ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「からだの声」 20201220

2020-12-20 | Weblog

 

システムとしてのからだは、人間の意識を対話の相手とするより
むしろ環境全体がつくる生態学的なネットワーク
関係の網の目としての世界との対話に「専念」している

眠っていても気を失っても、つまり意識が飛んだ状態でも
からだは世界との対話をつうじてつねに自己の組織化を継続している

からだにとって、意識は直接的な対話の相手ではない

意識にとって、からだは一切の思考の起源であり
思考を展開させる母体として存在している

からだとの対話はからだの声を聴くことからはじまる

なんのための対話なのか
生の本質にかなう世界と出会うために
さしあたりそう言っておきたい

からだの声、それが希望
ただ一つ、自由の入り口にあたっている
この入り口をたどらずに、希望に向かうことはできない

うちなる声は聞かれないかぎり
ひきつった言葉の群れに沈んでいく

世界記述、自己記述の確定を急ぐ関係項
社会体があつらえ示す一般解
侵入し混じり込み、かく乱する外部の声

現象する言葉と言葉のハレーション
かき消され、声を見失った心に差し出される結語

「パイは限られている」
「生きるか死ぬか」
「勝つか負けるか」
「遊びは終わりだ」

一義的世界記述から派生する「かくあるべし」「かくなすべし」

現実論理の規定に服すること
現実論理に一切の決済を仰ぐこと

一般解に媒介されてショートカットすれば失われる
はじまりの場所、はじまりでありつづける
まなざしをキープしなければ見失われるはじまりの場所がある

ざわめき、もやもや、いらいら、ためらい、ふるえ、ゆらぎ
うちなる声はいつも記述の確定を拒む表情をしている

ふるえ、ゆらぐものの原郷へ
深くわけ入ってはじめて出会うはじまりの意志がある

すべてノイズとして切り捨てることもできる
耳をふさき口をふさいで
〝自由を呪う道〟もこの世には開かれている

「いやだね」

からだとの対話だけが教える
守るべきマキシムがある

 

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