旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

思えば・・・

2006年08月24日 21時01分17秒 | Weblog
広島市の近郊で生まれ町立の小中学校で義務教育を終えました。市内の公立高校を出てから八丁堀大学(広島YMCA高等予備校)で酒と喫煙をおぼえ、東大の入試が中止になった翌年に東京の大学に進学しました。大学は学園紛争の煽りを受けてロックアウトに続くロックアウトで期末の試験に代えてレポートの提出という惨状でした。おのずと大学から足が遠のきました。パンとバターのために塾の講師をやる傍らで哲学・文学書を読み漁る毎日が続きました。

いいところまでいったものの本命の採用試験に落ちたので、やむなく新聞広告を頼りに本格的な就職活動に入りました。住宅メーカーが即内定をくれました。民間は似たようなものだと腹を括り、大学を卒業した日からわたしの営業マン人生が始まりました。その住宅メーカーで7年、民間の信用調査会社で6年、地元の企業で約1年間お世話になった後、請われて現在の外資に入社しました。

入社した際の社員番号が0154ですから、当時は社員総数が170名くらいの規模の○○会社でした。現在では営業部門だけで3200名、従業総数も4000名近くを数えます。気がつけば広島支社120名の中では最古参かつ最年長の営業マンになっていました。勤続18年目に入ろうとしています。「青年老いやすく、営業なり難し。」の典型で、もしも、「継続は力なり」という格言が正しければ、わたしもひとかどの営業マンになっていなくてはならないのでしょうが、なにぶん老いてなお邪念が多く、未熟者の謗りを免れそうにありません。

三国志の奸雄、曹操孟徳は『烈士暮年 壮年不已』と書き残してくれました。「激しく生き続けてきた人間の老境なんて、元気旺盛な働き盛りみたいなものだ。」といった意味にでもなりましょうか。心の支えになっている言葉です。どちらかというと自分の人生を激しく生きてきたように思います。

趣味は読書とファーミング(農業)にドライブです。「原始仏典」と世阿弥の「風姿花伝」を学生時代から読み続けています。

中学ではサッカー部に所属して県体で3連覇という輝かしい実績があります。高校の器械体操は、丸3年間励んだもののついにものにならなかったようです。5年前まで会社の同好会に所属してサッカーの試合に出場していました。もとより典型的な体育会系なので体を動かすことは好きなのです。ところが、スポーツと長く親しんできたというのにゴルフが苦手です、上達しません。そういえば、サッカーボールより小さいボールを使用する球技は悉く不得意です。特に野球なんてどうしようもなく下手なのです。

思えば他愛のない人生だったような・・・。
でもないか・・・。

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