鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

微生物は、ダメよ・・・?

2015-02-28 08:15:12 | Weblog

穏やかな晴れ。

パート・アルバイト・正社員・・・求人誌など見ている。


こんなに求人があるのに、何故か、適合しそうな求人がない。

以前のブログにも書いたけれど、早朝5時から、正午までの7時間のパートは、物流倉庫の事務で、冷暖房設備がない。

どうだろうか・・・と相方に相談したら、
『身体毀すから、絶対ダメ。暑いのも、寒いのもダメで、一日中、部屋に閉じこもっているひとには、まあ、無理だね。止めときなさい。』
と言われた。

製薬会社、病院の微生物実験。残業ほとんどなし。昼間勤務。
年齢経験を不問。時給1400円・・・。
これなんか、どうだろうか・・・。

相方一言。

『微生物?怖いよ。』

『どうして?』

『だって、きみ、生化学の実験経験ないでしょ。何が、どの程度、危険か、わかっていないから、危ない。どんなことをしたらダメなのか、どこまでなら大丈夫なのか、未経験者では、判断できないよ。しかも、微生物なら、実験室は、多分、18℃とか、20℃とか、通年一定で、冬暑く、夏寒いし、トイレに行くときとか、出入りするときは、作業服を脱ぎ着して・・・ってそんなとこだよ。だから、経験年齢不問で、1400円なんだよ。たぶん。ウイルスの取り扱いだと、もっと怖いから、理化学系の大学出ていないと、ダメ。微生物は、ウイルスよりは、微妙なところだけれど、どんな微生物か求人には、書いてなかったの?』

『産業廃棄物・・・?だったかも。』

『それ、最悪。何があるかわからないよ?絶対にダメ。微生物でも、扱うものが、きのこだとか、味噌、醤油だったらいいけど・・・。』


・・・世の中、知らないことばかりである。

病気になるくらいだったら、時給725円(←最低賃金)の電話番の方がマシかな・・・。




夜働く・・・。②

2015-02-27 23:58:42 | Weblog

朝方濃霧、晴れ、昼前より、強風。

夜に労働するということが、人間の身体にとって、理にかなっていないのは、明白だけれど、世の中が、昼夜を問わず、動くようになったから、それに伴い、労働力の需要があるのだろう。

工場の生産ラインの二交代制、三交代制、物流は、交通量の少ない深夜を走る輸送トラック、コンビニエンスストア・・・身近なところで、夜間に、人は、働いている。

雇い主が、相方だから、簡単な仕事で、深夜労働を終了できたけれど、コレが、正規の雇用であったなら、私は、勤められないだろうと思う。

パート・アルバイトの情報誌を見ていたら、夜間の病院の受付業務の募集があって、夜間であれば、昼間ほどは、忙しくないだろうし、条件が、夕方・・・16時半から翌朝の8時半迄の中で、9時間のシフト制、月10日前後の勤務ということだから、3日に1度の勤務ということになるのだろうか・・・。

夜間なれば・・・。
まず、通勤時間のラッシュアワーから外れるから、大幅に時間削減できる。
昼間の仕事とは、違って、緩いのではないか・・・?
自意識過剰で、常に、他人の目が、気になる一種、神経症と思われるくらい神経質だから、出来るだけ、孤立した仕事がいい・・・。

夕方の16時半に出勤して、9時間後の深夜2時頃帰宅して、食事や入浴をしてから、即、眠るとして、深夜3時半。それから7時間くらい眠って、昼前に起きて・・・午後の15時くらいから出勤の支度と通勤・・・というパターンになると、昼間働くより、効率が良さそうだ・・・と思ったりする。
でも都合の良い事ばかり考えたけれど、世の中は、そんなに甘くないだろう。

病院の夜間受付というのは、救急だろうから、ぼんやりしていては、勤まらないし、急患ラッシュという夜もあるだろう。

たった1日、夜中に働いただけで、翌日は、昼間少しだけ、うとうとし、20時過ぎに眠りについて、翌朝9時前までの12時間近く、眠ってしまった。
それでも、眠気が取れず、1日ぼんやり過ごしてしまった。
睡眠が、上手くいかないようだ。

以前の会社にいたときは、不眠が辛くて、仕方がなかったけれど、深夜に勤務するとなると、また全然、眠れなくなるだろうか・・・?

なかなか、上手くいかないようだ。




夜働く・・・。

2015-02-26 22:53:07 | Weblog

終日雨。

朝、起きて、会社に行って、夕方、仕事を終えて、帰宅する・・・ということを、何十年とやってきて、それ以外の時間帯に労働する・・・という経験がなかったので(稀に、残業などということがあり、それでも、深夜残業は、23時半くらいまで)、夜通し働くというのは、こういうことなのだな・・・と、昨日思った。

私は、小学生までは、この世の中に、『深夜』と言う時間帯があるのを知らずにいたし・・・20時か、21時には、寝ていて、大晦日は、せいぜい頑張っても、23時半である。
これも稀だが、風邪などひいて、高熱を出し、夜中でも、うとうと・・・しながらも起きていたことも、無いでもないが、その時は、夜・・・というだけで、『深夜』という意識は、まるでなかったように思う。

昔と違って、コンビニエンスストアやスーパーの食糧品売り場は、24時間営業だし、まだ就学前の子供が、(馬鹿な)母親に連れられて、スーパーの食料品売り場を駆けずりまわっている光景を見て、絶句したこともあったが(もっとも、自宅に子供を一人置き去りにするよりは、マシかもしれないけれど)、とにかく、私には、深夜0時は、シンデレラの魔法が解ける時間だし、それは、物語の中だけで、子供の頃の私自身には、存在しない時間(意識しない時間)なのであった。
初めて、深夜という時間帯に突入したのは、中学生になってからで、中間テストの試験勉強というのをやってみた時で、そのとき、ラジオの深夜放送というのも、初めて聞いた。
(↑こんなことも、この拙なるブログに何度となく記載したけれど)

・・・まあ、そんな深夜の時間帯に働くことに成ろうとは・・・。

人が生きている限り、全てのひとが、昼に活動するのではなく、病院などに勤務する医師、看護師などは、夜勤は、当然だし、介護施設の職員、消防署、電力、ガスなどのエネルギー関係、もちろん、原発もそうだろうし、メディアの世界・・・テレビ、ラジオなどの放送局、気象庁、為替などのファイナンス関係、或いは、ダブルワーカーで、夜もアルバイトをするひとなどやコンビニの店員さん、お酒などを供する所謂、水商売などもそうだろう。

夜間に働く方は、ご無理なさらないように・・・。

電気の供給が無い時代には、陽が昇ると起きて、陽が沈むと眠る・・・それが当然だった時代の方が、圧倒的に長いから、ひとの身体が、進化についていけない。

だから、夜勤はつらい。

深夜労働で、身体を壊すひとも多い。

一説によると、病気にも、発病しやすい時間帯が、あって、細胞などは、深夜に活発になると聞く。
発病しやすい時間帯に、休養をとっていれば、発病を免れる確率が高くなるということらしいけれど、ガン細胞など(これも臓器によって、異なるらしいけれど)が、増殖しやすい時間帯に、ゆっくり休むということは、免疫活動を助けることになるのかもしれない・・・などとシロウトの勝手な思い込みだけれど、そんなことを考えた。

それでも、未知の時間帯に働く・・・というのは、なかなか興味深いものでもあった。



初めての深夜勤務

2015-02-25 22:50:58 | Weblog

くもりがちながら、暖かい一日。

昨日の午後8時30分から、本日の午前5時30分まで、初めての深夜勤務。
深夜勤務と言っても、1日限りのアルバイトだし、雇い主も相方である。

相方は、この2週間・・・これまでの会社の倒産に伴う様々な雑務に追われ、売却しなかった部門の新たなる業務を抱え込んでしまった。

能天気な?オーナー親子は、『倒産』という事実が、未だ、よくわかっていないようで、山のように積み上がっている裁判所だの、税務署だの、銀行だの、債権者だの・・・からの郵便物が、次から次からやってきて、開封すらしておらず・・・の状態。

たぶん、未売却部門を残した子会社も、風前の灯だろう。

事業売却先に雇用された人、退職した人、子会社に残った人・・・それらの人達のこれからの手続き・・・仕事は、倍増しているにも関わらず、人材雇用は、論外のオーナー親子の不在の時間に、私が、総務事務を手伝いことになった。

午後8時に出勤する・・・ということは、世間の人と、半日の時間のズレがあって、ホカ弁で、夕食の特選幕の内弁当800円也を、相方の分と2つ購入。
会社に到着後、給湯室でお茶をいれ、仕事前に食事。

午後9時仕事開始。

まずは、会議卓に雑然と積まれている書類の山の優先順位を、締切の早い順から、仕訳していく。
相方が内容を確認し、私が、ファイル、コピー、糊づけ・・・そんなことをしているうちに、日付が、変わる。

深夜を回ってから、溜っている出張旅費のチェック、計算・・・。
1ヶ月以上も支払が遅れているから、社員も、大変なのだろうと思いながら、高速料金、宿泊費、ガソリン代や備品のレシートなどを、1枚、1枚チェックしていく。

相方、深夜1時半を過ぎて、ついに燃料切れ。
徹夜覚悟だったけれど、仮眠を取ることに。

その間、私が、旅費の精算と出金データを作成した。

エアコンを、ガンガンつけているにも関わらず、寒い。

ダウンジャケットを着こむ。
深夜独特の寒さだ。
以前、求人のあった今時、冷暖房無しの職場(倉庫での物流事務)は、勤まらないだろう。

いつも夜中じゅう、起きているとはいえ、深夜2時を回ると流石に、眠くなってくる。
身体がだるい・・・家で、夜中に起きているのとは、やはり違うようだ。

そんなこんなで、朝の5時半。
まだ、夜明けには、少し間のあるこの時間帯に、散歩やジョギングをしている人達とすれ違う。

郵便局に寄って市役所に出す書類を投函して、本日、初めての深夜勤務終了。



春気配。

2015-02-24 09:44:25 | Weblog

昨日など、ぼんやりと曇りがちながらも、気温が高く、春の準備も着々と進んでいるようである。

二階ベランダから、ぼんやり外を眺めてみれば、楓の木の枝先が、柔らかな新芽の色に染まっている。
この間、真っ赤に紅葉して、そして、一夜にして散ってしまったのが、11月の終わり頃だったから、既にもう3カ月経ってしまったのか・・・。
その間、冬が訪れ、真冬になって、そして、春への助走。

何も見いだせず、布団蓑虫と化して、久しいけれど、世の中は、動いているのである。
(動いていないのは、私だけね・・・)
そんなことを思いながらも、日曜日に引っ越しの手伝いなどして、やはり、働いているというのは、スゴいことなのだと思ったりする。
私の引っ越し手伝いなどは、労働の内にも入らないけれど、スーパーやコンビニなどで、労働するよりは、高めの時給だったから、世の中、不平等なものであるなぁ。

雇い主が、相方だったから、破格?な時給だけれど、あの労働では、1時間500円になれば、上等だ。

マトモ?に働いていた頃は、何だか、よくわからないけれど、それなりに暮らしていて、給料は、上がっていないのに、食糧品だとか衣料品の値段は、下がっていったから、そのギャップを感じなかったのかもしれない。

デフレ脱却といいながら、日本経済は、デフレから脱出できたのだろうか?

私が、子供の頃は、何かというと『インフレ』で・・・という大人たちの言葉に、その対極の『デフレーション』って、あり得ないとまで、言われた『デフレ』の状態らしい。


職安からの現金収入が終わり、何処へも出向かないから、家人に
『あなたは、あまり食べないから、暖かくなってきたら、フルタイムじゃなくて、パートかアルバイトなど、ちょぼちょぼやって、働いたら・・・?』
と言われた。

春だしな・・・。

そろそろ働かないと・・・。



肉体労働?

2015-02-23 07:17:13 | Weblog

昨日は、朝から、相方の会社で、書庫の人事・総務ファイルの箱詰め作業。

相方の勤める会社が、倒産したため、これまで使っていた自社ビルは、管財人以外、入れないようになるのが、明日。
それまでに、書庫に眠っている過去10年分の膨大なファイルを、子会社のビルに引っ越しさせなければならないのだけれど、この会社の社員は、既に、相方のみである。
他の社員は、業務売却先に移る人、退職する人に分かれて、先週の金曜日(20日付)で、全ていなくなった。

ファイルは個人情報だし、一般社員には、見せられないため、かつての一般社員だった私が、呼び出された。

既に、ガスは、止められ、電気・水道は、かろうじて使える。
レンタルサーバーは、誰もいない社屋の隅のサーバー室で、緑色のダイオートが、虚しく点滅していたりする。

そんな中で、ファイルの箱詰めなどを始めた。

外は、今にも雨が降り出しそうなどんしたくもりぞらである。

『こういう仕事は、私向きじゃないでしょ?非力だし。力のある男子を雇えばよかったのに。』

椅子に掛けて、ダンボールにファイル内容を記載したり、ガムテープで、箱を組み立てたりしながら、そう聞いてみた。

『こんな作業を昨日からひとりでやっているから、気が滅入るの。誰か居てくれた方がいいから。』

そんな理由で、呼ばれたのだった。
雇い主が相方でも、賃金が、発生するから、しっかり働かねば・・・と思い、久しぶりに、朝、早起きして、自宅から、車で、15分くらいかかる市内でも有名な天然酵母パンのお店まで行って、昼食用のサンドイッチを購入してから、出社した。


そのサンドイッチで、お昼ご飯。

暫く休んで、午後の部、再開。

夕方の4時頃には、ナントカ、箱詰めを終えた。

ガスが使えないので、電気ポットで沸かしたお湯で、お茶をいれて、2時間くらい雑談。

夕方から、駅西のイタリアンレストランで、食事をした。
日曜日だというのに、混雑していた。お勤めをしていた頃、日曜日の夕方に出かける気には、全くなれなかった・・・日曜の夕方は、憂鬱の固まりだったから。


時給1000円。都合一日8000円の肉体労働。

翌日の今・・・。二の腕が、筋肉痛で、肩こりは、倍増した・・・。





もう、既に病人。

2015-02-22 05:50:46 | Weblog

お天気下り坂のよう・・・。

健康な人以外は、病人・・・ということになるのだろうけれど、病気という程ではないけれど、なんとなく不調という状態が長く続くと、それなりに、やはり、病気・・・なのだろうか・・・と思うようになる。

軽い頭痛など数時間で、通常に戻るものから、風邪などひいて、寝込まないまでも、市販の風邪薬で、症状を抑え、なんとか、1週間、出社して仕事した・・・だとか、ちょっと、食べすぎて、おナカを毀した・・・だとか・・・、慢性の腰痛だけれど、生活できないことはない・・・。

寝込むか、寝込まないか・・・が、病のデッドラインなのだろう。たぶん。

寝込まないまでも、イヤな会社(或いは、学校)に行きたくない・・・と思うと、具合が悪くなって、結局のところ、休んでしまったりする・・・それが続いて、イイワケできなくなってきて、しまいには、『ウツ病』のお墨付きをもらって、晴れて、うつ病患者となり、大手を振って、休業できる・・・なんて、メリットのある病もあったりする。
本当の『ウツ病』か否かは、本人のみぞ知る・・・ってヤツだ。

軽い病から、中度くらいになると、やはり、これは、寝込まないといいけない。
インフルエンザなどは、3日~1週間、ぎっくり腰が、緩和して、歩けるようになるのも3日~1週間。軽い切り傷などが完治するのも1週間くらいで、1週間~10日間くらい、患って、良くなれば、完治。状態が変わらなければ、慢性化を辿り、慢性化した状態が、普通になって、健康な状態からは、遠のいていく。

命に別状はないが、安静が、必要・・・という病もある。
内臓系の病で、じわじわくるヤツなどがそうかもしれない。

重い病は、数か月から数年、或いは、既に余命わずか・・・とか・・・。
このヘンは、もう重篤で、生活は、『病』一色で、まず最初に、『病気』ありき・・・。
病気が人生のメインになってしまうようだ。
何をするにも、まず『病気』というか、コレが生きることの前提になってしまう。

考えてみれば・・・。
世の中、完全な健康体ってひとは、どれくらいの割合なのだろうか。
自分自身は、健康だと思っていても、ハタからみれば、病気なのでは・・・?と思うこともあるだろう。一番厄介なのは、重篤なのにも関わらず、本人がまるで、自覚していない場合だろうか?
身体の良し悪しは、大体みれば、わかるけれど、『心』が病んでいるひとには、その自覚がない場合もあるようだ。とにかく他人には、わかりようがないのだけれど、相当、重篤な場合が多い。

心身ともに絶対健康・・・っていう人の場合が、一番、ヤバいのかもしれない。




三姫~『お姫様がいいの!』

2015-02-21 07:53:57 | Weblog

穏やかに晴れた土曜日。

歌舞伎の三姫と言えば、『本朝廿四孝』「十種香」の八重垣姫、『祇園祭礼信仰記』「金閣寺」の雪姫、『鎌倉三代記』「絹川村閑居」の時姫。
この三人のお姫様が出来れば、歌舞伎役者として、一人前ということらしい。

・・・やっぱ・・・現在のところは、坂東玉三郎さんでしょうかね?
男性の演じる幻の女性。
現実の女性では、たぶん・・・存在しない幻のお姫様。

ウォルト・ディズニーの三姫は、白雪姫、シンデレラ姫、オーロラ姫と言ったところだろうか。
いずれのお姫様もドレスが素敵だ。
白雪姫は、デザインが可愛いし、シンデレラのピンクのドレスは、綺麗だし、オーロラ姫は、ブルーの少し大人っぽい印象だったような気がする。

美しいお姫様達も、婚礼を挙げて、権力者になると、綺麗なばかりでは、いられなくなるようで、三悪女なるものに変化する場合も。
藤原薬子、日野富子、築山殿なんかが上げられようだ。
他に、北条政子、澱君、春日局と言われることもあるらしい。

お隣、中国では、呂后・則天武后・西太后の御三方だけれど、こちらは、残酷な女性としても有名かなぁ・・・。
ライバルの側室達を酷い目に逢わせているし、情け容赦のなさは、大陸的?かな?
映画凄かったもんね・・・。


お姫様というと、嫁入り前の・・・というイメージが、あったけれど、婚姻してからも、『姫』の名称で呼ばれるようだから、未婚・既婚は、関係ないらしい。


お姫様が婚姻し、お后様になって、そして、やはり最後は、三婆か。

『近江源氏先陣館』「盛綱陣屋」の微妙、『菅原伝授手習鑑』「道明寺」の覚寿、『信州川中島合戦』「輝虎配膳」の越路、《または『ひらかな盛衰記』「源太勘當」の延寿》
歌舞伎役者は、この婆役がこなせれば、名人。

やはり、最後は、『婆』である。

名人を極めるには、『婆』である。

いつまで経っても、『婆』の閾には、達せぬままだけれど、『婆』最高。『婆』最強!



時雨(しぐれ)のち冬の虹。

2015-02-20 05:50:05 | Weblog



大気の状態が安定しないのは、冬から春への変わり目だからだろうか?

一昨日の冷たい風雨が去って、翌日。
穏やかに晴れたのは、午前中。
お昼過ぎには、妖しい鉛色の雪雲がどんどん湧いてきて、16時過ぎには、夕立のような雨。
氷の粒の混じったような激しい雨。

その雨も束の間。
東の空に巨大な虹。


本日の画像。
自宅2階ベランダから、東方に立つ冬の虹。


冬に立つ虹は、珍しいような気がする。
虹のバックは、灰色の雪雲。

鉛色の重い雪雲は、不安の色である。
漠然とした・・・しかも、不安ばかりの未来の色である。
その中に一条の光を見出す虹。
虹の色は、太陽の光の分光。
スペクトル。
日溜りで、プリズムを置くと小さな濃い綺麗な虹色が出現する。

太陽の色だ。

手の中に納まる綺麗な虹。

暗雲をバックに立つ自然の虹と同じ太陽の光だけれど。
暗雲(不安)の在るとこにしか虹は立たない。
あの暗雲が、バックスリーンになって、虹の舞台が出来上る。
不安と希望は、表裏一体のコインの裏表なのかもしれない。


時雨(しぐれ)は、冬の季語らしい。
今の時期、使ってもよい『言葉』なのだろうか?
時雨れは、丁度よい時期に降る雨、恵みの雨・・・という佳い意味合いがあるらしい。


冬の虹は、春の訪れを告げるメッセンジャーなのかもしれない。

易経第3番目の水雷屯。

氷の下の雷は、春を待ちわび、動き出す・・・でもまだ時期尚早か・・・。



鳩時計

2015-02-19 05:20:21 | Weblog

昨日の冷たい雨、風は、おさまったようで、今は、静かな朝。

今の掛け時計は、電池(乾電池、太陽電池など)で動くものがほとんどで、正時毎に、オルゴールで時を知らせるからくり時計なども、光センサー?などが搭載されていて、夜中には、音を止められるようになっていて、昔(・・・いつの時代だ・・・?)のように、夜中でも、時を知らせる時計の音で、眠れない・・・ってことは、無くなっている。

世間から離れて?気儘な暮らしが続いているから、全く不規則で、時間などあってないようなものだけれど、夜中に時を告げる時計の音が、気になって、一晩中眠れなかったということは、子供頃、1回か2回くらいあった。
中学になるまで、深夜0時以降の時間帯が存在することを知らなかったけれど、小学生までは、起きていられるのが、せいぜい深夜0時前くらいで、大晦日の紅白歌合戦を最後まで見ていることが出来ず、朝まで、眠ってしまっていたから、時計が鳴ろうが、地震が起きようが、台風が通過しようが・・・眠気には、勝てなかった訳である。

正時毎に、時を知らせる掛け時計に、鳩時計というものがある・・・ということを知ったのは、小学生の低学年の時で、父の勤める会社の社宅に住んでいた頃、新婚さんが入居して、その御宅で、初めて鳩時計というものを見せてもらった。
その御宅は、ご主人は、長身で、ハンサムだし、奥さんは、美人で、家電や家具なども、新居に相応しい最新のもので、とても憧れていて、大人になったら、こういう生活がしたいなと常々思っていたけれど、ついに叶うことなく、オバサンになってしまった。

鳩時計は、玩具の家の形で、丸い文字盤の上に、鳩が出入りする扉がついていて、1時間毎に、可愛らしい鳩が出入りする。

1時には、1回、2時には、2回・・・。

当然のことながら、12時には、12回、鳩が出入りする訳だから、その可愛い姿が見たくて、仕方がなかった。
自分の家にあったらいいのに・・・と思ったけれど、鳩時計は、小学生には、高価なもので、お小遣いで賄えるようなモノではなかったし、ねだったところで、買ってもらえるハズもない。

新婚さんの家にあったものも、たぶん結婚のお祝いか何かだったのだと思う。

不思議だったのは、鳩時計本体の下に長く垂れ下がる鎖であった。
あの鎖は、単なる飾りだとおもっていたけれど、アレで、時計の長針と短針を調整するのと、鎖の重みで、時を刻むことを今頃になって知った。

電池式が主流になった今では、無用の長物であろうか・・・或いは、あの長い鎖は、今はついていないのかもしれない。

ゼンマイ式の時計は、淘汰されてしまったけれど、カラクリ時計のあのぎこちない動きは、一生懸命さみたいなものがあって、愛おしい。