Ⅰ家の隣家になるT家も立ち寄ってみる。
T家もオンボサンを立てているが、奥さんはカドマツリと呼んでいた。
Ⅰ家もT家も伊勢講の講中。
平成21年の12月13日に訪れて、6軒で営みをされていた伊勢講を取材させてもらったことがある。
T家はそのときの送りのヤド家だった。
ご主人は正月のお酒を飲み過ぎて寝ているらしい。
久しぶりなので、お声をかけたいが、かけることもできなくて奥さんにお願いするカドマツリのお話し。
Ⅰ家と同じように3本立て。
オン松、メン松に雄のカシの木を立てる。
雄カシの木の本数は家の男の人数でもあるし、おれば2本だということも。
逆に男が居なければ1本にするという。
このカシの木は家によって異なるようだ。
ホウソの木をする家もあれば、葉の無いクヌギの家もある。
また、雌カシの木をする家もあるというから多種多様のようだ。
三本通しの注連縄を張っているところもカシの木の巻き付け方も、太めの注連縄もある。
昔の松は5段であったという。
段は徐々に減っていって3段。
それから今日の2段になったそうだ。
近所の家では1段で先っちょだけの家もあるらしい。
太めの注連縄には蛭子さんのタイを架けたというからカケダイであろうか。
家のエビスサンに供えているのは生のカケダイという。
生のカケダイは初めて聞くが、当初は、ということであろうか。
串にさしているというから特徴的ではあるが、拝見はできなかった。
干したカケダイはと話題は続く。
そのカケダイは魚屋さんで買う。
昔は桶を担いで村に売りに来た行商から買っていたという。
カケダイの昔。
田籾を蒔いたときのミトマツリ(水口祭り)に食べた。
時期が来て、田植えをする日(植え初め)にも食べた。
その都度に食べたというから2尾だった。
そう、カケダイは2尾の一対腹合わせが特徴なのである。
話しをしてくれた食べる時期は農作の節目。
田植え初めにフキダワラをこしらえていたという。
拝見はできなかった床の間に供える正月祝いの鏡餅の膳は餅にクシガキ、トコロイモ、クリ、コウジミカン、お頭付きタツクリに昆布を供える。
この7品目は家のいろんな処に供える。
雑煮もお神酒も供える元日。
昔の正月は二日間の朝、晩にお節を食べる。
ヒル(昼)はヌキみたいなものだったという。
ちなみにコウジミカンは村に行商に来ていた売り子さんから買っていたという。
今では売りにくることはないから、購入するのは難しいようだ。
ちなみに「オンボサン」の呼び名を聞いたことがある。
平成24年の11月23日に訪れた山添村大塩のKさんが話した「オンボサン」である。
「正月の雑煮を炊く火点けはフクマルの火。雑煮はカシライモ(頭芋)。キナコに塗して食べる。カシの木はヒバシにする」と云っていた。
そのカシの木のことを「オンボサン」と呼んでいたことを思い出した。
その証言に感じる「カシの木」である。
オンボサンではないが、オンボダケの表現があったのは曽爾村の伊賀見。
平成3年11月に発刊された中田太造著の『大和の村落共同体と伝承文化』の記事である。
伊賀見のトンドはかつて1月15日の朝だった。
伊勢湾台風襲来による被害があった。
川原に生えていた竹が消えて取りやめになったが、そのトンド組の芯に真竹を立てる。
これをオンボダケと呼んでいた。
また、このオンボダケに書初めした書を括り付けて、灰が高く昇ると手が上がるといって喜んでいた。
燃えて最後にアキの方角に倒すオンボダケ。
割って持ち帰り、味噌樽の上にのせて置けば味噌の味が落ちないとあった。
こうした民俗事例から判断するに、「オンボ」とは心棒。
例えば家長も家の心棒。
重要な位置についている諸々に威厳さをもって「オンボ」と称したのかもしれない。
(H29. 1. 1 EOS40D撮影)
T家もオンボサンを立てているが、奥さんはカドマツリと呼んでいた。
Ⅰ家もT家も伊勢講の講中。
平成21年の12月13日に訪れて、6軒で営みをされていた伊勢講を取材させてもらったことがある。
T家はそのときの送りのヤド家だった。
ご主人は正月のお酒を飲み過ぎて寝ているらしい。
久しぶりなので、お声をかけたいが、かけることもできなくて奥さんにお願いするカドマツリのお話し。
Ⅰ家と同じように3本立て。
オン松、メン松に雄のカシの木を立てる。
雄カシの木の本数は家の男の人数でもあるし、おれば2本だということも。
逆に男が居なければ1本にするという。
このカシの木は家によって異なるようだ。
ホウソの木をする家もあれば、葉の無いクヌギの家もある。
また、雌カシの木をする家もあるというから多種多様のようだ。
三本通しの注連縄を張っているところもカシの木の巻き付け方も、太めの注連縄もある。
昔の松は5段であったという。
段は徐々に減っていって3段。
それから今日の2段になったそうだ。
近所の家では1段で先っちょだけの家もあるらしい。
太めの注連縄には蛭子さんのタイを架けたというからカケダイであろうか。
家のエビスサンに供えているのは生のカケダイという。
生のカケダイは初めて聞くが、当初は、ということであろうか。
串にさしているというから特徴的ではあるが、拝見はできなかった。
干したカケダイはと話題は続く。
そのカケダイは魚屋さんで買う。
昔は桶を担いで村に売りに来た行商から買っていたという。
カケダイの昔。
田籾を蒔いたときのミトマツリ(水口祭り)に食べた。
時期が来て、田植えをする日(植え初め)にも食べた。
その都度に食べたというから2尾だった。
そう、カケダイは2尾の一対腹合わせが特徴なのである。
話しをしてくれた食べる時期は農作の節目。
田植え初めにフキダワラをこしらえていたという。
拝見はできなかった床の間に供える正月祝いの鏡餅の膳は餅にクシガキ、トコロイモ、クリ、コウジミカン、お頭付きタツクリに昆布を供える。
この7品目は家のいろんな処に供える。
雑煮もお神酒も供える元日。
昔の正月は二日間の朝、晩にお節を食べる。
ヒル(昼)はヌキみたいなものだったという。
ちなみにコウジミカンは村に行商に来ていた売り子さんから買っていたという。
今では売りにくることはないから、購入するのは難しいようだ。
ちなみに「オンボサン」の呼び名を聞いたことがある。
平成24年の11月23日に訪れた山添村大塩のKさんが話した「オンボサン」である。
「正月の雑煮を炊く火点けはフクマルの火。雑煮はカシライモ(頭芋)。キナコに塗して食べる。カシの木はヒバシにする」と云っていた。
そのカシの木のことを「オンボサン」と呼んでいたことを思い出した。
その証言に感じる「カシの木」である。
オンボサンではないが、オンボダケの表現があったのは曽爾村の伊賀見。
平成3年11月に発刊された中田太造著の『大和の村落共同体と伝承文化』の記事である。
伊賀見のトンドはかつて1月15日の朝だった。
伊勢湾台風襲来による被害があった。
川原に生えていた竹が消えて取りやめになったが、そのトンド組の芯に真竹を立てる。
これをオンボダケと呼んでいた。
また、このオンボダケに書初めした書を括り付けて、灰が高く昇ると手が上がるといって喜んでいた。
燃えて最後にアキの方角に倒すオンボダケ。
割って持ち帰り、味噌樽の上にのせて置けば味噌の味が落ちないとあった。
こうした民俗事例から判断するに、「オンボ」とは心棒。
例えば家長も家の心棒。
重要な位置についている諸々に威厳さをもって「オンボ」と称したのかもしれない。
(H29. 1. 1 EOS40D撮影)