鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

(着たきり)雀の言い分③~『服』は、私達を選ぶのだ。

2010-12-08 21:04:00 | Weblog
夜中からの雨も、明け方には、上がって、冬らしくなってきたような・・・。


11月26日の続き。

『服』が、着る人を選ぶのだ・・・。
などと、断定的に書いてしまったのだけれども、コレは、或る意味、凄いことなのである。

『着るひとを選ぶ服』というのは、逆説的に言えば、『その服は、そのひとのためだけに作られた』という前提があるからなのだろうか?

・・・着られればなんだっていいじゃん・・・服を着ないと、これからの季節、寒いし、服を着ないで、外にでようものなら、公序良俗の違反というか、わいせつ罪?というか、そんな犯罪にもなってしまうし、取り敢えずは、身体を包むものを身につけなければいけない訳だから。

『着るひとを選ぶ服』・・・つまり、そのひとのためにだけ作られた服は、ブランド店やオーダーメイドの仕立屋さんだけが作るものではない。
もしかすると・・・セールのワゴンの中に、ひっそりと眠っていて、本当の持主が買ってくれるのを待っているのかもしれないし、何世紀も前に作られた服の中にあるのかもしれないが・・・(コレは、ちょっと探すのが不可能だろうけれど)。

『着るひとを選ぶ服』・・・それは、どんなに時代遅れの服であれ、そのひとが着れば、そのような服装で、電車の中にいても、何の違和感もないばかりか、それがものすごく似合って非の打ち所がない服のことなのである。
極端な話だけれども、18世紀フランスのあのマリー・アントワネットが身につけていたようなドレスは、宝塚歌劇の中だけにあるのではないような気がする。
そのマリー・アントワネットが身つけていたようなドレスを着て、例え電車に乗っても(←乗ることは、不可能だと思うが)何の違和感もなく、本当に美しければ、それは、『着る人を選ぶ服』であり、そのひとだけのために作られた服だと言ってもいいかもしれない。

極端な例で申し訳ない・・・が、そういうことを言いたかったのだ。

だから、チープ(安価で、安っぽい服装)であっても、それが、とても似合っているのなら、価格は、関係ない。
それは、チープを通り越して、そのひとの個性にマッチしているから似合うのだから・・・。

何でもカンでも似合うわけでなし、服を誂えるにも経済力がものを言う。
だから、デザインは、均一でも、カラー・ヴァリエーションが豊富なユ●クロなどのブランド(・・・少し前までは、貧乏人のブランドとも?言われていたようだけれども・・・)に人は列をつくる。

どうぞ、そのショップにあなたのために作られた服が、存在しますように・・・と、行列を横目にそんなふうに思ってしまう。