私は中年である。
先回のブログを読んでもらうと分かると思うのだが先週から今日までの
10日間ほど「混乱」の極にある。
その間にもUpしたい時事ネタがいっぱいあった。
「フィギュアスケート世界選手権東京大会」
「大相撲ズルズルの千秋楽・優勝決定戦」
「東京都知事選14人のドッチラケ」
時事ネタは時期を外すとちっとも面白くないのですぐにはUpすることはないが、
どこかでUpするタイミングがあるかなぁ。
と言うことでUpするブログネタには困らない「中年」である。
さて、人間は周期的にヒドイ忙しい時が押し寄せてくるらしい。
私の仕事は基本的に「二人」で進める仕事なのだが4年近くにわたって
一緒に仕事をしてきた「相棒」が2月いっぱいで「リタイア」してしまった。
まったくの「個人的理由」で避けられない事態だった。
また、私はモットーとして「去るものは追わず」である。
そのため3月は仕事を休める状態ではなかったのだが、そうした時に限って
「どうして休まなければならない」事柄が続く。
仕事がどうなったか不安で仕方が無かったが、なんとかそれを終わらせ「ホッ」と
していると、尚更に休めない「年度末最後の日」か「年度始め最初の日」の
どちらかを休まねばならなくなった。
歯噛みをする思いである。「なんで、そうした日ばっかり・・・。」
その休まねばならぬ理由が「親父を大学病院に連れて行くこと」だった。
こう書くと大変なことに受け取るかもしれないが「命」に係わるようなことではない。つまりは「老化現象」でしかない。
このブログで「親」のことをUpすることはずっとためらってきた。
・・・どうしても「冷静」な内容になりそうに無いからだ。
人間誰しも、あるとき冷静に親を「一個の人間」として見る時が来る。
一般社会に出て様々な人に会い「人間観察」を重ねてくると、自分の「親」が
どの程度の人間なのかを値踏みする時が来る。
私の場合、父親に対して感じていた漠然とした不信感があるとき「確信」に
変わった。
たいていの場合はその不信感や、ともすると「憎悪」にまでなった感情が
親子の情みたいなもので許せていくのだろう。
特に家を離れて生活する子ども達は「望郷の念」と「親子愛」がそれを
解消していく。
しかし、私のように40年以上一緒に暮らすものには「その人間の面白くない
部分」ばかりが突きつけられてしまう。
困ったことに人間は年を重ねるごとに、わがままで自己中心的になる。
全てのことは自分のことを優先にし「私は年寄りだから」と言うようなことを
「免罪符」に使う。
祖母が生きていた時に「親と言うものには困った。殺すわけにはいかねぇし・・・」などと言っていたクセに、息子の私が自分が感じた思いを持っているとは、
夢にも思っていない。
人間誰しろそう思う部分はあるが「まさに自分だけは」と考えている。
歳を取ると誰しそうらしいが・・・。
大学病院の検査は昼をまたいで夕方にまでかかった。
昼に外に出て食べ物屋を探した。しかし、周りには小洒落た喫茶店ていどしか無い。
親父は「コーヒーにスパゲティ」など食べる人間ではない。
結局20分以上も「食堂」を探して歩き続けた。
その時に私には「めんどくさい・むなしい」という感情しか浮かんでこなかった。
私は薄情な人間なのだろうか・・・。
そうではなく46年間一緒に暮らした父親との関係において、たった20分で
あっても「めんどくさい・むなしい」と感じる以外ない程度の「絆」しか
私達親子は作れなかったと言うことだ。
今は、その親父と暮らしながら「自分自身」が如何なる「老人」になるかを
ひそかに一生懸命考え続けている。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「親子の情」を深めていけますように。
まあ、まったくヒドイ年度末だった・・・。4月からは「心機一転」あたらしい
スタートを切るぞ~~~! may
先回のブログを読んでもらうと分かると思うのだが先週から今日までの
10日間ほど「混乱」の極にある。
その間にもUpしたい時事ネタがいっぱいあった。
「フィギュアスケート世界選手権東京大会」
「大相撲ズルズルの千秋楽・優勝決定戦」
「東京都知事選14人のドッチラケ」
時事ネタは時期を外すとちっとも面白くないのですぐにはUpすることはないが、
どこかでUpするタイミングがあるかなぁ。
と言うことでUpするブログネタには困らない「中年」である。
さて、人間は周期的にヒドイ忙しい時が押し寄せてくるらしい。
私の仕事は基本的に「二人」で進める仕事なのだが4年近くにわたって
一緒に仕事をしてきた「相棒」が2月いっぱいで「リタイア」してしまった。
まったくの「個人的理由」で避けられない事態だった。
また、私はモットーとして「去るものは追わず」である。
そのため3月は仕事を休める状態ではなかったのだが、そうした時に限って
「どうして休まなければならない」事柄が続く。
仕事がどうなったか不安で仕方が無かったが、なんとかそれを終わらせ「ホッ」と
していると、尚更に休めない「年度末最後の日」か「年度始め最初の日」の
どちらかを休まねばならなくなった。
歯噛みをする思いである。「なんで、そうした日ばっかり・・・。」
その休まねばならぬ理由が「親父を大学病院に連れて行くこと」だった。
こう書くと大変なことに受け取るかもしれないが「命」に係わるようなことではない。つまりは「老化現象」でしかない。
このブログで「親」のことをUpすることはずっとためらってきた。
・・・どうしても「冷静」な内容になりそうに無いからだ。
人間誰しも、あるとき冷静に親を「一個の人間」として見る時が来る。
一般社会に出て様々な人に会い「人間観察」を重ねてくると、自分の「親」が
どの程度の人間なのかを値踏みする時が来る。
私の場合、父親に対して感じていた漠然とした不信感があるとき「確信」に
変わった。
たいていの場合はその不信感や、ともすると「憎悪」にまでなった感情が
親子の情みたいなもので許せていくのだろう。
特に家を離れて生活する子ども達は「望郷の念」と「親子愛」がそれを
解消していく。
しかし、私のように40年以上一緒に暮らすものには「その人間の面白くない
部分」ばかりが突きつけられてしまう。
困ったことに人間は年を重ねるごとに、わがままで自己中心的になる。
全てのことは自分のことを優先にし「私は年寄りだから」と言うようなことを
「免罪符」に使う。
祖母が生きていた時に「親と言うものには困った。殺すわけにはいかねぇし・・・」などと言っていたクセに、息子の私が自分が感じた思いを持っているとは、
夢にも思っていない。
人間誰しろそう思う部分はあるが「まさに自分だけは」と考えている。
歳を取ると誰しそうらしいが・・・。
大学病院の検査は昼をまたいで夕方にまでかかった。
昼に外に出て食べ物屋を探した。しかし、周りには小洒落た喫茶店ていどしか無い。
親父は「コーヒーにスパゲティ」など食べる人間ではない。
結局20分以上も「食堂」を探して歩き続けた。
その時に私には「めんどくさい・むなしい」という感情しか浮かんでこなかった。
私は薄情な人間なのだろうか・・・。
そうではなく46年間一緒に暮らした父親との関係において、たった20分で
あっても「めんどくさい・むなしい」と感じる以外ない程度の「絆」しか
私達親子は作れなかったと言うことだ。
今は、その親父と暮らしながら「自分自身」が如何なる「老人」になるかを
ひそかに一生懸命考え続けている。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「親子の情」を深めていけますように。
まあ、まったくヒドイ年度末だった・・・。4月からは「心機一転」あたらしい
スタートを切るぞ~~~! may