川西町結崎・糸井神社で御湯作法に使われている古い湯釜を拝見した。
判読できた刻印は「和式下郡・・・御中宮・・二十五人 春日大明神御湯釜 五位堂杉田鋳之 天保十四癸卯歳(1843)十二月」だ。
江戸時代末期の172年前。
三本脚であったが二本はどこへ行ったか判らないと宮司実弟が話す。
欠損した1本の脚。獣面、或は獅子、それとも人の顔のように見える。
湯釜は今年の5月2日に行われた太太神楽祭に使われたという。
神楽は三郷町の坂本巫女が作法されたようだ。
これまで拝見した御湯作法は沸かした湯に笹を浸けて湯飛ばしをしていたが、当地では湯でなく紙片だった。
残り花の紙片が釜の底にあった。
おそらく散らす紙片を湯の花に見立てた「花湯」若しくは「湯花」と呼ばれる御湯の作法であったろう。
湯花神事を終えた笹(クマザサ)は本殿奥の藪に捨ててあった。
(H27. 5. 4 EOS40D撮影)
判読できた刻印は「和式下郡・・・御中宮・・二十五人 春日大明神御湯釜 五位堂杉田鋳之 天保十四癸卯歳(1843)十二月」だ。
江戸時代末期の172年前。
三本脚であったが二本はどこへ行ったか判らないと宮司実弟が話す。
欠損した1本の脚。獣面、或は獅子、それとも人の顔のように見える。
湯釜は今年の5月2日に行われた太太神楽祭に使われたという。
神楽は三郷町の坂本巫女が作法されたようだ。
これまで拝見した御湯作法は沸かした湯に笹を浸けて湯飛ばしをしていたが、当地では湯でなく紙片だった。
残り花の紙片が釜の底にあった。
おそらく散らす紙片を湯の花に見立てた「花湯」若しくは「湯花」と呼ばれる御湯の作法であったろう。
湯花神事を終えた笹(クマザサ)は本殿奥の藪に捨ててあった。
(H27. 5. 4 EOS40D撮影)