鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

『新しい祝日:イキウメ』

2014-11-30 03:56:52 | Weblog

昨日(29日)は、夕刻より、相方と池袋・東京芸術劇場へ、イキウメの『新しい祝日』を観劇に。

小劇場ならではのシンプルな舞台構成とシュールな空間、そして何より、哲学的な脚本で、観客に問う。

『今見えている現実は、本物なのか?』

大劇場の凝ったセットのグランド・ロマンも、現実を忘れさせてくれる。
演じられる舞台は、日常生活とは、かなりかけ離れた・・・乖離された世界に観客を誘い、そして、ひとときの夢を見させてくれる。
2時間後か3時間後には覚める夢ではあるけれど。

イキウメの舞台は、舞台が跳ねたあと、その夢が、フラッシュ・バックされる。
セリフのひとつひとつが、リアルに感じられて、身につまされる。

・・・今、ここで、生きてる自分は、本物なのか・・・?
呼吸をしているこの世界は、果たして、本物なのか・・・?

そんな眩惑するようなラビリンスが、更に展開されていく。
舞台は、跳ねたのに・・・???

劇作・演出の前川知大さんの力量が、いかんなく発揮された作品のひとつかと思う。

舞台を構成するダンボールの箱。
会社のデスクになり、家庭のイスになり・・・様々に姿を変えながら、箱の中身は、空っぽ。
外側は、その環境によって、様々に変化するけれど、箱には、何も入っていない・・・それは、社会生活を営む上で、現代人が、どうしても偽装しなければならない社会のルールに縛られて生きる人生を象徴しているかのように思える。

ふと、気が付いて、自分とは、一体誰なのか・・・今、目の前に見えている物は、本当に自分が生きる現実の世界なのか・・・?
この世界しかないのか・・・?この世界からはじき出されれば、自分は、生きていけないと思うのは、本当の事なのか・・・???

永遠にわからない問いかけに、戸惑いながらも、今、自分が生きている現実に真っ向から、立ち向かう入口のようにも思える。

さて、このラビリンスの出口は、あるのか・・・?それとも、ラビリンス自体が、幻想なのか・・・?
新しい祝日は、果たして、晴れの日なのか、土砂降りなのか・・・?



深まりゆく赤

2014-11-28 22:57:39 | Weblog



時々、薄日は、差すものの、曇りがちな金曜日。

最近は、夜眠るようになって来て、朝も(お勤めしていた頃よりは、多少遅いけれど)、8時前には、起床していて、人並みになってきたな・・・と思っていたのだけれど、今日は、日中、ほとんど、うとうとしながら過ごしてしまった。

お昼に、熱い紅茶とラズベリー・タルト(←ボンヌ・ママンというフランス製のお菓子で、バターの風味がちゃんとしていて、タルト生地の中央部には、ラズベリーのジャム入り。堅焼きのガレット状のタルトで、ひとつづつ、パックされていて、なかなかに美味しい。大昔だけれど、中国のお菓子に、形状の似たようなものがあって、クッキーの生地の中央に油っぽい甘いジャムもどきが、トッピングされているものがあった。全体の構成は、クッキー状で、味は、沖縄のチンスコウ。チンスコウを丸くして、中央部に、人工着色料・甘味料100%の黄緑色だの、赤色のジャム状のゼリーの固まりというか、かなり粘着力があって、歯につくと一発で、虫歯になりそうなシロモノで、あまり好きではなかった)を、二つばかりつまみながら、二階のベランダから、真っ赤に染まったモミジの木など眺める。

今日の画像。昨日、数枚撮ったものの中で、マシなもの(あとのは、ブレブレ)。

モミジを眺めながら、お昼のティー・タイム?が終わり、熱い紅茶で、身体が暖かくなってくると、アレだけ眠ったのに、再び、眠気に襲われる。

寒くなってくると、昔は、電気アンカなるものを使っていたけれど、体質が変わったのか、二階屋の自室が、暖かいのか、或いは、地球規模の温暖化のせいなのか、自己発熱で、間に合うようになってきた。
・・・複合的な原因なのだろうけれど、そのせい(温暖化)で、モミジの落葉も以前より、1ヶ月は、遅くなっているのではないかと思う。

12月を目の前にして、今、盛り也。

日に日に、深まり行く赤を楽しんでいる昨今。


・・・で、ラズベリー・タルトを食べながら、かの中国製の焼き菓子に思いを馳せる。果たして、アレは、中国のお菓子だったのだろうか・・・なとど、今更思う。

あがた森魚さんの歌の歌詞に、
『シベリアケーキにお茶などいれて・・・』
という一節が思い出されて、ハテ・・・何と言う曲だったのか・・・

シベリアケーキは、カステラに、ヨウカンを、サンドしたお菓子だけれど、これもパサパサのカステラの方が美味しい。
今時の湿度のあるカステラでは、合わないかもしれない。





光は、茜(あかね)に、染まる。

2014-11-27 22:56:32 | Weblog



昨日の風雨もおさまって、穏やかな初冬の1日。

本日の画像。

庭のモミジも色づいてきて、今盛り。

午前中は、太陽高度が高すぎる感じだし、陽が西に傾くと雑木林が邪魔をして、光が上手く届きません。
逆光線で、一枚撮ってみました。

真っ赤に染まったモミジの下にいると、光も空気も茜に染まる、紅に染まる・・・。
穏やかな緩い西日の中、積もった落ち葉の上を、カサカサと音と立てて歩いてみます。

モミジの赤は、少し哀しげな赤です。
橡(くぬぎ)も綺麗な黄色に染まりました。
白猫も、ゆっくり後をついてきます。

秋の終わりと冬の始まりの中で、季節に染まります。


光も空気も・・・。

そして私も・・・。


短くなる昼間と長くなる夜の間で、モミジの赤は、深まっていきます。


モミジの赤は、少し寂しげな赤です。

モミジの赤は、少し哀しげな赤です。

モミジの赤は、少し儚げな赤です。


モジミの赤い葉っぱは、枝から、離れると、すぐに乾燥して、茶色くなります。
カラカラに乾いてしまいます。

そして、カサカサと悲しい音を立てて風に舞います。


白猫と追いかけっこをします。

北西の風とメランコリックなワルツを踊ります。

モミジの赤は、少し切ない赤です。




初冬のお出かけと翌日の冬の嵐

2014-11-26 21:02:43 | Weblog

昨日の雨は、今日になっても止まず、強い風を伴い、早くも真冬の訪れを予感させられるような1日。
昨日(25日)は、4カ月に一度の定期健診のため都下へ。
昨日も冷たい雨だったけれど、今日のように風はなくて、雨脚も強くなかったから、昨日でよかったと思っている。

自宅からあまり出ないので、人の多い都内にでると、疲れてしまう。
帰りの電車で、30分くらい爆睡したせいか、夜はあまりよく眠れず、今日も雨だし、強い風の音など聞きながら、終日、寝たり起きたりして過ごす。
こんな天気の日は、自宅に籠っていると何だか、ほっとする。
それで、随分、のんびりしすぎてしまった・・・のんびりし過ぎた・・・といっても、この1年間、ずっとずっと、そんなグウタラな生活をしてしまっている。

この時期の都内は、鮮やかな黄色く色づいたいちょうの葉が、冬の訪れを感じさせる。

12月の初め頃まで楽しめるのではないだろうか。

お昼前に新宿のデパートの展望レストランで、食事。

新宿御苑を眼下に見下ろす。
御苑の木々も秋の装い。
雨に煙っていたので、ちょっと残念だったけれど、正面には、スカイ・ツリー。
静かにゆっくり食事をする。

その後、中央線で、西へ。

3連休明けで、平日にも関わらず、混雑していて、予約時間は、10分遅れ。
それでも、以前に比べたら、だいぶ、待ち時間も短くなった・・・ような気がする。

15時から、青山五行の小池先生を訪れる予定を立てていたけれど、考えてみれば、時間的に少し厳しかったかな・・・と後悔する。

一応、予定時間内、ギリギリに終わったので、速足で、私鉄駅へ。
それも束の間、線路内に自転車?侵入・・・だとかで、永福で、暫く、停車。

やはり、家にじっとしていると、時間の予定を立てるのも、甘くなってしまうのかも。
しかも、(勝手知らない)都内だからなぁ・・・おのぼりさんは、大変、大変。

青山五行のある青山一丁目駅には、15時少し前に到着。
大幅な遅刻は、避けられた。

来年2015年の展望や写真、映画の話など、半年ぶりにいろいろとお話できて、楽しい時間を過ごさせていただいた。



初冬のくもりぞら。美術館と紅茶。

2014-11-24 12:51:49 | Weblog
  
もう、随分と昔の事だけれど、今日のような初冬のくもりぞらの日に、隣県の美術館を訪れたことがあった。
『マリー・ローランサン』の展覧会だった。

この美術館は、小さな市街地からすこし外れた高台にあって、傾斜のある庭園にもオブジェがあって、館内にカフェなどもあった。

私はまだ、運転免許を取って日が浅い頃だったので、おっかなびっくりの遠出(・・・といっても片道1時間くらい)となった。

たしか、勤労感謝の日を挟んだ連休中だったと思うので、時期的にも今頃だ。
お天気というか、空気感が似ているので、思い出した・・・ただ、それだけ。

そんなことを思い出しながら、紅茶を飲んでいる・・・。

この紅茶は、昨日のブログに記載した・・・タイム・スリップしたような気分にさせられたスーパーで購入したものだったのだけれど、その日の夜、お財布の中から、このスーパーのレシートを取りだして、見てみると、購入した記憶の無い品名がプリントされていて、

『TWBチョイス20・・・409円也』

はて・・・一体コレは、何だったのだろうか・・・?
何を買ったのか、皆目思い出せずに、床についたのであるが、翌日(つまり、今日)、階下のキッチンに降りて行ったところ、見慣れぬ箱があった。

ああ・・・!そうだ・・・!コレであった。
即座に記憶がよみがえった。

『TWBチョイス20・・・409円也』 ← コレは、今飲んでいる紅茶の品名であった。

トワイニング・ブラックティー・20パック入り

特に、値段もチェックせず、購入してしまったから、全く記憶に残らなかったようなのだ。

・・・そして、世間では、3連休の最終日。
曇り空を眺めながら、この紅茶を飲んでいる。




ミルク・チョコレート(日常から乖離したような日曜日)

2014-11-23 22:53:16 | Weblog

おだやかで、暖かな勤労感謝の日。

先週の土曜日にみた鳥と同じ種類?の鳥が、今度は、東進していく姿をみた。
なんという種類の鳥だろうか・・・?
鳥類図鑑を調べてみようと思っている。

勤労感謝の日だというのに、出勤して、仕事をしている相方の会社へ、コンビニエンス・ストアで、珈琲と焼き菓子を買って持参。

累積交差と幾何公差の研修資料を作成しているというので、お昼過ぎから、2時間程、滞在して、おしゃべりなどして、早々に帰る事にしたのだけれど、折角、外出したのだから、ちょっと、車で、走ってみるか・・・と思い立ち、東の隣市へ向かう。
別に、目的があるわけではないから、気の向くままに、走ってみた。

途中に、スーパー・マーケットが、出来たようで、立ち寄ってみた。

外観は、新しいし、私の居住地にもある系列のスーパーなのだが、どうも・・・なにか・・・昔風というか・・・地域性というか・・・タイム・スリップでもしてしまったのだろうか・・・と不思議な気分になった。

上手く、言い表せないのだけれど・・・本当に、何だか、昔のスーパーに居るような気がしてならなかった。

トマトとヨーグルトとビールなどを購入して、さて、お会計へ・・・と思ったところへ、アーモンド・ミルクチョレート6粒入りという商品があったので、買ってみた。

このところ、チョコレートは、外国産のものばかり食べていたのだけれど、自宅へ戻って、一粒、食べてみて、驚いた。

国産のアーモンド・ミルクチョコレートってこんな味だったかな・・・?

よい意味で、とても美味しかったのだった。
随分と優しい味なのだ。
食べなれたはずの国産のチョコレートがこんなに美味しいとは、思わなかった。

ベルギーやフランス、イタリア製のチョコレートで、美味しいものもたくさんあるし、高価なものは、確かに美味しい。
逆に、共産圏だった国のチョコレートは、美味しくなかったように思う。

タイム・スリップしたような雰囲気の(ド田舎の)スーパーといい、そこで買ったチョコレートといい、なにやら、不思議な感じの・・・日常と乖離したような日曜日だった(率直に言えば、ヘンな感じというか・・・、夢の中の出来事のような実感を伴っていないというか・・・?)。



新月の夜に・・・。

2014-11-22 22:53:57 | Weblog

今日は、新月。


お月さまは、姿を見せない。

月のうさぎは、居場所のないこの地上で、ピンと立った耳は折れ、ふわふわだった毛皮は、ボロボロ。
早く、月に帰りたいのに、帰る場所がない。

お月さまの無い夜に、月のうさぎは、泣くばかり。

めそめそ、しくしく・・・泣くばかり。

折れた耳が痛いよ。
ぼろぼろの毛皮は、悲しいよ。
冷たい風が寒いよ。

お月さまは、何処へ行ってしまったのだろう。

折れた耳が痛いよ。
お月さまのもとへ帰りたいよ。

お月さまの無い夜に、月のうさぎは、泣くばかり。

めそめそ、しくしく・・・泣くばかり。




虚数・複素数幻想

2014-11-21 22:50:02 | Weblog

風もなく、緩く穏やかな初冬の週末。

インド人は、『0(ゼロ)』の概念を発見した。
コレは、数学上、物凄い発見だった・・・という記述を、以前、何処かで読んだか、聞いたかしたことがあって、その時は、『0(ゼロ)』は、やっぱり、ゼロで、テストで、点数が取れない最低点であることよなぁ・・・くらいにしか思っていなかった。

大体、初等教育の足し算・引き算の繰り上がり、繰り下がりで、すでに数の世界から、弾きだされてしまった我が身だから、算数・数学には、なみなみならぬ・・・∞(無限大)的なコンプレックスを背負ってしまった。コレは、もう病的なトラウマでもある。
数字は、出来るだけ見ないように、避けていたけれど、生活と数字は、切っても切れない。
消費生活は、金銭という数で成り立っているし、日常の食糧品から衣類、電気・ガス・光熱費、インターネットの接続代金、外に出るとなれば、まず、顔なども洗わなければならないから、水道代もかかる。
・・・ようするに、世界は、『カネ』という数で、回っているから、基本的な計算ができないと日常生活に支障をきたす。
預金の残高が、ゼロになれば、不安は、倍増する。
ゼロは、不安の固まりだ・・・。
カネなど借りようものなら、ゼロの下に更に厄介な『マイナス』というヤツがつく。
文字式、四則演算などの計算問題は、就職試験などでも、如何に早く間違えずに解けるかは、このマイナスの符号の処理の仕方にあるのでは・・・と思うほど、面倒くさい。

『負』の数である。

どうして、『マイナス』と『マイナス』を乗算すると『プラス』になるのか・・・そのあたりからして、イヤだ。
更に、平方根(ルート)の中に数字があったりする・・・i(複素数)なんて、登場した日には、目もあてられない。

そう・・・虚数と言われるヤツだ。

考えてみれば、虚数ときくだけで、ウンザリする。

虚弱体質だとか、なんとなく、マイナスの弱々しいイメージが、つきまとう。
明るさがない。完全に数学の理論上の数字?としか思えない。学問の数字なのだ。
故に私からは、完全に乖離しているのである。

そんなことを思っていると、相方曰く。

『でも、負債がゼロになれば、嬉しいでしょ?それに、近所の奥さま方は、ディスカウントが大好きでしょ?30パーセント引きだとかさ。』

(私は、近所の奥さまでもないし、いまのところ、負債はないし、預金通帳が、ゼロに近づく方が恐ろしい)

そんな割引価格だって、実際に、本当にソレだけの価値あるのかどうかわからない。
少し、しおれかけたのほうれん草が、半額だって、ビタミン類は、それ程残ってはいないだろう。

こうなってくると、もう虚数や複素数なんて、どうでもいい。

そんなことは、学校でやってくれ・・・と思う私であった。






音楽嗜好性の回帰

2014-11-20 22:44:46 | Weblog

冬の入り口に立ったような曇りがちの寒い一日。
自室裏の雑木林のクヌギなどの広葉樹も色づきはじめ、冷たい風に吹かれて、舞い、散っていく。


最近は、インターネットラジオで、ピアノ曲ばかり聞いている。
1日中、ピアノ曲ばかり流れている番組で、大半が、ソロ。

私は、ここ数年(2007年頃)から、それまでのinstrumental (英語表記も、カタカナでも、表記するのが難しくて、インストゥルメンタル系???とでも書くのだろうか、歌詞のない器楽だけの演奏ということでいいのか、よくわからずにいるけれど)ばかり聞いていて、歌詞のある歌というのは、あまり好みではなかった。

その後、何名かのお気に入りのシンガーがいたけれど、再び、楽曲だけに戻ってきたような気がする。

歌詞があるとなんだか、面倒な時もあるのだった。

音楽の嗜好性の回帰・・・なのだろうかと思う。

いづれにせよ・・・飽きれば、また何か違うものが好きになるかもしれないし、そうならなかいかもしれない。

歌詞があると、どうしても、その歌詞を追ってしまうけれど、音楽だけだと、自分のイメージの中で、遊べるような気がする(・・・だいたい、気が付くと眠っていたりして、パソコンもスリープ状態になり、勝手に、OFFしてしまうから、面倒がなくていい)。

音楽が何なのかも全く解っておらず、ただ聞くだけに過ぎないから、何を言う資格もない。

ピアニストにも巧拙というか(そのヘンも全く解っていないから、トンチンカンな感想しか言えないけれど)、好き嫌いだけは、ハッキリしていて、モチロン、相容れないピアニストもいる。

名前を挙げれば、きっと、こんなに有名で、才能があって・・・という女性ピアニストで、あまり好ましくない方もいる。

何度も言う。私は、音楽は、何も知らない。ただ好きか嫌いなだけである。

その女性ピアニスト・Fが、嫌いなのだ。
ピアノも叩きつけるように弾く(たぶん、そいういう技法なのだろう。理解できず、すまないと思うけれど)。ショパンを弾かせると国内でも屈指らしいけれど。どうも相容れない。

私には、音楽を聴く耳がないのかもしれないけれど、嗜好だけは、ハッキリしている。
老いてるだけで醜いのに、衣装が気持ち悪い(よくそのヘンを歩いているカッコウは、若者なのに顔は、オバさん・・・見るに忍びない・・・ソレと同じ)。音楽とは関係ない?面で二重に嫌いなのだ。




弘法は、筆を選ばず・・・。

2014-11-19 22:43:13 | Weblog

乾いた冬の晴天。

ここ数か月間、毎日、水筆習字などにいそしんでみた(失業中だから、することもない)。
水筆のよいところは、墨を使わずに、専用の用紙に何度も文字を書きつけて練習できる点だろう。
とにかく、面倒がない・・・なんてことは、以前のブログにも書いた。
水筆専用の用紙も耐久性があって、千回くらいは使えるらしい。
販売元は、『呉竹』という会社である。

水筆ばかりでも何だな・・・と思いつき、本来の目的でもある『ふでペン』で、書き始めたのが、1ヶ月くらい前。

『ふでペン』のインク(・・・というか墨?というか・・・顔料が正しいのだろうか)は、1ヶ月くらいでなくなった。
1日、般若心経262文字と、気が向けば、いろいろ書いたりしていたから、1日あたり300字前後だろうか・・・。
このときの『ふでペン』は、かの『呉竹』社製であった。
このふでペンは、使い捨てらしく、替えのインクは、なかったので、近所のショッピングモールで、新しいふでペンとカートリッジ製のインクを購入した。

折しも・・・年賀状を書くシーズンなのだろう。販売コーナーが設けられていたので、そこでいろいろと物色して、結局、一番安価なモノを買った(何かにつけて、節約を強いられるのは、失業者ならでは・・・ふでペンくらい値段を見ずに買いたいものだとつくづく思う)。
ついでに、A4サイズのコピー用紙500枚一束を購入(重い・・・のだけれど、この用紙で、裏表使ってふでペンの練習、及び、数学〔算数かも?〕の問題を解くのに使っている)

自宅に戻り、さて、一筆書いてみるか・・・と思い、ふでペンのインクストッパーを外し、胴体を少し押して、インクを出して書き始めたのだが・・・。
非常に書きづらい。以前使っていた『呉竹』社製のふでペンとは、何処か違う。
わずかばかりの出費を節約して、得たものが、コレなのか・・・(あの年賀状特設コーナーには、『呉竹』社製のふでペンのカートリッジは、なかったので、別の会社のものにしたのだけれど)。

弘法大師・空海は、言わずと知れた平安三筆のひとり(因みに、あとのおふたりは、嵯峨天皇、橘逸勢である・・・なんてことも、以前のブログ『檀林皇后』で、既に書いたけれど)で、密教系の御坊さん。自由闊達な書体であるそうな(・・・私にはよくわかりませんけど・・・?)

『弘法は、筆をえらばず。』

字の上手なひとは、どんな筆で書いても、上手な字が書けると言うけれど、弘法ならぬ我が身なれば、筆は、選ばないと文字がかけないのである。

しかも、選んで、書いても、字面は、曲がり、くねり、ようやっと解読できるか、否か、抜群の下手具合でもあった。