1月12日
上の写真は、冬の間も北海道にいたころのこと・・・今からもう10年も前のことになるが・・・朝日が昇ってくる写真を撮ろうと外に出たのだが、その時、朝日が昇る反対側には、満月の月がまだ輝きを残して、西の空に沈んでいこうとしていた。
それは、冬のさなか、1月半ばの早朝のことであり、あの有名な、与謝蕪村(よさぶそん)の名句、「菜の花や 月は東に 日は西に」を思い浮かべるような、もっとも菜の花が盛りの季節には比べるべくもないが、あたりはしんと静まって、ただ雪の道が一つ続いているだけだった。
昼間はたまにクルマも通る道だが、夜明け前の、ピンと張りつめた寒さの中で、その時、私はひとりで雪を踏みしめながら歩いていた。
何処へ、何のために・・・歩いている私には、問うまでもないことだ。
それにくらべて、この九州は何と暖かいことだろう。
それまで積もっていた雪は、先週初めの雨で溶けてしまい、その後は晴れて、気温が10度を超える日が続いていた。
(と言いつつ今日はまた寒くなって雪もちらつき、最高気温はわずか3度までしか上がらず、まだまだ、冬は高い空の上にいるのだ。)
ともかく、そんな暖かい日が続いていたある一日、私は揺り椅子をベランダに出して、日差しを浴びながら、雑誌を読んでいた。
定期的に読み続けている雑誌や週刊誌の類はないのだが、この正月新年号だけはその付録欲しさに、いつもの3冊をネット通販で注文している。
これはもう長年続けている、私の正月の愉(たの)しみにもなっているのだが。
まず、そのうちの一冊は『レコード芸術』であり、これは東京で働いていた時から、毎号かかさずに読んでいたクラッシック専門誌なのだが、北海道に移り住んでからも変わらずに買っていた。しかし、それも10年ほど前から、ついに途切れがちになり、今では、この新年号掲載の”日本レコード・アカデミー賞”発表記事と、付録の『レコード・イヤーブック2015』を目当に買っていて、今ではそれによって、かろうじてその年のクラッシック音楽界をうかがい知るだけになっているのだが。
さらには、毎年買い求めていたかなりの額になるレコードやCDも、次第にその購買数が少なくなってきて、去年はついに箱セットもの三点だけになってしまったのだ。
無理もない、若い時からさんざんクラッシック・レコードやCDにお金をつぎ込んできて、それがたまりにたまってレコード・CD棚はいっぱいになり、これからは、何とかそのほとんどを処分していきたいとは思っているのだが、こうして新年巻頭の雑誌を読み、クラッシック音楽界の新しい動向を知ると、またその新しく録音されたCDを聞いてみたくもなるのだ。
年は取っても、まだまだ新しいものへの貪欲な思いは失われてはいないと言うべきか、”ごうつくばり”じじいというべきか。
次は、山登りの人たちのための雑誌、『山と渓谷』であるが、これはその時々の特集記事によっては、一年のうち何度か買い求めることもあり、 ただ何と言ってもこの新年号の付録、”山の便利帳(Mountaineer's Data Book)"は、全国の山小屋や関係機関、登山用品店などが記載されていて、それは毎年変わるものだから、どうしても年ごとのものを買っておかなければならない。
雑誌そのものの内容は、ライバル誌の『岳人』が、主に上級者向けであるのに対して、上級者から初心者までを対象にしていて、いささかごった煮の感は否めないが、それでも今では中級登山者のじじいでしかない私には、何かしらのヒントやニュースを伝えてくれる大切な情報源の一つにはなっている。
最近テレビでは、BSでのNHK民放合わせて三本もの定期的山番組があり、さすがに映像で見るその情報量は圧倒的であり、やがてはこの雑誌もまた新年号だけの購読になるのかもしれない。
つまりこれからは、もうこれ以上の新しい情報を得て新たな山に向かうよりは、体力気力が衰えてきたぶん山に行かずに家にいて、今まで登ってきた山々をひとり思い返しては楽しんでいきたいと思う。
と言うのも、今までにフィルム時代に写してきた、おびただしい量の写真があるわけだから、それらのすべては無理にしても、最盛期のころに登った山々の姿を収めたフィルムだけでも、何とかデジタル化して、大きなモニター画面に映し出し、ひとりニヒニヒとほくそ笑み楽しみたいと思っているのだが。
そして最後の一冊は、『アサヒカメラ』であるが、実は昔からこうしたカメラ雑誌を買う方ではなかったのだが、それはつまり私が芸術的な写真に余り興味がなく、ただカメラは旅の記録として風景や人物を写すものであればいいと思っていたからである。
とはいえ、長い間使っていたマニュアル一眼レフから、山々をより詳細に映してくれる中判カメラが欲しくなり、結局それは3台も買い替えるほどまでに使うことになったのだが、そのころから度々カメラ雑誌を買うようになり、その後カメラ機材は、より緻密な画像をたやすく得られるデジタル機器へと移行してしまったが、ともかく今では、この新年号とたまに特集記事にひかれて買うことがあるくらいである。
ただ、この『アサヒカメラ』新年号だけを欠かさずに買うのは、もちろん、あの岩合光昭さんの”猫にまた旅カレンダー”が付録についているからだ。
そしてそれは、今ではもういないミャオが、わが家の飼い猫になったころからのことであり、私はそれまでの”犬好き”から、併せて”猫好き”にもなってしまったのだ。
今、私は、猫も犬も飼ってはいない。
私は、ひとりで弱虫だから、もう二度と、あのミャオの死のような場面に立ち会いたくはないのだ。
ミャオが死んでもうすぐで、3年にもなる。しかしその時のことを思い出したくもないから、このブログに書いたミャオの死の前後の記事も、また読み返したくはないのだ。
ただ、元気なころのミャオをしのんで、さらには猫のかわいらしさとその気ままな行動をなつかしんで、この”猫にまた旅カレンダー”の猫たちを見たり、あるいはNHK・BSの『岩合光昭の世界ネコ歩き』の猫たちを見ては、心いやされているのだ。
もちろん動く映像の方が、見ていて面白いのは確かだけれど、スナップ写真として、その一瞬が切り取られた画像もまた素晴らしい。
今年のカレンダーも毎ページ見事なのだが、あげるとすれば二点・・・。
一つは表紙になっている、ハワイ島のとある家の前での一枚。ベランダの入り口の両脇に椅子が置かれていて、一つには日系3世だというおばあさんが座っていて、顔を少し斜めに向けているが、通りを歩く人でも見ているのだろうか。
もう一つの椅子には、珍しい三毛猫が座っていて、じっとこちら側のカメラを構えた人の方を見ている。
素晴らしい一瞬だ。シンメトリー(対称的)であり、かつ同一の時間にいる二人・・・人生や猫生に限らず、生きていることの確かさに感動さえも覚える一瞬だ。
もう一枚は、10月の項だ。南米のウルグアイの赤土の砂利の河原に、ノラネコたちが十数匹、それぞれに微妙な距離を空けて、座ったり寝たり立ったりしている光景。
その猫たちの影が、それぞれに少し長く伸びている所を見ると、午後遅くなのだろうか、それにしても、猫の集会は、大体夜中に決まっているのに・・・。
しかしそんな理由よりも、私が感心したのは、見覚えのあるその構図なのだ。
それは、3年前に私がDVDを購入してまで見たかった映画、アラン・レネの『去年マリエンバートで』(’60)の一シーンを思い出させたからである。(’12.1.22の項参照)
動画では動き出すかもしれない猫たちが作り出した構図を、一瞬の形として切り取った写真の見事さに、思わず見とれてしまったのだ。
今年もどうにか生きながらえて、こうして”善(よ)きものたち”に巡り合えるということ、それが生きている喜びの一つになるのだ。
自分だけは、ライオンという不運に襲われずに、生き延びたと思っている・・・あのヌーたちのように。
さて話は変わって、いつものように、年始年末の番組から。
しかし、何と言っても残念だったのは、あの国民的アイドル・グループと言われているわりには、AKBの特番が一本もなかったことだ。
つまり、年またぎのTBS系の『CDTV(カウントダウンティービー)』に、AKBグループの全部が出ていて、それを録画編集して20分の番組にしたものを、仕方なく正月の間繰り返し見ていたのだが、ようやく一昨日、いつものNHK・BSの『AKB48SHOW』があって、それは紅白でのAKBグループとその裏舞台をまとめた番組になっていたのだが、それでいささかではあるがAKBを見たいという渇きはいやされたのだ。ともかくこの正月の間、AKBファンは少なからず悔しい思いをしたのではないだろうか。
もっとも、有料放送のスカパーなどでは、AKBコンサートなどの特番を何本も流していたようだが、全く持つものと持たざるものの階級差別化はここにまで及んでいるのかと、少し悲しい気持ちにもなるのだが。
もっともそれは、余分な金と時間まで使って、いい年をしたじいさんが、孫娘のようなアイドル・グループにこれ以上はまるなという、ありがたい警告なのかもしれない。
ここで抑えていれば、いつしかそのほとぼりも冷めて、AKBからは離れられるようになるかもしれないと。
そうしたことはよくあることだ。
子供のころ、当時はやっていたフラフープが欲しかったが、貧乏家庭ゆえに買ってもらえなかった。しかし、ブームはあっという間に過ぎ去ってしまい、やがてだれも見向きもしなくなったのだ。
私は、そのころ置き忘れられていたフラフープを手にして、回してみようとしたが、うまく回らなかった。やがて私も、誰もやっていないフラフープなどどうでもよくなって、やがて忘れてしまった。
大人になってからも、欲しい本やレコードが見つけられなくて、そのまま時は過ぎ、いつしかそのことも忘れてしまっていたのだが、ある時気がついても、もうその本もレコードも、それほど欲しいとは思わなくなっていたのだ。
つまり、このことは、すべての欲しいものに当てはまることなのだが、自分がどうしても欲しいと思った時に、いろいろ手を尽くしてやっとの思いで手に入れたものほど、大きな喜びと満足を与えてくれるものだということ。あの安いAKBの『UZA(うざ)』を手に入れた時のように。(’14.11.24の項参照)
そうして今までにあったことは・・・探していた本やレコードを手に入れた時、どうしても見たかった映画や絵画を見た時、何としても登りたかった山の頂きに立った時、行かなければならなかったオーストラリアの砂漠のただ中にいた時、さらには憧れのヨーロッパの建築群を目の前に見た時、ずっと好きだった彼女と初めて一緒になれた時・・・キャイーン、ワオーン、ワンワン・・・あーあ、若き日の思い出たちよ・・・”増えるシワ、若さは遠くなりにけり”ってか。
話はそれてしまったが、初めに書いた年末年始の番組に戻れば、AKBについてだけではないのだが、今回はあまり見るべき番組がなかったように思えるのだ。
映画も興味を引くようなものは一本もなく、たまたま高倉健追悼の意味を込めてか、『君よ憤怒(ふんぬ)の河を渉(わた)れ』(’76)が放映されていて、とりあえず録画して後で見たのだが、とても見続けることができずに、早送りで一応ストーリだけは確かめて、即座に消去してしまった。
それは、子どものころに見たアメリカの連続テレビ・ドラマ『逃亡者』の二番煎(せん)じのような物語に、昔の日本活動映画のつくりそのままの拙(つたな)さで、それ以上に劇伴音楽の何とも場違いな響きにあったからである。
というのも、あの名作『第三の男』に似たようなギターのメロディーがうるさく響き、さらには当時のテレビドラマ『七人の刑事』を思わせるような男声のスキャットも余計に思えたからだ。
明らかに、その程度でしかない音楽が映画の流れを壊していた。映画の出来が、いかにそこに流れる音に、音楽に左右されるかの良い証左(しょうさ)にもなるだろう。
私は映画好きだから、余りそれぞれの映画に悪い評価はつけたくはないのだが・・・。
そして、オペラに至っては一本も放映されなかった。
恒例のウィーン・フィルの”ニューイヤーコンサート”はズービン・メータだったが、若き日のメータとウィーン・フィルとの相性の良かったころと比べると、なぜか今一つ速いテンポで、響きの豊かさは変わらないものの、私には今ひとつ音の流れがつかえがちに聞こえたのだが。
歌舞伎は年末の京都南座での、『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』からあの有名な「祇園一力茶屋」の場で、仁左衛門、七之助、勘九郎の組合わせだったが、仁左衛門を除けばいささか小粒に見えてしまうし、もう一つの『恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい)』からの「新口村の場」では、梅玉に我当、秀太郎という組み合わせだったが、これはむしろ梅玉を当てた役に、少し違和感を覚えてしまった。
さらに正月二日の、”こいつぁ、春から”の新春大歌舞伎中継では、たしかに華やかな顔ぶれで、舞台もきれいでなかなかに興味深い演目もあったのだが、やはりほんの短い間だけの予告編でしかなく、やはり一幕だけでもじっくりと見たいのに、ただテレビで見るだけの歌舞伎ファンには、致し方ないことかとあきらめるしかなかった。
しかし一方で、ドキュメンタリーや対談番組では、興味深い番組が幾つかあった。期せずして正月2日の日に放送されたものばかりだったのだが、半分は録画して後で見たものだ。
まずは、NHKでの『日本列島誕生』だが、ただでさえ上空からの眺めが好きな私は、さらには地理的地学的な番組にも興味があり、今回のドローン(無線操縦超小型ヘリコプター)や無人機による撮影は実に目新しくて、楽しく見ることができた。
ドローンそのものは、あの『グレートトラバース 日本百名山一筆書き踏破』 の番組の中でも何度も登場撮影していたし、最近の山番組でも度々使われていて、その有用性は十分に感じていたのだが、いまだに火山噴火溶岩によって拡大しつつある、あの太平洋の新島”西之島”の最新の映像などは、その一部でかろうじてアホウドリが生息していることなども分かって、瞬時たりとも眼を放すことができない映像が、新鮮な楽しみにもなっていた。
ともかくこれらの映像を見ていると、地学的には、プレート同士の衝突で日本列島が生まれ、その時の付加体(ふかたい)が伊豆半島となってぶつかったものであり、そのサンゴなどでできた石灰岩の付加体の一部は、南アルプスの頂上付近にまで押し上げられているのだと、今まで本で知っていた通りの事実を再確認させてくれて、まるで実地での地学授業をうけているようだった。
さらに前回書いたように、再放送の『女たちのシベリア抑留』については、心痛む過去の記憶に胸ふさがれる思いになった。
次いでは、NHK・Eテレでの『100分de日本人論』は、同じように1年前に放送された『100分de名著 幸せについて考えよう』と同じように4人の識者に、参考となる本をあげてもらって、そのテーマについて語り合うというスタイルが今回も踏襲(とうしゅう)されていて、評論家の松岡正剛による九鬼周造著の『いきの構造』、作家の赤坂真理による折口信夫著の『死者の者』、精神分析医の斉藤環による河合隼雄著の『中空構造の日本の深層』、そして民族学者の中沢新一による鈴木大拙著の『日本的霊性』があげられて説明されていたが、それぞれの思いが微妙に食い違い、もともと多面的なテーマである”日本人論”を、共同で話し合いまとめあげること自体が難しいことなのだが、結局は中空構造にある日本人の不安定さということで収まりは着いたように見えるのだが、やはり日本人論はひとりひとりの著者そのものの考え方を、その一冊の本で読んでいくことの方が、区切りのつくことであり、多面的な日本人論ということでわかりやすいとは思うのだが、とりあえずは、それぞれの識者たちの話を聞いているだけでも、なるほどと思える100分間にはなっていた。
そして最後に、これは途中から見て番組名は分からなかったのだが、あの青色発光ダイオードでノーベル科学賞を受賞した、赤崎名誉教授がインタビューに答えて話されていた言葉だが。
「世の中に失敗なんてものはない。
失敗には必ず理由がある。
次にはそうでない形でやってみる。
その積み重ねであり、失敗が多いほどその人は何かつかんでいるはずだ。」
これはまさに、実証主義の科学者らしい論理的な応答であり、さらには世の中の誰でもがそうであるように、失敗を経験してきた人々に伝える、不屈の魂のメッセージなのだ。
今日のテレビ・ニュースでは、あのフランスの狂信的なイスラム教徒によるテロ事件に対して、抗議のデモがフランス各地で行われていて、パリだけでも160万人とも言われる人々が集まりつどう姿が映し出されていた。
その行列の先頭に立って、肩を並べて歩いて行く世界各国の首脳たち・・・特にフランスのオランド大統領とドイツのメルケル首相が相並んで、胸を張り行進していく姿・・・第1次と第2次大戦だけでなく、歴史上、数限りなくお互いの国を攻め合い殺し合いをしてきた隣国同士が、今やかけがえのない友人として、ともに未来を見据えて歩いているのだ・・・。
ヨーロッパの不屈のメッセージ・・・。
それに引きかえ、幾つかの遠いどこかの国のことを、思わずにはいられなかった。
私は、沈む月に向かって、ひとり雪の道を歩いて行く。
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