ルンルンピアノ

ピアノ教室の子どもたちとの楽しい毎日。。。。。。

347        佐藤愛子と動物病院

2006-06-19 22:30:26 | Weblog
※昭和61年から複線化のため廃線跡と化したJR宝塚駅~生瀬駅間の線路。
 クリック♪

午前中ミニコープへ買い物。
お昼の「焼きうどん」の材料や魚など買い込んだあと、ふと気づいてバッグの中を引っ掻き回す。
(カラッポのお財布しか持ってきてな~い
手ぶらで帰る気力もなくケータイで自宅へ連絡。

「ハイ、もしもし」
「あ、ワタシィ~」
「うん」
「あのねぇ、お財布持たないで出てきちゃった」
「エ! 今どこ?」
「ミニコープだよん」
「うん、解った。 今から行くから」

5分後、N到着。
仕事を中断させて申し訳なかった、スマン、かたじけない

昼食後ソファーで横になりながら、先日買った佐藤愛子の『不敵雑記 たしなみなし』を読む。
相変わらず(そうだそうだ!)と多いに共感できる内容がてんこもりなのだが
今回特に強く感じた部分があったので引用してみる事にする。

「なぜ彼らはキレるのか? 答は簡単。 我慢の力が育っていないからである。
この世は矛盾と不如意に満ちている。生きるとは思うままにならない現実を耐えるという事だ。それを今の子供は知らない。自分の思うことはすべて通るもの、通すべきものだと彼らは思い込んでいる。だから思い通りにならないとキレるのだ。(中略)いうまでもなく子供を育てる上に理解は重要である。だが、「理解する」ことと、「子供の気持ちになって何でも許す」こととは違うのだ。子供の気持ちはわかっているが、しかしそれを無視する場合が必要だと私は思う。我々は子供の頃、親や教師の無理解を不満に思いつつ、それによって鍛えられた。そうして不条理の満ちているこの世を生きていくための耐性を身につけたのではなかったか。
それが家庭のしつけ、教育になっていたのではなかったか。
日本の経済成長と一緒に「子供天国」が始まった。ジジババは大事にしなくても、子供は大切に、という風潮が年を追うごとに強まってきた。
その時代に育った親が今の子供を育てているのである。欲しいものは何でも与えられ、理解され、叱られず、楽しいことが当たり前に育った子供が、抑制が利かなくなるのは自然の流れである。」

夕方「安倉南食堂」へ行く。
Nは「卵焼き」「イカの天ぷら」「コロッケ」「タコ酢」
私は「イカ大根(ものすごく美味しかった! 家でも作ってみよう)「コロッケ」「揚げシュウマイ」「マカロニサラダ」

食べ終わって一旦帰宅。
トビオとクロを車に乗せて、安倉の大西動物病院へ向かう。
車がニガテなトビオ達はシートを上がったり下りたり落ち着かない。
クロが何度も足を上げてオシッコをしそうになるのでアセる

病院につくと先客は4匹くらいで30分ほど待つ。
待合室にはハスキー、シーズー、カゴに入った猫、チワワ、フレンチ・ブルドッグ・・・
その中でも、きょうはなぜかトビオが大モテだった
すごく可愛がってくれる女性がいて、トビオの顔を両手でギューッとはさんでヒョットコ顔にしたり
頬っぺたをビロ~ンと引っ張って伸ばしたり・・・
そんな百面相をされながらもトビオは上機嫌だった。
フレンチ・ブルを連れた混血顔の女性もトビオを絶賛してくれる。

「オネスティーを唄う有名な歌手もパグを飼ってますよ」と言うので
「ビリー・ジョエル?」と答えると
「ああ、そうそう♪」とうれしそうな表情だった。

やっと名前が呼ばれ診察室に入る。
2匹の体重を量る。
トビオ7,2キロ、クロが5,9キロ・・・クロがちょっと太ったと言われる。
血液検査(フィラリアの有無を調べる)のため前足から採血をされる。
大西先生の注射は上手なので、いつもアッという間に終わるので気が楽だ。
以前飼っていた柴犬はものすごく神経質で、毎回「ギャオオオン!!」と死ぬような大騒ぎで大変だった。

血液検査の結果が○だったので、これから毎月1錠づつ飲ませるフィラリアの薬を出してもらう。
それからトビオのかゆみ止めのシャンプーとクロの缶詰めも頂いてから帰宅。

明日も元気で遊ぼうね

おわり
コメント (1)
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