旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

コーンのエタノール分画法

2006年08月27日 21時56分43秒 | Weblog
『戦傷者の外傷性ショックに血漿の輸血が有効であった。そして、血漿の輸送を軽量化・小型化するためにはアルブミンの分画が必要になった。低温の各種条件下で結晶に各種のエタノールを添加し、種々のエタノール濃度で不溶化し析出してくる蛋白を、それぞれ遠心で回収する方法。これをコーン(開発者のハーバード大学の生化学教授Edwin.J.Cohn)のエタノール分画法という。

軍の要請によって、第二次世界大戦中に血漿蛋白分画法の開発を行った成果であり、その後の血漿蛋白分画法の基本となった。この方法で採取されたアルブミン分画はただちに戦場に送られ、多数の傷病兵の命を救った。第二次世界大戦中に米国では1300万人の献血が行われ、そのうち約1000万人分が乾燥血漿にに処理され、224万人分がアルブミンの製造に利用された。

日本軍においては、このような研究は殆どなされておらず、多くの命が無駄に失われた。もっとも、研究以前の問題であったのかも知れない。日本でアルブミンが製造されるようになったのは、大戦後15年を経過した後であり、日赤がアルブミンの製造を開始したのは、はるかに遅れた1983年のことであった。』

「血栓の話」(中央新書)の中で、著者である青木延雄氏は、「この日米の差を単に経済力の違いによると片付けられうるだろうか?」と疑問を呈している。

2 コメント

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Unknown (片場博史)
2006-08-28 14:50:05
「知は力なり」興味深いテーマでした。第二次世界大戦では、日独の兵士が破傷風菌でバタバタと死んでいったという話を聞いたことがあります。

血漿の話は勉強になりました。
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ドイツ人植民者たちの追放問題 (はやと)
2006-08-29 18:52:47
このあたりも興味深いですね?



>12,400,000人(あるいは16,500,000人とも言われる)の民族ドイツ人が移住を強制された。移動の途中で命を落とした人々の数については見解が分かれている。ドイツ連邦統計局の1958年の発表では、2,100,000人以上の民族ドイツ人が強制移住によって死亡したとされる。1965年に発表された統計でもこの2,100,000人という死亡者数が確認されている (Gesamterhebung zur Klärung des Schicksals der deutschen Bevölkerung in den Vertreibungsgebieten, Bd. 1-3, München 1965)。ゲルハルト・ライヒリンク (Gerhard Reichling) の調査では2,020,000人の民族ドイツ人がソ連によって強制移住され奴隷労働に従事した結果死亡したとしている (Die deutschen Vertriebenen in Zahlen)。リューディガー・オーヴァーマンス (Rüdiger Overmans) は1,100,000人が死亡したとしている。しかしこの数字とこの数字を得るための方法については、フリッツ・ペーター・ハーベル (Fritz Peter Habel) やアルフレッド・デ・ザヤス (Alfred-Maurice de Zayas) から異議が唱えられている。ハーベルやデ・ザヤスは死亡者数は2,000,000人を超えると主張している。チェコやポーランドの歴史家はより低い数字を挙げている。これは前線で戦闘中に死亡した兵士の数が除外されたためとされている。<『ウィキペディア』

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