだからと、自分に言い聞かせるだけのことであり、他人がどう思おうとどう評価しようと、知ったことではないのだ。
 今、私が生きている唯我独尊(ゆいがどくそん)の世界は私だけのものであり、他人に迷惑をかけずに、そうしたわがままな思いのまま死んでいければ、それでいいのではないのかと思っていたからだ。

 それだから、退院後の今に至るまで、私は自分の病状について分かってはいるが、この先転移再発しないかなどと悩んだりはしていない。なるようにしかならないし、くたばったその時が私の寿命なのだ。

 先日NHK・BSで、コロナ禍において演奏会を開けないオーケストラの苦境を描いた番組をやっていた。
 それは世界中のクラッシックのオーケストラがそうなのだろうが、この東京フィルハーモニーの楽団員たちも、演奏会を開くどころか練習場所さえなくて苦労していた。
 その上に、このオーケストラの名誉指揮者兼音楽監督として、楽団員全員が演奏会を切望しているチョン・ミョンフン(韓国出身のアメリカ人指揮者68歳、姉は名ヴァイオリニストのチョン・キョンファ)が、1年半もの間来日できずにいたのだが、ようやくこの度スケジュールが整い東京に来てくれたのだ。
 そして、この9月に久しぶりに開かれ定期演奏会で、チョン・ミョンフンと東フィルによる”ブラームスの四つの交響曲”が演奏されて、その二日間の公演はまさに熱狂的な拍手に迎えられたとのことだった。

 このチョン・ミョンフムがその時のテレビのインタヴューに答えていて、それは常々私もこのブログで言ってきたことなのだが、”皆は若い時に戻りたいというけれども、私は年を取った今のほうがいいし、これからもそう思いながら年を取っていきたい”と。
 何もこの有名な芸術家と、無芸大食で口先だけの芸術愛好家の私などが、同じ思いにあるなどと大それたことを言うつもりなどないが、ただ私は彼のその言葉に、年寄り同志的な近しさを感じたのだ。
 
 こうして、病み上がりの年寄りの、貴重な一日は過ぎてゆくのであります。

 母の仏壇に供えるリンドウの花が長すぎて、少し茎を切ったところでツボミが二つ落ちてしまい、捨てるにしのびず、刺身醤油小皿に水を入れて浸しておいたところ、花が開こうとしていた。(写真下)

 みんな、生きていたいのだ。

 


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