鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

大好きな古民家和食春野菜の饗宴 & 桜見ミニ・ハイキング

2021-03-31 23:21:00 | Weblog

初夏のような・・・いつものお花見の時期とは違う暖かすぎる3月末日。

我が居住地至近の桜の名所は、県道の左右に染井吉野の樹立する桜のトンネル。

風が吹くと花吹雪。毎年、綺麗なトンネルで、桜の時期、ここを通り抜ける車も、少しスピードを落としていくような。

 

午前中、近所のショッピングセンターで、相方と待ち合わせをして、車のバッテリー交換をして貰った。

そのあと、パン屋さんのイート・イン・スペースで、相方の書類作成のお手伝い。

場所代にと思い、小倉塩餡パンと珈琲を購入。

1時間程、パソコン入力作業をして、東隣市の古民家リノベーションの和食のお店へ。

いつきても・・・このお店で、流れる時間は、まったりしていて、造り酒屋の2階から眺める庭には、ピンク色をした枝垂れ桜。

 

前菜は、野菜類だけ。味の濃い野菜たちに、金山寺味噌、豆腐ドレッシング、塩などのシンプルな味付け。凄く美味しい。

メインは、相方が、アスパラガスの肉巻き、私は、焼き鰆(緑色のジェノベーゼソース・・・かと思いきや、野菜のソースだった)。

本当に、シンプルだのだけれど、普通に極旨。

キャロットラペ、蓮根のチップス、里芋を潰してボール状にして素揚げしたものに、甘味噌。マッシュポテト(コレは、相方のプレート)。

旬の春野菜の素直な味を、そのままに。

素直に美味しい。

箸休めには、5種類のお漬物。糠漬け、酢漬け、粕漬け・・・どれも、美味しい。

ご飯は、菜の花と白魚、朧昆布のお吸い物。

デザートは、チーズケーキとラズベリーブラマンジェ。珈琲。

 

久々に、美味しい食事で、嬉しかった。

 

食事の後は、お花見。

何処へ行こうか・・・迷ったけれど、市内は、何処も満開。

なので、今度は、西隣市の山へハイキングというかウォーキングというか・・・。

 

平日なのに、結構な人出。

山頂から眺める景色は、春霞で、少し煙っていた。

この山へ来るのは、三十数年ぶり・・・くらいだろうか・・・?

三十数年前は、夜間だったので、昼間見る景色に全く見覚えがなく・・・。

頂上と思われる神社に参拝。

 

相方は、午後6時から、仕事の打ち合わせがあるというので、早めに下山(・・・と言うほど、高い山でもなく・・・)。

待ち合わせをしたショッピングセンターで、解散。

 

母が亡くなって、久々に、自然の中を歩いた。

母にも見せたかった桜を、一杯見たし、美味しいものも食べたし、私が、元気でいることが、母への供養にもなるのだろうか・・・などと考えたりした。

 


可燃ゴミの収集日。

2021-03-30 20:37:32 | Weblog

昨日の初夏の陽気も、一旦落ち着いた感じの曇り空。

夕刻になると、カエルの声。

我が居住地は、火・金曜日が、可燃ゴミの収集日。

母の残したもので、不要なものを仕分けして、今日は、可燃ゴミ回収の日なので、朝(・・・といっても、午前9時頃)、45リットルのゴミ袋5個を、車のトランクに乗せて、回収場所迄(自宅より車で、1分くらいの場所)。

 

我が自治体のゴミ分別は、厳しい。

可燃ゴミ・不燃ゴミ・ビニプラ・有害ゴミ・ビン缶ペットボトル(食糧専用)・布紙ゴミ・剪定ゴミ・・・などなどに分別しないと、回収してくれない。

いちいちパンフレットをみてゴミを仕分けすることになるのだけれど、拙宅では、母の寝室8畳・母の常駐茶の間8畳・サンルーム4畳半(くらい)の一応、3か所だけれど、各部屋にタンス・クローゼット・押し入れなどがあって、不要のものばかりが、ゴミとなって、残っている。
そのうちの母の寝室8畳と茶の間8畳の部屋の中の半分は、取っ払い隣のキッチンに山と積まれているので、私は、今のところ、昼間は、キッチンで、のろのろと遺品整理作業をするはめになった。

なんだか、全てがイヤになってきて、仕分け作業を中断し、買い物にでかけたりする。スーパーのリサイクルセンターに、ペットボトルなど持ち込むと幾らか(ほんの数円程度、ガソリン代にもならぬのだが、買い物ついでに、持ち込んでいる)戻るので、気分転換にも・・・なるのか、ならぬのか・・・???

 

もう染井吉野は、散り始め、拙宅では、既に、山桜満開。

地面には、菫(すみれ)が、綺麗な藤色と紫色の間のような(・・・って、どんな色だ???)花をつけていた。

春がどんどん進んでいくのだな・・・と思った。

母の遺品(・・・というか、どうでもいい、母も有ったことさえ覚えていないであろう数多のゴミ)が、どんどん減っていく。

母との距離も離れていく・・・。

母の存在も薄れていく・・・のだろうかね?

午前中に、発注していたお位牌が届いた。

四十九日経てば・・・お骨もお墓の下になる。

 

私の想いとは、裏腹に、遺影の母は、美しく笑っている。

 

 


蛙鳴く・・・既に、初夏を思わせる3月下旬。

2021-03-29 20:37:57 | Weblog

最高気温夏日一歩手前の24℃

夕刻には、カエルの声。ゲゴゲコ・・・。

昨日の雨で、田んぼは、水を張ったような状態。

 

午前中、仏間の祭壇周りの供花を、片付ける。

葬儀のときに、飾った生花で、このところの暖かさで、だいぶ、枯れたり、萎れたりしてしまっていた。

緑色の給水スポンジのオアシスから、花を抜き取り、枯れたものは、捨てて、枯れた葉などは、ハサミで切って、ふたつの花瓶に活け替える。

白菊、黄菊、カーネーション、胡蝶蘭、カトレア、ユリ、シンビジウム、デンドロビウム、オンシジューム・・・蘭系の花は、高額なものが多い。

花に触れると、花びらが、バラバラと、ばらけて落ちる。

白菊などは、花の中央が、黒ずんできたものは、捨てる。

 

2基程、葬儀場から持ち帰って貰い、後飾り祭壇に左右に飾り、残りは、お棺の中に入れた。

お棺の中の母は、花に埋もれた・・・。

 

花々を切って、活け替えて、仏間など、掃除していたら、あっという間に時間が経ってしまっていた。

 

午後からは、気温も上がり、もう初夏か・・・と思わせる3月の下旬。

 

 


春の雨

2021-03-28 21:22:23 | Weblog

終日の曇り空。

時折、弱い雨も・・・。宵になって、本降り。春の雨・・・。

 

正午の某・国営放送のニュースで、聖火リレーが、地元の駅迄、来たと報道していた。

日頃は、閑散としている(朝夕は、ラッシュだけれど)駅前通りに、見物客がたくさんでていて、ちょうど、桜の花びら舞うなか、女性ランナーが、笑顔で、走っていた。

本当に、開催するのだろうか・・・東京オリンピック・・・。

本来なら、去年のハズだったのだけれど。

 

 

今日は、何もしない・・・と決めた。

何も・・・というのは、母の遺品の整理や、仏間の母の荷物を、キッチンへ移動したりして、全然、片付かないままになっているけれど、今日は、何もしない・・・。片付けはやらない。

何もしない・・・というのは、案外、難しいもので、床の上で、寝転んで、ぼんやり天井などみていると、母を思い出すので、ちょっと、辛くなったりする。

本でも読もうか・・・と思い、開いた本は、母の健康のために、買った本で、もう無用の長物か・・・と思いながらも、折角、買ったのだから・・・と読んでいる。

 

たんぱく質を、毎日、規定量、摂取すると身体の不調改善に役に立つ・・・と言う内容で、プロティンパウダーの摂取を推奨した本である。

糖質代謝から、ケトン代謝へ変えるというもので、毎日、自分自身の体重×1g(推奨は、1.5g)と書いてあった。

私自身、プロティンパウダーは、去年の夏から秋頃迄、摂取していたけれども、冬になって、寒くなったので、飲まなくなっていた。

暖かくなってきたので、在庫分は、飲み切ってしまおうと思っている。

 

プロテインパウダーを飲んでいておもったことは、高齢の母には、たぶん、プロテインパウダーは、無理だろうということ。

まず、冷たい液体である水、牛乳、豆乳、ジュースで、溶かさなければならないのだけれど、冷たいものは、身体を冷やすし、なにより、乳製品から作られるものだから、味が、嫌いで、受け付けないだろう。

母の症状と食生活から、たんぱく質不足は、決定的だったけれど。

流動食の『メイバランス』とか、『クリミール』などを、お腹が空いたときに、飲むように勧めては、いたけれど。

コレらの液体流動食は、糖分が多いし、人工甘味料なども多く含まれているので、できれば、余計なものの入っていないプロテインパウダーがよいのだけれど、如何せん、母の好きな味じゃない。

 

私は、低たんぱく血症(低アルブミン血症)だった時期もあって、やはりたんぱく質は、慢性的に、足りてないのかもしれない(現在も)。

 

母が、亡くなって、食事も、簡単なものが、多くなってしまい、2、3食分作って、冷凍・冷蔵保存して、解凍したり、温めたりして食べている。

食事作りは、楽しいし、悲しい。

 

食事を作っていて、毎回、思うけれど、もっと美味しく作れれば良かったのに・・・。

母の分迄、美味しいものを作って食べることにしよう。

 


春霞・朧月・久々の麺類

2021-03-27 21:33:47 | Weblog

春霞。

夕刻、雲のヴェールを纏った朧月。

 

日中は、20℃近く迄、気温が上昇するも、朝方は、10℃以下。

電熱マットを切っていたので、明け方、足先が冷たい。

 

昨日、お気に入りのベッカライで、買ってきたクロワッサンに、自家製苺ブルーベリージャムを載せて、珈琲と伴に朝食。

会社勤めのときから、数十年、朝食は食べなかったけれど、最近は、珈琲と焼き菓子やパンなど食べられるようになってきた。

簡単な朝食だけれど、幸福感を味わえる時間帯となった。

 

午前中、ヨーグルトを発酵させ、苺ジャムが残り少なくなってきたので、リンゴジャムなど拵える。

ヨーグルトは、有機牧草で育てた牛乳に、プロバイオティクスヨーグルトを種菌として、加えて、ヨーグルト・メーカーで、10時間前後発酵させれば出来上がり。

継ぎ足し、継ぎ足しで、無限増殖乳酸菌が出来るのかと思いきや、市販のカップヨーグルト(80g前後)で、500mlから、1000mlの牛乳を、2回程度発酵させると、発酵力が弱くなるようで、かの明治乳業から販売されている薬効?のある赤いヤツなどは、継ぎ足し発酵2回目で、カスピ海ヨーグルトのようなちょっと粘り気のあるヨーグルトになったので、今回は、胃に特化した乳酸菌というヤツで、発酵させてみた。

 

午後から、母の遺品整理の続き(ここ2,3日やっていなかった)。

こちらも無限増殖・・・というか、いろいろな場所から、手紙などが、どっさり出てきて・・・一応、中身を確認してから処分することになるのだろうけれど。

無駄に筆まめなひとだったので、遺品の手紙の量が、半端ない。

 

仏壇と祭壇の部屋にある花々も、枯れかけたものが多くなってきたので、取り除いて、給水などする。

 

(父親の違う)姉から、送られた蘭の花は、薄暗い場所でも、咲いているのが不思議。

蘭は、直射日光を嫌うというので、縁側から、3mくらい離して、緩い光が入るくらいのところへ移動した。

母は、あまり蘭が好きではなかったようなのだけれども・・・。

それにつけても、蘭って、不思議なフォルムだし、綺麗なのか、華やかなのか・・・植物としてどうよ???ホントに植物???って感じがする。

慶弔どちらでも(もちろん、紫色とか赤い花は、弔慰には不似合いだろうけれど)OK!というオールマイティな贈答花だし、何しろ、高額だし、随分、長いコト咲いていて、花の時期が、長い。

不思議な植物だ。

夜中にみると、なんだかちょっと怖い気もする。

 

夕刻。

久々にパスタを作る。

母は、ご飯類よりも、麺類が好きだったので、素麺、蕎麦、饂飩、パスタなどは、週に2回くらいの割合で、食卓に上っていた。

そんな母が、居なくなったので、麺類を茹でることもご無沙汰してしまった。

ミートソースなど作る。

麺は、平べったいリングイーネ。私は、コレが好き。

麺を少な目(60gくらい)にして、ライ麦パンを供する。

ビールが飲みたかったけれど、胃が痛くなるかもしれないので、止めておくことにした。

今日も、食事が美味しいな・・・母にも、もっと食べさせてあげたかったな(もっとも、母は、ミートソースは、食べない)。

食事の後は、もう母は、いないんだ!ってことを思いだすと、胸のあたりが、苦しくて、動悸がする。

こんなことも、慣れっこになっていくんだろうな。

 

 


あの春の日に・・・。

2021-03-26 22:40:04 | Weblog

午前中晴天。午後から、雲広がるも穏やかな花日和。

自宅近くの桜並木は、もう、ひらひらと桜の花びらが、舞い散りて・・・。

 

1週間ぶりの食糧調達。

玉子、野菜類、お気に入りのアルペンブロート(ライ麦パン)など。

市内4か所のスーパーや店舗をまわる。

去年と何も変わっていないのに。

母は、もういない。

 

寂しいとか、哀しいとか・・・そういうのではないけれど、なにやら、ポツンと喪失感。

そんな春の日に・・・。

 

母が、まだ普通に歩けた頃、ひとりで、ティータイムを楽しんでいた近所のカフェ。

 

私も歩いて行ってみようかと思っている。

先日、お焼香に来てくれたかつての母の職場(保育所)の同僚さんが、そのカフェで、母とお茶を飲み、とても楽しかったと言っていた。

『先生(母の事)は、紅茶を、私は、珈琲を頼んだの。そのことが思い出されて・・・。』

母も余程楽しかったのか・・・その話をしていたのを覚えていて、いつか一緒に、歩いて、そのカフェに行こうと思っていたけれど。

 

そのカフェ。

まだ、この近隣が、田んぼや畑に囲まれていた頃・・・創業約半世紀前(正確には、53年前)。

 

夜間など、その当時、結構、暗い通りで、ポツンと灯りがついていたりした・・・ちょっと不思議な佇まいで。

 

近くにあるのに、まだ3回くらいしか訪れていない。

前回は、3年くらい前だったかな。

 

いつか春の日に・・・。

母と訪れようと思っていたカフェ。

 

 


お位牌を発注した。

2021-03-25 20:31:25 | Weblog

花曇り。

気温は、20℃近いのに、足先が妙に冷たい。

 

母の四十九日迄に、用意しなければならないお位牌を発注する。

 

現在は、仏具店迄行かずとも、ネットショップで、注文できるようで、いろいろ探していた。

父と同じような形がいいのか・・・いやいや、母は、気に入ってくれないだろうなぁ・・・。

 

可愛らしい桜の蒔絵をあしらったものだったら、喜んでくれるだろうか・・・。

もっと、いろいろと希望を聞いておけばよかったんだけれど。

・・・でも、死後のことなんか、何かキッカケがないと聞いたりできないし(何やら不吉だし)。

ここ2,3年で、めっきり聴力がなくなり、身体障碍者手帳もいただいていたので、会話は、成立せず、筆談(ホワイトボード)でやり取りしていたから、余談なんかは、殆どしなくなっていて、筆談は、ワタシが、ボードに書き、母は、口頭ということもあって、なかなか伝わらず、母の理解力も思考力も、落ちていたから、かなりなストレスだった。

母が亡くなった日、仏壇の引出しから、遺影用と書いた封筒に、母が選んだ自分自身の数葉の写真が出てきて、遺影だけは、迷わずに済んだ(もっとも、数枚あったから、姪達に選んでもらった)。

 

お位牌も、数千円から、数十万円とまさにピンキリで、蒔絵のものにすることは決めていたけれども、蒔絵がよければ、形が気に入らず、またお値段も考えてたりして、なかなか決めることが出来ず、ズルズルと日々を過ごしてしまったけれど、少なくとも、今月中に発注しないと間に合わない。

ショップによっては、位牌面の文字入れなどは、無料というところもあったけれど、決めたお位牌は、文字入れ料金別途だった。

母は、花が好きだったし、桜の開花に間に合わず、逝ってしまったので、可愛らしい桜の蒔絵をあしらった上品な駿河蒔絵のモダンお位牌というものに決めた。

選ぶのにも時間がかかり、発注もいろいろと面倒だったけれど、なんとか間に合うだろう。

 

夕刻、先週、炊いて残りを冷凍しておいた帆立粥を暖め、一昨日作ったイワシのリゾットの鰯缶の残りの分を、黒酢、玉ねぎ、にんじん、ピーマンなどに漬け込み保存しておいたマリネ、アボカドとトマトのサラダ、胡瓜に味噌を添えて、簡単な夕食。

ひとりだと、簡単だ。

母のいた頃は、午後3時頃から、下拵えを始めて、柔らかく蒸したり、潰したり、すり下ろしたりと、そういうことに時間が掛かってしまい、時間をかけた割には、大したものが作れなかった。

そして、母は、美味しければ、美味しいといい、美味しくなければ何も言わない・・・そんな感じだったけれど、私に遠慮して、残したものは、隠しておいたりしたので、ソレを忘れて、腐敗していたりしたものが、あとで見つかったりして、残すなら、ちゃんと残してくれたらよかったのに。

一生懸命つくったけれど、それ程、美味しくはなかったのかもしれないな・・・。

やはり、後悔ばかりしているけれど、あのときは、あのときで、私だって、頑張ったんだよね。

ソレでいいことにしよう。

もう、どうしようもないし・・・。

 

 


真珠夜話④母の真珠

2021-03-24 22:22:22 | 宝石

良く晴れて、4月下旬並みの陽気。

春一色です。

 

正統な真珠のネックレスと言えば、やはり真円の巻きの厚い和珠(アコヤ貝)ということになるかと思います。

母の形見となってしまったこの真珠。

母は、一時期、狂ったように?真珠ばかり買い求めていたのだけれど、いつしか、その熱も冷め、晩年には、

『宝石では、暖まらないから・・・。』

と言い出し、一切見向きもしなくなりました。

それでも、公務員を定年退職した少しあと、最後の真珠を買いました。

やはり、コレ迄のものは、珠が小さく貧相だったし、母最初の真珠は、もう真珠層が、剥がれ落ちた連で、やはり安価なものだったようです。

冠婚葬祭には、やはり良いものをひとつ持っていないと・・・と思ったのでしょうか。

値段を聞いて、びっくりしたことを覚えています・・・もちろん、この真珠のネックレスの他に、10mm越えの和珠とダイヤモンドのついたリングのセットジュエリーだったのですが、リングは、葬儀の日に、父親の違う姉(私は、過去に一度チラっと会っただけという)に、形見分けとして、手渡しました。

彼女も母の娘だし、母親から、たぶん、私の知らない宝飾品を譲り受けていたであろうかと思うのですが・・・詳細は知りません。

両方で、100万円くらいだったと聞いていますが、本当にその価値があったのかどうかは・・・?

ただ、親戚筋からの購入だから、悪いものではないだろう・・・みたいな。

母にとって、最後の宝石となりました。

この真珠のネックレスは、45cmあって、私には、ちょっと長すぎる感じなので、少し短くしてもらおうかと考えています。

糸替えもしなくてはならない時期であろうし。

 

葬儀の朝。

3月のまだ寒い朝、喪服に着替え、このネックレスをつけたとき、首筋に、ヒンヤリと冷たい真珠の感触。

今日は、お骨になってしまう母を送る悲しい日なのに、空は、真っ青に晴れ上がり。

この真珠を見るたびに、葬儀の朝を思い出してしまいます。

 

 


まだ3月だったんだね・・・。

2021-03-23 21:52:05 | Weblog

金曜日以来の晴天。

4月並みの気温だけれども、夕刻の風は、ちょっと冷たい感じ・・・。

 

随分前(3月初め頃)、まだ母が生存していた頃に、買ったバナナが、残っていて、買い物のレシートを見たら、3月5日に購入したもので、そろそろダメになりそう・・・だったので、昨夜、バナナケーキを作成した。
3月6日に作ったバナナケーキは、食べることなく、捨てることになってしまい、勿体無いことをした。

翌日の7日朝、母が、急逝して、それから、全く、食欲というものがなくなり、母用に買っておいたカステラと珈琲だけで、3日間過ごしたので(そのせいか、口内炎が、発生してしまった)、バナナケーキは、とても重くて食べることが出来ず、破棄することになった。

その同じバナナ(残り)で、バナナケーキを作り、今朝、食べた。

珈琲を淹れて、ゆっくり食べた。

美味しくて、随分と哀しかった。

 

それから、先週金曜日以来、休んでいた母の遺品の整理。

ここ数か月、殆ど、家から出ることがなかった母だけれど、先月の2月に2回程、姪の運転する車に乗せてもらい、ショッピングモールとドラッグストアに出かけ、買い物をしたレシートが、見つかった。

更に、母のお財布の中には、

『延命は必要ありません』

と書かれた・・・多分、雑誌の切り抜きだろうか・・・その記事を厚紙に貼って、カード状にしてお財布の中に入れてあった。

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延命は必要ありません。

・人工呼吸器はしません。

・胃ろうはしません。

・心臓マッサージはしません。

・AEDはしません。

・薬物療法はしません。

平成二十七年一月一日(日付だけ母の自筆で書かれていた)

上記を尊重してくださるようお願いします。

これを尊重して下さった方に感謝します。

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母は、自宅で亡くなったけれど、救急車やレスキュー隊が来て、心臓マッサージなどの蘇生やら、アドレナリン投与、非開胸的心マッサージなど行った。

自宅に居た時点で、もう必要なかったんだ・・・。

病院に運ばれて、担当した医師に、延命処置を続けますか?と問われ、どう答えていいか分からなかったのだが、蘇生の可能性のある心臓マッサージなどで、肋骨が折れている可能性もあり、蘇生する可能性も低いけれど、蘇生できた場合でも、脳に障害が残る可能性が、高いということだった。

そして、完全?に死ぬ迄、人工呼吸器で、母を苦しませることだけは、したくなった。

もう充分、痛かった・・・痛い痛い人生だったんだ。

解放してあげた方が、いいのかもしれない・・・と思い、延命処置を止めてもらう決断をした。

 

遺品の中から、2年半前に受けた健康診断結果報告書が出てきた。

レントゲン診断の結果、『両側・肺先頭部 胸膜肥厚 経過観察』とあった。

そういえば、ちょっと咳が酷かった時期もあったけれど。

こういう不調ばかりだった。

大事には至らぬが、安心はできない。

私には、死ぬ死ぬと言い続けてきて、病院へ行けば、ケロリとして帰って来て、こらえ性だけは、皆無なひとだと思っていたけれど。

物凄く、様々な痛み、不調、不眠に悩まされつづけた生涯だったんだね・・・と今更ながらにそう思う。

そんなこんなで、88年生きたひと。

本当にお疲れ様でした。

 

ごめんよ。もっと良くしてあげればよかったんだけれど・・・。

私は、いつも後悔ばかりしているし、母が亡くなって、もう随分と日が過ぎたような気もするけれど、まだ3月は、終わっていなかったんだね。

 


ハイヒール・真珠・喪服

2021-03-22 22:22:22 | Weblog

花曇り。少々な肌寒さ。

宵の内、やや強めの雨。

 

どんよりとした週明け。

なにやら、身体が、動かない。

午前8時少し前に起きて、久々にスフレ・パンケーキなど焼いて、珈琲で、朝食。

やらなくてはいけないことが、いろいろあるのだけれど、遅遅として進まず。

 

葬儀の前々日に、新しい黒いハイヒールを買った。

仕事をやめてから、ヒールのある靴は、殆ど、履いていないので、フラフラのヨタヨタだ・・・。

お寺では、重い骨壺入りの骨箱もって、フラついて歩いていた。

 

以前は、8cmヒールで、都内の駅の階段を上り下りできたのに。

 

喪服は、30年前、父の葬儀のときに、買ったものを着用した。

それから、3回か4回程しか着ていないけれど、合皮のベルトが、ボロボロになっていた。

体形が、変わっていない(・・・というより痩せた)ので、30年物の喪服になった。

 

母の形見となった真珠のネッレスが、良く似合う年齢になったのか、以前は、少し珠が大きい感じがした。

母が、買ったものだけれど、結構、高額の真珠だった。

母も数回しか身に着ける機会が、なかったように思う。

 

真珠は、若いうちは、小さな珠が可愛くていいけれど、年齢を重ねると、ある程度の大きさ(8mm前後か?)が必要かも。

年齢が上がっているのに、小さい珠では、みすぼらしいし。

 

喪服を着た私は、自分でみた感じなので、本当に、主観なのだけれど、やっぱり、喪服が一番似合うような気がする。

自画自賛しているだけ。

でも鏡の中の喪服の私は、なんだか凛として見えた(見えただけ)。

 

・・・で、ヨタヨタのヒールで・・・。

中敷きと足の先に専用のスポンジを入れて、サイズを調整したのだけれど、やはり、安物の合皮の靴は、履きにくい。