鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

長月最終日(2024)

2024-09-30 20:07:05 | Weblog

終日の曇り空。

半袖だと肌寒く、長袖だと暑い・・・?

午前中、ベランダに出ると、ふわり・・・かすかに金木犀の香り???咲始めたのか・・・或いはどこかのお宅の芳香剤とか柔軟剤なのか・・・?

9月も終わりなのに、今年は、まだ金木犀の開花が確認できない。

今年は、一度しか咲かないかも。

母が亡くなった年には、ひと秋に3回程、開花した。

旧居宅には、金木犀の木があって、そこから一枝切って仏壇に供えた。

猫が居た頃、春には沈丁花、秋には金木犀の花の香りをさせてご帰還のときがあって、沈丁花が、低木だから、木の間を抜けてきたのかな?と思ったけれど、金木犀は、木に登ったのかな。

この三毛猫が、時々、姿をくらまして、半日くらい戻ってこないときがあって、そういうときは、もう帰ってこない・・・所詮、野良猫だもの・・・とさっさと諦めて、最悪を想定して、ダメージを受けないように、心の中にウレタンマットを敷いて、バンジージャンプ?するような覚悟?だったのだけれど、ある時は、少し隙間の空いた押入れの中に潜り込んで、知らずに完全に襖を閉められ半日間籠城されられ、探しまくった挙句、押入れの中から、

『にゃあ・・・』とか細い声で、気が付いてレスキュー?したこともあったり・・・したけれど、何処を探しても居ないときは、本当に、諦めていたら、頭上から、にゃあ・・・と声がして、見上げてみれば、二階屋より高いブナの木の上に居て、どうも降りられなくなったらしい。

なんで、あんな高いところまで、登ったんだろうか・・・イヌにでも追われたのか・・・。

助けたくとも、助けられないではないか・・・。

少なくとも・・・木の上で、半日くらいは、過ごしたようで、母が、地上から猫に声をかけた。

『頑張って降りておいで。』

その声の意味が分かったのか、決心がついたのか、覚悟をきめたのか・・・。

前脚を恐る恐る木に引っ掛けながら、猫は、頑張った。そして、降りるのは一瞬で、なんとか怪我もなく、着地できた。

そんなこともあったので、金木犀や梅の木などの低木などには、簡単の上り下りできたのだろう。

そんなことを思い出した長月最終日の月曜日。

 

 


宵散歩

2024-09-29 21:51:21 | Weblog

終日曇りがちの日曜日。

先週から、気温が乱高下して、夏なんだか、秋なんだか・・・と時候の挨拶に悩みつつ、礼状を書いては、破り・・・を繰り返し、やっとのこと礼状2通、見舞葉書1通をしたためる。

葉書の手書きは、超苦手で、文章を作るものの長すぎたりして、紙面に収まらなかったりで、下書きを書いては修正し・・・なんてことで、なかなか進まずにいた。

猛暑続き、残暑治まらず・・・などと文面を作っていけば、翌日は、急激に気温が下がったり、肌寒くなってきました・・・と書けば、翌日は猛暑日だったり・・・。

書いていて、ふと気が付いた・・・葉書(に限らず)の書き出しには、『前略』という便利な頭語があるではないか・・・法事関係のお礼状だから、前略と書き出して、御礼を述べて、時節柄体調管理云々・・・で結べば、それで葉書の文面は完成する・・・。

いつまでも、時候の挨拶に頭を悩ませることはなかったのだった。

そんなこんなで、いざ清書・・・となれば、進みゆく老眼で、ピントが合わず、ぼやけてくる。

老眼鏡買わんとな・・・。

母は、筆まめで、小さな綺麗な字で、葉書を書いていた。

亡くなる直前迄。流石に、その頃は、まっすぐに書けなくなったと言っていたけれど、老眼でも、書いていた。

あと数年、生きていたら、認知症の症状が出てきたかもしれないけれど。

 

昨日、なんとか、3通書き上げて、今日は、葉書の投函に・・・と考えていたのだけれど、なんだか、面倒になって、明日でいいか・・・と日延べすることにして、日中はダラダラしていた。

考えてみれば、二日後の10月1日には、郵便料金の値上げもあって、葉書は、現行の63円から、いきなりの85円になるようで、そうなれば、不足分22円分の切手を調達せねばならぬし・・・面倒だな。

明日30日迄に、郵便ポストに投函すれば、63円でOKなのか・・・深夜0時を過ぎて投函すると85円になるのか・・・ポストから回収した時間で、料金が違ってくるのか・・・そのへんがよくわからないし、料金不足で、戻ってきたらイヤだしな・・・などと、みみっちいことを考えたりして、夕方を過ぎて、あたりが暗くなってきてから、郵便局前のポスト迄、徒歩5分の道のりを歩いてみた。

宵散歩・・・。

吹いてくる風は、完全に秋だ。

少し冷たいけれど、半袖でちょうどいい・・・このくらいの気温が一番いいかも・・・(20度前後)

郵便局迄は、片側二車線の県道沿いを歩くので、明るいし、周囲のファミリーレストランには、食事をするお客さんが入店している。

ああ、風が気持ちいい・・・。

やはり夏より秋がいい・・・。

 

 


秋の色②

2024-09-27 22:31:41 | 自然・気象

くもりがちで、小雨パラつくも、蒸し暑い。

秋というより、梅雨時みたいな湿気っぽさ。

秋は、空気も乾いていて、空も高く・・・のイメージだけれど、天気予報をみると、すっきりと晴れる日があまり出現しなさそう・・・

もうすぐ10月になろうというのに、まだまだ蒸し暑いのに、明け方は、肌寒かったりで。

でも、案外10月もすっきりと晴れないのは、5月は爽やかな日が多い気もするけれど、案外雨も多かったりする・・・。

春と秋が、無くなっていくようで、過ごしやすい季節が短いのは残念。

これから来る冬は長くて、平年よりも、寒い・・・という長期予報も。

 

すっきりと爽やかな正しい日本の秋は何処へ行ってしまったんだろう?

秋といえば・・・清少納言も書き綴っているように、夕暮れどき。

茜色や朱色に染まる稜線の美しさ。

柿の朱色、玉梓(からすうり・烏瓜)の朱色。秋の色。

楓の紅葉の赤。

少し暗い赤の曼殊沙華(彼岸花)。

秋は、朱色・オレンジ色・赤の美しい季節だ。

秋には少し早いけれど、暦の上ではもう秋も近いかも・・・と小さい秋の雰囲気がそれとなく感じられる?(今年はそんなことなかったけれど)お盆のときに精霊棚に飾る鬼灯(おおずき)も、夏よりは、秋といった感じがするような気がする?

晩秋の頃の落葉前の蔦の控えめな赤も好きな色。

忘れちゃいけない赤トンボ。真っ赤に染まった胴体は、秋の色。

 

・・・なんてことを思っていたけれど、今はどうなのか・・・。

1980年代だったか・・・『すみれセプテンバーラブ』というキャッチコピーで、目元にパープル染める化粧品が売り出された。

春のすみれ色を9月に纏う・・・か・・・。面白いといえば面白いのかも?

 

紫色のすみれは、春だけれど、グレゴリオ暦で、葡萄月は、ヴァンデミエール(ブドウの収穫月)。

ぶどうも紫色。

これも、秋に相応しい色。

秋の色。朱色、赤色、茜色・・・そして紫色も・・・。

 

 


戻り夏の秋の日(市外の料亭ランチ&美術館)

2024-09-26 22:02:38 | 宝石

再びの真夏日。

日光に行く計画だったのだけれど、ニジマスを供するレストランの予約が取れなかったので、市内東端の料亭ランチ&美術館に変更。

料亭は、市内中心部より離れていて、広い敷地とカフェを併設していて、静かに過ごせる場所。

開店時間少し前だけれど、カフェは、開店を待つ女性客の車でいっぱい。

道を挟んだ第二駐車場へ。

ランチ価格なので、相応の食材しか使えないと思うのだけれど、丁寧な仕事と技術で、久しぶりに本当においしいものを食べた気がする。

先付のあとに供される椀モノが特に美味しくて、椀モノの出来のいいお店は、期待ができる(と思っている)。

テーブルは、予約で全部埋まっていた。

窓から見える楓が、戻り夏の日差しの中で、その清涼な青さと湛えている横で、早くも黄色から赤へ変わる樹木を眺めながら・・・。

本当に静かで、落ち着いたお店だった。

 

ランチのあと美術館へ。 

『コスチュームジュエリー 美の変革者たち 小滝千佐子コレクションより』

真鍮、ガラス、エナメル・・・といった金銀、宝石に代わる素材をふんだんに使い、ファッションショーなどの場において、ヴィジュアル的に効果のあるジュエリー・・・そんなアクセサリー感覚のネックレス、ブローチなどを展示。

真鍮に小さなガラスを留めたブローチなどは、若いころの母が持っていた唯一のアクセサリーに似ていて、真鍮や銀の台座などは、黒く変色していたり、ガラスビーズが取れたりして、子供心にみすぼらしく感じたこともあったのだけれど。

かのジャックリーン・オナシス・ケネディなどは、テレビ放映されるなら、本物の小さな真珠のネックレスなど意味がない・・・といって、テレビ映りのよい大粒のイミテーションパールのネックレスを3連してテレビに登場したなんてエピソードなど思い出し。

赤、緑、青・・・天然の宝石とは似ても似つかぬ人口着色料てんこ盛りのドロップやゼリーを彷彿とさせるガラスやエナメルの素材。

見せるためのコスチューム・ジュエリー。

それはそれで・・・1950年代から1960年代のコレクションは、懐かしさ、ノスタルジー感たっぷり。

母の持っていたブローチは二束三文にすらならぬような安物だったけれど、母はこれしか持っていなかったな・・・小さな花のガラス玉の象嵌されたそれでもかわいらしい品だったと今は思う。

 

外は夏だったけれど、夏の中に鮮烈な秋の色・・・赤とんぼ。

 

そして美術館の駐車場にパークした車のボンネットには、秋の子供が落ちていた・・・。

 

 


老眼

2024-09-25 21:07:45 | 本・読書

くもりがち。朝方の最低気温16度。宵から雨。

これまでの夕立とは違って、時雨っぽい。

お風呂のお湯も、これまでは、湯温37度にしたけれど、今日は43度でもぬるい気がする。

 

買ったけれど読まない本が積まれてきている。

旧居宅の居室にあった本の塔が、引越し先のこの部屋に出来つつある。困ったな・・・。

老眼が進み、漢字の横にふってあるルビ(ふりがな)などが、小さすぎて読めない。

読める漢字は問題ないのだけれど、人(登場人物)の名前などは、適当に読むわけには、行かない。

困ったねぇ・・・などと言いながら、母が使っていた虫眼鏡を枕元に置いて、必要なとき使っている。

プラスチック製の青い小さい虫眼鏡で、軽くてよいので、文字が小さすぎるときに、利用している。

老眼の度が進んでいた母は、あの青い小さな虫眼鏡をかざしながら、新聞を読んだり、クロスワードパズルやナンクロパズルなど解いていた。

私の若い頃でも、岩波文庫、中公文庫などは、文字が小さくて、なかなかに読みづらかった。

読書用に老眼鏡でも新調するか・・・。

読書の秋だってのに・・・。

 

 


パソコン・セキュリティソフトを更新したけれど・・・。

2024-09-24 22:04:20 | 科学

くもりがちで、涼しい連休明け。

涼しいのはうれしいけれど、朝方は、20度を割込み寒いくらい。

押入れから毛布を引っ張りだす。

 

6月にパソコンを新調して3カ月。

無料だったウイルスソフトの期限も切れたので、安価なソフトを購入してインストールしてみたのだけれど・・・。

なかなかに、順応してくれず・・・やっぱりね・・・安価なものには訳がある・・・っていうか・・・。

古いパソコンで使っていたヤツは、インストール時は、安価だったけれど、いきなり価格が2倍になって、しかも、結構、使えないヤツで、いろいろと不具合もあったので、今度は、一度インストールすれば、新品のパソコンが壊れるまでは、更新料が無料の『ゼロ』・・・というアレにしてみた。

Windowsセキュリティーとの相性が悪いみたい?で。

古いパソコンのセキュリティソフトも手動で、アンインストールしたのだけれど、なんか残骸が、邪魔でもしているんだろうか???コレも、ホント使えないソフトだったしな。

いろいろと手は尽くしてみたけれど、不具合が解消しないので、現在、ウイルスソフトの販売元さんに問い合わせ中。

インストールするときも、サクサクとは進まず、迂回して、なんとか・・・って感じだったし、期待はできないかもなぁ・・・クソとかクズとかのうわさの・・・3カ月間の無料ソフト・ナントカバスターを継続すればよかったのかも・・・(でもなぁ・・・コレも仕事しているんだかいないんだか・・・よくわからんヤツだったし、なにしろ高額なんで・・・)。

利用中に、トロイの木馬に引っかかったりしたし・・・こういうのって、ブロックしてくれるわけじゃないのかな。別に、怪しいサイトにアクセスした訳もないのに。

一説によると・・・Microsoftデフェンダーだけで充分だという説もあるにはあるのだけれど。

Microsoftのあのデビルなゲイツ先輩だからなぁ・・・。

自分で、ウイルスバラまいて、駆除ウイルスソフトを販売する・・・って手法は、かの新型コロナでもやっていたし、蚊に変な遺伝子ウイルスを仕込んで、なんかやってたし、10月からのレプリコン・ワクチンだって、あの財団の資金が・・・なんてウワサだけれど。

自分で、火をつけて火事を起こし、消防車で乗りつけて消火して・・・所謂、マッチポンプ方式で、いろいろやっているとか、やってないとか・・・???

政府も政治家もNHKもマスコミも医療も製薬会社も食品メーカーも・・・なにもかもが、信じられないこの世界。

正悪入り乱れて、一体、何が正しいのか、間違っているのか・・・皆目、わからなくなったこの世界。

旧世界の正が悪になり、常識が非常識になり・・・今、過渡期???

 

どうぞ世界が平安でありますように・・・。

 


眠り過ぎた夢をみた。

2024-09-23 23:21:11 | 睡眠

残暑も収束したようで、爽やかな秋風の連休最終日。

お昼過ぎから、栗の皮を剥く。

あまり良い栗ではなかったようで、三分の一くらいが、ダメになっている。

鬼皮は、綺麗に剥けるものの、渋皮に難儀する。

栗の防御は、半端ない。

 

よく眠って、眠りすぎて、太陽が西に傾きかけて目を覚ます夢を見た。

夢の中で、眠る夢は、心身疲労やストレスだと言う。夢占いでもあまり良くなさそう。

疲労しているのかな。

私も、今日剥いた栗のように、木の上では、トゲトゲのイガに身を包み、更に、鬼皮と渋皮を纏い、完全武装して、身を固く硬直させながら、暮らしているような気がする。

世の中の全てに対して。

そして、一番の敵は・・・多分、自分自身。

そんな気がしてきた。

 

だから、私は、夢の中でしか、眠れないのかも?

 

 

 


寒い・・・秋彼岸中日(2024)

2024-09-22 21:03:28 | 自然・気象

秋彼岸中日。

昨夜から雨が続き、午前中は、本降りの時間帯も。

午後になって、晴れ間。

 

朝方の最低気温20度を割込み、18度・・・寒い。

長袖Tシャツの上から、半そでTシャツを着こんでも、寒い・・・。

足先が冷たい。

一昨日迄は、冷房を使っていたのに、いきなりの秋本番か・・・。

 

昨日、母と同じ職場の同僚(保育所の調理師さん)の娘さんから、お彼岸のお供物が届いた。

朝、珈琲を淹れて、仏前に供した。

同じ便で、義姉から、一周忌の礼状とギフトカタログも。

礼状を書くのに、頭を悩ます。

下手な文面しか思いつかない。

 

天気予報では、最高気温30度超えの予報だったけれど、25度くらいまでしか上昇せず。

流石に、『暑さ寒さも彼岸迄』と長く伝えられてきたので、そんなに簡単には、覆せないな。

 

奥日光では、二日前に、28度を記録し、これは、観測史上、9月で最も高温になったとニュースは伝えていた。平年だと18度くらいらしいから、10度以上も高温だった。

やはり今年の夏は、記録的な暑さで、転居先の雷都では、暑いうえに豪雨続きの夏になったな。

 

そのせいなのか・・・。

今年は、金木犀の開花していない。

拙宅裏のお宅に金木犀の大木があるので、開花すれば、その馥郁とした香りで、開花がわかるとおもうのだけれども。

秋の訪れの遅れた今年の秋彼岸のお中日。

 

 

 

 

 

 

 


涼しい・・・。

2024-09-21 21:18:31 | Weblog

曇りがちで、小雨降ったり止んだり・・・。

最高気温30度に届かず・・・。

陽が差さないので、二階屋の居室は、かなり涼しい。

宵から、雨音が聞こえるくらいの降り方。

これまでのゲリラ豪雨とは降り方が違うものの・・・今年は、暑かったけれど、雨量も半端ない。

暑さ寒さも彼岸迄・・・というけれど、流石に、秋彼岸を迎えれば、暑さも収束していき、いきなり、寒くなったりして、秋が短くなってきているような感じ・・・。

 

来週は、奥日光へ行こうか・・・紅葉には、まだ少し早いけれども・・・。

ヒメマス食べ損ねたし・・・この間は、お目当てのヒメマスが食べられなかった相方とそんな話をする。

例の流行り病が下火になって、海外からの観光客の増加とともに、レストランも予約しないとランチができにくくなったし。

湯葉のコンソメが美味しいお店だったな。

県央に越してきて、日光が近くなった。それはそれで、嬉しい。

 


嫌いな言い回し:使い倒す

2024-09-20 21:22:23 | Weblog

猛暑復活。

午前中は、曇っていて気温上昇も控えめだったけれど、午後になって晴れてきて、気温急上昇。

とにかく・・・暑い。秋彼岸だというのに・・・。

 

断捨離がブーム?で、ネコも杓子も・・・モノを捨てよう・・・的な風潮。

要らぬモノ、使わぬモノが、高い家賃の狭い部屋を占領・・・。

巷では、断捨離のHOW TO本が、次々と出版。

要らぬものを片付けたら、開運したとか、お掃除するとよいことがあるとか・・・。

 

私は、片付けや整理整頓が苦手で、いろいろと積んどく・・・。

旧居宅の居室の畳は、モノで溢れていた。

私の持ち物は、紙類と衣類。つまり本とか服とか・・・。

引っ越し先が、間取2Kという手狭な家なので、旧居宅で、居室2部屋、キッチンリビングと使っていたのだけれど、ソコにあったものを現在の家に全部運び込むのは無理だったので、いろいろと捨てたりしたけれど、分別厳しき自治体でのゴミ捨ては難儀を極めた。

プラスチックとステンレスの合体したピンチハンガーって、可燃か不燃か・・・???

捨ててしまうと危険なものとか。

製造会社は、とにかくコストと流行とか、使いやすさとか重視して捨てるときは、たったひとこと。

『自治体のルールに従って捨ててください。』

だから・・・ソレがわからないんだよな。

 

断捨離の達人とか、節約主婦の達人さんたちが、例えば、ペーパータオルをとことん使い倒す・・・とかいう見出しで、食器を拭いて、テーブルを拭いて、ガス台を拭いて、それから床を拭いて、とことん使い倒してから捨てます・・・とか言う。

一、二回使ってもまだ使う・・・ってことで、コレは、モノを大切に扱って、モノが原形をとどめなくなってから、こころおきなく捨てる・・・ってコトらしく、ある意味、環境にも優しいのだろうけれど。

私は、その『使い倒す』という言葉が大嫌いだ。

それを言うなら、『使い尽くす』とか『使い果たす』とか・・・そういう言い回しの方が、使い倒されるモノに対して、まだ感謝の思いが伝わる???というか、そんな気がしている。

『使い倒す』といわれると、満身創痍になってもまだ、床だの窓のサッシなど拭いて、その身が、ボロボロになるまで、情け容赦なく使われた挙句、ポイっと捨てらてしまうのは、悲しすぎる(ような気がする)。せめて、きれいにしてくれてありがとう・・・くらい言ってから捨てても罰は当たらぬであろうな。

一度も使うことなく、ゴミ処理場へ移動しただけのモノたちも・・・。使い倒されなくてヨカッタと思うけれど、一度もお役に立たないのはちょっと残念・・・とか、思っているかもしれない(思っていないか?所詮、モノだもんな・・・)。

そして・・・その不要になったモノが、捨てられて、ゴミ処理場に行って、焼却なり、リサイクルなり・・・その姿になるまで、どのくらいのヒトの手を経ているのか・・・少しでも考えてほしいと思ってみたりする。

最近、クリーンセンターに粗大ゴミなどの処分で、出向くのだけれど、夏場(冬場もだけれど)は、特に、センター内の生ごみの匂いがものすごいことになっていて、中で作業する職員さんは、大変だな・・・と思ってしまう。

『使い倒』されたゴミも、新品未使用のゴミも、等しく葬られる焼却場。

いづれにせよ、断捨離という行為には、よいこともあるだろうけれど、なんだか、業深い行為でもあるように思えて、捨てる手が止まり・・・そして、ゴミの山となって堆積していく。

山になる前に、やはりなんとかした方がよいのかもしれない。

・・・となると・・・買うときは、処分する時のことまで考えてから・・・とか言っているとその間に、別のモノが・・・のモノに支配されている気がしないでもない・・・(つまり、どうしていいのかわからなくなっていたりする)。