「因果交流電燈」(宮沢賢治)の光は交わり
交わりつづけることでカクテルの光となり
いまだここにない生のかたちを照らしだす
二重記述(multi-description)──未記述の地平へ
予期はみずからに走り、生きることの意味を指し示す
いまだ記述されざる地平に子を宿し
母はしたためるように子を産み落とす
ふたつの性の二重記述から
新たな生が創発する
すべてはうちなる「Backstage」の作動に由来している
描かれる絵はキャンバスにとって代われない
子は母を生むことができない
意識主体がどんなに望んでも
「Backstage」の作動に先行することはできない
手に負えない関係状況
糸口の見えない解決法
絡みに絡んだ信念対立
形を与えられない不安
見いだせない存在可能
やがて不可能は聖域化して
諦念が世界を呑み込むように
「C’est la vie」とだれかがつぶやく
万策尽きて、現実論理、暴力原理に席を譲り
悲劇を迎え入れる生のプロセスを歩むまえに
つねにそこにとどまり
ていねいに結んでおくべき
まなざしのフォーカスがある
柵に囲われたヒツジのことば──「これが現実さ」
ピリオドを打つようにどんなに世界を記述しても
みずからの生と世界の姿を確定させることはできない
二重記述、多重の記述へ向かう作動は止まず
作動は意識主体をそんたくしない
呼吸し、代謝し、感じ、欲望する
すべての〝発火〟の原郷があって
新たな光のカクテルをめがける内なる作動がある