鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

BOSEが、ビョウブに・・・。②

2013-02-28 22:53:34 | Weblog
油断していた。氷点下にならない朝だと思って、暖気しなくても、大丈夫かと思ったら、フロント、サイドのガラスが氷でガチガチ。でも日中は、暖かくなってきている。


・・・という訳で、自腹を切らず、美しい音を堪能している毎日である。

昨日の冒頭で、テクノロジーが、ど~~~のこ~~~のと意味不明な書き出しをしたのだけれど、実は、『BOSE』のイヤフォンが、ど~~~のこ~~~のいうことを書きたかった訳ではなくて、本当は、違うことを書きたかったのであるが、経緯を説明しているうちに、既定の千文字を超えていた(昨日の続きってことで、お読みいただけると有難いのだけれど、別に読まなくても大差ないです)。

・・・そんな訳で、新旧・価格差によるイヤフォンで、いろいろ聴き比べていて、感じることがある。
たしかに、安価なイヤフォンは、音の再生力に乏しく、薄っぺらな感じは、否めない。
聴いていて、つまらないことは、事実なのである。
このあたりが、やはり、価格差なのだろうと、納得する次第である。

・・・ところが・・・。
或る天才的と言われる歌手の声を、聴き比べてみると、安価なイヤフォンでも、大した遜色がないことに気付く。
これは、やはり、天性(本物)の声というのは、機材を選ばない・・・ってことなのだろうか・・・?

逆に、デジタルで、作った音は、極端にその優劣が現れるようなのだ。

なるほど・・・。そういうことでしたか・・・。

たしかに、コンサート、リサイタルなど会場の音響設備によっては、音の広がり、聞こえ方には、雲泥の差があることは、よく経験する。
・・・このヒト、こんなに伸びない声だったかなぁ・・・もしかして、体調不良?なとど思うこともある。

ロケーションやシチュエーションによって、また、聴く側の心理、体調になどによっても、それは、異なる事だと思う。
二日酔いの朝なんて、何を聴いても、煩い雑音にしか感じられないし(特に、母親の声は、やめてもらいたいもんだ。四の五の言われなくても、ちゃんと仕事に行くって・・・)。
まあ、二日酔いの状態で、コンサートやリサイタルやライヴには、まず行かないけど

天性の才能は、テクノロジーをも凌駕するものだと、改めて感じた。
(でも、コレも私の勝手な思い込みなのかもしれませんがね・・・)・


BOSEが、ビョウブに・・・。

2013-02-27 22:51:58 | Weblog
朝のうち雨。のち曇り。


テクノロジーの進化で、我々の生活は、以前と比べ物にならないくらい便利かつ快適になってきている。例を挙げるとキリがないので、この辺にしとこう。
・・・なんか、ヘンな書き出しになってしまったけれど、何が言いたいのかっていうと、

『BOSE』のイヤフォン買ってもらったのよ・・・。

いや、買ってもらったというよりは、譲り受けた・・・というよりは、購入して、使おうとしていたにも関わらず、忘れてしまい(なんで、忘れるのか・・・??)、死蔵品と化したものを、探しあてて、購入者には、無断で、使っている・・・といった事情がある。

・・・購入したのは、家人なのだが、耳の不調で、高いイヤフォンなら・・・と思い、購入したらしいが、体調不良などに見まわれ、その間、引っ越しなんかあったりで、すっかり失念したらしい。

いろいろ、片づけていて、私が発見した。
どうせ、(買ったことさえ)忘れているのだからいいか・・・。
あのひとは、そういうことばかりだから・・・。
同じBOSEのCDプレイヤーを、ン万円だか出して、購入したものの、それも、私の二階に箱ごと放置されている・・・アトで、コレも貰っちゃおうと思っている。

私の音楽聴取は、もっぱら、MP3だから、イヤフォンがないと、何の役にも立たない。
(自室にいるときは、安いスピーカーにつないでいる)

以前、イヤフォンとしては、私の賄える範囲で購入できうる最高額で、SONYの2,500円前後(なんか微妙な価格、3,000円を切ったあたりが、購買の理由だった)のイヤフォンを使っていたけれど、使い方が荒いせいか、断線?で、使えなくなってしまった。
その後、家電量販店で、1,500円の安価なヤツを購入(実は、もっと安い1,000円以下のもあったのだが、コレじゃいくらなんでも・・・と躊躇し、その上のランクのヤツを買った。1,000円でも1,500円と大差はないにしろ・・・、相変らず、みみっちくて貧乏くさい・・・)。

・・・そこへ、死蔵品の復活である。

正直、驚いた。
音が、重なっている(当然だが・・・)。ああ・・・これが価格の差なのね・・・。

感涙・・・。音が、深い。音が綺麗だ。音が・・・音が・・・と、うわごとのように、
『BOSEがね・・・』
そう・・・BOSEが、ビョーブに・・・???と繰り返している。


『10(TEN)DANCE:井上佐藤・著』~麗しき異種格闘技

2013-02-26 22:54:03 | Weblog
もうすぐ3月だというのに、まだまだ酷寒な日々。


ソシアルダンスの世界は、差別?の世界だ。
まず、容姿がよくないとダンスする資格もない・・・って世界なのだ(たぶん・・・)。
・・・ということは、まず、私には、『縁』がない。
適用除外である。
・・・もう、最初っから、介入できない(禁断の)世界なのであった。
容姿の前には、努力も才能もなく、見た目だけの視覚が問われる世界だ。

・・・んな訳で、毛嫌いしていた世界でありました(だって、門前払いなんだもん・・・)。

さて、その競技ダンスの世界を、BL(ボーイズラブ)で、描こうってのが、この 『10(TEN)DANCE:井上佐藤・著』。
大体、そのあたりから、この作品は、異端?と言っていいかも・・・。
ソシアルダンスは、男性同志が踊ることを許していない(・・・真偽の程は、わからないけれど、公式の場で、男性同志が踊るのは、タブーとされているらしい)。

それなのに・・・ああ・・・それなのに・・・(・・・いや、競技用には、女性のパートナーが、ちゃんといるから!)。

井上佐藤さんの作品では、珍しく、ちゃんと女性が登場する。
以前の作品では、女性が出てきても、ほんの僅か。
物語もさることながら、激しい?男性同志の性愛シーンの多い作家さんであるのに、この『10(TEN)DANCE』は、ほとんど絡みがない・・・というよりは、ダンスシーンで、しっかりコンタクト(接触)をしているからいいのか・・・。
まだ1巻目ってことなので、従来の濃厚シーンは、それ以後なのかも???

スタンダートとラテンのチャンピオン同志が、お互いに、違う分野のダンスを教えあい、競技会目指して、全く相反するお互いが、惹かれていくという内容で、相変らず、心理描写が上手い。
スタンダートのチャンピオン・杉木信也の帝王ホールドで、ラテンのチャンピオン・鈴木信也が、プリンセスになってしまうあたり、このダンスの世界の奥深さが、垣間見えるよう様な気がする。
相反する性格であるにも関わらず、一字違いの名字の違いと同じく、多分、彼らは、同じベクトルを持つ、相似形なのかもしれない。

以前、名香智子さんが、『パートナー』というソシアルダンスの世界を書いていたけど、こちらは、少女向けの男女の恋愛を絡めた物語だったのに対して、対男、対ソシアルといった或る意味、異質な、乱暴な言い方だと、異種格闘技の世界である。

続巻が楽しみな作品だ。

ご堪能あれ。


珈琲るんば

2013-02-25 22:45:45 | Weblog
極寒。晴れながら、氷のような風。


一昨日、久々に週末外出して、帰宅途中に、近所のドラッグ・ストアによったのに、珈琲を買い忘れてしまった。
特に、珈琲がなくても、生活に支障はないのだけれど、出社して、朝のミーティング(・・・っていったって、朝礼っていうか、今日の連絡事項というか・・・その程度の極小規模集会)が、終わって、パソコンを立ち上げている間(この立上げが、5回くらいパスワードを入力しないと、使えない厄介なシロモノ)、給湯室へ行って、一包づつパックされたドリップ珈琲を淹れて、デスクで朝茶になる。
そのための珈琲を買い忘れた。

最近は、キーコーヒーから出ているアソートパックがお気に入りで、明確な味の違いは、判らずとも、まあ、それなりに・・・ってことで。

私の居住地に、40年以上(或いは、それ以上?)、続いているカフェ(・・・こういう名称でいいのかどうか、迷うところだけれど)がある。
・・・昔、昔・・・この周辺は、まだ、開発されていなかった頃、周囲にまだ、田圃が点在する時分から、そこにあった。
田舎の工業・商業用の幹線道路沿いにたつ、田舎には、そぐわないようなお店であるが、市内では、老舗だし、有名なお店のようだ。

初めてこの店に入ったのが、18歳くらいになってからで、その頃は、ケーキ類もレアチーズケーキくらいしかメニューになかったけれども、こんな田舎で、レアチーズケーキを供するお店は、ここしかなかった。

随分、長い事、ここに住んでいるのに、このお店は、前を通過するだけで、訪れたのは、片手の指で、カウントできるくらいである。

それでも・・・。
このお店は、軽井沢の雰囲気?と言われ続け、現在に至っている。
18歳になって、初めて入ったお店だけれど、この頃は、珈琲なんて、何処が美味しいのかなんて、わからなかったし、自分から、飲もうなんて思いもしなかった。

♪むかしアラブの偉いお坊さんが、恋を忘れた哀れなおとこに
しびれるような香りいっぱいの琥珀色の飲み物を教えてあげました・・・。(コーヒールンバ)
(その後、若い娘に恋をするようですが、歳の差いくつだぁ~~~?と妙なツッコミを入れてみる)

(恋をするのも)カフェインの影響なんでしょう~~~かね~~~???

朝の一杯は、また格別。

緩慢な自殺

2013-02-24 22:52:16 | Weblog
氷点下の朝。良く晴れた日曜日。激風。


昨日、久しぶりに都内でたので、昼食はどうしようかなぁ・・・と迷った。
普段なら、完全な一食というスタイル昼食は、取らないのだけど、歯科治療なので、治療後の食事となると、時間的にも、不規則だし、全く何も食べないと、治療中、お腹が、グーグー鳴っちゃたりして、ハズかしいので、正午少し前に、ランチで、鰻重を食した。

新宿のデパートの最上階にあるロケーションのいいお店で、正午すぎると、かなり待たされるので、11時半頃の入店が、一番ベストだと思っている。

さて、食事が終了したのがちょうど正午にかかるくらいだったので、お店を出て、あまり混雑することのないお手洗いで、歯磨きをする(このお手洗いは、大抵、いつも空いているので、穴場中の穴場なのだ)。

その後、都下の病院へ行って、診療後は、帰宅したのだけけれど、夕食の時間になっても、全く空腹感もない。
沢山歩いたし、本など読みながら、23時には、消灯。

食が細いのは、昔からだし、子供の頃も、極端な偏食で、好きなもの以外は、絶対、口にしようとしない困った子供だったと母は、供述している。

そのせいか・・・小学生の頃は、給食の時間が、イヤで、イヤで、体育と算数より嫌いだった。
食べられないから、全部食べるまで、教壇に座らせて、先生の横で、放課後近くまで、食べさせられるという今では、考えない?体罰???の一種を受けたから、『食』は、楽しさよりも、拷問だった。
自宅では、何も食べないよりは・・・、何か食べた方がいいと言って、好きなものしか食べなかったし、それでも、それ程、身体が、弱かった訳でもないのである。

もちろん、生身の生体であるから、空腹にもなるし、食べないと、身体が冷たくなるから、時々、何かカロリーになるものでも入れてあげないと・・・と思う。
思うけれど、それ程、積極的に食べたいとは、あまり思わない。拒食症じゃないけどね。

これは、たぶん、あまり生きていたくないせいかもしれない。

病気などの苦痛で、死ぬのはイヤだ。
・・・身体的に異常のない状態で、死ぬという希望もある。

積極的でないにしろ、もしかすると、『死』に・・・たいのかもしない。
食べないのは、醜くいやらしい『生』へのレジスタンス。

緩慢な自殺なのかもしれない・・・って、アンタ、それビョーキかもよ・・・?



梅は、咲いたか・・・桜は、まだかいな・・・?

2013-02-23 22:51:22 | Weblog
風の冷たい一日。

都下へ通院。

診療開始予約時間が、14:00と中途半端な時間だし、都内で、昼食を採る予定で、9:30に自宅を出る。
行きがけに、自動車事故の現場脇を通過。
凍った路面で、追突したようだった。

・・・今日は、あまりツイて、いないかも・・・。

そう思ったけれど、交通は乱れなし。
土曜日だというのに、あまり混雑に遭遇しなかった。

いつものごとく、診療開始時間は、15分遅れるものの、以前のように、待合室は、混んでいなかった・・・予約のシステムを変えたのだろうか・・・人数を制限するとか・・・???
(そんな憶測は、当たっていたようで、治療代の支払いのときの次回の土曜日の予約は、4月末まで、取れない・・・というので、平日の金曜日にした。たぶん、次回で、一応、終わることになると思うけれど、アチコチ、ガタが来ている私の歯である・・・また何処か悪い処でも見つかるかもしれない)

今年は、まだ、初詣(・・・もう春ですが・・・)に行っていなかったので、井之頭公園の弁財天にお詣り。そのためでもないけれど、1時間程度、時間が空くように、早く自宅を出た。

家内安全、健康、(できれば、労少なくして、功多し・・・)なんてことを、お願いしながら、いつものごとく御神籤を引く。

・・・小吉・・・やっぱりね・・・人間が小者だから。出る籤も、ポッチリなのね。
七井の池(・・・こういう名称で、よかったのだろうか?)のほとりのベンチに座って、御神籤を読む、水鳥達を眺めながら、早春の光を浴びる。

この2ヶ月の週末に出かけたのは、これで、2回目。
週末病人をやっていたので、季節は、春へと確実に向かっているのが、身に染みて感じる。
かなり?歩いたせいか、ラムウールのコートで、少し汗ばむ。
(明日は、筋肉痛になるかもしれないな・・・)
などと思いながら。

園内の紅梅は、満開。
白梅は、ぽっちりと可愛い花を咲かせている。
桜の蕾も少し膨らんでいるようにみえる。


嗜好癖

2013-02-22 22:49:51 | Weblog
氷点下の朝。猫の日


私の嗜好は、極端で、一度好きになると、もう好きで、好きで、悩乱するほど、好きになったりする。本だったり、物語だったり、映画だったり、俳優だったり・・・(周囲の手の届く範囲のひとには、何故か萌ない・・・)瞬間湯沸し器のように、沸騰点に達するのも早いけれど、冷めるのもまた早い。

以前、大好きなヴォーカリストが、『水面』という言葉を、『みなも』ではなく、『みずも』と作詞し、歌っただけで、冷めてしまったこともある。
別に、『みなも』だろうが、『みずも』だろうが、構わないことなのだが、たったそれだけのことで、冷めてしまった・・・。
でも、気を取り直して?やっぱり、また好きになっていたりする。
一度、大好きになって、ある些細な理由で、嫌いになったものの、未練タラタラで、また好きに戻る・・・というのは、私には、よくあるパターンでもあるようだ。

嗜好が、ふらふらして定まらぬところへ、瞬間的に好きになったり、嫌いになったり、忙しい。
こういう性質は、面倒だと自分でも、持て余してしまう。

このところ、痛みに向き合っていたから、痛みが好きになったのかと言えば、そんなことは、全く無くて、痛くない方がいいにきまっているのだけど、考えることが、『痛み』のことばかりなんで、或いは、痛みが恋人なのか・・・と思えるほど、痛みのことばかり、考えていた(イヤな恋人である)。

寛解というか、神経が慣れてきたせいか、ピーク時に比べたら、天国と地獄程の差もあるけれど、こういう感情も、一種の『恋愛』なのかもしれない。
(本当は、二度と来てほしくないのだけれど)。

ダイっ嫌い・・・は、もしかすると、大好きなのかもしれないが、やっぱり、『痛み』は、大っ嫌いだ。

痛いのが好きなのは、『M(マゾ)』という特性らしいけれど・・・これは、好きな相手にいたぶられるとか、苦痛な状態でないと、普通じゃないとか・・・そういう感情なのかもしれない。

何が言いたいのかわからなくなってきた。

瞬間沸騰湯沸かし器的感情と偏執的な感情を持っている厄介な自分について、考えてみたかったのだけれど、今日も、ヘンな文章になってしまった(文章以前の問題か・・・)

すみません・・・謝ってばかりいるこの頃だ。



鴉(からす)と雲雀(ひばり)

2013-02-21 22:52:53 | Weblog
良く晴れているものの寒い一日。


全盛期のマリア・カラスの声は、オペラ座のシャンデリアを振動させた。
そして、美空ひばりも・・・。

奇しくも、鳥の名を持つ(マリア・カラスは、違うけれど、カラスにゃ違いないってことで、お許しを)、東西の天才が同じ時期に出現した・・・ということは、なんとも興味深い。

そして、歌手としては、頂点を極めたことも、その後の不遇も・・・スキャンダルも・・・。

私には、この二人の歌手の声が、『凄い』と思ったことは、残念ながら無いのである。
それは、私の音楽のセンスがないのだろうし、きちんと音楽を学んだこともないし、音楽が全く、解っていないのかもしれない。

よく、ライヴ(生)でないと、本当の良さがわからないと言う。
そのことについても、或る歌手の歌を聴くまで、理解できないでいた。

その歌手は、美輪明宏さんと錦織健さんなのだけど、彼らの歌を聴いて、そう思っただけで、他の歌手については、違いがよくわからなかった。
ある歌手については、ライヴより、CDの方が、上手いかも・・・(修正できるし)とさえ、思う。

さて、この鳥の名をもつ東西二人の天才について。

ふと、マリア・カラスは、上手いんだろうか???と疑問符がついてしまった。
(・・・というより、私が、無知で、聴く耳を持っていないのかもしれません)

そして、美空ひばりさんに関しては、どちらかというと、『不気味さ』しか感じないのである。
(ひばりさんファンの方・・・ごめんなさいね)
子供の頃から、あの声だったというから、たぶん、神の与えし声なのだろう。
それが、不気味だったりする。

普通、第二次性徴期から、声は、変わる。
それは、ホルモンの関係なのだろうし、男の子は、低く太く、女の子は、より高く・・・たぶん、そうなるようにできている。
もしかすると『変声』しなかったのかもしれない・・・。

とにかく、カラスもひばりも、一時代の天才に違いないのだが、どうも、私には、よくわからないでいる。

不遇のひと②ミン尚宮的生き方

2013-02-20 22:51:26 | Weblog
気温上がらず、真冬な一日。


これは、テレビドラマの話であるから、現実にこういうヒトがいたかどうかは、わからないけれど、不遇ではなく、不運なひとには、多少なりとも参考になるかもしれない。

かの『宮廷女官 チャングムの誓い』に登場する脇役で、宮廷女官のミン尚宮というひとが出てくる。
若い頃は、王様の御寵愛を得るために、いろいろと努力したようだ。ご寵愛は、叶わなかったけれども、尚宮の地位を得て、宮廷内で、『細く長く』をモットーに生きている文句は多いけれど、情のあるコミカルなキャラクターとして、登場する。割と美人なんだけどな。
宮廷内で、ゴタゴタが発生すると、部屋で、蒲団を被って、病人のフリをするのが一番。
トラブルは、できるだけ避けて通る。
長いモノには巻かれろ・・・といった彼女なりの処世術で、生きていくのだ。

清廉なハン尚宮を慕いながらも、正義だけでは、通用しないことを知っている。
謀反の罪で、ハン尚宮とチャングムが、済州島へ流刑にされている間、ハン尚宮のライバルであり、女官長の地位に立つチェ尚宮に冷遇され、役職は、王宮のチミル尚宮とは、言いながら、仕事は、王様の排泄物の処理・・・といった仕事に就かざるを得なくなる。

波乱のチャングムに巻き込まれ、不遇の仕事をせざるをえなくなったミン尚宮とお付の女官チャンイ。
たぶん、毎日、毎日、ブツブツと文句を言いながらも、耐えてきたのだろう。
そんなミン尚宮にも、運が向いてきて、チャングムの親友のヨンセンが、王様の御寵愛を受け、スグォンの地位に上がると、スグォン付の尚宮となり、やがては、チェゴ(最高) 尚宮の地位まで、上り詰めるのだ。
特に、才能などなくても、ミン尚宮のような酸いも甘いもかみ分けたような人生を送るひともいるようだ。

ミン尚宮には、ライバル(敵)がいなかったのも彼女の幸運か、人徳なのか・・・。

こういう人生は、運不運の帳尻がぴったり合うようで、過不足がないから、見ていて、ラクだし、こういう生き方もひとつのお手本なのだろうなぁ・・・と思う次第。

それでは、私も、『細く長い』会社員生活を夢見て、見ざる聞かざる言わざるで、来季の契約更新に向けて、ちょっとだけ、頑張ってみるか・・・。

私は、このミン尚宮が、好きである。


不遇のひと

2013-02-19 22:51:55 | Weblog
くもりがちで、寒い一日。


不遇・・・才能を持ちながらもめぐりあわせが悪く世間に認められないこと。

辞書には、このような記述がある。

今まで、自分自身を『不遇』と思ってきたけれど、認識を改めなければならない。
私には、『才能』が備わっていないから、只の不運なひと・・・だったのだ。

不遇のひとといえば、平安三筆の橘逸勢を一番に思い出す。
1200年後にまで、その書で、名を残すことに成ることを、本人は、自覚していただろうか?
若くして、才気に溢れ、『橘秀才(きつしゅうさい)』と呼ばれるほど。
遣唐使として、唐に留学を果たすものの、そこから、挫折だらけの人生が始まるようだ。
(この記述は、2012年7月7日~11日にかけて、クドい程書いてしまいしたが・・・)

天から、強運を授けられても、それを生かし切れず、終わってしまう人も多い。
強運は、時には、裏目に出ることもあるような気がする。
例えば・・・。
才能と強運に恵まれながら、そのまま流されて、何もなさないまま終わる人生もあるだろう。
それも、またいいのかもしれないが、面白くは、なさそうな気がする。

諸葛孔明なども、ある時期、不遇と思える時代もあったようだ。
でも、こういった才能のある人材は、天と運が、ほおってはおかない。
必ず、歴史の大舞台に立つことになるのだろう。

今、もし、自分が運に見放されて、『不遇』だと思えるひとは、たぶん、認識不足なのだろうと思う。
あなたは、不遇ではなくて、不運なんですよ!

天の与える『才能』とは、いずれ必ず、芽吹き、運命の嵐の中に引きこまれる。
天与の才能は、決して、埋もれることがない。
その才能の前には、努力なんてのは、なんの価値もない。
まるで、無意味だ・・・。

それは、これまで、歴史に登場した天才を見れば一目瞭然。
彼らの前に、ひれ伏すのみ・・・。

だから、ムダな努力は、辞めたいところだけれど、天与の才能をあたえられないひとは、そのムダな努力が、生きる糧となる場合が多そうだ。案外そのほうが、楽しいのかもしれない。