電話がかってくる、「ハイ」と答えると、受けたのがこの自分であることを確認してから「お疲れ様です」と相手がいう。メイルがくる。その冒頭の文章に「お疲れ様です」とある。街中や電車の中でもこのところこの「お疲れ様」をよく耳にする。とても気になる。仕事終わりに「お疲れ様は」わかるが冒頭、朝一番からお疲れ様といわれると考えこんでしまう。
今の若者はとても疲れているのだろうかと心配になる。確かにこの経済環境の下、また政治情勢の下では気が休まらないことであろう。しかし国の外に出ての挨拶にAre your tired ?とは朝から言わないだろうと思う。やさしさや相手を思うことのコトバでの表現がこのところ捻じ曲がっているように感じる。「XXをさせていただいてよろしいでしょうか?」という表現も気になる。「XXしてほしい」からたのんでいるのにもかかわらず、である。
こうした言葉の捻転用法はサービス業のマニュアルから来ているのではと推測した。やさしく、摩擦なく、相手によく感じてほしい、というための表現がこうした言い方であるとすれば大間違いだ。そこで自分はコンビニなどの応答であまりに馬鹿げた表現のときには注意することにした。
しかし相手は「この親父オカシイ」と思っているかもしれない、と思いながら。
今の若者はとても疲れているのだろうかと心配になる。確かにこの経済環境の下、また政治情勢の下では気が休まらないことであろう。しかし国の外に出ての挨拶にAre your tired ?とは朝から言わないだろうと思う。やさしさや相手を思うことのコトバでの表現がこのところ捻じ曲がっているように感じる。「XXをさせていただいてよろしいでしょうか?」という表現も気になる。「XXしてほしい」からたのんでいるのにもかかわらず、である。
こうした言葉の捻転用法はサービス業のマニュアルから来ているのではと推測した。やさしく、摩擦なく、相手によく感じてほしい、というための表現がこうした言い方であるとすれば大間違いだ。そこで自分はコンビニなどの応答であまりに馬鹿げた表現のときには注意することにした。
しかし相手は「この親父オカシイ」と思っているかもしれない、と思いながら。