ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

北国、一瞬の秋

2021-11-23 21:36:42 | Weblog



 11月23日

 前回の記事から、何と1か月もたってしまった。
 もう15年にもなる、このブログ記事を書き続けるにしても、かつての思い入れや熱意が、今ではいささか薄れてきてしまっているのも事実なのだが。
 それはいうまでもなく、自分が年寄りになってきたからであり、それまでの人生の経験から、期限を先延ばしすることを覚えて、やるべき仕事を義務的な日課として考えなくなってきたからでもある。

 それは、古い温泉場の湯船の湯垢(ゆあか)が固く積み重なっていくように、私の中には、歳月を経ただけの経験値が堆積していて、味わいはあるだろうが、整理するには始末に負えなくなっているということでもある。
 そうして、私の人生は何の成果もなく、ただいたずらに馬齢(ばれい)を重ねるがごとくに、日々を過ごしてきただけのことなのだろう。

 ところがと、私は開き直って思うのだ。
 誰でもがそうであるように、私は私にとってのベストな人生を送ってきたつもりだ、と自分に言い聞かせるのだ。
 あの時、あの道を選ばなかったからこそ、今があるのだし、数限りない危機の連続の中で、不運を上回る幸運があったからこそ、今ここに生きているのだ。

 江戸時代の、新潟の三条大地震に遭った被災者に問われて、あの良寛和尚(りょうかんおしょう)が答えたとされる言葉・・・「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 これはこれ災難をのがるる妙法にて候」。
 そうなのだ。病気に遭おうが、事故に遭おうが、それらは受け入れるしかないし、とどのつまり、死ぬときにはそれらの災難からは解放されることになるのだし。
 昔の日本映画に『生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(1985年、森崎東監督)というのがあったのを思い出す。

 つまり、生きているからには、”踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら、踊らにゃそんそん”(阿波踊りの囃子言葉)ということなのだろうか。

 今、私の術後の病状に大きな変化はなく、基本的に元には戻らない部分があるとしても、ほんの少しずつではあるが、改善に向かっているような気もする。
 感心するのは、そうしてわずかずつ治っていくことが、トカゲのしっぽの再生というほどの劇的な再生とまではいかなくても、人間の体にはできる範囲での再生作用が備わっているのだ、と気づくことである。
 この後も、定期的な転移追跡検査が行われていくのだろうが、もう後は神様にいただいた余命のカウントダウンの日まで、いつものように、季節の色どりを感じながら、のんびりと生きていくだけのことだ。もうそれで十分。

 振り返れば一月も前のことになるが、前回書いたように、わずか2週間余りだが、一年ぶりになる北海道にある私の山小屋に行ってきて、ハエ、虫、ネズミのフン、ヘビの抜けがら、キツツキの空けた穴などを、あちこち掃除し補修点検をして、毎日を忙しく過ごしていた。
 ちょうど秋の季節のただ中でもあったから、日ごとの冷え込みとともに、家の林は、赤や黄色に染まっていた。(冒頭の写真は、緑から黄色に変わるカラマツの樹々と、その手前の今が黄葉の盛りのカエデの樹々である。)

 さらに、九州に戻る日、十勝地方は見事に”十勝晴れ”に晴れ上がっていて、空港の前から、緑の秋まき小麦畑の向こうに、新雪に彩られた日高山脈の山々が見えていた。
(写真下、中央にその東壁を見せて鋭くそびえ立つのが、日高山脈第2位の高峰、カムイエクウチカウシ山(1978m)である。私は三度ほどその頂上に立ち、頂きやカール底で一晩を過ごしたことがある。)



 しかし、その日の帯広から東京に向かう便では、それまで新型コロナの影響で減便されていたところに、待望の朝便が運行されるようになったばかりで、ほぼ満席のうえ、もちろん窓側の席も取れずに、こんな天気のいい日にと、どれほど悔しかったことか。窓のシェードを下ろして寝ている人もいるというのに。
 さらに次の羽田乗り換えで福岡に向かう便は、空いていて窓側に座れたのだが、飛行機のルートが少し南にずれていて、やっとギリギリ富士山を見下ろす位置で、写真に窓枠が映り一部反射映り込みがあり(写真下)、これなら反対側の、南アルプスが見えるほうを選べばよかったのにと思ったのだが、後の祭り。



 まあ、一年ぶりで飛行機に乗ることができて、窓の外の眺めを楽しめたのだから、それだけでも良しとしなければ。

 さてまだまだ、病院での手術ことや、術後の入院の日々、その後の軽いハイキングのことなど、書くべきことはいろいろとあるのだが、もうこのブログ記事は、今では日記の体(てい)をなさないほどに相前後した話になってきており、いつか私も、認知症のワンダーランドへと足を踏み入れるのではないのかと危惧しているのだが・・・まあそれはまたそれで、興味深い不思議な世界への、旅の始まりになるかもしれないのだ・・・。
 あー、ヨイヨイと。