終日、くもりがちで、寒さの戻った日曜日。
1969年3月30日の日曜日。パリの朝・・・。
フランシーヌが命を絶った日。
あの頃は、学生運動真っ盛りで、前年の1968年にアメリカ・コロンビア大学でのベトナム反戦デモは、映画『いちご白書』の舞台となった。
世界の若者達が、燃えたぎるエネルギーの渦の中に居た時代・・・。
Z 、α世代には、ちょっと想像がつかないかもしれない。
私は、まだ小学生になったばかりの頃・・・世の中のダイガクセイのおにいさん、おねえさんは、毎日、デモで忙しくて、大変なんだな・・・とか思っていたりして。
今も相当、おかしいけれど、当時もなんか変だった・・・(ような記憶がある)。
ダイガクセイになったら、安田講堂(←コレは、東京大学に合格しないと行けない場所かも)で、ヘルメットかぶって、角材もって、『安保』だの、『ベトナム』だの・・・『ナ~ンセンス!』とか言って、デモに参加するのか・・・なんて、考えたりして。
その後、ベトナムの事情を知ったのは、ミュージカル『ミス・サイゴン』をみたあたり・・・だっただろうか・・・。
既に、ダメなオトナになってはいたのだけれども・・・。
そんなこんなで・・・月日は、流れ・・・フランシーヌの歌から、半世紀と少し。
意味も分からず・・・歌っていた。
『フランシーヌの場合は、あまりもオバカさん』
反戦歌だったんだね・・・日本で、ヒットしても、オトナの事情???で、暮れの『コウハクウタガッセン』には、出場できなかったんだってね。
良い歌かどうかは、よくわからんのだけれど・・・いまだに。
大人の事情といえば、かの芥川賞、直木賞の選考も、そのときの世相に忖度したってハナシ・・・。
かの・・・車谷長吉は、芥川だったか直木だったかの選考で、落選して、どっかの神社で、丑の刻参りをして、選考員を呪った・・・とか、呪わなかった・・・とか・・・。
良い文学かどうかは、よくわからんのだけれど・・・いまだに。
文学で感情を揺さぶるってことにかけては、天才的な作家だと思うのだけれど。
そして、大人の事情で、米価は上がる???よくわからないけれど、お米も高級品になって、日本米は、外国へ輸出して、安価?なベトナム米やら、中国米を輸入なんて、オトナのやることは、今も昔もよくわからん。
それでも、いつのまにか、オトナの事情も未だに分からないけれど、若者に不条理を押し付ける側のオトナになってしまった(自覚はないけれど)。
理不尽なのやら、不条理なのやら・・・。
不条理っていえば、アルベール・カミュ・・・なんて思い出したのだけれど、彼が亡くなったのは、1960年だから、学生運動の前だったんか・・・。
構造主義なんてのも、このあたりの時代か・・・。
あの頃も、なんだか、混沌としていたんだろうか・・・いや、時代は、いつだって、混沌としてるんだろうけれども・・・。
春休みは、開放的な気分になって、街中もはなやいでいるけれど、そんな・・・開放的な?モラトリアムも、やがて色褪せて・・・。
そんな三月の最後のくもりがちな日曜日。
(いつもオチのない最悪な駄文で、すみません)