マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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木津川市相楽西ノ宮・旧村社九頭王神社の正月迎え

2024年06月01日 07時39分11秒 | もっと遠くへ(京都編)
木津川市吐師(はぜ)。

正月迎えの簾しめ縄かけのあり方や、円形に撒く砂撒きがあるとわかった吐師(はぜ)に佇む大宮神社。

訪れて、新たに知った地域の伝統


午後2時なら、他所にも見つかるかも、と帰路の道中に立ち寄った神社。

その神社は、一度拝見したことがあるが、正月迎えはどうされているのか。

存じていた写真家Kさんが運転する車についていった。

どこを、どう巡ったのか。

知らず、知らずの短い行程に到着した地は、吐師と同市にある木津川市相楽(さがなか)の西ノ宮。

到着した時間は午後2時30分。

鳥居の両サイドに立てた祭りの高張提灯は御神燈。

晦日の30日に御神燈があるなら、氏子さんもおられるだろう。

そう判断して、登っていった石造りの階段。

しばらく登って振り返る鳥居の方向。



なんと奥ゆかしい石畳。

周りに見える苔むしさ。

一方だけに設えた手すり。

神社参りに、少しでも安全性を考えた配慮である。

本社殿が山にある地域の神社は、どことも急坂。

高齢者にとっては必須の介助用具。

石段を登りやすくするために、手すりを備える地区は多い。

取り付ける位置は、左右1対でなく、片方だけ。

或いは幅が広い参道であれば中央に設計する場合もある。

それにしても、この石畳参道は感動する。

この佇まい、この風情。

他所では見られない景観に魅せられた。

石畳を登り詰めた位置に中段があり、さらに登る石造りの階段。



その向こうに見えるのが、本社殿であろう。

幕を張っているから、そうに違いない。

神紋は橘紋。

ふと、浮かんだ橘諸兄は葛城王。

橘氏の祖先にあたるが、あくまで憶測の域・・・

すぐそこに賽銭箱があった。



珍しく、賽銭箱に墨書文字がある。

「曽根の山 森のこだちも 静かなり 心やわらぐ 九頭王の神」。

この山は曽根の山。

鎮座するは、九頭王の神


おそらく水を司る神さんではなかろうか。

カーナビゲーションにあった神社名は西宮神社であったが、旧社名は九頭王神社であったろう。

そこでお逢いした二人の氏子。

お二人は、氏神社を守護する宮守さんだった。

今から、しめ縄をかけるから、と云われて撮った映像。

冬場の午後3時は、ほぼ暗い。



撮影にストロボを焚かせてもらった手結いのしめ縄かけ。

なんでも、60年前は集落に砂を撒いていた、という。

まさかの情報が、この地でもされていたのであった。

採取地は神社裏手の山の赤土。

土がなくなったのか、地の道はアスファルト舗装に移った。

そのため、砂を撒くと滑りやすくなった。

滑る人たちが続発したか、どうかまでは存じないが、そのことは明らか。

滑って怪我でもしては、危険と判断し、砂撒きは消えたようだ。

そのことは、よくわかる。

私が暮らす奈良県大和郡山市。

市内に数か所の地域は今でも砂を撒いているが、現在は、氏神社から鳥居あたりまで


神社の前は、アスファルト舗装に移った。

ここ西宮と同じく危険と判断。

それからは、集落までは撒かなくなった。

お忙しく調えていた宮守さんにお礼を伝えて階段下り。

鳥居付近に建っていた石標。

刻まれた文字。



「昭和二十年四月十六日社名改称 九頭王神社改め西ノ宮神社となる」と、あった。

昭和二十年四月と、いえば戦時末期。

男たちは戦地。

地区の男たちは、おそらく少なかったであろう。

そこで決めた人たち。

年齢はいくつぐらいだったのだろう。

それにしても、石標は綺麗。

近年に建てられたと思える新しさだった。

ちなみに、その西宮神社にお神楽をしているようだ。

月はじめに行われるお神楽所作は巫女がされる


(R3.12.30 SB805SH/EOS7D 撮影)


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