昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

地震・こころの歌と中越地震・・・

2004-12-22 22:10:22 | 日々の雑記
 真夜中まさに寝入りばなに襲った震度3の地震、ほぼ一週間おきに起きていた余震は今回に限り一週間を過ぎて無く、ホットしていた矢先の突然の揺れた影響からか、余り熟睡が出来ぬままに三時からの「にっぽんの歌こころの歌」聴いていた。今夜の放送は昭和38年代の歌が主で、ちょうど「吉永小百合」の歌が流れていた。彼女に付いては女優・歌手はもとより、他にも原爆に関する事で幅広く活躍しているのは周知の通りだが、「田中絹代」「美空ひばり」に次いで主役の映画「伊豆の踊り子」が一番懐かしい。

 他に今なお心に残る作品としては、「キューポラのある街・光る海・青い山脈・潮騒・夢千代日記等」歌では夫々の主題歌の他に「いつでも夢を・寒い朝等」がある。
特に夢千代日記の再放送の際に、全編ビデオに録画してある。いずれ折を見て「DVD」にダビングして取って置こうと考えている。
 また来年1月15日封切になる、「北の零年」が非常に楽しみである。

 朝八時からの民放ワイド番組では「中越地震その後」の模様、山古志村についての放送だった。今年最後の帰村ということでカメラスッタフが同行していた。画面は土砂崩れに因る天然ダムの出来る前と、それに因って水没して行く村の家々が映し出され、そして今排水後の村の姿であった。

 家は建ち残っていたがその全てが水没の被害の為、今後到底住める様な状態では無かった。今回年内最後に村を訪れた14人村民で水没した地区の地区長の言葉が印象に残り深く心をえぐった。

 壁に掛けてあった額縁の写真、それは泥水に汚れきっていて定かでなかったが、手でその汚れを撫で落としながら、「これが私達のご先祖さんです・・・」おそらくご両親なのだろうまるでいとおしむ様に大事に抱えていた。
 また白さの混じった髭面男の涙ながらの一言、「早く帰って来たいが村がこの有様ではもう如何しようも無い、台風に地震そして水難・・・こんな年は早く去って欲しい!」

 一方地区長は幸い少しの被害で残っていた鎮守様を訪れ 手を合わせ、「来年の春が来れば必ず帰って来て補修しますから、どうぞそれまで村を護って居て下さい。」
 やがて時間が来て村民達は村を後にする画面に変わった。その後姿を唯呆然と見ているばかりである。
 誰が悪いわけでもないだろうが・・・唯々遣りきれない思いが一杯で言葉を失っていた。