ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

5月なのに39.5度

2019-05-27 21:25:38 | Weblog




 5月27日

 なんてぇ日だ!
 まだ5月だというのに、40℃近い気温だなんて。
 網走近くの佐呂間町で39.5℃、十勝管内の帯広で38.8℃、私の家の温度計でも37.5℃。
 この日の全国の最高気温ベスト10は、すべて北海道で、いずれも38℃以上。
 そのうちのほとんどが、5月としてはというより、今までの年間最高気温の記録を更新し、さらに言えば、この日の全国の最高気温の記録は、32位までが北海道内の観測地点であり、33位になってやっと福島県の35.9℃が出てくるというありさまだったのだ。ちなみに沖縄の那覇は、晴れていたのに28.4℃。

 昨日は朝から20℃近くもあって、まるで真夏の朝のような空気感だったのだが、昼前に36℃を超える頃から、外に出ると、何というか体全体が暑い空気に包まれているようで、その自分の体温を超える気温の不思議な感じを、久しぶりに味わったのだ。
 というのも、今までに何度かここでも書いたことがあるけれども、若き日のオースラリア旅行で、たびたび体験した砂漠の中での40℃超えの気温、その時以来の暑さのだったからだ。
 私が九州にいた時も、家は山間部にあるから、38℃はおろか、むし暑さがあるといってもても、35℃まで上がることはなく、さらにはこの北海道にいるときでも、35℃を超える体験をしたことはなかったのだが、それも真夏のころならともかく、まだ5月の季節は春だというのに・・・これは、もしかして自然界からの警告の声、終わりの始まりを告げる声ではないのかと思ってしまうほどだったのだ。

 人間というものの、自然に対する罪深さは、確かに地獄の業火に焼かれるに値する、悪逆非道のふるまいの数々の行いにあり、もうそれは取り返しのつかない、ブラックホールへの入り口にまで来ているのかもしれないが。
 今ならまだ、踏みとどまることはできるかもしれないのに・・・。

 『聖書』「ヨハネ黙示録』第3章より

 ”すなはち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。だから、あなたがどのようにして受けたか、また聞いたかを思い起こして、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。”

 人間たちの、自分たち自身を滅ぼすことになるかもしれない、愚かな行いの中で、それでも、他の生き物たちは自分たちの生のままに生きていくのだ、草も樹も、虫も鳥も。

 私が北海道に戻って来てから、1か月がたった。
 それは、ようやく草の若芽が伸び始めたころであり、枯れ木色だった樹々のあちこちから新緑の芽吹きが始まっていたころであり、今や、その鮮やかな萌黄(もえぎ)色の新緑は、少しずつ濃い緑への色合いを増して、辺りに広がっている。(写真上、左カラマツ、右シラカバ・ミズナラ・ナナカマド)

 林のへりには、チゴユリの小さな花が咲き始め、林の中では、ツマトリソウの白い花や、薄紅色のベニバナイチヤクソウが咲き始め、日当たりの良い所では、スズランも咲き始め、庭の植え込みの所では、ツツジの第2弾としてのエゾヤマツツジが咲き始めたかと思うと、この暑さで一気に満開になってしまった。(写真下)




 前回あげた山菜のコゴミは、今や南国のシダのように巨大化した葉だけになってしまい、ウドも葉が茂り、さらにはフキがそのカサを広げて伸びてきている。

 こうした記録づくめの暑さになる前は、あちこちの草取りに励んでいた。
 際限なく黄色い花を咲かせる、あの外来種でもあるセイヨウタンポポの抜き取り作業がそれだ。(といっても、日本のタンポポのほとんどはこのセイヨウタンポポであり、在来種の二ホンタンポポにお目にかかれることはめったにないのだが。)
 有名な歌に歌われるほどに、どんなことにもめげずに咲き続けるタンポポの花は、見ている分には鮮やかな黄色できれいなのだが、一つの花で数十数百もの種を綿毛に乗せて運び散らかしていく、その繁殖力は驚異的であり、ほおっておけばすぐに、あたりはタンポポ畑になってしまい、他の植物の侵入を許さないほどだ。
 引き抜くときも、根を残すと、翌年そこからまた葉や茎を伸ばし花を咲かせるし、根ごと引き抜いてもそのままにしておけば、根や葉は枯れていくにしても、花の部分だけは生き続け、そのまま花から綿毛を作るまでの行程を続けていくのだ。
 さらには、もう一つのやっかいな外来種である、あのセイタカアワダチソウがあちこちに侵入してきていて、これは秋の黄色い花が種になって増えるだけでなく、引き抜いても残った地下茎で増えていくという根性ものだから、手に負えない。

 考えてみると、確かにあのドイツ生まれのスイスの作家ヘルマン・ヘッセが言うように、樹や草花野菜などを育てていくことの愉(たの)しみ、いわゆる”庭仕事の愉しみ”があるからこそ、際限なく続くその庭仕事も苦にはならないのだ。
 しかし、いったんその作業をしていた人が不在になれば、今まで矯正発育をさせられていた植物たちが、それぞれの本能のままに、勢力発展を図り、やがては、人間から見れば”荒れ果てた庭”に自然の原っぱや林へと、変わっていくだけのことなのだろうが、つまり庭や畑は、その管理する人間がいる間だけの、彼らの遊びの庭でしかないのだ。

 人間の生も、また然(しか)り。
 すべての物事は、私たちが生きている間だけの、私たちの認識の中だけに作り上げられた楼閣(ろうかく)であり、私という存在が、亡くなってしまえば、まさしく”砂上の楼閣(ろうかく)”のごとく消え去って行くものなのだろう。
 今までにも、何度となく取り上げてきたあの『方丈記』からの一節。

 ”ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。
 ・・・。朝(あした)に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。不知(知らず)、生まれ死ぬる人、いずかたより来たりて、いずかたへか去る。また不知、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、主(あるじ)と栖と、無常を争ふさま、いわばあさがほの露に異ならず。・・・。”

 (『方丈記』鴨長明 市古貞次校注 岩波文庫)

 それでも、人は生きていき、草や木は茂り、虫は這い鳥は鳴く。
 猛暑日の昨日、朝から林全体で鳴いていたエゾハルゼミの声、私はその声で日が昇る前に目をさましたのだが、日中にかけてその勢いが弱まり、昼時にはもう数えるほどになり、ある時ぴたりとやんでしまったが、再び夕方に向かって鳴き始め、陽が沈んで薄暗くなるころもまだ鳴いていた。
 エゾハルゼミは、大体において、日が差してきて鳴き始め、夕方陽が沈む前まで鳴き続けていて、日中でも日が雲でさえぎられるとぴたりと鳴き声が止んでいたものだから、てっきり陽の光や気温に連動して鳴くものだと思っていたので、今回のように、セミの鳴き声を左右するものが温度であるにしても、暑すぎてもダメだとは知らなかった。
 それは、昨日のあまりにも異常な気温の中でのことだから、とも思うのだが。

 鳥たちについていえば、特にこの1週間ほどはキビタキがやって来て、ホイピリリとすんだきれいな声を聞かせてくれていたのだが、やがてエゾハルゼミの声が圧倒するようになり、二三日前にはツツドリの声が聞こえ、今日は、いつもよりずっと早く、カッコウの声が聞こえていた。

 今日も、昨日からの暑さを引きずっていて、32℃まで上がり、真夏の暑さだった。
 しかし、ありがたいことに家は丸太小屋だから、断熱効果が効いていて、窓を閉め切っておけば気温は20℃くらいで、場所によってはフリースを着たくなるほどだ。
 しかし、ロフトの2階はムレムレの暑さになるが、夜になって窓を開けておけば、冷たい空気が入ってきてくれて、朝の気温は15℃くらいと快適この上ない。
 私は、夏があまり好きではないけれども、この北海道の朝のさらっとした空気感だけは、何物にも代えがたいと思っている。
 
 相変わらず快晴の暑い日が続く毎日で、雨は降らずに、井戸は干上がったままで、もらい水で何とかしのいでいるが、洗い物にも不便して、庭のまき水さえできずに、大好きな風呂も三日に一度くらいで・・・。 
 まあ、何事にもすべて満足できることなどありえないことだし、ともかくは、この大好きな北海道に居られる事だけでも良しとしよう。

 さあて、夕暮れも近づいてきて、日も傾いて、気温も下がってきたことだし、外に出て、暮れなずむ空を見上げ草や木を眺めながら、ほおっーと一息ついて、人力放水でもするか。 
 それを見たキタキツネが、キャーンと一声あげて走り去っていく。イエス ウィ キャーン。