ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

眼前にある光景

2016-01-11 23:00:54 | Weblog



 1月11日

 曇り空の日には、さすがに最高気温でも5度くらいまでしか上がらず、少しは寒く感じるけれども、晴れた日には10度を超える暖かさになり、小春日和(こはるびより)のように、陽だまりが心地よい一日になる。
 冬の間は雪の降る日も多く、東京よりははるかに寒く感じる、この九州の北部山間地では、まだ”寒の内(かんのうち)”の1月のさなかだというのに、その後も相変わらずの暖冬のままに、雪の降らない穏やかな日々が続いているのだ。

 そして、このような日々が続けば、人は誰でも、こうした日々の気象の変化にさえ慣れていき、この冬の暖かさを、いつもの冬だと思うようになるのかもしれない。
 前回取り上げた”慣れる”ということは、あくまでも私自身の、苦境に陥った時の、極めて消極的な対処法に過ぎないのだが、実際、今ここにこうして”ぐうたらに”生きていられることは、今までの苦しみ苦難を、人生の様々な”通過儀礼(つうかぎれい)”の一つとしてとらえ対処しては、そうした境遇に慣れていったからだと思ってはいるのだが。
 もっとも、いつもそうしたことは、時間の経過とともに、後になってそうだったのだと、つまり、いつしか慣れてしまっていたのだと気がつくだけのことなのだが。

 ともかく、命にかかわるほどの大けがでない限り、傷は癒(い)えるものなのだ。
 自分の体が、ひとりでに時間をかけて癒(いや)してくれるものなのだ。
 ”心の傷”がいつまでも治らないのは、さらにそれ以上に悪化する場合さえあるのは、自分で実際以上に深く考えすぎ悩みすぎているからなのだ。
 時間の助けを借りて、”忘れること”、それにしくはない。
 悲しいことを思い返すよりは、誰にでも自分の人生には楽しい思い出が幾つかはあったはずなのだから、そんな良き時代の良き思い出の一つでも、あらためて思い出してみたいものだ。

 私の場合、そんな良き思い出は、数十年に渡って続いている、その年ごとに行った幾つかの山歩きの記録と写真に重なっている。
 例えば、もう十数年以上も前のことだが、まだ北陸新幹線がなかったころ、東京から長野新幹線に特急電車と乗り継いで(車窓から見える山々の眺めを楽しむこともできたが)、富山に着いてそこで一泊して、翌日富山電鉄バスと乗り継いで折立(おりたて)登山口まで行き、そこから太郎兵衛平に登り、下ってやや増水していた黒部川奥の廊下沿いの道をたどって(途中誰にも会わなかったが)、ようやく高天原(たかまがはら)の山小屋に着いて、歩いて10分ほどの秘湯、高天原温泉にも入ることができた。その時も、広い湯船に一人だけだった。
 翌日、四方を薬師岳、黒部五郎岳、鷲羽岳、水晶岳に囲まれた、ほとんど人のいない雲の平の周遊を楽しんだのだが、その時の写真を見ていて、ふと思い出したのだ。
 それは、犬塚勉の描いた「縦走路」と題された、一枚の絵である。

 

 この絵を、雑誌か何かで初めて見た時には、てっきり写真だと思ったくらいに、細密具象画としての完成度が高くて、それもそうして描くことが目的ではなく、一瞬の時をとらえた山上光景だということに気づいて、しばらく見入ったほどだった。
 これは、もちろん言い過ぎになるだろうけれども、背景の雲の多い空は、あのフェルメールの「デルフトの光景」の移り行く雲の描写さえ思わせたのだ。
 変わりやすい天気の雲を描くことによって、移り行く時を、その時の一瞬を閉じ込めたこと。
 あのデルフトの家並みと係留されたいくつもの船、立ち話をする人々などをすべて詳細に描くことで、よりその時の現実の光景が写し取られているように。
 同じように、周りの雲が山上に上がってくる正午に近い時間帯の風景を、背後のややかすんだ山と、縦走路の細かい岩礫(がんれき)の一つ一つを詳細に描くことで、よりその時に見た光景に近づけて、現実のある瞬間だけを、自分の印象として封じ込めたのだ。
 
 山に登っている人なら、誰もがわかるような、ある登山道での風景なのだ。やがてはガスに包まれるかもしれないという、幾らかの不安を感じつつ、目的の山小屋はもう近いのだからという安心感もあって、歩き続けている・・・。
 何という、微細に描かれた風景画だろうと思うよりは、それ以上に、何と登山者の心を描いた絵だろうと思ってしまうのだ。
 さらにある、この展覧会パンフレットのコメントには、(南アルプス)北岳付近とあり、あの二重山稜になった北岳山荘付近の光景かとも思ったのだが、初めて見た時に、私の記憶の中から浮かんできたのは、あの雲の平への道だったのだ。

 他にも、北アルプスの縦走路の幾つもが目に浮かぶ。
 折立から登った太郎兵衛平付近、蝶ヶ岳付近の二重山稜や大天井岳や裏銀座の野口五郎岳付近、後立山の天狗山荘付近など、北海道で言えばトムラウシ山が近づいた北沼手前の付近、十石峠から音更山に向かう途中の展望の良い砂礫地など、思い出しあげていけばきりがない。
 つまり、森林限界を超えた高山帯の縦走路なら、どこにでもありそうな所、それは展望ポイントや休憩地点としてよく知られていて、それまでに写真に撮られたりしたことがあるような場所ではなく、誰もがそのまま通り過ぎるような、ありふれた登山道の一地点に過ぎないということ。
 それだからこそ、登山者の展望を待ち望む時の視覚だけに頼らない、その時に歩いていた登山者の感覚が伝わるのではないのか・・・。
 
 さらに、このパンフレットの最初には、彼のもっとも良く知られている絵が載っている。
 「梅雨の晴れ間」1986年。
 (冒頭写真、以上二点、高崎市美術館 『犬塚勉展 永遠の光 一瞬の風』パンフレットより)

 林の中へと入って行く、古い林道跡のような細い道。
 車のわだち跡の片側だけが、人々の通う山道として使われているのだろうか。
 初夏の朝、まだ少し涼しい空気の残る中、緑一色の草の中、手前には、ハルジョオンらしき野草の花が咲いている。
 どこにでもありそうな、里山の光景か、あるいは、山頂へと登るべく向かう登山口の光景なのか。
 思わず道をたどって、林の中へと入って行きたいような、眼前にある光景なのだ。

 というふうに、この二点の絵を自己流に解釈してみた。
 私は、世界の絵画について、特に抽象画については、十分に理解するだけの鑑識能力はないし、ただ誰でもすぐに絵画だとわかる具象画だけのファンでしかないのだが、そのなかでも、今まで何度もこのブログで触れてきたように、昔からのフェルメールの絵のファンであり(若き日のヨーロッパ旅行は、フェルメールの絵を見ることが一つの目的でもあったくらいで)、それも一次元でしかない平面の絵を、二次元三次元的に陰影の中でとらえた上に、四次元の時間までも、そこに今あるものとして封じ込めた、フェルメールの画家としての才能に心酔しているのだが、この犬塚博の絵にも何か近しいものを感じているのだ。
 まだ実際には、目の前で見たことがないだけに、もし彼の美術展があるならば、なんとかして行きたいと思っているのだが。
 先日、他のことでネットを調べていて、何と先月から、群馬県高崎市の美術館で”犬塚勉展”が開かれていたことを知ったのだ。それも今月いっぱいの期限しかなくて。

 前から知っていれば、北海道から戻る途中に、東京に寄って、一日かけて高崎に行って見ることもできたのに。
 しかし考えてみれば、私はもう長い間、東京には泊まっていないのだ。
 ビジネスホテルでも宿代が高いうえに、何より部屋がとれないことが多いのだ、外人観光客が増えたのが大きな要因だろうが。
 それならば、今行くかと考えてみても、宿は東京に泊まらず高崎周辺に泊まればいいのだが、往復の飛行機代などの多大な交通費をかけても行くべきかと、決心がつかない。

 それはまさに、優柔不断な私の一面を表すものであり、例えば私は長年にわたって、あのヨーロッパ・アルプスのトレッキング再訪の旅に出かけたいと思ってはいるのだが、お金はともかく(自分の墓石代金を取り崩してでも行くべきだし)、ただいろいろと出発前後滞在中の細かい手続きなどを考えていると、もうこの年寄りとしては、行く前からうんざりしてしまうのだ。
 わずか数日の国内遠征の山旅の計画とその実行でさえ、やっとのことで何とかここまでやってきたのに、外国となればさらにと、その思いもなえてしまうのだ。
 苦労した分、その旅を実行して得た果実が大きいことはわかってはいるのだが。

 この冬、他にも実行に移したい旅が二つもある。
 去年の冬は、とうとうどこにも行かなかった。一昨年の冬の蔵王があれほど素晴らしかったのに。(’14.3.3,10の項参照)
 この、”ぐうたら”じじいのこと、果たしてどうなることやら。

 前回、暮れから年始にかけて見たテレビ番組についてあれこれ書いたのだが、さらに書き足りなかった番組について、幾つか書き足しておく。
 まず、先月半ばにNHKで放映された『絶景アルプスを飛ぶ~パラグライダー・レース』だが、先にヨーロッパ・アルプスについて書いたのは、この番組を見て、やはりもう一度行って見たいと思ったからでもある。
 上空からの撮影(おそらくはドローンによるものだろうが)、青空と白雪のアルプスの峻峰たち、マッターホルンやモンブランが迫ってきて、もう居ても立っても居られない気持ちになるのだ。
 動力を一切使わずに、パラグライダーと自分の足によるマラソンだけで、東から西にアルプスを縦断するというレースは、まさに過酷そのものの争いなのだが、やはり私にはいつも背景にある山の風景が気になっていた。 
 
 そして、これは日本のドキュメンタリー番組だが、NHKの『ドキュメント72時間』。
 同じ場所に3日間カメラを置いて、そこに来る人々にインタビューしていくという、まさに社会学的な定点観測番組であり、その時々のテーマで当たりはずれがあり、多くの編集作業や削除事項が必要だとしても、ドキュメンタリーの本質を突いたなかなかに見ごたえのある番組だと思う。
 今回は、一年間放送されたものの中からのアンコール・ベスト9であり、4時間を超える放送で、その中には見たものもあり、早送りで飛ばし見ただけのものもあるが、今の日本のある断面から見た社会の声として見れば、なるほどと思うものばかりだった。
 
 さらにこれも、1月9日のNHKの対談番組『SWITCHインタビュー達人達』だが、あの104歳になる病院医師の日野原重明さんと、103歳の現役の書道美術家である篠田桃紅(とうこう)さんによるもので、”207歳の奇跡の対談”といううたい文句ほどの見世物的なものではなく、(ただ桃紅さんのバセドー氏病によるという大きなのどの腫れがあまりにも痛々しかったが)、お二人の話に、よどみや言い間違いなどもなく、きわめてはっきりと普通の会話として聞くことができた。
 興味深かったのは、お二人がここまで長生きできたのは、日野原さんがビジョンを持ち使命感を持つことだと言ったのに対して、一方の桃紅さんが、今日のことだけを考えて後は気にしないで生きていることだと答えたことだ。
 もっとも、それらは相反するようだが、実はお二人ともそろって、強い好奇心と信念を持っているということになるのだろう。 
 それなのに、昨日のニュースで、一月ほど前に介護老人ホームに入居したばかりの、93歳同い年の老夫婦の、夫のほうが妻の首を絞めて殺したとのこと・・・様々な事情があってのことなのだろうが、余りにも痛ましい。

 次は1月2日の新年特別番組で、『ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯 (大河ドラマ)真田丸』三本合わせたような構成になっていて、『真田丸』の主人公真田幸村を演じる堺雅人は、この二人の番組にそれぞれ参加するという形での出演だったのだが、もちろん『ブラタモリ』はここでも何度も取り上げているようにいつも楽しみに見ているし、今回も地質地形学から見た真田幸村の築城の仕方というテーマが何より興味深かったし、いつも同行している、この番組の”ぼけ役”アシスタントでもあるNHKアナウンサーの桑子真帆アナウンサーが、途中で地元のおばさんたちから、「真帆ちゃん、きれいになったね」と声かけられていたのだが、それは彼女が新人時代に長野放送局に配置されていたからだと、その時になって初めて知ったのだ。
 何を隠そう、実はこのおじさんも、7時のニュースにも出ている桑子真帆アナウンサーの隠れファンなのだ。てへー。
 AKBだったり乃木坂だったり、真帆ちゃんだったり。これが年寄りのほのかな思いの楽しみなのだ。
 もちろん、NHKのもう一つの人気番組である『鶴瓶の家族に乾杯』も、さすがに”天真爛漫”な親しみやすい大阪のおっちゃん丸出しで、いつものように楽しめたのだが、この特別番組を見たために、つい昨日の『真田丸』第1回目さえも見てしまったのだ。
 
 そして昨日のいつもの『AKB48SHOW』は、大晦日の紅白特集だったのだが、やはり卒業する”たかみな”高橋みなみだけには知らせずに、卒業生のエースの二人、”あっちゃん”前田敦子と”ゆうこ”大島優子が、それぞれのセンター曲で、”サプライズ”出演したのは、もちろんそのことを知らなかった私たち視聴者を含めて、やはり何度見ても楽しい”ドッキリ”仕立てだったのだ。 

 はい正直に言えば、私にとって、AKBは今では、山登りに並ぶ私の大きな趣味の一つとなっておりまして・・・ただテレビで観て聴いて、ネット情報でいろいろと知るだけで、別に生で見たい聞きたいなどとは全く思わないのですが。
 そういえば先日、そのネットの情報サイトの書き込みに「AKB以外のお前たちの趣味を教えろ」という書き込みがあって、何人もの”AKBオタ(オタク)”たちが、その質問にまじめに(中にはふざけて)答えていたが、その中には、少数ながら登山やクラッシック音楽、ジャズ、絵画、読書というものもあったのだが、多かったのはスポーツ観戦(野球、サッカーなど)と、競馬であり、そしてAKBだけというのもあって、ある意味気にはなったけれども。
 まあAKBファンは、ひとくくりには、まとめられないのだろうが。
 
 それにしても、ここで初めて、私はAKBのファンでいることが趣味なのだと教えられたのだ。いつまで続くかはわからない趣味だけれども。
 前に書いた、AKBのCD発売日を待っていると言った、あの北海道の70幾つかになるというおじいちゃんは、まだAKBのCDを買っているのだろうか。