ルンルンピアノ

ピアノ教室の子どもたちとの楽しい毎日。。。。。。

358      七夕と山崎六段

2006-06-30 21:18:29 | Weblog
※「有馬筆」のカワイイ看板、板塀にさりげなくマッチしていた。
 クリック♪

参道では毎年この時期になると、願い事を書いた短冊や美しい飾り物がいっぱいつるされた大きな七夕の笹が立てられる。
きょうもポストへ行った折に見つけ、「ああ・・今年も又この季節が来たのだなぁ」としばらく見入っていた。

七夕の飾りを見るたびに思い出すのが、内弟子時代の山崎六段である。
その年、皆で七夕の飾り付けをするために、私は近所の花屋さんで1本100円の笹を買ってきた。
折り紙で「チョウチン」やら「輪かざり」などを作ってつるした後、N、当時小学生だった息子、中学2年の山崎六段に、願い事を書く短冊を数枚づつ渡した。
書き終わった短冊を集め、あとで私がそれを1枚1枚笹に結び付けていったのだが・・・

飾り付けを全部終えた私はナントモ複雑な気持ちになってしまった。
もうずい分前の事なのでそうハッキリとは覚えていないのだが、問題は短冊に書かれた願い事だった。
Nや私や息子はお決まりながらも、「皆が健康でいられますように」とか「弟子の将棋が強くなりますように」とか「みんなが仲良く暮らせますように」などと書いていた。
ところが山崎六段の短冊には、「将棋が強くなりますように」、「広島の家族が元気で過ごせますように」、「奨励会で勝てますように」など、見事に自分サイドの事しか書かれていなかったのだ。
特に、「広島の家族が元気で過ごせますように」というのはある意味こたえた。
義理でもいいからなぜ1枚くらい、「師匠が元気で長生きしますように」とか
「奥さん、いつもご飯をありがとう(あ、これは願い事じゃないけど・・)」とか書けないのか!
その頃の私達とナマイキ盛りの山崎六段とは<犬猿の仲以上(?)>の関係だったので、少々のことでも過敏になっていたのだろう。
飾りつけながら腹が立って腹が立って、くやし涙まであふれる始末だった。

いま考えればホントにささいな事で、取り立てて悪い事でもないと思うのだが
当時は真剣にアタマに来てしまっていた

しかしいつも思うのだが、こういう話を平気で書ける日が来たという事はきっとシアワセな事なのだろう。
山崎六段には悪いが、今の私にとってはかけがえの無い一生の思い出なのである。
これからも機会があれば、山崎六段の「悪口エピソード」を披露しようかなと思っている

おわり
コメント (11)
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