11月16日
さらに雪が降って、最高気温が5度にもならないような寒い日もあり、今日のように朝から空気がやわらかく、日中の暖かい日差しで、久しぶりに15度を超える日もあるのだが。
こうして、行きつ戻りつを繰り返しながら、少しずつ季節は冬に向かっているのだろう。
数日前の雪の後、冷たい雨が降り続いた翌朝、起きてみると、窓の外に、葉の落ちた木々の間から赤い色の連なりが見えていた。
身支度をして外に出る。気温-3度、まだそう寒くはない。
少し歩いた所まで行って、全山が赤く染まった日高山脈を眺める。
(写真は、左から1823m峰、ピラミッド峰、カムイエクウチカウシ山、1903m峰)
私の好きな季節がやってきたのだ。
朝、晴れていれば、こうして白雪に覆われた山波の、モルゲンロート(日の出の赤色)に染められた連なりを見ることができるのだ。
私にとって、生きることというのは、つまりこうして季節ごとに、山々が見せるその時だけの姿を、一瞬の至福の時として見ることにあるのかもしれない。
年を取ればとるほどに、その思いは深くなり、長年の経験と、今ここにいることの感情が合わさって、それまでの山とともにあった日々の、その時々の景観の思い出があふれくるのだ。
十勝幌尻岳(1846m)からのカムイエクウチカウシ山(1980m)、ヤオロマップ岳(1794m)からのカムイエク、札内JP(ジャンクション・ピーク1869m)からのカムイエクと日高幌尻岳(2053m)、そして、カムイ岳(1756m)からの日高幌、1967m鞍部からの日高幌、イドンナップ岳(1752m)からの日高幌など、他にもそれぞれの日高の山々の上から眺めた、モルゲンロートの光景があり、さらには大雪の山々の、その他の北海道の山々の朝日に輝く姿がある。
遠征の山々としては、北アルプスの山々のモルゲンロートの姿が忘れられない、剣・立山、白馬、五竜・鹿島槍、槍・穂高、そして南アルプス、中央アルプス、八ヶ岳・・・最後に、北海道の山々とともに、私が最も親しんだ九州は九重の山々も・・・。
それぞれの山のその時だけの、一瞬の光景。
それらはすべて、私がめぐり会えた良き偶然の瞬間だったのだ。
前にも、偶然については少しだけ考えたこともあるのだが(『偶然性と運命』 木田元 岩波新書参照)、しかしそれが、あのフランスの哲学者サルトルが言うように、人間存在の不条理さからくるものなのか、あるいは、ドイツの哲学者ヘーゲルが言うように、あくまでも一時的な無意味な現象に過ぎないものなのか、などと深く突き詰めて考えていくだけの知識を私は持ち合わせていないから、ただそれを、”たまたま出会ったこと”ぐらいにしか考えていないし、そうした意味で使っているだけのことなのだが。
思うに、その朝の見事な光景に出会った偶然は、全く予期していなかった驚くべき山々の姿というではなくて、多分に期待を込めて、そうなるかもしれないと思ったうえでの結果ではあるのだが、しかしそうはならないこともあるのだから、良い結果になった偶然に出くわしたと言うべきなのかもしれない。
こんなことを書いているのは、”良い偶然”であったこの朝の美しい山々の眺めとは、あまり関係のないことかもしれないが、私にとっては、もう一つの”悪い偶然”とでもいうべき出来事があったからでもある。
二日前のこと、雨上がりの朝、外に出てみると、辺りは風と雨で落ちてきたカラマツの葉が一面に散り敷いていて、庭も小屋も家も、すべてはカラマツの黄色い葉に覆い尽くされていて、むしろ今までの庭の景色から見れば、ずいぶん明るく感じられる眺めだった。
ふと窓の下を見ると、そこに置いてある長い足場板の上に、何か灰色の小さなかたまりが見えた。
最初は、前にも庭で死んでいた小さなネズミ(エゾヤチネズミ)かとも思ったが、近づいてみるとそれは一羽の鳥だった。
ゴジュウカラだ。(写真下)
体はもう温かみもなく、硬直していた。
しかし、背中にかけての灰青色の羽と腹にかけての白い羽は、まだつやつやと豊かにふくらんでいて、冬にかけての寒さにに耐えられるようになっていた。
この冬もこのあたりの林で、まだまだ元気にエサ探しに、木々の間を飛び回り走り回るはずだったろう、このゴジュウカラ・・・。
一月以上も前のこと、秋になって、シジュウカラやヒガラなどの、カラ類の混群が庭木などにやってくるようになると、このゴジュウカラの姿もよく見かけるようになっていて、そのフイフイという鳴き声とともに、木の幹を下に向かって駆け下りていく姿を見かけていたのだが。
その時に見た、同じ個体であるかどうかは分からないけれど。
死因は、窓の下近くの所に落ちていたから、おそらく窓ガラスに勢いよくぶつかってしまったのだろう。
今までにも、数羽の鳥が、このガラス窓にぶつかって、命を落としている。
アオジ、センダイムシクイ、シジュウカラなどであり、そしてあの大きなキジバトでさえぶつかったことがあるくらいだから、その時には家の中にいて、音がして気がついて外に出てみると、バタバタしていたが、それほどひどい傷を受けたわけではないらしく、家の中に戻りしばらくして見た時には、もうその姿はなくどこかへ飛び去っていた。
鳥の方から見れば、この二重窓の窓ガラスが、手前の広々とした庭の景色を映していて、向こうへ飛びぬけられると思ったのだろう。
鳥たちがぶつかるのを、防ぐ手立てはあるのか。
窓ガラスをなくしてしまうわけにはいかないから、これが窓ガラスであることを鳥たちに教えるしかない。
それには、窓ガラスにいろいろなシールをベタベタと貼り付けることだろうが、それは家の中から見れば暗くなるし、外から見ても、どうもごちゃごちゃとして品がない。
ということで、確か日本野鳥の会などでは、そんな野鳥たちの衝突事故を防ぐために、小鳥たちが嫌うワシ・タカの姿をした、窓用シールを売っていたはずだが。
もっとも、そうしたものは今の時代、パソコンとプリンターで簡単に作れるものだろうが、私はどうも窓にシールを貼るということ自体が気になっていて、そのまま窓ガラスには何の対策も施(ほどこ)してはいなかったのだ。
そのために、また一羽の鳥の命を奪うことになってしまった。
この場合、人間側の法律でいう、刑法上の”未必の故意(みひつのこい)”の条項があてはめられるかもしれない。
何もしないことは、計画的な意図、つまり故意の意識がなかったとしても、”起こりうるかもしれない最悪の事態”を予測意識していたにもかかわらず、何らそれを防ぐ手立てを講じなかった、ということになるのだろう。
まだ死ななくてもよかった、ゴジュウカラの命が、ここで一つ失われたということ。
私はそのことで、何の”とが”を受けるわけではないけれども、小さな生き物の命が、私の不作為のせいで失われたのかもしれないという、心の”とが”を受けることになったのだ。
ごめんなさい。私は、林の中のハウチワカエデの根元に、小さな穴を掘り、そのゴジュウカラを埋めてやった。
3年前に九州の家で死んだ、このブログの名前にもなっている飼い猫の”ミャオ”は、その庭のカツラの木の根元に穴を掘り埋めてやった。
あの時に書いた(2012年5月)ブログ記事は、いまだに読み返す気にはならない。
もちろん、ミャオが死んだという事実はしっかりと受け止めてはいるのだが、あの時のつらい思いを、繰り返し追体験したくはないのだ。
それよりは、むしろ元気でいたころのミャオの写真を見たり、ここでのブログ記事を読んでいたほうがいい。
そこでは、ミャオはまだ生きているからだ。
さて話を元に戻して、偶然のことについてだけれども、私が期待していた、”モルゲンロート”に輝く山々の姿を見られたことを、”良い偶然”だとすれば、このゴジュウカラの場合は、それが意図的に意識していたものではないとしても、可能性がどこかに残っていた”悪い偶然”だったといえるだろう。
そして、この”良い偶然”と”悪い偶然”は、両者が重なり合い混然となる時もあるのだ。
その場合、私たちは、自分の”悪い偶然”が一瞬の後に”良い偶然”に変わった時のことを、いくつも覚えているものなのだ。
子供のころ、川で溺れて、それでも周りのお兄さんたちによって何とか助けられたこと、中学生のころ、パキンパキンと音が聞こえるくらいの骨折をしたこと、オーストラリアの砂漠の道をバイクで高速で走っていた時に、転倒事故を起こしたこと、日高山脈単独行で、何度もあわやという危険な目にあったこと、今までに、何度かの交通事故にあったことなどなど・・・それでも悪運強くというべきか、命にかかわる事故にはならず、ここまで生きながらえてきたこと・・・つまり、思い返せば、誰でもがそうであったように、自分の人生がいかに多くの”幸運”に支えられていたか、と気づくことにもなるのだ。
しかし中には、こうした”悪い偶然”がさらに重なって、最悪の事態を引き起こし、命を落とすことにもなるのだろう。
それも与えられた人生を十分に生き切らないうちに、子供のうちに、青年時代に、家族ある働き盛りの時に、そしてまだ私のような年寄りになる前に、突然の事件事故によって、命を失うことにもなるのだ。
4年前の東日本大震災で津波に飲み込まれた石巻の大川小学校の生徒たち、このたびのパリのテロ事件によって殺されたロック・コンサートに来ていたフランスの若者たち、30年前のあの御巣鷹山日航機墜落事故で、亡くなったサラリーマンたちが機内で書き残したメモ、などなど・・・。
つまり言い換えれば、上にあげたサルトルが言うように、「人間は自由の刑に処せられている」ということになるし、さらに”人間は、いかに偶然という自由の中に放り込まれているのか”ということにもなるのだろうが。
日々こうして、幾多の命が生まれ、また幾多の命が失われていく中で、私たちは、そんな天文学的な数字が並ぶ、自然界の奇跡的な偶然の中で、ひとり生かされ、生きているのだ。
そう考えてくれば、日々身の回りに起きるわずらわしいことや悩みなど、取るに足りないことだと思えてくるし、つまり、すべては脳天気に考えて、”生きていればめっけもん”だと思えばいいのだ。
先のことなど、”明日は明日の風が吹く”、”神様も知らない”ことなのだから。
秋の名残の、カラマツの葉が、時には強い風に吹かれて、時には雨に打たれて、時にはかすかなそよぎで、小雪のようにハラハラと散り落ちて、辺り一面をすべて黄色く染めてしまった。
それまでの、春から夏へと続いた緑の履歴(りれき)を、すべて大地の記憶として閉じ込めてしまうかのように、カラマツの葉は、たださらさらと、さらさらと降り積もっていくのでした。(写真下)
「・・・。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡(あわ)い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今まで流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました・・・・・・」
(中原中也 『永訣(えいけつ)の秋』より 「一つのメルヘン」 現代日本の文学17 学習研究社)