逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



この所、梅雨に入るか?少しは日差しが和らぐか?と思っていたのだが、日差しは増々強まるばかりで曇ってくれない。おかげで窓を開けていてもサンルームの温度は40度直前。換気用のファンが回りっぱなしだ。



梅雨明け後とも思っていたが、猛暑対策を急がねば。まず、屋根には葦簀を乗せて日光を遮る。


続いて、窓の前面に朝顔を植え、


寸足らずのシーツのカーテンを閉めれば、サンルームの温度も数度は下がるはず。


後は太陽光パネルの電気で回るファンが何とかしてくれるだろう。



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6/11㈫、レンゲツツジがきれいだと聞いていた宮田高原へ自転車で出かけようとしたら、連れ合いが自分も行きたいと言う。他の予定をキャンセルしてもらって、車で伊那谷の宮田高原に向かった。駒ケ根から曲がりくねった細い道を登り、宮田高原へ。駐車場から少し歩くと、視界が開け、前方に雪の残る空木岳、そして視界一杯に朱色のレンゲツツジが広がってくれた。


山々とレンゲツツジを眺めながら、ブランコでゆらゆら。


レンゲツツジ見物は後にして、展望ポイントへと登る。伊那谷の向こうに、先日登った陣馬形山、そして南アルプスが広がっている。残念ながらチョイ逆光で綺麗に写らず。


反対側には木曽駒ケ岳の千畳敷カールが迫っている。


木曽駒ケ岳が手の届きそうな距離感なので、ちょっと空を飛んで、行ってみようかとトライしたのだが、、、、、、残念、、、、1mしか飛べず。


展望点を後に、レンゲツツジ原へと下る。

朱色ばかりでなく、変異種?の黄色のツツジもあり。



下から見上げると、見事に一面の朱色。


キャンプ場にたどり着いて、日陰で小休止。


高ボッチや美ヶ原のレンゲツツジはマダラにしか生えていないのだが、ここのレンゲツツジは一面に植わっている。高ボッチや美ヶ原は国定公園なので、種の保護、鹿の食害防止柵などは設置できるが、新たにレンゲツツジを植えるには、それなりに高い規制を越えねばならないのに対し、国の規制が及ばないだろう、ここ宮田高原では毎年千本単位でレンゲツツジの苗木が植え付けられているらしい。今でも、ここまで素晴らしいのだから、数年後が楽しみですねぇ。
来年はかんてんぱぱに車を停めて、自転車で1000m登って来てみたいなぁ。

スマホのGPX記録を起動するのが遅れて、後半の歩きのみの記録だが、撮影場所のわかる地図は下図をダブルクリック。



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eーBike化に伴って乗ることが多くなったグレートジャーニー改、冬の間はタイヤはグラベルキング、夏の間はスリックのComfyで運用しようとして、ホイール毎交換して乗っている。グラベルキングのホイールにはMTBディオーレ用の11-32Tリアカセットが付けてある。ComfyのホイールにはGJオリジナルのSRAM PG950 9S 11-26Tを付けていたのだが、e-Bike化でフロントリングが一枚になったGJ、ロー側が26Tでは、e-Bikeとは言え、やはり坂がきつい。しかも大きなギアを入れる為、Bテンションボルトをいっぱいに締め上げ、ディレイラーをギアからなるべく離してあるので、どう調整してもトルクを掛けると歯飛びして困っていた。

ここはやはり、同じ32Tのリアカセットスプロケットにして、ホイールの交換時の調整を不要とすると共に、変速範囲を広げ、坂を上りやすくしようと、9速用の11-32TカセットCS-HG400-9 11-32T を購入。並べるとやっぱり26Tは小さい。


無事にリアスプロケットを交換したら、変速がきちんと決まるようになり、急坂でもギアチェンジの時の歯飛びが無くなった。


これで、また坂を楽して登れそうだ。



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6/10㈪、昨日やり残した朝顔の苗をサンルーム周りに定植。
ビニールハウスの空いた部分に二十日大根、小松菜、アスパラ菜



そして、チンゲン菜、リーフレタス、白かぶを種まき。


四つ葉になったニガウリの定植、パセリ、バジル、他の定植。
壊れかけたピクニックテーブルの修理、、、、
と忙しい一日だった。



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6/9㈰、今日は一日曇りで気温も上がらない天気予報。サツキが今を盛りと咲き誇っているが、先月中旬には綺麗だったツツジは茶色くなった花弁が残り、さらに新芽がだいぶ伸びてきて見苦しい。


3種類の電動バリカンを駆使して、1時間ほどで刈り込み。



遠目ではあまりはっきりわからないが、ボサボサの剪定前、


数cm刈り込んで、綺麗になった剪定後、


もう3回も新茶を作り、十分に楽しんだお茶の木、新芽は残り少ないがボサボサ。


ばっさり10cmほど剪定して、


あ、これもシートを敷いておき、拾えば番茶くらいはつくれたかもしれないが、、、、まあ、捨てましょう。


午後は梅雨時に大きくなる前に、竹を切り倒した後に出てきた草木をエンジン式刈払機でなぎ倒す。
予定していた朝顔の植え付けはできなかったが、今日の所は、まあこんなもんで良いだろう。



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6/8㈯、ロードのCayoちゃんで東山山麓をポタモード。夏雲のおかげで北アルプスが見えない。


田には水が張られ、早苗がゆらゆら揺れている。


早くも夏ソバは白い花がきれいに咲き始めている。


そして、こちらはもうすぐ収穫の麦秋の麦。


今日はe-Bikeではないし、北アルプスも見えないけれど、せっかくだから、棚田の向こうに見える中山霊園に登っていこうか。


と霊園の入り口にたどり着くと、この見慣れない看板。何々、霊園でピクニックコンサートだって?


1.5km、歩いて30分の激坂をジグザグ走行あり、足つきなしで登り、中山霊園のトップに来れば、芝生広場でコンサートの開催中。


青空の下、おじさん、おばさんバンドが色々な種類の音楽を楽しんで演奏している。


還暦とは思えない声で、歌がうまくて、私の気に入ったのはこの人、浜田省吾のカバーをやったユージさん。


浜田省吾がブレイクした1980年代はあまり日本に居なかったため、浜田省吾のことを知らなかったが、ユージさんの歌った「初恋」を聴いて、私と同じような洋楽を聴いてきたんだと気が付いた。その内、YouTubeででも聴いてみよう。
さて、コンサートばかり聴いていると先に進まない。当初目的の中山霊園樹木葬の場所に行って、松本平を眺める。


薄っすらと見える常念岳を背景にセルフィー。


南松本に下り昼食後、スカイパークへ。


ちょうどFDAが出発するところ、サヨウナラ!


今日は7月の気候、日差しが強いのでドライミストもあまり効果がない。


いまが盛りのローズガーデンをサッサと見て、


日陰で、一休み。


まだ日は高いが、帰りましょう。岩垂原まで来ると、一日中見えなかった北アルプスがかすかに見えるようになった。穂高が見えれば、今日はもう夕立は来ないだろう。


走ったのはこんなコース、58km。



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6月としては暑い日が続いているが、この2,3日は菖蒲湯でゆったりと入浴。


少しは疲労が抜けるような気がする。



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奈良井と平沢での6/8㈯,9㈰の木曽漆器祭りに合わせて、例年通り、奈良井公民館に洗馬宿の展示をするというので、準備に出かけた。


記録の為、展示パネルを掲載しておく。
洗馬宿概要、洗馬歴史同好会紹介


広重の洗馬の夕月、洗馬学校


洗馬学校と脇本陣庭園、芥川龍之介の「庭」


肘掛け松、わかされ(追分)


新福寺、あふたの清水


言い成り地蔵、木曽騒動(丸山左源太)



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6/5㈬毎年この時期に採りにいっている山蕗の採取に清水高原に向かう。あの山の稜線上、鉄塔の傍に白く見える屋根のある辺りまで登るんだ。


砂防ダムを越えれば、道幅の狭い、急な山道になり、普通の車の通行はおすすめできない、ほぼ軽トラ専用のコンクリ舗装の山道になる。その山道の両脇に山蕗が生えている。


標高が高く、日当たりもあまりよくないので、細くて柔らかな山蕗が沢山採れる。


2時間近くかかって、蕗を採りながら山道を登り、清水寺の展望点に到着。山形村の畑の向こうに松本市街を形成している女鳥羽川と薄川扇状地が遠望できる。


清水寺は有名な京都の方とは親戚関係にある。


だがしかし、方や一日数千人の観光客が訪れる京都とは異なり、こちらは一日に数人しか訪問者は無い。それでもこの寺は地元の有志により、綺麗に整備されている。


さらにスカイランド清水まで登り、こちらの展望点から梓川扇状地と安曇野を遠望する。


沢山収穫した蕗をバッグに詰め、グレートジャーニー改で別荘地への主要道路を下り、松本平を見渡せる、唐沢そば集落へ。


本日の収穫は6kg。自宅でキャラ蕗にしても食べきれないので、知り合いやご近所におすそ分けする予定。



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5/31㈮無料だったので、松本でD・アトキンソン氏の講演を聞く。


上記は市民タイムスの記事、講演会は撮影禁止だったので、以下は私の現場でのスマホ打ち込みメモ

***生産人口の推移と経済成長****

日本の生産人口世界最高水準から最低水準へピークは199586Mから2023年は50Mへ、

供給は技術革新でUP可能、でも人口減少下で消費は?

人口減少は阻止出来ない。人口メディアン年齢196424202449

支出のピークは52歳。子供大学卒業時。今後高齢化に伴い急速に支出が減る。労働参加率ももう上がりようが無い。44Mも労働人口が減る。移民でも無理。

薄利多売(
10%安く売れば20%多く売れる)から多利少売(20%高く売って10%売上減少)の時代へ。原価低減ではダメ、付加価値を上げるしかない。

生産性=kX物的資本X人的資本X全要素生産性

日本の生産性は3流、イタリア以下、東欧なみ、だから頑張ればどうにかなる余地あり??
唯一の希望の光だが、日本的なるものに阻まれて、生産性UPが困難。

人的資本、物的資本はOECD内で若干劣るだけ、
3倍駄目なのが全要素生産性:低生産部門から高生産部門への資源の再配分による効率性の向上が必須。

かっての輸出大国が、輸出しない国になってしまった日本。
日本のGDP16%が輸出,ドイツは40%。生産性が低いのは中小企業。人口減少の中で中小企業は淘汰されざるを得ない。女性の給与は男性の55%と異常、米国なら83%(差分は職種差でほぼ説明出来る)北欧は100%。人的資本は社内教育不足。

 

 



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この所、何回か電話に出るとすぐ切れる電話が掛かってくる。不在宅を狙う空き巣では無いかと気になっている。車の盗難も心配だし、、、、、
先月上京した際に、なんちゃって防犯カメラが安く売っていたので、購入。本日ガレージ入り口から前庭を見渡せる位置に取り付けた。



電源は物置の換気用の20W太陽光+バッテリーから12Vを取り、12V→USB電源経由で給電してやることにした。



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5/30㈭空は曇っているが出走。松本側から光城山に登る道が数年ぶりに開通したので、久しぶりに光城山へ。タイヤとホイールをグラベルキングから夏用のスリックタイヤに変えたので、そのチェックも兼ねて登り始めたのだが、平地ではどうということがなかったのに、トルクがかかる登りでローギアが飛んでしまう。ディレーラーのリミット位置を調整しながら、時間をかけて登る。でつきました、数年ぶりの光城山。高い位置からの水鏡に写る北アルプスは残念ながら見られず。


空は曇っているのだが、雪の少なくなった常念岳は曇った空を背景に、かえってしっかり見えてくれた。


しばしの休憩のの後、長峰山を目指す。道路が崩落して不通だった場所。修復が終われば、樹木も流されたので、絶景ポイントになっている。


そして長峰山からの安曇野と北アルプス。パラ発進点には多くのハイカー。



針ノ木岳、蓮華岳を背景に、更新されて登りやすくなったパラグライダーの発進台の上で。


曇っているのに、白馬方面までよく見える。



長峰山のシンボルの間から常念を眺めてから下山。



明科のあやめ公園に来てみたが、残念ながらあやめはまだ三分咲き。



犀川沿いを遡れば、この所の雨と雪解け水を集めて、川幅一杯に恐ろしい勢いで流れている。



と走ったのはたったの40km、獲得標高600m、電池残4/6、残電圧37.4V。こんなコース。





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1974年の年の暮れ、新宿模索舎で買った、たった700枚しかプレスされなかった、「チャーリー・フロイドのように」というレコードを持って、5/27㈪田中研二さんの松本でのコンサートに出かけた。



今、彼はシドニーに住んでいるので、数年に一度しか日本でのコンサートは聞くことができない。数年前の辰野のオーリアッドでのコンサートは信州への引っ越しのどさくさで聞くことができず。今回は初めて彼のコンサートを聴くことができた。レコードを買ってから実に50年振りだ。



松本は田中研二さんの第二の故郷、1970年の前後に大学の裏表8年をやった場所であり、私の高校時代と東京に出た大学時代と重なる頃の歌、コンサートでも歌われた「すすき川の流れるところ」は、♪さようなら人混みの本町通り、よっぱらいのよろめく裏通り♪、、と松本の街の描写から始まる。
田中研二@松本 V 20240527 210140 vHDR Auto

歌は5番目の歌詞で、♪それともチャーリー・フロイドのように、はみかみ屋の泥棒になろうか、流れる流れるあの川は今も僕のどこかに流れる。もうずい分遠く来てしまたのに、すすき川の流れるところから♪ と終わる。すすき川が作った扇状地上にある故郷を離れていた50年の間、ほろ苦い青春時代の思い出と共に、この歌がふいに頭の中を流れることが時々あったんだ。

今回、黒のジャケットにサインできるよう、白のサインペンを持参して、「チャーリー・フロイドから50年」とサインをいただいた。



そして、田中研二さんの他の音源も含む、ほぼ全トラック集のUSBを買わせていただいた。その解説が下記である。



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