O家の苗代作りを取材していたときである。
東方にある隣の畑地に数人が動いた。
4人が小屋から出てきた時間帯は9時45分くらいだった。
O家の作業初めは午前9時。
すべてを終えて水口まつりも済ませた時間帯は10時20分だった。
共同作業は1時間と少し。
作付量が少ないから苗箱の量もそれなりになるから早くも終わった。
その隣で動きがあってから気になっていた苗箱運び。
その場はカラカラに乾いた畑地のような感じだった。
並べている人たちは男女二人ずつの4人組。
遠目から見てもわかる高齢者である。
一旦はこの場を離れて戻ってきた時間帯は午前10時50分。
場を離れて戻るまでの時間は30分もあったが、進展はそれほど進んでいない。
トイレ用足しにこの場を離れる前にお話しを伺って急遽お願いした緊急取材である。
国道169号線沿いにある白川食堂の西側に拡がる田園地帯。
その場辺りは国道の両側が天理市の楢町になる。
すぐ近くに細い川がある。
その流れるところが境界線だという二組の高齢者が苗箱を運んでいた。
4人は実は兄弟夫妻だった。
本家・母屋のHさんは88歳の兄。
隠居の弟さんは86歳。
連れ添う奥さん方も高齢者。
動きは思うようにならない弟さんを庇うのは口も手も足も早い奥さん。
もう一人。
動きが若干不自由な人は母屋の兄の奥さん。
兄弟夫妻の4人がお互い協力し合って仕掛ける苗箱並べである。
兄弟家は隣り合わせの家に住んでいる。
兄弟はとっても仲がいいのよ、というのは弟さんの奥さんだ。
苗箱運びをするまでは作業小屋の建屋内でモミオトシをしていたそうだ。
そうであれば作業初めは9時辺りかもしれない。
動きが芳しくないのは大きな病をされたためによるもの。
動きは芳しくなくとも協力し合う姿に惚れこんで撮らせていただく。
苗代が泥田であれば足元がおぼつかない。
試しにしてみたカラカラ乾きの苗代田だという。
アユミの板を置いてひょいひょい運ぶ。
兄はすこぶる元気な身体で3枚の苗箱を抱えて運ぶ。
元気な弟嫁も3枚運び。
すごい人たちだと思った。
一般的に高齢者でなくとも3枚運びは無理がある。
私でさえ2枚しか持てない身体。
どれほどすごいか、歩き方が崩れずひょいひょいしている身体に、元気を貰うが、この苗箱もまたカラカラ乾きだという。
それは何故か。
水を含ませたら重たくなるからこうしてカラカラのまま運ぶ。
なるほど、体力に合わせた方法が素晴らしいと思ったが、そこは遅々として作業は進まない。
で、あるが、肥料撒きは欠かせない。
早めに休憩をとって身体を休める。
これから作業小屋で昼ご飯。
4人が顔を合わせて食べる。
作業は午後の時間帯に繰り越し。
どれほどの時間を休まれるのか、再びこの場を離れた午前11時15分。
私の食事時間は未だ。
他にも見ておきたい水口まつり。
ここから遠くない地に向けて車を走らせる。
午前11時45分は高樋町の苗代に立てたイロバナ。
午後12時丁度に中畑町の水口まつりの松苗。
午後12時40分は和爾町・農免道路傍にあった苗代にイロバナ。
すぐ近くの中之庄町に初立ち寄り。
ここにもイロバナがあるとわかって付近におられた男性に聞取りしたら、なんと明日の苗代作りにイロバナを立てるという。
しかも、皿代わりに蕗の葉を敷いて、そこにフライパンで煎った糯米を乗せるという。
爆ぜ米を供える農家がこの地におられると知ったからには取材願いをするしかない。
その結果は明日。
周辺を巡って正解だった。
その地から真っすぐ西に下れば森本川に着く。
午後1時10分は森本町を流れる禊ぎ川にあった祭りごとの痕跡発見である。
一旦はお腹を満たしたくザ・ビッグエクストラ天理店まで。
わが身の昼飯を済ませた後半は、午後2時45分に着いて聞取りした別所町の苺農家。
それぞれの地で稔りある民俗話題を収穫してきた。
戻ってきた時間帯は午後3時。
その後も続けていた4人。
苗箱を運んだ畑地はカラカラに乾いていたら難儀やったということがわかった作業がある。
白い幌を支え、抑える棒が地面に入らない。
泥田であれば年寄りでもぐいと差し込めば難なく立てることができるが、槌で打っても堅い地面では反発するから杭が入っていかないのだ。
力ずくで打ちこむが、体力に限界を感じる。
「やっぱり泥田の方がし易いね」と云って本日の作業はここまでとされた時間帯は午後3時半だった。
並べた苗箱は230枚。
けっこーな量であった。
翌日に訪れた苗代田は泥田にしていたが、水口まつりはしていなかった。
和爾坐赤坂比古神社の春祭りには参列することができなかった、と云っていたから松苗はない。
なくてもイロバナは立てておきたいと奥さんは云っていたが、イロバナもすることはなかったようだ。
(H29. 5. 3 EOS40D撮影)
東方にある隣の畑地に数人が動いた。
4人が小屋から出てきた時間帯は9時45分くらいだった。
O家の作業初めは午前9時。
すべてを終えて水口まつりも済ませた時間帯は10時20分だった。
共同作業は1時間と少し。
作付量が少ないから苗箱の量もそれなりになるから早くも終わった。
その隣で動きがあってから気になっていた苗箱運び。
その場はカラカラに乾いた畑地のような感じだった。
並べている人たちは男女二人ずつの4人組。
遠目から見てもわかる高齢者である。
一旦はこの場を離れて戻ってきた時間帯は午前10時50分。
場を離れて戻るまでの時間は30分もあったが、進展はそれほど進んでいない。
トイレ用足しにこの場を離れる前にお話しを伺って急遽お願いした緊急取材である。
国道169号線沿いにある白川食堂の西側に拡がる田園地帯。
その場辺りは国道の両側が天理市の楢町になる。
すぐ近くに細い川がある。
その流れるところが境界線だという二組の高齢者が苗箱を運んでいた。
4人は実は兄弟夫妻だった。
本家・母屋のHさんは88歳の兄。
隠居の弟さんは86歳。
連れ添う奥さん方も高齢者。
動きは思うようにならない弟さんを庇うのは口も手も足も早い奥さん。
もう一人。
動きが若干不自由な人は母屋の兄の奥さん。
兄弟夫妻の4人がお互い協力し合って仕掛ける苗箱並べである。
兄弟家は隣り合わせの家に住んでいる。
兄弟はとっても仲がいいのよ、というのは弟さんの奥さんだ。
苗箱運びをするまでは作業小屋の建屋内でモミオトシをしていたそうだ。
そうであれば作業初めは9時辺りかもしれない。
動きが芳しくないのは大きな病をされたためによるもの。
動きは芳しくなくとも協力し合う姿に惚れこんで撮らせていただく。
苗代が泥田であれば足元がおぼつかない。
試しにしてみたカラカラ乾きの苗代田だという。
アユミの板を置いてひょいひょい運ぶ。
兄はすこぶる元気な身体で3枚の苗箱を抱えて運ぶ。
元気な弟嫁も3枚運び。
すごい人たちだと思った。
一般的に高齢者でなくとも3枚運びは無理がある。
私でさえ2枚しか持てない身体。
どれほどすごいか、歩き方が崩れずひょいひょいしている身体に、元気を貰うが、この苗箱もまたカラカラ乾きだという。
それは何故か。
水を含ませたら重たくなるからこうしてカラカラのまま運ぶ。
なるほど、体力に合わせた方法が素晴らしいと思ったが、そこは遅々として作業は進まない。
で、あるが、肥料撒きは欠かせない。
早めに休憩をとって身体を休める。
これから作業小屋で昼ご飯。
4人が顔を合わせて食べる。
作業は午後の時間帯に繰り越し。
どれほどの時間を休まれるのか、再びこの場を離れた午前11時15分。
私の食事時間は未だ。
他にも見ておきたい水口まつり。
ここから遠くない地に向けて車を走らせる。
午前11時45分は高樋町の苗代に立てたイロバナ。
午後12時丁度に中畑町の水口まつりの松苗。
午後12時40分は和爾町・農免道路傍にあった苗代にイロバナ。
すぐ近くの中之庄町に初立ち寄り。
ここにもイロバナがあるとわかって付近におられた男性に聞取りしたら、なんと明日の苗代作りにイロバナを立てるという。
しかも、皿代わりに蕗の葉を敷いて、そこにフライパンで煎った糯米を乗せるという。
爆ぜ米を供える農家がこの地におられると知ったからには取材願いをするしかない。
その結果は明日。
周辺を巡って正解だった。
その地から真っすぐ西に下れば森本川に着く。
午後1時10分は森本町を流れる禊ぎ川にあった祭りごとの痕跡発見である。
一旦はお腹を満たしたくザ・ビッグエクストラ天理店まで。
わが身の昼飯を済ませた後半は、午後2時45分に着いて聞取りした別所町の苺農家。
それぞれの地で稔りある民俗話題を収穫してきた。
戻ってきた時間帯は午後3時。
その後も続けていた4人。
苗箱を運んだ畑地はカラカラに乾いていたら難儀やったということがわかった作業がある。
白い幌を支え、抑える棒が地面に入らない。
泥田であれば年寄りでもぐいと差し込めば難なく立てることができるが、槌で打っても堅い地面では反発するから杭が入っていかないのだ。
力ずくで打ちこむが、体力に限界を感じる。
「やっぱり泥田の方がし易いね」と云って本日の作業はここまでとされた時間帯は午後3時半だった。
並べた苗箱は230枚。
けっこーな量であった。
翌日に訪れた苗代田は泥田にしていたが、水口まつりはしていなかった。
和爾坐赤坂比古神社の春祭りには参列することができなかった、と云っていたから松苗はない。
なくてもイロバナは立てておきたいと奥さんは云っていたが、イロバナもすることはなかったようだ。
(H29. 5. 3 EOS40D撮影)