完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

そう言えば「叩かれない」ねぇ・・・。      ~そう思っているのは私だけ?~

2022年05月07日 | 時事ネタ

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

私だけがそう思っているのだろうか?

 

 

 

岸田総理大臣って「叩かれない」ですねぇ。

 

 

 

まあ、「前総理 菅義偉氏」や「元総理 安倍晋三氏」があまりに叩きどころ満載だったから。

 

 

 

 

「毒にも、薬にもならない観」が強いですな。

 

 

 

 

 

逆に言えば「前・元総理」の二人が「やりすぎの感」が強かったからね。

 

 

 

 

 

以前からUpしているが・・・。

 

 

 

 

「清廉潔白だが、無能な政治家」が良いのか。

 

 

 

 

「裏がありそうな、有能な政治家」が良いのか・・・。

 

 

 

 

それも、どちらも「そう見える・そう感じる」だけで、本当のところはわからないんだけど・・・。

 

 

 

 

 

何か岸田総理が就任してから「国外」のことに「大騒ぎ」が多すぎて「国内でのこと」に、大きなことが起きている感覚がない。

 

 

 

 

 

特に、岸田総理自身が関わった「事件」が思い浮かばない・・・。

 

 

 

 

そうこうしているうちに夏には「参議院選挙」があるという。

 

 

 

 

こうして「波風が立たない状況」では、なかなか「与党が負ける」ことはないだろう。

 

 

 

 

 

いつも記すことではあるのだが。

 

 

 

 

今の選挙制度(小選挙区・比例代表並立制)というのは「死に票」が多くなりすぎる。

 

 

 

 

 

各選挙区1名しか当選できないから「51:49」の割合(まあそんな極端なことはないけど)で当選した場合。

 

 

 

 

ほぼほぼ「半分の票」が「死に票」となってしまう。

 

 

 

 

政治家にとって一番怖いのは「落選すること」であるから、政治家にはいつも「次は落ちるかもしれない」と思わせておけば、真剣に仕事をするはずだ。

 

 

 

 

だから、いつも「ギリギリで当選」させておくのが正しいと思う。

 

 

 

 

 

しかし、そんなことは選挙民がよほど上手に操作しない限り、その状況は作り出せない。

 

 

 

 

 

特にこうした「可もなく不可もない総理大臣」が与党を率いているときは尚更だ。

 

 

 

 

前・元総理の時には「閣僚」も、同じように「叩き甲斐」があったが今は「誰が何大臣であるか」さえうろ覚えになってしまっている。(私だけだろうか?)

 

 

 

 

 

なんにせよ政治がうまく回って日本自体が繫栄してくれれば、なんの問題もないのだけれど・・・。

 

 

 

 

こうした総理大臣は「息が長い(就任期間が長い)」ことになりそうだ・・・。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、こんな時こそ政治に興味を持ちますように。

 

 

 

 

 

            May

 

 

 

まあ「コロナ」「ウクライナ侵攻」なんて「何十年に1度」しかないような事柄が発生しては、政治的に波風の立ちようがないんだろうけどね。

 

 

 

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価値観の相違         ~土下座の意味~

2022年05月07日 | 時事ネタ

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

北海道での観光船沈没事件での話。

 

 

 

事件後かなりの日が経ってから記者会見。

 

 

 

会見の最初と最後に。

 

 

 

社長が「土下座」をしていた。

 

 

 

 

「土下座」というは・・・。調べてみると

 

 

 

 

「申し訳ないという気持ちを表すために、地面や床にひざまずいて謝ること。」とある。

 

 

 

 

 

日本人の感覚の中では「土下座」は、最高の「謝意の現れ」ととらえられている。

 

 

 

 

 

しかし・・・。

 

 

 

 

いまの日本人において、本当に土下座は「最高の謝意」になっているだろうか?

 

 

 

 

 

 

土下座が「屈辱である」という感覚がなければ、実はあまり意味がない。

 

 

 

 

 

江戸時代の参勤交代時には、その行列に通行人・百姓は「土下座」を強要されたという。

 

 

 

 

 

それに土下座をしていた人々は「屈辱」と感じていただろうか?

 

 

 

 

けっこう「は~~~あ、また来た」とか「めんどくさいなぁ」とかの意識だったのではないだろうか。(庶民なんてそんなもんだろう)

 

 

 

 

「社会的地位の高い人」が(なんで「俺が」こんな格好せねばなる!)と思ってすることに意味がある。

 

 

 

 

逆に言えば。

 

 

 

 

「そうした意識の薄い人」がする土下座には

 

 

 

 

あまり価値を感じない・・・。

 

 

 

 

つまり、それを行う人間の人となりが「価値」をきめるのだと思う。

 

 

 

 

 

そうした意味で私観で申し訳ないが。

 

 

 

 

今回の沈没事故における社長の土下座には。

 

 

 

 

 

「ある種の軽さ」を感じてしまった。

 

 

 

 

その会見内容から見て取れた彼の人となりは。

 

 

 

 

 

「人の命を預かる観光船」を運行する会社の取締役の重みが「軽く軽く」見えた。

 

 

 

 

 

「社長」とか「取締役」の存在理由は。

 

 

 

 

こうした危機や不祥事の時の「謝罪のため」に存在すると私は思っている。

 

 

 

 

 

経営において「社会的な意味・意義」を薄く考えている人間の記者会見は。

 

 

 

 

 

こんな形になるのだろう。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、自分の存在理由には「社会的意味」が少なからずあることを自覚しますように。

 

 

 

 

        May

 

 

 

 

記者会見ってのには、会社のあり方・社長や取締役の人格とかが「如実」に現れるねぇ。

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