鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

『紅楼夢:曹雪芹・著(林語堂編/佐藤亮一訳)』

2013-01-31 22:51:46 | Weblog
おだやかな冬晴れ。

3日前(1月28日)のブログで、『紅楼夢』について、書かれた文章をふと思い出し、この物語は、文字の小さな?岩波文庫で、出版されていたような・・・なんてことを思いながら、そういえば、たしか・・・表紙買いをした『紅楼夢』のダイジェスト版があったはず・・・。

そう・・・この物語の主人公・賈宝玉(かほうぎょく)は、美少年でありました。

本日の画像。
 『紅楼夢:曹雪芹・著(林語堂編/佐藤亮一訳)』 六興出版 和58年6月18日初版発行
カバーを撮影してみました。

賈宝玉は、口の中に、通霊宝玉(宝石)を含んで、生まれてきた子供でした。
彼がまだ、生まれる前は、石ころ・・・イヤ、霊性を備えた石で、神瑛侍者の化身。やがて、人間の男の姿になるようです。河岸に生える絳珠仙草に甘露を与え、可愛がってあげたところ、この草は、長い歳月を生き延び、やがて、精霊を吹き込まれて人間の姿になり、絳珠仙草であったころ、慈しんでもらったあの神瑛侍者の化身の青年に恋い焦がれ、『あのお方は、私に天の慈雨をお恵み下さったのに、私は、あの方への御恩返しに一滴の水も差し上げられない。もし、あの方が、下界でお生まれになるなら、私もあの方について、下界へお供し、せめてもの御恩返しに私が一生の間に流す涙の全てを、流して差し上げたい・・・。』

・・・という訳で、下界で、石ころは、賈宝玉に、絳珠仙草は、林黛王に生まれ変わり、遭遇しますが・・・。

宝玉は、祖母に甘やかされ、詩作の才能はあるものの、わがままで、扱いにくい、御坊ちゃまの典型に育っていきます。
・・・で、こういう御坊ちゃまは、女が好きだし、女も、彼をほっとかない・・・。
女に囲まれて、愛欲の日々を送ることになります・・・。
いいんだろうか・・・一応、前世???は、神霊ってことらしいのに・・・???

・・・登場人物400人ってことなので、原作は、大変そう・・・といっても、このダイジェスト版ですら、なかなか読むのが、大変です(実は、少ししか読んでおりません。表紙買いした本ですので)。

このブログを書くのに、漢字(固有名詞)が、変換されないのです。

もう、誰が誰やら・・・覚えられませんね・・・。
あまりにも綺麗な表紙に引かれて買ったのが、20数年前???

本の中は、紙魚だらけです。


なんか・・・もうどうでもいいような・・・1600回目!

2013-01-30 22:52:59 | Weblog
再び、氷点下の朝。午前8時の気温マイナス2℃。それでも日中は、暖かい。


今日も、時間ギリギリに、出社してみたところ、2013年度4月より、またまた組織の再編成・・・という発表で、2008年のリーマン・ショック後・・・何度目の再編成になるのだろうか???

(最初っから、一緒にしちまえば、よかったじゃん・・・メンドくせぇ・・・)
と半ば、毒づきながら、エライひとは、暇だから、何処と何処をくっつけて、何処を切って・・・なんてことばかりやってるんだろうなぁ・・・と思う。
まあ、それが、仕事ちゃ、仕事なんだろうけれど。

・・・そうなると・・・この間っからやってる事業計画だとか、白紙にはならないまでも、大幅な修正なのね~~~そうすると予算も、最初っからやり直しなのかしらん・・・???

いやいや・・・そんなことは、どうでもいい。
私は、今、腰痛なんだから・・・ではなくて、今度こそ、ワタシは、お払い箱かもね・・・。

・・・でも、まっいいや。
それなら、それで・・・。

それどころじゃないんだもん。
せっかく、寛解したと思った腰痛も、会社のデスクに座っていると、出社後30分も経たないうちに、悪化して、立ち上がるたびに、想定内の痛みが・・・。

ああ・・・。やっぱ、自宅で、大人しくしてたほうが、賢明だったかもしれない。

先の見えない仕事より、御身大切、自分大切・・・なんだけれど、月次の会計やってこその、私の商品価値・・・これ以上、下げる訳にも・・・と、矛盾した思いが、頭の中を駆け巡る。

こういう生殺しが、再編の度ごとに、やってくる(今数えてみたら、5年間で、5回・・・あっ毎年やってるわけだ・・・規模の大小を問わず・・・)。

やはり、平穏な日々は、束の間だったのね・・・!

そんな、再び、嵐の予感の1600回目。

ご訪問いただいた皆様に感謝するとともに、いつ果てるとも知れない脆弱なブログですが、お暇つぶしに、またお立ち寄りいただれば、幸いです。


三毛猫堂



本の匂い

2013-01-29 22:51:30 | Weblog
午後から、強風。寒い1日。


私の寝所は、散らかっている。
大抵、いつも散らかっているけれど、今は、かがみこむと腰痛がするので、片付けもできないから、更に、散らかっている。

私は、日中、勤めに出ているけれど、そんな散らかった部屋にも、訪れる客?がいる。
日中訪れる客は、隣に住む姪が飼っている猫で、何故か、私の散らかった寝所が好きらしい。
時々、遊んでいくようだ・・・と家人が言っていた。
休日など、ちょっと部屋から出て、お茶を淹れに行ったりすると、いつも間にか、寝所にいる。
黒い猫なので、目立たないのだけれど、戸を開けたとき、動くものがあるので、驚く。

『ああ。遊びに来たのね。何もないけど・・・。まあ、ゆっくりしていってください。アタシは、また寝るけど・・・。』

一声かけて、横臥する。
猫は、するりと出ていく。

猫を探して、姪(姉妹の妹)が、来る。
姉の方は、私の蔵書?(そんな立派なモノじゃないけど)を、漁りにくる。主に漫画・・・。
最近は、BLなどのエロ系も放置されているから、ちとヤバイな・・・。中学生には、多分、向かない本だろう・・・(購入してみて、あまりに、エロすぎて、困ったのもある・・・さっさと処分せんと・・・)。
エロ系は、やはり、見えないところへしまっとかねばな・・・教育上、良くないだろう・・・(19世紀のヴィクトリア朝くらい厳しい躾をうけた我が身なので、そう思ったりする。今時は、違うのか?)

『読みたい本があれば、持って行ってもいいけど、部屋散らかっているから、転ばんようにな。』
と一応の注意をしておく。

姪はいつも言う。
『この部屋は、本の匂いと、お化粧品の匂いがするから好き。』
メイク道具は、使っていないから、たぶん、朝使うパルファム類の匂いだろう。

姪どもが来る理由は、わかったが、猫は、何故くるのだろう?
猫の好む成分がインクや紙に含有されている可能性もあるかも・・・?(たぶん無いね!)

本の匂いは、従来、黴臭いものだとおもうけれど、印刷技術の進歩で、それ程でもないのかも?
或いは、まだ見知らぬ『知』の芳香がするのかもしれない。

水の上で、眠る夢をみる

2013-01-28 23:07:01 | Weblog
午前中曇りがち、午後から晴れ。寒い一日。


どなたが、書かれたものか、全く失念していて、どの出典なのかも、さっぱり思い出せないのですが、

『当時、毎日の会社勤めと病人の介護という生活を送っており、未来には、希望とよべるものがなにもなく、就寝する前のわずかな時間に『紅楼夢』を読むのだけが楽しみだった。
あの夢とも幻ともつかぬ甘美な物語を読んでいるときだけ、現実を忘れた・・・』

というような(もしかすると、記憶が違っているかもしれませんが・・・)文章でした。

回復する見込みのないご病人の面倒を見ながら、普通に会社勤めをすること自体、大変なことだと思うし、この先、一体どうなってしまうのだろうかという思いは、常にあって、世の中の楽しみなどは、自分とは無縁に思える・・・そんなとき、救いは、一篇の長い長い物語だった・・・。

生きているのが、無意味に思えることを経験することもあるだろうし、虚しさばかりで、焦燥することも・・・、周囲は、あんなに楽しそうで、喜びに満ち溢れているのに、自分だけは、適用除外だったりする・・・そんな思いばかりに支配されてしまうとき、或いは、自分が病気だったり、身体が動かなかったりするときは、生きていて何の意味があるのだろうか・・・と思うことも・・・。

繰り返しの虚しい仕事、破壊だけの人間関係・・・そんなことに背を向けて(背は向けても、逃れることができないので)、長い長い一遍の物語の中で、現実の自分を忘れる・・・ただ、それだけが、わずかな慰め・・・。

物語には、そんな効用があったりします。
そして、この『紅楼夢』も、そんな甘美な物語のひとつなのかもしれません。
更に、本(物語)ではないけれども、眠りながら見る夢・・・それも、慰めとなるときがあります。

かくいう私も、いまそんな感じで、絶不調なのですが、そういうときには、いつも不思議な夢をみたりします。夢の中だけは、甘く、楽しい・・・。

水の上で、眠る夢・・・でした。

沈みもせず、水に抱かれるような(低反発のマットレスの上で、浮いているような)・・・ゆらゆらと揺られながら、眠り、流される夢です。夢の中で、眠りからさめると、やはり水の上でした・・・。

夢占では、眠る夢は、心身疲労、トラブル暗示・・・よくないらしいですが・・・。

物語にも、夢にも、現実から目を背けることが、難しく、どうにも立ち行かなくなったとき、わずかだけれどその緊張から逃れられる小さな出口を与えくれるものなのかもしれません。

・・・それは、精神の一時的避難所にすぎないし、一時凌ぎの鎮痛剤みたいなものでしかないのかもしれませんが・・・。


週末病人②

2013-01-27 22:55:30 | Weblog
良く晴れて、寒い日曜日。


木曜日(24日)の朝、腰痛を発症して、現在に至る。
歩行、階段の昇り降りなどには、ほとんど支障がないのだけれど、或る一定の方向に身体を向けると、痛みが出る。
運動性の痛みか・・・。

横臥している分には、全く問題ないので、再び、週末病人化して、大人しくしていることにした。終日、横臥していたせいか、寛解してきている。

この処、社内の間接(事務・設計)部門での、100名近いインフルエンザ罹患、ノロウィルスの蔓延・・・病の巣窟のような会社での、流行り病には、幸いというか、縁がなかったけれど、ヘンテコな風邪が長引き、こんどは、腰痛かよ・・・やっと、復調してきたのになぁ・・・と、身体の自由を奪われていて、どうにも、情けない。

風邪のときは、五体切断して、新しいパーツに取り換えたいほどの倦怠感だったのだけれど、今度は、動かすと痛い・・・再び、身体を動かせない状態だ。
怠いのと痛いのでは、どっちがマシかっていうと・・・、怠さは、四六時中、腰痛は、動かす度・・・って感じだから、まあ、どっちもイヤだ。

痛みの度合いについては、ぎっくり腰よりは、マシなのだけれど、立ち上がるときの不気味な痛さが、気にかかる。不安を呼ぶ痛さなのだ。
・・・それは、たぶん、痛みが中途半端な分、どこか、はっきりしない不安につながっているようで、それが、よけいに痛さを呼ぶ。

相変らず、痛みの不安のスパイラル。

不安をなくすという点では、医師に、こういう病だ!と診断してもらうのが一番いいような気がするが、いつも原因不明で、お茶を濁されてしまい、痛み止めの対処療法だけだから、完治もせず、思い出したように、痛みが発症するのだろうと思っている。

世の中には、奇病というか、物理的な痛みをまるで、感じないという症状の人もいるようで、骨折しても痛くない、煮えた切った湯の中に手を入れても、熱さを感じない・・・感じはしないが、骨は、折れていて、手は、火傷・・・身体に、ダメージを受けても痛まないというのは、危険なことなのだろう。
虫歯などで、歯の神経治療をすると、その後、痛みには、鈍くなるけれど、歯は弱る。子供の頃の歯の痛みは、強烈だったけれど、大人になるとそうでもないのは、神経治療しちゃったからなのね・・・と改めて納得する。

そして、あれ程、たよっていた鎮痛剤も、ただ、痛みの神経と脳の間の連絡を遮断するだけで、根治するわけではなかった・・・ということを理解するに至った・・・ようするに一時凌ぎってことで。

腰痛も鎮痛剤で、治るわけがないのである。自然治癒するまでの凌ぎに過ぎない。




ヘビ男さん

2013-01-26 23:01:15 | Weblog
今季、最大級の寒波到来だとか・・・。
午後から、強風。冷蔵庫の中のような空気の冷たい極寒な一日。

本日より、地上デジタルの識別信号変更により、一部のテレビは、チャンネル設定をしないと某国営放送が映らなくなると言うので、テレビをつけてみるとやはり、写らない・・・。
休日の朝5時に、チャンネル設定やってる私・・・って。


『レッド・スネーク!カモ~~~ン!!!』
で、始まった今年のブログですが、私の時間の感覚だと、それは、もうはるか昔・・・のような気がするのに、まだ、1月は、終焉を迎えてはおりません。
時間軸が、完全にブレまくっていて、自分の存在すら、稀薄な感じがして、このまま、空気に溶けて消えてしまいそうな気がします。

・・・まあ、そんなことは、おいておいて・・・。

・・・で、今年は、巳年だったな・・・蛇の年。

蛇がお好きって方は、あまり多くないと思いますが、ペットで、白い大蛇を飼育されていて、首にまきつけていたタレントさんがいらっしゃいました(・・・中村有二さん・・・?だったかしらん)。
ヘビなどの爬虫類は、冬眠などもするようで、あまり手がかからず、育てやすい生物らしいです。

さて・・・。
現在、私の憧れ?の男子は、ちょっとヘビっぽいです。
どうヘビっぽいかというと、なんとなく、ヘビっぽいのです。
細身ですが、別に、クネクネしてる訳でもないのですし、長身で、美男で、スタイル抜群で、カッコいいのですが、お顔が、ちょっとヘビっぽいんですね(・・・だから、具体的にどうヘビっぽいのかといえば・・・説明できないもどかしさ・・・があります)。

まっ、私的にヘビっぽい・・・というか・・・。
ヘビは、真っ黒で、真ん丸な目が、可愛い気がしますが、件のヘビ男さんは、目は、ぱっちりしている訳でもないですし、どちらかといえば、切れ長の目をされております(だから、何処がヘビっぽいの・・・と自分で、自分に突っ込みをいれてます・・・)。

いや・・・だから、なんか雰囲気が、高貴なヘビ・・・というか・・・(ヘビに、高貴だとか、貴賤があるのかよ・・・訳わかんないぜ!)。・・・具体的に表記できないのですが、そういう雰囲気なんです。

高貴なヘビ・・・それは、(この間から、散々書いている)韓流ドラマ『王と私』の前半の主役とでもいいましょうか・・・内侍府長のチギョム・・・この方。ドラマの中でも、蛇のような男・・・というセリフがありました。
・・・えすとえむさんの『クシュラル』で、トルコ王宮の宦官のユランもヘビのような男。
宦官系の男は、ヘビっぽいのかな・・・?

本邦では、マムシ・・・策略家の斉藤道三なんかおりますかね・・・?

だから、ヘビ男さんが、宦官っぽいとか策略家だとか・・・そんなことは、全くありません。
なんとなく・・・ただ、なんとなく、優しい蛇を連想させるのです(私の馬鹿脳の暴走的妄想です)。



痛みと不安②

2013-01-25 22:50:18 | Weblog
明け方、濃霧。
霧が、晴れてくるにつれて、空気中の霧の粒子が、ダイヤモンド・ダストのように、きらきら。


朝起きて、腰痛は、どうかな・・・?と思って、立ち上がってみると、痛みは、治まっている。
この分だと、大丈夫だな・・・。

車をだそうとして、バックでハンドルを切ろうとすると、ズキン・・・。
あらら・・・。
普通に座っている分にはなんともないけれど、一寸、上体を動かすと、ズキン・・・。
車をおりるときにも、ズキン・・・とくる。

とにかく、一度、座って、立ち上がるときが、一番ひどいので、今日は、極力、席を立たない方向で・・・とそういう方針にして、金曜日だし、もし、酷く痛むようなら、早退すればいいし・・・。

そうは、思っても、不安は、どんどん大きくなる。
7年前みたいに、入院は、イヤだなぁ・・・。
腰痛といっても、いろいろ原因は、あるし、内臓関係だったら、超ヤバイかも・・・。

・・・こんな不安については、同じタイトルで、2011年11月21日書いてはいるものの。
考えることはいつも同じで、このまま、絶命・・・ってことになるなら、(少ししかないけれど)預貯金全部使い果たしてから・・・と、思ってしまう。

ホントに、いくらもないんだけれど・・・。

貧乏性な私は、わずかな預貯金を何に使えば、満足して、死ねるか、想像もつかないでいる。
・・・余命1年なので、1年後に、全部使い果たした揚句、誤診でした・・・なんて、ことになるかもしれないしなぁ・・・(いいのか、悪いのかわからないんだよね。この場合・・・)。
誤診だったとしても、この先、まともに働けるかどうかわからないし。

ああ・・・!!!

痛みは、立ち上がって、3,2歩あるくと、激痛がするけれど、その後は、嘘のように、歩けるし、自宅に戻って、横臥している分には、何処も痛くないのである。


時々、社内で、腰に手をあてて、ゆるゆる歩いている人達を見かけるけれど、多分、腰痛持ちだろうなぁ・・・同病相哀れむ・・・というよりは、勝手に、憐れんでいる(大きなお世話か・・・)。


ハズれる!

2013-01-24 22:44:54 | Weblog
おお・・・!フロントガラスに、霜も氷もない・・・。気温1℃。寒中にしては、暖かい朝。


朝、起きて、何やら、腰が痛い・・・。
ヘンな寝かたをしてしまったのか・・・。

出社して、デスクに座って、さて、書類のプリントアウト。
立ち上がろうとしたら、激痛。
おわ・・・っ!!!やっぱり来たか・・・。

今日は1日この繰り返し。
立ち上がって、歩こうとすると痛みが。
歩いてしまえば、逆に軽くなる・・・。

・・・これ以上、酷くなるのか・・・或いは、沈静化するのか・・・予測がつかない。
こういう場合、私の心配性な脳は、すぐさま、悪い方へとシュミュレーションを始める。

ええと・・・。今は、まだ、立ち上がれるけれども、これで、歩行困難になった場合、やはり、健康管理室で、車イスをお借りして、タクシーで自宅まで帰るしかないよな・・・。
社員のみなさんの御手を煩わせることになるのは、避けたいが・・・。
仕事も、月次決算まじかだし・・・でも、コレは、仮計上してもらっておいて、来月なんとかするか。

とにかく、不安のドツボは、らせん状のスパイラル、或いは、メビウスの輪の如く、終わりがない。
次から、次へと、不安になってくる。

コピーを取りにいくにも、一度、机に両手をついてから、覚悟していた痛みを受けて、フラフラ、ヨロヨロ歩いてく・・・。

もしかすると・・・寝ている間に、何処かに圧力が、かかって、痛みの周辺は、コレを矯正しようとしているのではないだろうか・・・だったら、この身体の主たる私も、協力せねばなるまい・・・。

椅子にかけたまま、上半身は、右へ、腰から下は、左へ・・・と緩くひねってみた。

パキン・・・と何かが、ハズれたような感じで、タメシに立ちあがってみると、痛みが少し軽減しているではないか・・・。

何が、ハズれたんだろうか・・・?

理由は、解らなないけれど、少し、ラクになった気がする。

韓流ドラマの森の中

2013-01-23 22:52:24 | Weblog
本日も氷点下回避。極寒一休み。


去年の秋頃から、テレ東での『宮廷女官チャングムの誓い』の再放送から、始まって、今は、『王と私』(但し、前半の前半15回分)に至っている。

至ってはいるのだけれど、15回目から先に進めないでいる。

何故・・・進めないのかと言えば、実は、平日にDVDを見ると、どうしても1時間では、おしまいにできない。続きが見たくなってしまうからなのである。
このドラマは、1枚のディスクに2回分(だいたい2時間)収録されていて、2時間は、拘束されるはめになる・・・ということは、睡眠時間が、短くなる訳で、それは、今のところ、避けたいことなのであった。

・・・とにかく、眠らんと・・・。

・・・という訳で、平日に見るのは、避けている。

普通のテレビドラマのように1週間1回1時間・・・と、続きがみたくても、来週にならなければ、放送されない・・・というのは、有難いシステムなのだなぁ・・・と改めて思う。

長い休暇中ならば、2時間でも3時間でも、夜が明けるまででも、好きにできるけれど、つまらぬ仕事とはいえ、一応、会社員なのだから、決まった時間には、出社していなければならない。
きちんと出社するには、お支度と準備と睡眠と・・・何かと時間がかかるのだった。

この韓流ドラマ。
果たして、どうなってしまうのだろうか・・・。
従来飽きっぽい私では、あるけれど。
63回・・・最終回まで、たどり着くことができるのであろうか???

李氏朝鮮時代のドラマは、色彩が美しい。

特に、赤、紫、桃色、青・・・宮廷人の衣装の美しさに目を奪われる。
こういう色の組み合わせって、日本には、あまりないよなぁ・・・と思える配色も・・・。

画面が色で溢れている(・・・そりゃあ、カラー映像なんだから、当然っちゃ、当然ですね・・・モノクロテレビから、カラーテレビ放送に変わった頃は、画面の右下(或いは、左上に、ワザとカラー放送であることを示す【カラー】の表示が出ていたのは、もう遙か昔のことだけれど)。

そして、朝鮮・・・と言えば、呪術色の強い土地だと思っている。
隆慶一郎の絶筆となった『花と火の帝』では、天皇の隠密・八瀬童子の岩介が、朝鮮に渡り、更なる力を身につける・・・という構想だったようだけれど、終末まで、完成せず、終わってしまった。

今の処、ドラマは、ドラマでも大河系・・・というか、時代モノ以外は、見たいとは思わない。

実は、『トンイ』のDVDも仕入れてしまった(トンイは、この春、某国営テレビで、オンエアが予定されているとか・・・早まったな・・・私)。

私、これらのDVDを、全部見終わるまで、生きていられるだろうか・・・。

韓流ドラマのラビリンスの森に紛れ込んでしまった・・・出口を見つけるよりは、早々に撤退した方がいいのかも・・・?


トラウマの橋

2013-01-22 22:53:58 | Weblog
午前8時の気温4℃・・・昨日に続き、氷点下の朝の回避。雨。湿度を含んだ空気が、春っぽい。


先々週から、橋梁工事で、渋滞云々・・・とこの拙なブログで、ぼやいておりますが・・・。
なんと、予定より2日早く工事が終わり、通常の朝に戻って、安堵。安堵。

実は、この跨線橋・・・私には、トラウマの橋だったのです(もしかすると、この話は、以前のブログに書いたかもしれませんので、重複の際には、お許しを)

今をさかのぼる事・・・相当、昔。
免許取り立ての朝のラッシュ時。
この橋の一番傾斜のキツクなる場所で、停止することになって、イザ、発進・・・!ってときに、何回発進しようとしても、そのたびに、エンストを起こす・・・あああ・・・何故に~~~???
ラッシュ時だから、後ろからせかされるわ・・・もう、パニック!!!を起こした経験があるのです。

原因・・・。
それは、ギアが、5速のトップに入っていたからです(発進できる訳ありませんね)。
あのとき、落ち着いて考えてみれば、ギアをローに入れるだけで、発進できたハズなのに、

坂道発進のプレッシャーも加わっていたせいでしょうか(オートマッティック車は、坂道でも、ちゃんと止まっているからエライです!)。

きちんと発進できないと、マニュアル車は、物理的に、後退するのでした(だから、自動車教習の科目に坂道発進がある訳で・・・。オートマ限定免許でも、この科目はあるのかしら・・・?あるわよね・・・たぶん)。
一応、マニュアル車も運転できる免許なのですが、もう、ギアチェンジもできない身体になってしまいました。

そして、あのとき、運転していた車は、父の車で、排気量2000ccの前輪駆動、しかも、パワーステアリングなしのマニュアル車・・・か弱い女子には、扱いが大変な超オトコ車だったのです。

・・・という訳で、この橋を通過するたびに、このトラウマを思い出し、車の性能も格段にアップしたけれど、自分自身の運転技術は、全く上達していないのだな・・・と改めて思うのでした。

祝!橋梁補修工事完了。橋の下のスーパーにも2週間ぶりによって帰りました。

そして、最近知ったことなのですが、この橋から見える鉄道に分断されたような形で、存在している森は、かつての城跡・・・ということでした。
戦国時代にも、ここは、あったのね・・・城は、あったけれど、橋はなかった・・・なんか不思議。

遠く、筑波の峯を望みながら、そして、トラウマも思い出して、この橋には、なんか、深い縁がありそう・・・と思う次第。