・弱いものイジメは卑怯者のすること・イジメの発生しやすい閉塞社会・加害者、被害者を特定しないままの全校集会でイジメ防止を訴え・学校も治外法権ではない・学校開放でイジメ防止に成功した学校
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大津市のいじめ問題は警察の捜査開始でますます大きな問題となってきました。
これにはネットでは色々言われていても、大手の新聞には出ない土地柄、イジメ側の父兄の立場や言動、日教組の影響、余りにも偏った韓国よりの教育など複雑要素がありますが一般的な問題として、ネット上では言われていない一般の学校のイジメ対策について考えて見たいと思います。
・私の小学校~旧制工業高校の時代の経験
私は現在の北九州市の西部の八幡西区で生れ育ちました。
結論から言えば子どものことで気付かないまま何となく遊ばずに、相手に不快な想いはあったかも知れませんが、家内を始め同年代の年寄りに聞いても同地域での集団または個人による意識的なイジメは殆どありませんでした。
その理由を私なりに考えて見ました。
[戦前の北九州市西部にいじめが殆ど無かった理由と現状] (青字は現在の状況です)
・唯一の娯楽は少年・少女クラブや今で言う講談本で、弱いものいじめをするのは卑怯者、やくざで言えばチンピラがするもの、大物のやくざはそんな奴を吹っ飛ばしたり、非道の大物をやっつけると言う考えが子どもの頭に染みついていた→情報が余りにも多すぎる。「弱いものイジメするものは卑怯者」の考えかた殆ど聞かれない?
・男は男らしく弱いものイジメをしない、女は女らしく弱い人に気配りするものだという考えが通っていた。→こんなことを言うのは差別と言われる。男らしい子、女らしい子の減少。これには良い面もあるがイジメへの悪い面もある。
・子どもの喧嘩は1対1、平手打ちと取っ組み合いが原則で、拳固・足蹴・道具の使用は卑怯者のすることとされていたので、大人も勝負がついた後分けて入ることが多かった。→喧嘩のルールなしでやりたい放題で殺傷事件になることも
ここでお断りておきますが、いじめ問題の難しいのは、私たちの例か稀なことで、同時代の人の中には村の人達からのいじめにあったことです。これは後でも触れますが、村八部の名の通りに農村という閉鎖社会であることもイジメの一因だと思います。
・子どもを取り巻く環境
a.貧乏人の子だくさんで家庭の中で既に子ども社会での訓練ができていた→少子化でその機会の消滅
b.近所でも小さい子から小学6年生までの子ども社会があり大きい子は小さい子の世話をしながら遊んだ。中には現在の中学生相当の子がときどき遊びを教えたり、大人が見物をしたりなど、ゆるいがオープンな子ども社会ができていた。→なし。結果として(チクリが卑怯者とされるような)閉鎖的な学級単位の子ども社会だけが残る
c.当時北九州市西部は炭鉱の開発、工業地帯の発展で人の出入りが多いために、人を受け入れる開放的なな環境が整っていた。→現在前記のような環境の変化や、産業の停滞などもあり同地域でもいじめ発生
d.学校:父兄は学校教育は学校任せで今の言葉で言えば事実上閉鎖的→戦後教育の独立の名での学校の閉鎖的な傾向が強まる。最近オープン化が言われているが大津の例のように進まない。今回のように学校外なら明らかに刑事事件となることでけは警察が立ち入れない。
e.教師:父兄は教師をほぼ面的に信頼、私の母もそうだったが子どもが言う事を訊かなかったら殴ってよいから直してくれと言うのが普通。詰まり暴力容認。現実には困った教師もいたが少数。→やさしい教育、今回のような「抑え蓋なくした生徒煮くずれる」学校の発生、日教組などのお蔭で教師への信頼激減、戦前と逆に信頼できる教師は少数になる。
f.教育:自分が守るべき義務・責任、権利の教育は全くなし→権利重視、義務・責任軽視の教育→権利は主張するもの、義務・責任は相手に問うものというモンスターペアレンツの発生
[講堂修身という名の全校集会]
私が今の中学1~2年に相当する高等小学校に居たころ、生徒全体の気分が弛んだころ全校生徒を講堂に集めて、説教や気合を入れたりする[講堂修身]と言うのがありました。
今回の例で言うと加害者・被害者を特定せずに学校内全体の問題として生徒全員に対して、いじめがどれだけ醜いものか、(私の持論で言えば)恥ずかしい卑怯なものであるかを説明し、すぐにでも止めなければ、今までは教育的配慮で見逃していたが、学校内と言っても法律を護らねばならないので、警察に告発すると気合を入れたらどうでしょうか。そして本当に根絶しなければ警察に通報して処理を依頼するのが本当の教育になると思うのですが。
[私の娘の経験]
亡くなった私の娘は北九州市の小学校教師として採用されました。私たち親の一番の関心事は、娘がいじめや学級崩壊のある学校へ転属にならないことでした。
幸い娘は学級崩壊の学校に転属になってもそのクラスの配属を避けられ、先輩教師として、同クラスの担任の応援に当たるだけで済んだそうです。
そして教頭として最後に赴任した小学校の様子を訊きますと、いじめも学級崩壊もない良い学校だと喜んでいました。
つまり学校は小さいが、いや小さいからかも知れないが、地域との交流が盛んで、地域の人達も学校を良く訪れるし、学校も地域の活動に積極的に参加しているそうです。
詰まり学校の教師だけでなく、地域の人達の目が学校や小学生に行き届いているのが学校経営が上手く言っている理由だというのです。
私の娘もお調子者ですから、良い環境の中で思う存分の仕事が出来たのでしょう。
葬式のときは県外の大学教授から、地域の文化団体、娘主催のサークルの人達 、勤め先の校長以下教師全員に加えて小学校の二組のクラス全員の参加など盛大に終わりました。
今回の余りにも閉鎖的な教育委員会と学校が批判されている事件と私の小さい経験から言えば、ネット上で言われる人間的なドロドロした事柄を除けば、「閉鎖的な教育委員会・学校・生徒のグループ」を総て「オウプン」にし、「開放的」なものにするのがいじめ防止の一つの手段になるような気がするのですが。
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大津市のいじめ問題は警察の捜査開始でますます大きな問題となってきました。
これにはネットでは色々言われていても、大手の新聞には出ない土地柄、イジメ側の父兄の立場や言動、日教組の影響、余りにも偏った韓国よりの教育など複雑要素がありますが一般的な問題として、ネット上では言われていない一般の学校のイジメ対策について考えて見たいと思います。
・私の小学校~旧制工業高校の時代の経験
私は現在の北九州市の西部の八幡西区で生れ育ちました。
結論から言えば子どものことで気付かないまま何となく遊ばずに、相手に不快な想いはあったかも知れませんが、家内を始め同年代の年寄りに聞いても同地域での集団または個人による意識的なイジメは殆どありませんでした。
その理由を私なりに考えて見ました。
[戦前の北九州市西部にいじめが殆ど無かった理由と現状] (青字は現在の状況です)
・唯一の娯楽は少年・少女クラブや今で言う講談本で、弱いものいじめをするのは卑怯者、やくざで言えばチンピラがするもの、大物のやくざはそんな奴を吹っ飛ばしたり、非道の大物をやっつけると言う考えが子どもの頭に染みついていた→情報が余りにも多すぎる。「弱いものイジメするものは卑怯者」の考えかた殆ど聞かれない?
・男は男らしく弱いものイジメをしない、女は女らしく弱い人に気配りするものだという考えが通っていた。→こんなことを言うのは差別と言われる。男らしい子、女らしい子の減少。これには良い面もあるがイジメへの悪い面もある。
・子どもの喧嘩は1対1、平手打ちと取っ組み合いが原則で、拳固・足蹴・道具の使用は卑怯者のすることとされていたので、大人も勝負がついた後分けて入ることが多かった。→喧嘩のルールなしでやりたい放題で殺傷事件になることも
ここでお断りておきますが、いじめ問題の難しいのは、私たちの例か稀なことで、同時代の人の中には村の人達からのいじめにあったことです。これは後でも触れますが、村八部の名の通りに農村という閉鎖社会であることもイジメの一因だと思います。
・子どもを取り巻く環境
a.貧乏人の子だくさんで家庭の中で既に子ども社会での訓練ができていた→少子化でその機会の消滅
b.近所でも小さい子から小学6年生までの子ども社会があり大きい子は小さい子の世話をしながら遊んだ。中には現在の中学生相当の子がときどき遊びを教えたり、大人が見物をしたりなど、ゆるいがオープンな子ども社会ができていた。→なし。結果として(チクリが卑怯者とされるような)閉鎖的な学級単位の子ども社会だけが残る
c.当時北九州市西部は炭鉱の開発、工業地帯の発展で人の出入りが多いために、人を受け入れる開放的なな環境が整っていた。→現在前記のような環境の変化や、産業の停滞などもあり同地域でもいじめ発生
d.学校:父兄は学校教育は学校任せで今の言葉で言えば事実上閉鎖的→戦後教育の独立の名での学校の閉鎖的な傾向が強まる。最近オープン化が言われているが大津の例のように進まない。今回のように学校外なら明らかに刑事事件となることでけは警察が立ち入れない。
e.教師:父兄は教師をほぼ面的に信頼、私の母もそうだったが子どもが言う事を訊かなかったら殴ってよいから直してくれと言うのが普通。詰まり暴力容認。現実には困った教師もいたが少数。→やさしい教育、今回のような「抑え蓋なくした生徒煮くずれる」学校の発生、日教組などのお蔭で教師への信頼激減、戦前と逆に信頼できる教師は少数になる。
f.教育:自分が守るべき義務・責任、権利の教育は全くなし→権利重視、義務・責任軽視の教育→権利は主張するもの、義務・責任は相手に問うものというモンスターペアレンツの発生
[講堂修身という名の全校集会]
私が今の中学1~2年に相当する高等小学校に居たころ、生徒全体の気分が弛んだころ全校生徒を講堂に集めて、説教や気合を入れたりする[講堂修身]と言うのがありました。
今回の例で言うと加害者・被害者を特定せずに学校内全体の問題として生徒全員に対して、いじめがどれだけ醜いものか、(私の持論で言えば)恥ずかしい卑怯なものであるかを説明し、すぐにでも止めなければ、今までは教育的配慮で見逃していたが、学校内と言っても法律を護らねばならないので、警察に告発すると気合を入れたらどうでしょうか。そして本当に根絶しなければ警察に通報して処理を依頼するのが本当の教育になると思うのですが。
[私の娘の経験]
亡くなった私の娘は北九州市の小学校教師として採用されました。私たち親の一番の関心事は、娘がいじめや学級崩壊のある学校へ転属にならないことでした。
幸い娘は学級崩壊の学校に転属になってもそのクラスの配属を避けられ、先輩教師として、同クラスの担任の応援に当たるだけで済んだそうです。
そして教頭として最後に赴任した小学校の様子を訊きますと、いじめも学級崩壊もない良い学校だと喜んでいました。
つまり学校は小さいが、いや小さいからかも知れないが、地域との交流が盛んで、地域の人達も学校を良く訪れるし、学校も地域の活動に積極的に参加しているそうです。
詰まり学校の教師だけでなく、地域の人達の目が学校や小学生に行き届いているのが学校経営が上手く言っている理由だというのです。
私の娘もお調子者ですから、良い環境の中で思う存分の仕事が出来たのでしょう。
葬式のときは県外の大学教授から、地域の文化団体、娘主催のサークルの人達 、勤め先の校長以下教師全員に加えて小学校の二組のクラス全員の参加など盛大に終わりました。
今回の余りにも閉鎖的な教育委員会と学校が批判されている事件と私の小さい経験から言えば、ネット上で言われる人間的なドロドロした事柄を除けば、「閉鎖的な教育委員会・学校・生徒のグループ」を総て「オウプン」にし、「開放的」なものにするのがいじめ防止の一つの手段になるような気がするのですが。
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